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一年目
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それでも私は足を踏ん張り、彼の音を聞いていた。楽器を使ったり歌を歌ったりするような音楽ではないけれど、DJも立派な音楽だと初めて思う。
周りはすっかり暗くなり、ステージはライトを当てられて柊さんだけがスポットを浴びているような気がした。音楽を奏でる彼に、男も女も誰もが声援をあげ踊る。
だけど私はその中にはいることはできなかった。ただ立ち尽くし、彼を見ているしかなかった。そこに、いつも知っている柊さんがいない。そこには別の顔の彼がいる。
学校で草むしりをしている彼とは別人なのだ。
「桜さん?」
きっと三十分もなかったステージ。柊さんと入れ替わるように、一人の女性がステージにあがる。柊さんは彼女と握手をし、耳元で何かをささやく。それが頬にキスをしているように見えて、女の黄色い悲鳴のような声が聞こえた。そして他にもギターやベースの男に握手をして、柊さんはステージを降りた。
そして女性がマイクを手に取ると、声を発した。女性にしては太い声。カラフルなチューブトップのワンピースを着た女性は、おそらくstrawberry flowerのボーカルリリーなのだ。
圧倒的な歌唱力に、私は別の意味で足がすくむ。
「……。」
だけど一曲だけ聴くと、リリーの声を求めて集まってくる人混みを逆流するように私はその場を離れた。
「桜さん。」
竹彦の声が後ろから聞こえる。私はその声を無視するようにどんどんとそのステージを離れていった。そしてやっとたどり着いたのは、「虹」の屋台。もうお客さんはいなくて、梅子さんも松秋さんも聞こえてくるリリーの声を聴いているようだった。
「あれ?戻ってきたの?」
「片づけはいいから、そのまま聴いてれば良かったのに。」
「そうなんですけど……ちょっと気分が悪くなって。」
「帰る?」
「人酔いしたのね。竹彦。送ってあげれば?」
遅れてやってきた竹彦が心配そうに私を見ていた。しかし私はそちらを見なかい。きっと私は死にそうな顔をしていたと思う。そんな顔を彼に見られたくなかったから。
「大丈夫。一人で帰れるから。」
「桜さん。」
「また。ね。」
私はそういってその場を離れた。祭の出口に足を踏み出す人は少ない。今が祭の最高潮なのだから。
「……。」
何をしているんだろう。彼はあのステージの上に立つ人で、そして私は、ただの高校生だ。勘違いをしていたのか。
椿さんの声に似た彼が、リアルで耳元で囁いていた声が、全て自分のモノだと思っていた。それが勘違いなのだ。
”後悔すると思いますよ。”
今更葵さんの言葉が心に刺さる。こういう意味だったのかもしれない。私は……彼とは違うんだ。
「桜さん。」
声をかけられても私は振り返ることはなかった。その声が誰かわかるから。
「ついてこないでって言ったのに。」
「君がそのまま死ぬのかと思ったから。」
「死なないわ。こんなことくらいで。」
嘘。本当は死にたいくらい落ち込んでいるのに。
「死ぬのだったら、僕の前で死んでほしい。」
「……。」
「きっと綺麗だよ。」
「あなた葬儀屋の息子でしょ?綺麗な死体なんか無いわ。そうでしょ?」
「そんな意味の死体じゃない。屈辱にまみれ、絶望した死体が見たいんだ。」
「……悪趣味だわ。」
私はいつの間にか足を止めていた。橋の上は誰もいない。まだみんなライブを楽しんでいるから。ふとその橋から、祭の会場を見る。ステージは遠くからでも光り輝いている。そして音楽も聞こえた。
「でも今は死んで欲しくないな。」
私はやっと彼の方を見た。そこには女装した竹彦がいる。多分他人から見れば、女子二人が何か話しているだけに見えるだろう。
「どんな形でもいずれ知ることになったでしょうね。それが思った以上にショックだったかもしれないけれど……。」
すると竹彦は私に近づくと、頬に触れてきた。その手が思ったよりも温かい。
「泣いてるよ。」
「え?私……泣いてる?」
涙を拭ってくれていたんだ。
「僕なら泣かせないのに。」
「……あなたじゃないわ。」
「そうだね。今は君の心につけ込んでいるように思える。でも君のその寂しい心に僕が入ることはできないのかな。」
「今は何も考えられないの。」
「終止符を打つの?」
終止符?別れるってこと?柊さんと?イヤ。イヤだ。
「……や……。」
「何?」
「イヤ。」
まだ好きだ。きっとずっと好きでいる。彼が何者だろうと、きっと好きでいる。
「桜さん。でも彼と一緒にいると辛くなるばかりじゃないのか。」
「それでも……手に入れたから。」
「遊ばれてるんだよ。」
「そんなこと無いわ。」
「僕なら……。」
「あなたじゃないの。私は……。」
「全てが初めてだったからそう思っているだけじゃないのか。」
そのとき私は初めて男の人を殴った。
パン!
