54 / 355
一年目
54
しおりを挟む
掴まれた手は離されなかった。ふりほどくことも出来ない。まっすぐと葵さんは私を見据えている。その目は微笑んでいたがその奥の冷たさに、私は足がすくんでいるように動くことが出来なかった。
「……帰ってきます。だから離してください。」
その言葉が聞き取れなかったように、彼は私を引き寄せた。雨が私の服にもしたたり落ちて冷たい。恐る恐る私は彼を見上げると、彼はこれ以上ないほど優しい目で私を見ていた。でもこれ以上ないくらい冷たい目だとも思う。
その目がどんどんと近づいてくる。濡れた手が私の頬に触れてきた。冷たい。まるで死んでいる人のように。
「やめて。」
私は顔を避ける。せめて拒否したいと思った。しかし彼は止まらない。グッとその頬に力を入れられて、無理矢理そちらを向かせた。
「信じているのですか。」
「私は……柊さんが……。」
それ以上を言わせないように、彼は私の口をふさぐようにキスをしてきた。
「やっ……。」
ぐっと舌を入れられた。丁寧に、丁寧にするその行為は、柊さんほど荒々しくもなく、本当に好きでいてくれていると勘違いさせるようだった。
一度離してもまた唇を重ねてくる。何度も、何度も彼は私と唇を重ねてきた。
やっと離してくれたとき、私はまた下を向いてしまう。それは罪の意識からだ。柊さん以外の人に触れられたくないと思いながらも、私はまた唇を重ねてしまった。
「私は、あなたが好きですよ。」
「……私は好きじゃないです。」
「えぇ。知ってます。でも止められませんから。柊があなたを手放している間、私があなたの心を埋めたい。」
「手放されている気はしません。」
私はやっと彼の目を見ることが出来た。
「信じてるから。」
色んな人から騙されているとか、別れた方がいいと言われた。でも別れられない。好きだし、愛しているし、そして信じているから。
「都合のいい言葉ですね。」
「私もそう思います。でも信じなければ、全てが崩れてしまう。」
「軽い愛ですよ。」
「軽くても強く結ばれてますから。」
「……そこまでして、信じる男ではありませんよ。案外、粗暴です。」
「そうでしょうね。」
「それに……。」
言い掛けて、彼は少し黙る。
「そうですね。桜さん。何かあったら、私に連絡をください。きっとあなたは真実を知ったとき、誰かに助けを求めるでしょう。竹彦に助けを求めたように、次は私に助けを求めてください。」
そういって彼は玄関から出て行った。
きっと……祭の時のあの行為を見ていたのだろう。何も知らない人が見れば、女性同士でじゃれ合っていただけに見える行為だったが、本当は無理矢理彼が私を慰めるように抱きしめた。その行為を葵さんは見ていたのだ。
葵さんはきっと柊さんが何をしてきたかということを、知っているはずだ。だから自分の感情を利用して、私から柊さんを離そうとしていたのだ。
でも彼が何をしていようとかまわない。私は彼がきっと殺人犯でも好きになっていたと思うから。
目を覚ますと、目の前に柊さんが眠っていた。いつの間にか私は眠っていて、そしていつの間にか柊さんがやってきてその隣に寝ていたらしい。
前にもこんなことはあったけれど、体の関係なんて無くてもそれはそれで幸せなのだ。彼の温かさと、匂いと、体と、全てが側にあることがこんなにも嬉しい。決して、葵さんではないのだ。
でもなんか、少し違う。
私は手を伸ばし、彼の顔に触れた。やっぱり。どうして腫れているんだろう。思いっきり殴られたような感じだった。
「ん……。」
起きたのだろうか。私は手を引っ込めた。すると彼はその手を掴んだ。
「起きてるんですか。」
すると彼は目を開ける。
「おはよう。」
「おはようございます。」
柊さんはそういって私の額に口づけをする。
「夕べは遅かったんですか。」
「ん。思ったよりも時間がかかった。二時間で帰ると言っていたのに、悪かった。」
「いいえ。無理をさせたみたいになってしまって。」
「……。」
彼はごろんと仰向けになる。そして私の肩を抱いた。
「叩かれたみたいですね。」
すると彼は躊躇ったようにその腫れた頬に触れる。
「……風が強かったから、折れた木の枝がヒットした。」
「殴られたんじゃなくて?」
「そこでやられた。こんな日に出て行くものじゃないな。」
少し笑い、私は少し上を見る。窓の外はまだ雨が風が強いようだった。
「今日仕事は?」
「休みだ。学校も閉まっているし、いざとなれば体育館が避難所になるから、掃除どころじゃないんだろう。お前の所はどうだ。」
「連絡があります。でも多分お店も軒並み閉めていると思うんで、事務以外の人は休みかもしれませんね。」
「事務は出るのか。それも大変だな。」
事務には葵さんの弟がいる。それは言ったことはない。言う必要もないだろう。
「でも万が一のことを考えて起きないといけませんね。」
「万が一があってもまだ早い。もう少しこうしていたいのだが。」
時計をみる。まだアラームが鳴る時間でもない。
仰向けになっている彼の上に私は乗りかかる。すると少し驚いたような表情になった。
「襲う気か?」
「……えぇ。」
側にいて欲しいときに、側にいてくれない。だから隙が出来る。きっと葵さんもそういいたかったのだ。私は彼の顔に顔を近づける。そしてキスを繰り返した。
本当はもっとして欲しい。忘れさせて欲しい。そう思っていた。葵さんのあの優しいキスを忘れさせて。
「積極的だな。どうした。寂しかったのか。」
「はい。」
「そうか。」
素直に返事が出来たのは本当に寂しかったから。その返事に、彼は体を起こして、今度は私の上に乗りかかった。そして唇に唇を重ねた。そのときだった。
ガチャ。
玄関のドアが開く音がした。そして母さんの声が聞こえる。
「何?これ。」
彼は邪魔をされたと怒りたかったのかもしれないが、母さんなので何も言えないのだろう。ため息をついて私の上から離れた。
そして私はリビングへ向かう。
「あら。あんたずいぶん早いのね。」
「起きちゃった。」
「騒がしかった?悪かったわね。それにしてもあんた、どうしたの。この玄関。ずいぶん濡れてるけど。」
「あぁ……。ごめん。」
雑巾を持ってきて、私はそこを拭く。多分、これを汚したのは柊さんだけじゃない。多分、葵さんの分もある。すると私の部屋から柊さんも出てきた。
「あら。おはよう。夕べは悪かったわね。急に頼んで。」
「いいえ。俺も用事がつぶれたこともあったんで。」
「……。」
すると母さんは不思議そうな顔をして彼を見ていた。
「どうかしました?」
「ううん。あんた、まだ蓬さんと繋がりがあるのかしらって思って。」
「蓬……。」
蓬の名前を聞いて、明らかに柊さんの表情が変わった。
「いいえ。連絡は一方的にありますけど……。」
彼女はため息をついて、煙草に火をつける。そして彼を見上げた。
「あのね、あんたが蓬と繋がりがないと思ったから、娘を頼んでいるの。もし、今でも繋がりがあるなら、すぐ別れて。」
「それはないです。」
「そ、だったらいいけど。」
珍しく厳しい口調だった。まぁ、ヤクザと繋がりなんか持たない方がいいのは確かだ。でも、なんで柊さんと蓬さんに繋がりがあるの?
「……帰ってきます。だから離してください。」
その言葉が聞き取れなかったように、彼は私を引き寄せた。雨が私の服にもしたたり落ちて冷たい。恐る恐る私は彼を見上げると、彼はこれ以上ないほど優しい目で私を見ていた。でもこれ以上ないくらい冷たい目だとも思う。
その目がどんどんと近づいてくる。濡れた手が私の頬に触れてきた。冷たい。まるで死んでいる人のように。
「やめて。」
私は顔を避ける。せめて拒否したいと思った。しかし彼は止まらない。グッとその頬に力を入れられて、無理矢理そちらを向かせた。
「信じているのですか。」
「私は……柊さんが……。」
それ以上を言わせないように、彼は私の口をふさぐようにキスをしてきた。
「やっ……。」
ぐっと舌を入れられた。丁寧に、丁寧にするその行為は、柊さんほど荒々しくもなく、本当に好きでいてくれていると勘違いさせるようだった。
一度離してもまた唇を重ねてくる。何度も、何度も彼は私と唇を重ねてきた。
やっと離してくれたとき、私はまた下を向いてしまう。それは罪の意識からだ。柊さん以外の人に触れられたくないと思いながらも、私はまた唇を重ねてしまった。
「私は、あなたが好きですよ。」
「……私は好きじゃないです。」
「えぇ。知ってます。でも止められませんから。柊があなたを手放している間、私があなたの心を埋めたい。」
「手放されている気はしません。」
私はやっと彼の目を見ることが出来た。
「信じてるから。」
色んな人から騙されているとか、別れた方がいいと言われた。でも別れられない。好きだし、愛しているし、そして信じているから。
「都合のいい言葉ですね。」
「私もそう思います。でも信じなければ、全てが崩れてしまう。」
「軽い愛ですよ。」
「軽くても強く結ばれてますから。」
「……そこまでして、信じる男ではありませんよ。案外、粗暴です。」
「そうでしょうね。」
「それに……。」
言い掛けて、彼は少し黙る。
「そうですね。桜さん。何かあったら、私に連絡をください。きっとあなたは真実を知ったとき、誰かに助けを求めるでしょう。竹彦に助けを求めたように、次は私に助けを求めてください。」
そういって彼は玄関から出て行った。
きっと……祭の時のあの行為を見ていたのだろう。何も知らない人が見れば、女性同士でじゃれ合っていただけに見える行為だったが、本当は無理矢理彼が私を慰めるように抱きしめた。その行為を葵さんは見ていたのだ。
葵さんはきっと柊さんが何をしてきたかということを、知っているはずだ。だから自分の感情を利用して、私から柊さんを離そうとしていたのだ。
でも彼が何をしていようとかまわない。私は彼がきっと殺人犯でも好きになっていたと思うから。
目を覚ますと、目の前に柊さんが眠っていた。いつの間にか私は眠っていて、そしていつの間にか柊さんがやってきてその隣に寝ていたらしい。
前にもこんなことはあったけれど、体の関係なんて無くてもそれはそれで幸せなのだ。彼の温かさと、匂いと、体と、全てが側にあることがこんなにも嬉しい。決して、葵さんではないのだ。
