65 / 355
一年目
65
しおりを挟む
いつものように髪を結び、私は「窓」へ向かった。柊さんも同じように出て行く。今度いつ会えるかなんてわからない。だけどいつかはまた抱きしめあえる時がくる。それを信じるしかない。細い糸で繋がっているけれど、その細い糸はずっと切れないとお互いが信じているようだった。
「窓」の扉を開けると、お客さんが数人いる。三人組の男女。カップル。そしてカウンター席には女の子の二人連れ。相変わらず葵さんの人気は凄いものだ。
軽く挨拶をすると私はカウンター奥の扉を開けて、着替えを始める。服を脱ぐと、石鹸の香りがした。それは柊さんの家の石鹸の匂いだった。そして髪からも彼と同じ匂いがするのだろう。素っ気ない香りだったけれど、とてもいい香りに感じる。
店に出ると、女性の二人連れはもう帰っていた。いるのは奥のカップルと、三人組だけ。
「桜さん。私ちょっと出かける用事ができてしまいました。」
カップを片づけている葵さんは、微笑みながらそう私にいう。
「はい。どれくらいで帰りますか。」
「一時間ほどで帰れるとは思います。」
「わかりました。緊急時には電話をします。」
「お願いします。」
エプロンをとると葵さんはカウンターから出て行き、店のベルを鳴らして出て行った。私はそのカップを洗おうと水を出した。そのときだった。
ドアベルが鳴り、振り返る。
「いらっしゃいませ。」
そこには竹彦の姿があった。私に手を挙げて、カウンター席に座る。
「いらっしゃい。」
「ブレンドもらえるかな。」
「えぇ。いいわよ。」
お湯を沸かす為に、水をポットに入れて沸かす。そして豆をひく。その一連の動作は、さすがにもう慣れてきた。
「……桜さん。なんか雰囲気変わった?」
「あぁ。少し肌が焼けたのよ。」
「海にでも行った?」
「入らなかったけどね。」
ガリガリと豆は音を立てて砕けていく。
「誰と?」
「……誰でもいいわ。家族ではないことは確かよ。」
「君はわかっていると思ってた。あの祭りの時の彼を見て、彼のことが。」
「……そうね。声援を受けていたし、ステージが高く見えたわ。それだけ手が届かないと思って絶望したの。」
「それなのに?」
「えぇ。でも彼は彼。ちゃんと私の目線に合わせてくれる。私が無理に背伸びしなくてもね。」
「……そんな関係は長続きしないと思うけど。」
「そう?」
もうそんな言葉は耳には届かない。無理だ。あきらめた方がいい。傷つくのが目に見える。確かに沢山言われてきたことだ。でも諦めきれなかった。
きっと彼も同じだと思う。特殊な立場の人だもの。高校生に手を出すなんてできないと思っていたのかもしれない。
大切なのはお互いが歩み寄ることなのだ。だから私たちは何も考えずに一緒にいれる。
コーヒーを入れ終えて、私は彼の前に置いた。
「そういえば、コーヒーのメーカーにもバイト行っていたんだっけ。」
「そうよ。夏休み一杯だけど。」
「じゃあ、公務員の夏期講習は行けなかったのだね。」
「……。」
仕方ない。事情があったのだから。
「最近、公務員になりたいって思ってたけど、それだけが道なのかなぁって思えてきて。」
「まぁね。選ばなければ仕事は沢山あると思うよ。」
「安定を求めたから、公務員って思ってたけどそれ以外も安定している仕事はあるものね。」
どっちにしても後一年。それを過ぎて、私はどうなるのだろう。でもただ一つ言えるのは、柊さんのそばにいること。それだけだった。
「すいません。」
カップルがレジの前にいる。私はその会計を終えると、トレーを持って奥のテーブルへ向かった。すると男女の三人組が私をじっと見ていた。一人は常連なので知っている人ではあるけれど。
「追加ですか?」
「いいや。桜ちゃんもやるねぇ。」
男の人が私を見てふっと笑う。
「何がですか。」
「首に跡がついてる。」
「跡?」
はっと気がついて、私は首に触れる。でも触ったところでわからないけど。顔が火照るような感覚があった。
「彼氏、激しい人なのよ。」
「若いねぇ。」
そういって男はカウンター席をみる。どうやら竹彦と勘違いしているらしい。
「違いますから。」
「え?あ、そうなんだ。じゃあ別の人?」
「どっちでもいいから、隠した方がいいわ。はい。あげるわ。」
女性の手から絆創膏が手渡された。良かったこんなにさっぱりした人で。
カウンターに戻ってくると、竹彦は携帯電話を手にして何かメッセージを打っているようだった。その様子を見て、シンクにカップを片づけるとトイレへ行き鏡を見る。
左の肩と首の付け根。ブラウスで隠れると思って柊さんがつけたのだろう。でもぎりぎりついているのが見える。それは計算外だったのだ。絆創膏をはがしそこにつけて隠すとまたフロアに出てきた。
カウンター席に座っている武彦はきっとそれを知っている。知っていて黙っていた。見て見ぬ振りをしようとしていたのか。
「梅子さん達がまたおいでって言ってた。」
「そうね。私もお世話になったから、今度伺おうかな。でもあんな格好はもうしたくないわねぇ。」
「ハハ。でも似合ってたよ。僕もあのときはほとんど地毛だったし、楽だったな。」
「髪長いもの。切らないの?」
「うーん。ピアスが目立っちゃうからね。」
本末転倒のような気がするけど。うちの学校も表向きは、ピアスだめなんだもんね。まぁ。隠れてしている人は沢山いるけど。
「髪が長いのが好きなの?」
「別にそういう訳じゃないわ。」
髪が長かろうと、丸刈りだろうと、きっと私は柊さんを好きになっていた。どんな姿でも彼は彼なのだから。
「窓」の扉を開けると、お客さんが数人いる。三人組の男女。カップル。そしてカウンター席には女の子の二人連れ。相変わらず葵さんの人気は凄いものだ。
軽く挨拶をすると私はカウンター奥の扉を開けて、着替えを始める。服を脱ぐと、石鹸の香りがした。それは柊さんの家の石鹸の匂いだった。そして髪からも彼と同じ匂いがするのだろう。素っ気ない香りだったけれど、とてもいい香りに感じる。
店に出ると、女性の二人連れはもう帰っていた。いるのは奥のカップルと、三人組だけ。
「桜さん。私ちょっと出かける用事ができてしまいました。」
カップを片づけている葵さんは、微笑みながらそう私にいう。
「はい。どれくらいで帰りますか。」
「一時間ほどで帰れるとは思います。」
「わかりました。緊急時には電話をします。」
「お願いします。」
エプロンをとると葵さんはカウンターから出て行き、店のベルを鳴らして出て行った。私はそのカップを洗おうと水を出した。そのときだった。
ドアベルが鳴り、振り返る。
「いらっしゃいませ。」
そこには竹彦の姿があった。私に手を挙げて、カウンター席に座る。
「いらっしゃい。」
「ブレンドもらえるかな。」
「えぇ。いいわよ。」
お湯を沸かす為に、水をポットに入れて沸かす。そして豆をひく。その一連の動作は、さすがにもう慣れてきた。
「……桜さん。なんか雰囲気変わった?」
「あぁ。少し肌が焼けたのよ。」
「海にでも行った?」
「入らなかったけどね。」
ガリガリと豆は音を立てて砕けていく。
「誰と?」
「……誰でもいいわ。家族ではないことは確かよ。」
「君はわかっていると思ってた。あの祭りの時の彼を見て、彼のことが。」
「……そうね。声援を受けていたし、ステージが高く見えたわ。それだけ手が届かないと思って絶望したの。」
「それなのに?」
「えぇ。でも彼は彼。ちゃんと私の目線に合わせてくれる。私が無理に背伸びしなくてもね。」
「……そんな関係は長続きしないと思うけど。」
「そう?」
もうそんな言葉は耳には届かない。無理だ。あきらめた方がいい。傷つくのが目に見える。確かに沢山言われてきたことだ。でも諦めきれなかった。
きっと彼も同じだと思う。特殊な立場の人だもの。高校生に手を出すなんてできないと思っていたのかもしれない。
大切なのはお互いが歩み寄ることなのだ。だから私たちは何も考えずに一緒にいれる。
コーヒーを入れ終えて、私は彼の前に置いた。
「そういえば、コーヒーのメーカーにもバイト行っていたんだっけ。」
「そうよ。夏休み一杯だけど。」
「じゃあ、公務員の夏期講習は行けなかったのだね。」
「……。」
仕方ない。事情があったのだから。
「最近、公務員になりたいって思ってたけど、それだけが道なのかなぁって思えてきて。」
「まぁね。選ばなければ仕事は沢山あると思うよ。」
「安定を求めたから、公務員って思ってたけどそれ以外も安定している仕事はあるものね。」
どっちにしても後一年。それを過ぎて、私はどうなるのだろう。でもただ一つ言えるのは、柊さんのそばにいること。それだけだった。
「すいません。」
カップルがレジの前にいる。私はその会計を終えると、トレーを持って奥のテーブルへ向かった。すると男女の三人組が私をじっと見ていた。一人は常連なので知っている人ではあるけれど。
「追加ですか?」
「いいや。桜ちゃんもやるねぇ。」
男の人が私を見てふっと笑う。
「何がですか。」
「首に跡がついてる。」
「跡?」
はっと気がついて、私は首に触れる。でも触ったところでわからないけど。顔が火照るような感覚があった。
「彼氏、激しい人なのよ。」
「若いねぇ。」
そういって男はカウンター席をみる。どうやら竹彦と勘違いしているらしい。
「違いますから。」
「え?あ、そうなんだ。じゃあ別の人?」
「どっちでもいいから、隠した方がいいわ。はい。あげるわ。」
女性の手から絆創膏が手渡された。良かったこんなにさっぱりした人で。
カウンターに戻ってくると、竹彦は携帯電話を手にして何かメッセージを打っているようだった。その様子を見て、シンクにカップを片づけるとトイレへ行き鏡を見る。
左の肩と首の付け根。ブラウスで隠れると思って柊さんがつけたのだろう。でもぎりぎりついているのが見える。それは計算外だったのだ。絆創膏をはがしそこにつけて隠すとまたフロアに出てきた。
カウンター席に座っている武彦はきっとそれを知っている。知っていて黙っていた。見て見ぬ振りをしようとしていたのか。
「梅子さん達がまたおいでって言ってた。」
「そうね。私もお世話になったから、今度伺おうかな。でもあんな格好はもうしたくないわねぇ。」
「ハハ。でも似合ってたよ。僕もあのときはほとんど地毛だったし、楽だったな。」
「髪長いもの。切らないの?」
「うーん。ピアスが目立っちゃうからね。」
本末転倒のような気がするけど。うちの学校も表向きは、ピアスだめなんだもんね。まぁ。隠れてしている人は沢山いるけど。
「髪が長いのが好きなの?」
「別にそういう訳じゃないわ。」
髪が長かろうと、丸刈りだろうと、きっと私は柊さんを好きになっていた。どんな姿でも彼は彼なのだから。
0
お気に入りに追加
30
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる