夜の声

神崎

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一年目

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 ブレザーでは少し寒くなったその日。私は学校が終わって帰ろうとしていた。すると階下から、この学校に似つかわしくない人があがってくるのが見えた。それは灰色のスーツを着たヒジカタコーヒーの支社長だった。
「支社長。」
「あら。桜さん。今から帰るの?」
「はい。支社長は?」
「ここの就職指導の先生に呼び出されたのよね。」
「求人してるんですね。」
「えぇ。聡子さんが再来年くらいに定年になるし、本社の方も人が足りなくてね。誰か回せって言われているから、もしかしたら蓮さんが行くかもしれないけど。」
「蓮さんが……。」
 蓮さんは葵さんの弟だ。またこの土地を離れることになるかもしれないのか。
「……今すぐってわけじゃないのよ。そんなにがっかりしないの。」
「え?がっかりしてました?」
「そう言う風に見えたわ。そうね。葵の弟にしては堅い男だものね。堅い人は好き?」
「まぁ……好きになったらその人がタイプなんでしょうね。」
「いうわね。あなたも。まだ彼氏とは切れてないの?」
「はい。」
「ふふっ。いいわねぇ。いつまでもアツアツで。たまには遊びにいらっしゃい。今度新しい豆が入るのよ。」
「是非。お邪魔します。」
 手を振って行ってしまった支社長のその手首には、新しい傷が増えた。夏の終わり手首を切ったからだ。
 葵さんは支社長を不安定な人だと言っていた。一人で泣き、わめき、一人で盛り上がる。そして自殺未遂を繰り返す。暴れ馬のような人で、その手綱をうまく扱えなかったという。
 靴箱へ向かい、靴を履き替えて外を見る。どんよりと曇った空は、今にも雨が降りそうだ。傘持ってて良かった。バイト終わりには降ってるかもしれないし。
 そう思いながらグラウンドの脇を通っていると、柊さんが相方のおじいさんとまとめたゴミを持って行っていた。
「毎日毎日よく出るものだ。なぁ。柊。」
「そうですね。」
 ふと目があうと、彼は少し口角をあげる。私も手を挙げて、その場を後にした。
「知り合いか。」
「えぇ。」
「まだ柊も若いからね。あぁいう若い子とも繋がりがあるんだろうな。」
「若すぎますよ。」
「高校生じゃ、よくて親子だな。」
 そんな会話が聞こえてくる。まぁ仕方ないけど、なんか空しくなってくる。

 「窓」へやってきて着替えが終わり、カウンターに立つと「高校生」の自分がどこかへ行く気がする。ここでは誰も私を高校生として扱わない。そりゃ、高校の話をすることもあるけれど、コーヒーが高校生だからってまずく入れていいということもないからだ。
「桜さん。ちょっと私、出てきます。」
 葵さんはそう言ってエプロンを外した。最近こういうことは多くなった気がする。
「どれくらいで帰ってきますか。」
「たぶん一時間で帰ってきます。」
 葵さんが一時間と言えばたぶん一時間で帰ってくるのだろう。あまりそう言うところにルーズな人じゃないから。
 店内には珍しくお客さんがいなかった。私はため息をついて、レジの横にあった葵さんがよく読んでいるカクテルの本に手を伸ばした。そう言うメニューもするのだろうか。そうなってくるとここで働くのは考えないといけないなぁ。お酒を出すような店に、高校生がバイトで働けないもの。

 カラン。

 入り口のドアが開いた音がして、あわてて本をしまった。
「いらっしゃいませ。」
 思わず声を詰まらせてしまった。そこには蓬さんの姿があったからだ。
「……桜。葵はいないのか。」
「ちょっと出てくるといって出ていきました。お帰りは一時間後くらいです。」
「バイトに店を任せるとはな。まぁいい。お前にも話があった。」
 話?何の話があるというの?
 でもヤクザだろうと何だろうとお金をおいていくのだったらお客さんだ。常々、葵さんからいわれていること。私は微笑んで、カウンターの席に座った蓬さんに水を出した。
「コーヒーをもらおう。それから灰皿だ。」
「はい。ブレンドでよろしいでしょうか。」
「あぁ。」
 灰皿を彼の前に出すと、私はお湯をまず沸かした。そしてコーヒー豆をミルで挽いた。ガリガリという音を立てる。
「葵はいつもこんな入れ方をしているのか。」
「はい。」
「手間暇かけたものだ。一杯三百円では元が取れないだろうに。」
 話って何だろう。こんな雑談をしに来ているとは思えないんだけどなぁ。
 蓬さんは煙草を取り出して、それを口にくわえた。火をつけると、煙草の煙が鼻につく。この匂い。柊さんのものと一緒だ。そうだった。この人は、柊さんの兄になるんだ。籍は抜いたといっていたけど。
「葵はお前の恋人ではないと言っていたな。」
「雇用主と従業員。それだけです。」
「そうか。しかし、ただの雇用主ではないだろう。」
 思わず手を止めた。そして彼を見る。
「どういうことですか。」
「言葉の通りだ。あいつは手が早い。もう手を着けられているのではないかと思ったのだが。」
「……私、高校生ですよ。大人の人が手を出すほど大人びている自覚もありません。」
「イヤ。歳の割には大人のようなことをいう。母そっくりだな。」
「母さんを知っていますか。」
「あぁ。こんな仕事をしていれば、イヤでも知り合いになる。それに、お前の母の恋人というのもな。」
「……。」
「DJだそうだ。私はまだ見たことがないが。」
「夜のお仕事ですが、そうですか。見たことがないんですか。」
「あぁ。一目見ようと思ったらいない。祭りの時はこっちは忙しかったしな。」
「……。」
 Syuが柊さんだというのは、気がついていないのだろうか。それともとぼけているのか。
 コーヒーを入れ終わり、カップにコーヒーを注いだ。そして彼の前に置いた。
「うん。うまい。」
 あーなんかすごく柊さんに似てる。それが何となく辛い。柊さんじゃないのに。初めて柊さんにコーヒーを入れたときと同じ反応なんだもん。
「ありがとうございます。」
「葵はこういうことを教えるのも上手だ。女の手ほどきをしてもうまかったし、まぁ、身にならない奴もいたが。」
 はぁ。いつまでこの会話続くんだろう。早く帰って欲しい。
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