でもなんか、少し違う。
私は手を伸ばし、彼の顔に触れた。やっぱり。どうして腫れているんだろう。思いっきり殴られたような感じだった。
「ん……。」
起きたのだろうか。私は手を引っ込めた。すると彼はその手を掴んだ。
「起きてるんですか。」
すると彼は目を開ける。
「おはよう。」
「おはようございます。」
柊さんはそういって私の額に口づけをする。
「夕べは遅かったんですか。」
「ん。思ったよりも時間がかかった。二時間で帰ると言っていたのに、悪かった。」
「いいえ。無理をさせたみたいになってしまって。」
「……。」
彼はごろんと仰向けになる。そして私の肩を抱いた。
「叩かれたみたいですね。」
すると彼は躊躇ったようにその腫れた頬に触れる。
「……風が強かったから、折れた木の枝がヒットした。」
「殴られたんじゃなくて?」
「そこでやられた。こんな日に出て行くものじゃないな。」
少し笑い、私は少し上を見る。窓の外はまだ雨が風が強いようだった。
「今日仕事は?」
「休みだ。学校も閉まっているし、いざとなれば体育館が避難所になるから、掃除どころじゃないんだろう。お前の所はどうだ。」
「連絡があります。でも多分お店も軒並み閉めていると思うんで、事務以外の人は休みかもしれませんね。」
「事務は出るのか。それも大変だな。」
事務には葵さんの弟がいる。それは言ったことはない。言う必要もないだろう。
「でも万が一のことを考えて起きないといけませんね。」
「万が一があってもまだ早い。もう少しこうしていたいのだが。」
時計をみる。まだアラームが鳴る時間でもない。
仰向けになっている彼の上に私は乗りかかる。すると少し驚いたような表情になった。
「襲う気か?」
「……えぇ。」
側にいて欲しいときに、側にいてくれない。だから隙が出来る。きっと葵さんもそういいたかったのだ。私は彼の顔に顔を近づける。そしてキスを繰り返した。
本当はもっとして欲しい。忘れさせて欲しい。そう思っていた。葵さんのあの優しいキスを忘れさせて。
「積極的だな。どうした。寂しかったのか。」
「はい。」
「そうか。」
素直に返事が出来たのは本当に寂しかったから。その返事に、彼は体を起こして、今度は私の上に乗りかかった。そして唇に唇を重ねた。そのときだった。
ガチャ。
玄関のドアが開く音がした。そして母さんの声が聞こえる。
「何?これ。」
彼は邪魔をされたと怒りたかったのかもしれないが、母さんなので何も言えないのだろう。ため息をついて私の上から離れた。
そして私はリビングへ向かう。
「あら。あんたずいぶん早いのね。」
「起きちゃった。」
「騒がしかった?悪かったわね。それにしてもあんた、どうしたの。この玄関。ずいぶん濡れてるけど。」
「あぁ……。ごめん。」
雑巾を持ってきて、私はそこを拭く。多分、これを汚したのは柊さんだけじゃない。多分、葵さんの分もある。すると私の部屋から柊さんも出てきた。
「あら。おはよう。夕べは悪かったわね。急に頼んで。」
「いいえ。俺も用事がつぶれたこともあったんで。」
「……。」
すると母さんは不思議そうな顔をして彼を見ていた。
「どうかしました?」
「ううん。あんた、まだ蓬さんと繋がりがあるのかしらって思って。」
「蓬……。」
蓬の名前を聞いて、明らかに柊さんの表情が変わった。
「いいえ。連絡は一方的にありますけど……。」
彼女はため息をついて、煙草に火をつける。そして彼を見上げた。
「あのね、あんたが蓬と繋がりがないと思ったから、娘を頼んでいるの。もし、今でも繋がりがあるなら、すぐ別れて。」
「それはないです。」
「そ、だったらいいけど。」
珍しく厳しい口調だった。まぁ、ヤクザと繋がりなんか持たない方がいいのは確かだ。でも、なんで柊さんと蓬さんに繋がりがあるの?
0
お気に入りに追加
30
あなたにおすすめの小説




淫らな蜜に狂わされ
歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。
全体的に性的表現・性行為あり。
他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。
全3話完結済みです。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

とある高校の淫らで背徳的な日常
神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。
クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。
後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。
ノクターンとかにもある
お気に入りをしてくれると喜ぶ。
感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。
してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる