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一年目
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「同棲?」
葵さんの意外な言葉に、私はアホの子のようにその言葉を繰り返した。葵さんはアイスコーヒーのグラスを置いて、少し笑う。
「もう昔の話ですよ。」
眼鏡を外し、彼はそれを眼鏡ケースにしまった。
「……だから支社長もあなたを嫌がったんですね。」
「えぇ。酷い別れ方をしたので。」
口汚く罵り合ったとは考えにくいけれど、まぁあの支社長ならそれもあり得るかもしれない。でも肝心の葵さんが怒鳴るなんてあまり想像はつかない。
「それからは恋人を作る気にもならなかったですね。あなたくらいですよ。」
「私?」
「えぇ。恋愛感情を持ったのは。」
「……。」
「まぁ、一方的ですけど。」
そんなことを言われても困る。そんな重い存在だと想像もしなかったから。
いつも葵さんは私を「好きだ」と言うのは、柊さんに対抗心があったからなのではないかと、少し思っていた。機嫌良く葵さんが柊さんに話しかけているのを見ても、それは何処か嘘の匂いがした。
私はそれがいつも異質に見えていた。
「柊とはどうですか。」
「え?」
「うまくやっているみたいですね。でもあいつもあなたも忙しい人だ。せっかくの夏休みなのに、遊びにも行けませんね。」
「……別に必要は……。」
必要あるのだろうか。でも彼は私が夏休みの間に、自分のバイクでツーリングをしたいと言ってきている。
そしてもう夏休みが終わろうとしているのに、ツーリングは未だに出来ていない。お互いに忙しいから。
「私が連れていってもいいですが、それは彼が怒るでしょう。」
「まぁ……あなたであればさらに怒るのではないですか。」
「……それもそうですね。」
柊さんは葵さんが私に気があることは知っている。だから柊さんは怒るのだと思う。
「こうしてお茶をしているのも怒りませんか。」
「これはデートではないので、大丈夫でしょう?」
その言葉に彼は少し驚いた表情になる。
「あなたが言うのであれば、これはデートではありませんね。しかし周りの人から見れば、私たちはどう写りますか。」
「……兄と妹。とかですか。」
「兄妹ですか。でもそれは柊でも同じことを言えますね。決してあなた方を恋人とは思わないでしょう。」
「……。」
彼はアイスコーヒーを一口飲み、ため息をつく。
「同じ条件なら私の方がいいと思うんですけどね。」
「そんな思いにはなりません。」
「きっぱり言いますね。案外傷つきますよ。」
彼はそういってバッグの中にカクテルの本をしまった。私もそれを見て本をバッグの中にしまう。そして彼は立ち上がり、側にある伝票を手にした。
「あ、払います。」
「結構ですよ。誘ったのは私ですから。」
お金を払いにいく葵さんに、レジの女性が頬を赤くさせていた。そう。彼はこういう人。誰もが振り返り、誰もがイケメンだと噂をする人。爽やかな風のような人。
柊さんはどうだろう。柊さんはどちらかというとよく切れる刃物のようだ。輝きはあるが、触れると傷つく。それでも私はいいと思った。傷つき、皮を切り、肉を切り、血塗れになってもあなたの背中を追いたいと思っている。
「行きましょう。」
カフェを出ようと葵さんは私を誘う。
風はきっと鎌鼬にもなる。人を傷つけ、肉を切っても彼は気づかない。それが一番たちが悪い人だ。
外を出ると、西日が射してさらに気温は上がっているような気がした。今日は熱帯夜になりそうだ。
「暑……。」
思わずそう口から出てしまう。すると彼は少し笑った。
「涼しいところにいましたからね。今日は買い物に行かなくていいんですか。」
「あ、八百屋に行きます。」
「では行きましょう。」
ん?なんで葵さんもついてくるんだろう。不思議に思いながらも、私たちは商店街の中を並んで歩いていた。
「あ、いいですから。」
「大丈夫ですよ。持たせるわけにはいきません。」
母から朝頼まれた野菜を、葵さんが持ってくれていた。
商店街は、同じような買い物帰りの主婦やビジネスマンが多い。私たちはその中の一つになっているようだった。
すると葵さんは足を止める。路地をちらりと見たのだ。それは大通りとは違い、車が二台やっと通れるくらいの小さなビルとビルの隙間だった。
「どうしました?」
「近道があるんです。」
「うちまで?」
「えぇ。知りませんでしたか。」
「あまりコッチの方はうろうろしないので。」
「意外でしたね。では教えますので、行きましょう。」
普段通らない道を歩いていく。
最初はビル、そして雑居ビル。あまり日が当たらない道らしく、道路にへこみがあったり割れているところにたまっている水たまりは、はけることがないようだ。
そして気がついたら、そこはホテル街になっていた。「ご休憩百二十分四千円から」とか「午前0時以降は全て宿泊料金になります」とか書いている。もちろんそういうところにも男女は隠れるように入っていく。とてもじゃないけどいたたまれない。
この通りに来ることはないな。一人でもイヤだ。
「この通りは初めてですか。」
「えぇ。来ることもありませんよ。」
「……柊の家でいつもコトをしているんですね。」
「セクハラですか。」
その言葉に彼は足を止めた。急だったから思わず背中にぶつかる。
「何を……。」
彼の後ろから、前をのぞき込んだ。そこには一人の女性が、男性とホテルに入って行っているところだった。その女性に私は唖然とする。
「支社長。」
ぽつりと言った声はコッチをみた気がした。男にも見覚えがある。あれは……明さんだった。
「まずい。コッチをみる。」
彼はとっさに私の手を引いて、ホテルの中に入っていった。
「……支社長と明さんが?」
「……。」
葵さんを思わず見上げた。複雑なのかもしれない。同棲までしていた恋人が、他の男と手を組んでホテルに入っていくところを見るなんて。
「ちょっと。あんたたちはいるんならさっさと部屋を選んで。」
少しぼんやりとしていたようだったが、葵さんはすぐに我をとり戻り、私たちにい怒鳴った受付の女性に笑いかけた。
「すいません。すぐに出ますから。」
その視線に怒鳴った女性はグッと気後れしたようだった。こんな時にも笑える葵さんって、強い人を通り越して少し怖い。
葵さんの意外な言葉に、私はアホの子のようにその言葉を繰り返した。葵さんはアイスコーヒーのグラスを置いて、少し笑う。
「もう昔の話ですよ。」
眼鏡を外し、彼はそれを眼鏡ケースにしまった。
「……だから支社長もあなたを嫌がったんですね。」
「えぇ。酷い別れ方をしたので。」
口汚く罵り合ったとは考えにくいけれど、まぁあの支社長ならそれもあり得るかもしれない。でも肝心の葵さんが怒鳴るなんてあまり想像はつかない。
「それからは恋人を作る気にもならなかったですね。あなたくらいですよ。」
「私?」
「えぇ。恋愛感情を持ったのは。」
「……。」
「まぁ、一方的ですけど。」
そんなことを言われても困る。そんな重い存在だと想像もしなかったから。
いつも葵さんは私を「好きだ」と言うのは、柊さんに対抗心があったからなのではないかと、少し思っていた。機嫌良く葵さんが柊さんに話しかけているのを見ても、それは何処か嘘の匂いがした。
私はそれがいつも異質に見えていた。
「柊とはどうですか。」
「え?」
「うまくやっているみたいですね。でもあいつもあなたも忙しい人だ。せっかくの夏休みなのに、遊びにも行けませんね。」
「……別に必要は……。」
必要あるのだろうか。でも彼は私が夏休みの間に、自分のバイクでツーリングをしたいと言ってきている。
そしてもう夏休みが終わろうとしているのに、ツーリングは未だに出来ていない。お互いに忙しいから。
「私が連れていってもいいですが、それは彼が怒るでしょう。」
「まぁ……あなたであればさらに怒るのではないですか。」
「……それもそうですね。」
柊さんは葵さんが私に気があることは知っている。だから柊さんは怒るのだと思う。
「こうしてお茶をしているのも怒りませんか。」
「これはデートではないので、大丈夫でしょう?」
その言葉に彼は少し驚いた表情になる。
「あなたが言うのであれば、これはデートではありませんね。しかし周りの人から見れば、私たちはどう写りますか。」
「……兄と妹。とかですか。」
「兄妹ですか。でもそれは柊でも同じことを言えますね。決してあなた方を恋人とは思わないでしょう。」
「……。」
彼はアイスコーヒーを一口飲み、ため息をつく。
「同じ条件なら私の方がいいと思うんですけどね。」
「そんな思いにはなりません。」
「きっぱり言いますね。案外傷つきますよ。」
彼はそういってバッグの中にカクテルの本をしまった。私もそれを見て本をバッグの中にしまう。そして彼は立ち上がり、側にある伝票を手にした。
「あ、払います。」
「結構ですよ。誘ったのは私ですから。」
お金を払いにいく葵さんに、レジの女性が頬を赤くさせていた。そう。彼はこういう人。誰もが振り返り、誰もがイケメンだと噂をする人。爽やかな風のような人。
柊さんはどうだろう。柊さんはどちらかというとよく切れる刃物のようだ。輝きはあるが、触れると傷つく。それでも私はいいと思った。傷つき、皮を切り、肉を切り、血塗れになってもあなたの背中を追いたいと思っている。
「行きましょう。」
カフェを出ようと葵さんは私を誘う。
風はきっと鎌鼬にもなる。人を傷つけ、肉を切っても彼は気づかない。それが一番たちが悪い人だ。
外を出ると、西日が射してさらに気温は上がっているような気がした。今日は熱帯夜になりそうだ。
「暑……。」
思わずそう口から出てしまう。すると彼は少し笑った。
「涼しいところにいましたからね。今日は買い物に行かなくていいんですか。」
「あ、八百屋に行きます。」
「では行きましょう。」
ん?なんで葵さんもついてくるんだろう。不思議に思いながらも、私たちは商店街の中を並んで歩いていた。
「あ、いいですから。」
「大丈夫ですよ。持たせるわけにはいきません。」
母から朝頼まれた野菜を、葵さんが持ってくれていた。
商店街は、同じような買い物帰りの主婦やビジネスマンが多い。私たちはその中の一つになっているようだった。
すると葵さんは足を止める。路地をちらりと見たのだ。それは大通りとは違い、車が二台やっと通れるくらいの小さなビルとビルの隙間だった。
「どうしました?」
「近道があるんです。」
「うちまで?」
「えぇ。知りませんでしたか。」
「あまりコッチの方はうろうろしないので。」
「意外でしたね。では教えますので、行きましょう。」
普段通らない道を歩いていく。
最初はビル、そして雑居ビル。あまり日が当たらない道らしく、道路にへこみがあったり割れているところにたまっている水たまりは、はけることがないようだ。
そして気がついたら、そこはホテル街になっていた。「ご休憩百二十分四千円から」とか「午前0時以降は全て宿泊料金になります」とか書いている。もちろんそういうところにも男女は隠れるように入っていく。とてもじゃないけどいたたまれない。
この通りに来ることはないな。一人でもイヤだ。
「この通りは初めてですか。」
「えぇ。来ることもありませんよ。」
「……柊の家でいつもコトをしているんですね。」
「セクハラですか。」
その言葉に彼は足を止めた。急だったから思わず背中にぶつかる。
「何を……。」
彼の後ろから、前をのぞき込んだ。そこには一人の女性が、男性とホテルに入って行っているところだった。その女性に私は唖然とする。
「支社長。」
ぽつりと言った声はコッチをみた気がした。男にも見覚えがある。あれは……明さんだった。
「まずい。コッチをみる。」
彼はとっさに私の手を引いて、ホテルの中に入っていった。
「……支社長と明さんが?」
「……。」
葵さんを思わず見上げた。複雑なのかもしれない。同棲までしていた恋人が、他の男と手を組んでホテルに入っていくところを見るなんて。
「ちょっと。あんたたちはいるんならさっさと部屋を選んで。」
少しぼんやりとしていたようだったが、葵さんはすぐに我をとり戻り、私たちにい怒鳴った受付の女性に笑いかけた。
「すいません。すぐに出ますから。」
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