頬を叩き、私はそのまま帰ろうとした。しかし腕を捕まれる。そしてその捕まれた腕を引き寄せられると、その胸に抱きしめられた。
薄い小さな胸は、誰よりも頼りないと思った。だけど、腕は振るえていて余裕がないように思える。
「離して。」
「ダメ。もう忘れさせる。独占したいと思ったから。」
見た目は女の子だけど、男の力強さだった。細い腕に捕まれて、離れようにも離れられなかった。
「桜さん。」
耳元で囁かれる私の名前。だけどそれは柊さんとは似ても似つかない、高い男の声。
向こうから人の声が聞こえる。どうやらライブが終わったらしい。その声が彼にも聞こえたのだろう。彼は私の体をすっと離した。私はその瞬間、走って彼の元から逃げていく。
走りにくいブーツは、彼から逃げられるかわからなかった。だけど逃げる。
だけど逃げたいのは、竹彦からだけ?違う。
私はやっとアパートに帰り、壁にもたれた。そしてバックから携帯電話を取り出す。ずっとバイブ音が鳴っていたから。
着信が沢山入っている。相手は柊さんだった。
周りはすっかり暗くなり、ステージはライトを当てられて柊さんだけがスポットを浴びているような気がした。音楽を奏でる彼に、男も女も誰もが声援をあげ踊る。
だけど私はその中にはいることはできなかった。ただ立ち尽くし、彼を見ているしかなかった。そこに、いつも知っている柊さんがいない。そこには別の顔の彼がいる。
学校で草むしりをしている彼とは別人なのだ。
「桜さん?」
きっと三十分もなかったステージ。柊さんと入れ替わるように、一人の女性がステージにあがる。柊さんは彼女と握手をし、耳元で何かをささやく。それが頬にキスをしているように見えて、女の黄色い悲鳴のような声が聞こえた。そして他にもギターやベースの男に握手をして、柊さんはステージを降りた。
そして女性がマイクを手に取ると、声を発した。女性にしては太い声。カラフルなチューブトップのワンピースを着た女性は、おそらくstrawberry flowerのボーカルリリーなのだ。
圧倒的な歌唱力に、私は別の意味で足がすくむ。
「……。」
だけど一曲だけ聴くと、リリーの声を求めて集まってくる人混みを逆流するように私はその場を離れた。
「桜さん。」
竹彦の声が後ろから聞こえる。私はその声を無視するようにどんどんとそのステージを離れていった。そしてやっとたどり着いたのは、「虹」の屋台。もうお客さんはいなくて、梅子さんも松秋さんも聞こえてくるリリーの声を聴いているようだった。
「あれ?戻ってきたの?」
「片づけはいいから、そのまま聴いてれば良かったのに。」
「そうなんですけど……ちょっと気分が悪くなって。」
「帰る?」
「人酔いしたのね。竹彦。送ってあげれば?」
遅れてやってきた竹彦が心配そうに私を見ていた。しかし私はそちらを見なかい。きっと私は死にそうな顔をしていたと思う。そんな顔を彼に見られたくなかったから。
「大丈夫。一人で帰れるから。」
「桜さん。」
「また。ね。」
私はそういってその場を離れた。祭の出口に足を踏み出す人は少ない。今が祭の最高潮なのだから。
「……。」
何をしているんだろう。彼はあのステージの上に立つ人で、そして私は、ただの高校生だ。勘違いをしていたのか。
椿さんの声に似た彼が、リアルで耳元で囁いていた声が、全て自分のモノだと思っていた。それが勘違いなのだ。
”後悔すると思いますよ。”
今更葵さんの言葉が心に刺さる。こういう意味だったのかもしれない。私は……彼とは違うんだ。
「桜さん。」
声をかけられても私は振り返ることはなかった。その声が誰かわかるから。
「ついてこないでって言ったのに。」
「君がそのまま死ぬのかと思ったから。」
「死なないわ。こんなことくらいで。」
嘘。本当は死にたいくらい落ち込んでいるのに。
「死ぬのだったら、僕の前で死んでほしい。」
「……。」
「きっと綺麗だよ。」
「あなた葬儀屋の息子でしょ?綺麗な死体なんか無いわ。そうでしょ?」
「そんな意味の死体じゃない。屈辱にまみれ、絶望した死体が見たいんだ。」
「……悪趣味だわ。」
私はいつの間にか足を止めていた。橋の上は誰もいない。まだみんなライブを楽しんでいるから。ふとその橋から、祭の会場を見る。ステージは遠くからでも光り輝いている。そして音楽も聞こえた。
「でも今は死んで欲しくないな。」
私はやっと彼の方を見た。そこには女装した竹彦がいる。多分他人から見れば、女子二人が何か話しているだけに見えるだろう。
「どんな形でもいずれ知ることになったでしょうね。それが思った以上にショックだったかもしれないけれど……。」
すると竹彦は私に近づくと、頬に触れてきた。その手が思ったよりも温かい。
「泣いてるよ。」
「え?私……泣いてる?」
涙を拭ってくれていたんだ。
「僕なら泣かせないのに。」
「……あなたじゃないわ。」
「そうだね。今は君の心につけ込んでいるように思える。でも君のその寂しい心に僕が入ることはできないのかな。」
「今は何も考えられないの。」
「終止符を打つの?」
終止符?別れるってこと?柊さんと?イヤ。イヤだ。
「……や……。」
「何?」
「イヤ。」
まだ好きだ。きっとずっと好きでいる。彼が何者だろうと、きっと好きでいる。
「桜さん。でも彼と一緒にいると辛くなるばかりじゃないのか。」
「それでも……手に入れたから。」
「遊ばれてるんだよ。」
「そんなこと無いわ。」
「僕なら……。」
「あなたじゃないの。私は……。」
「全てが初めてだったからそう思っているだけじゃないのか。」
そのとき私は初めて男の人を殴った。
パン!
頬を叩き、私はそのまま帰ろうとした。しかし腕を捕まれる。そしてその捕まれた腕を引き寄せられると、その胸に抱きしめられた。
薄い小さな胸は、誰よりも頼りないと思った。だけど、腕は振るえていて余裕がないように思える。
「離して。」
「ダメ。もう忘れさせる。独占したいと思ったから。」
見た目は女の子だけど、男の力強さだった。細い腕に捕まれて、離れようにも離れられなかった。
「桜さん。」
耳元で囁かれる私の名前。だけどそれは柊さんとは似ても似つかない、高い男の声。
向こうから人の声が聞こえる。どうやらライブが終わったらしい。その声が彼にも聞こえたのだろう。彼は私の体をすっと離した。私はその瞬間、走って彼の元から逃げていく。
走りにくいブーツは、彼から逃げられるかわからなかった。だけど逃げる。
だけど逃げたいのは、竹彦からだけ?違う。
私はやっとアパートに帰り、壁にもたれた。そしてバックから携帯電話を取り出す。ずっとバイブ音が鳴っていたから。
着信が沢山入っている。相手は柊さんだった。
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