夜の声

神崎

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一年目

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 洋服を着て、私は葵さんと並んで家に帰る。それはいつもの光景だ。しかし彼にとってその意味合いは全く違うようだった。さっきまで彼の前で乱れ放題乱れていた私は、きっと彼のものになったような気分でいたのかもしれない。
 その証拠に彼は誰もいないのを見計らうと、手を繋ごうとした。しかし私はそれを拒否する。皮肉だけれど、葵さんに抱かれることで私は柊さんを愛していることに、改めて気づかせてくれたのだ。都合のいい話だと自分でも思う。
 それでも葵さんは大人だ。そういう私の気持ちを察してくれる。だけど彼はきっと私をまた抱こうと思っているはずだ。隙あれば。だろうけど。
「それではまた明日。」
 部屋の前で別れ、葵さんは帰って行く。今からきっと豆の選別をして仕込みをするのだ。そして片づけをして……。何時に寝るのだろう。
 リビングの電気をつけて、自分の部屋に戻る。そしてとりあえず風呂に入ろうと、着替えを持って脱衣所に向かった。大きな姿見の鏡には、私の貧弱な体が映し出されている。そこには情事の跡はない。きっと付けなかったのだ。葵さんはそういう人だ。今日少しでも柊さんに会う可能性があるから。そのときそういうことをシタのだと気づかれ、私が責められないようにしたのだろう。
 どこまでも優しい人だ。
 まるで確かめるように、彼は私を抱いた。力強さだけで押し切る柊さんとは違う。だけど私は柊さんがいい。
 彼の体を覚えている。指も、舌も、温かさも、私はそれを求めていた。葵さんじゃない。ごめんなさい。あなたを利用した。
 湯船に入りながら、私は泣いていた。それは後悔の涙だった。

 風呂から出ると、自分の部屋へ向かった。そして携帯電話を見る。どうやら二十一時頃電話が入っている。相手は柊さんだった。メッセージもある。”会いたい”と短く打っていた。どうしたんだろう。こんな彼は初めてだ。
 私はメッセージを送る。
”いつまでも待っています。”
 正直に言おう。蓬さんのことも、そして……葵さんのことも。それがきっかけで別れてしまえば、私の責任だ。股が緩い私が悪かったのだ。でもきっと諦められない。
 台所には温かいスープがある。それとチキン。スープは母さんが冷蔵庫の中を整理したいときに作るものだ。いつも具材は決まっていない。チキンはきっとクリスマスだからだろう。
 食事のあと、自分の部屋に戻りラジオを付けた。もう椿さんのラジオ番組は終わっていた。彼は何を語ったのだろう。こんなクリスマスの日に。でもきっと、今の私は何も今は響かないだろう。こんなに後悔しているのだから。
 深夜一時を少し過ぎたとき。
 外でバイクの派手な音がした。そしてそれはアパートの前で止まる。予感がした。窓から外を見ると、そこには見覚えのあるバイクが停まっている。私はアパートの階段を駆け下りて、外に降りた。上着を忘れてしまって寒い。だけどそんなことはこの際どうでもいい。
「柊さん。」
 その名前を呼び、彼もヘルメットを脱いでこちらを見る。柊さんだ。やはりそうだった。
 私はかけより、彼に抱きつこうとした。そのときだった。
「感動的な……と言っていいのか。」
 冷たい声が私の足を止めた。向こうに停まっていた車から、一人の男が降りてこちらに向かってくる。それは蓬さんだった。
「……蓬さん。」
 その名前に柊さんもそちらをみた。彼の表情がどんどんと固くなっていく。
「柊。随分探した。」
「お久しぶりです。」
 絞り出すように柊さんはいう。
「この女を追っていれば、お前がいると思った。おそらくこの女がお前の女というわけだろう。」
「……。」
「お前はとことん女を幸せにできない奴だ。」
 体格差はある。蓬さんも背が低いわけではないが、上背も体格も柊さんの方が大きい。だけど何でだろう。柊さんが小さく見える。それはきっと威圧感みたいなものだろう。
 蓬さんは柊さんに近づいて、肩に手を置く。
「色々わかっただろう。お前が愛した人は幸せにはなれない。言葉が圧倒的に少ないからな。不安にさせて、他の男に流れる。桜。」
 肩に手を置いたまま、蓬さんはこちらを見る。
「葵の方がいいと思わなかったか。」
 柊さんもその言葉に驚いたようにこちらをみた。しかし私は不思議と冷静だった。
「少しも思いませんでした。」
「は?」
 隠すと思っていた関係を、あっさり告白した私の言葉が意外だったのだろう。蓬さんも柊さんもこちらを見たままだった。
「私が好きなのは柊さんだけだったというのを再確認できました。それだけがいいところであって……。」
 たぶん怖いと思っていたのかもしれない。だけど私は蓬さんの方に近づいていく。
「私は、何があっても柊さんから離れられないんです。」
「その事実を知って柊がお前を捨ててもか。」
「それは……仕方ないでしょう。流された私が悪いんです。それで柊さんが私から別れを告げられたら、甘んじて受けなければいけないでしょう。」
「桜。それだけはない。」
 柊さんは蓬さんの手を振り払うと、私の方に近づいてきた。そして私を見下ろす。その目が怖いと昼は思っていた。だけど今はこんなに温かい。
 彼は着ていたジャンパーを私に着せた。彼の匂いがした。煙草といろんな匂いが混ざった匂い。好きな匂いだった。
「桜。」
 蓬さんは私に近づいてくる。まだ何をいうのだろうか。
「強姦されても何をされても、こいつから離れないのか。もしこいつがヤクザになると言っても、お前はヤクザの女になるのか。ヤクザの女がどんなものか知っているのか。」
「情婦になっても。」
「……それでいいと?」
「私はそれでも彼を愛しているから。彼といるだけで幸せですよ。彼がいれば不幸だと思っても幸せに変えれると思いますから。」
 すると蓬さんはこらえきれないように、声を上げて笑い出した。そして少し落ち着いたところで、柊さんを見上げた。
「今日は帰ろう。桜に免じてな。」
「来ないでください。」
「そう言うな。桜。今度は私と遊ぶか。」
「いいえ。そんな日は来ません。」
 笑顔のまま彼は、今度は私の方へ近づいてきた。
「威勢のいい女だ。柊にはもったいない。」
 すると今度は柊さんが私の前に立ちふさがる。
「力ではあんたより強かったはずですよね。」
 その言葉に蓬さんは柊さんを見上げると、また真顔になった。
「守るべきものができると強くなるな。いいだろう。柊。また来ることにしよう。どっちにしてもお前は俺から離れられないからな。」
 後ろを向いた蓬さんは車の方へ向かっていった。そして私は柊さんを見上げる。
「柊さん。」
 すると彼はため息をつき、私を見下ろした。
「とりあえず、色々聞かないといけないな。覚悟しておけよ。」
 彼の大きな手が私の頭を撫でる。それが嬉しかった。
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