夜の声

神崎

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一年目

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 いつものように髪を結び、私は「窓」へ向かった。柊さんも同じように出て行く。今度いつ会えるかなんてわからない。だけどいつかはまた抱きしめあえる時がくる。それを信じるしかない。細い糸で繋がっているけれど、その細い糸はずっと切れないとお互いが信じているようだった。
 「窓」の扉を開けると、お客さんが数人いる。三人組の男女。カップル。そしてカウンター席には女の子の二人連れ。相変わらず葵さんの人気は凄いものだ。
 軽く挨拶をすると私はカウンター奥の扉を開けて、着替えを始める。服を脱ぐと、石鹸の香りがした。それは柊さんの家の石鹸の匂いだった。そして髪からも彼と同じ匂いがするのだろう。素っ気ない香りだったけれど、とてもいい香りに感じる。
 店に出ると、女性の二人連れはもう帰っていた。いるのは奥のカップルと、三人組だけ。
「桜さん。私ちょっと出かける用事ができてしまいました。」
 カップを片づけている葵さんは、微笑みながらそう私にいう。
「はい。どれくらいで帰りますか。」
「一時間ほどで帰れるとは思います。」
「わかりました。緊急時には電話をします。」
「お願いします。」
 エプロンをとると葵さんはカウンターから出て行き、店のベルを鳴らして出て行った。私はそのカップを洗おうと水を出した。そのときだった。
 ドアベルが鳴り、振り返る。
「いらっしゃいませ。」
 そこには竹彦の姿があった。私に手を挙げて、カウンター席に座る。
「いらっしゃい。」
「ブレンドもらえるかな。」
「えぇ。いいわよ。」
 お湯を沸かす為に、水をポットに入れて沸かす。そして豆をひく。その一連の動作は、さすがにもう慣れてきた。
「……桜さん。なんか雰囲気変わった?」
「あぁ。少し肌が焼けたのよ。」
「海にでも行った?」
「入らなかったけどね。」
 ガリガリと豆は音を立てて砕けていく。
「誰と?」
「……誰でもいいわ。家族ではないことは確かよ。」
「君はわかっていると思ってた。あの祭りの時の彼を見て、彼のことが。」
「……そうね。声援を受けていたし、ステージが高く見えたわ。それだけ手が届かないと思って絶望したの。」
「それなのに?」
「えぇ。でも彼は彼。ちゃんと私の目線に合わせてくれる。私が無理に背伸びしなくてもね。」
「……そんな関係は長続きしないと思うけど。」
「そう?」
 もうそんな言葉は耳には届かない。無理だ。あきらめた方がいい。傷つくのが目に見える。確かに沢山言われてきたことだ。でも諦めきれなかった。
 きっと彼も同じだと思う。特殊な立場の人だもの。高校生に手を出すなんてできないと思っていたのかもしれない。
 大切なのはお互いが歩み寄ることなのだ。だから私たちは何も考えずに一緒にいれる。
 コーヒーを入れ終えて、私は彼の前に置いた。
「そういえば、コーヒーのメーカーにもバイト行っていたんだっけ。」
「そうよ。夏休み一杯だけど。」
「じゃあ、公務員の夏期講習は行けなかったのだね。」
「……。」
 仕方ない。事情があったのだから。
「最近、公務員になりたいって思ってたけど、それだけが道なのかなぁって思えてきて。」
「まぁね。選ばなければ仕事は沢山あると思うよ。」
「安定を求めたから、公務員って思ってたけどそれ以外も安定している仕事はあるものね。」
 どっちにしても後一年。それを過ぎて、私はどうなるのだろう。でもただ一つ言えるのは、柊さんのそばにいること。それだけだった。
「すいません。」
 カップルがレジの前にいる。私はその会計を終えると、トレーを持って奥のテーブルへ向かった。すると男女の三人組が私をじっと見ていた。一人は常連なので知っている人ではあるけれど。
「追加ですか?」
「いいや。桜ちゃんもやるねぇ。」
 男の人が私を見てふっと笑う。
「何がですか。」
「首に跡がついてる。」
「跡?」
 はっと気がついて、私は首に触れる。でも触ったところでわからないけど。顔が火照るような感覚があった。
「彼氏、激しい人なのよ。」
「若いねぇ。」
 そういって男はカウンター席をみる。どうやら竹彦と勘違いしているらしい。
「違いますから。」
「え?あ、そうなんだ。じゃあ別の人?」
「どっちでもいいから、隠した方がいいわ。はい。あげるわ。」
 女性の手から絆創膏が手渡された。良かったこんなにさっぱりした人で。
 カウンターに戻ってくると、竹彦は携帯電話を手にして何かメッセージを打っているようだった。その様子を見て、シンクにカップを片づけるとトイレへ行き鏡を見る。
 左の肩と首の付け根。ブラウスで隠れると思って柊さんがつけたのだろう。でもぎりぎりついているのが見える。それは計算外だったのだ。絆創膏をはがしそこにつけて隠すとまたフロアに出てきた。
 カウンター席に座っている武彦はきっとそれを知っている。知っていて黙っていた。見て見ぬ振りをしようとしていたのか。
「梅子さん達がまたおいでって言ってた。」
「そうね。私もお世話になったから、今度伺おうかな。でもあんな格好はもうしたくないわねぇ。」
「ハハ。でも似合ってたよ。僕もあのときはほとんど地毛だったし、楽だったな。」
「髪長いもの。切らないの?」
「うーん。ピアスが目立っちゃうからね。」
 本末転倒のような気がするけど。うちの学校も表向きは、ピアスだめなんだもんね。まぁ。隠れてしている人は沢山いるけど。
「髪が長いのが好きなの?」
「別にそういう訳じゃないわ。」
 髪が長かろうと、丸刈りだろうと、きっと私は柊さんを好きになっていた。どんな姿でも彼は彼なのだから。
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