夜の声

神崎

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一年目

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 コーヒーカップを取り出して、サーバーに溜まっているコーヒーを分けるように注いだ。香りが高いコーヒーだと思う。「窓」で使っているコーヒーよりも遙かにいい豆なんだろうと、香りだけでわかるようだった。焙煎の仕方も悪くはないようだったが、おそらく「窓」では使わないだろう。あの店は葵さんが自ら焙煎してるから。
「兄は元気にしていますか。」
 カップを出しながら、蓮さんは私にそう聞いてきた。
「同じ町に住んでいるのですから、行ってみたらいいんじゃないんですか。」
「昔、色々あってあの店には行き辛いんです。」
 たぶん、前科のことかもしれない。
「昔のことは知りませんが、今は穏やかな人です。気にすることがありますか。」
「酷いことをいいました。」
「でしょうね。」
 嫌みのつもりで行ったつもりはない。でもこの数時間一緒に働いているだけで、彼のことはだいたいわかった。この調子で葵さんにも酷いことを言ったのかもしれない。でも葵さんがそんなことで……怒るな。たぶん目で笑いながら、怒るだろう。
「それとなくここにあなたがいることを言いましょうか。」
「やめてください。」
「こんなに狭い町なのに、あなたがここにいることを知るのは時間の問題だと思いますが。」
 コーヒーをすべて注ぎ終わり、私は時間切れだと言わんばかりにトレーにコーヒーを注いで外に出ていった。
「コーヒーです。」
「あぁ。ありがとう。」
 あとから蓮さんもやってきて、そのコーヒーを手に取っていた。
「美味しい。香りが高いし、コーヒーにしては何の味かなぁ。」
「フルーティーね。いい豆だわ。でもこの豆を取り引きするようなところがあるかしら。」
 確かにこの豆はとてもいい豆だというのがわかる。私の未熟な入れ方でも、美味しくいただけるのだから。
「難しいでしょうね。単価はどれくらいでしょうか。」
 もう蓮さんは仕事モードに入ったらしい。

 やばい。あと三十分でこの量の配送を終わらせないといけないなんて。無理無理。でもやらなきゃ。
「ちょっと。この配送したの誰ー?」
 配送で外回りをしていた人が倉庫の中に入ってきた。
「あ、私です。」
「今日初めてだから仕方ないのかもしれないけど、違うの入ってたよ。」
「あぁ。すいません。」
「気をつけて。」
「はい。」
 あー。遅いわ、間違えるわ、私、何のためにいるんだろうって思ってしまう。
「桜ちゃん。手伝おうか?」
 明さんが声をかけてくれるけど、もうそんな余裕はなかった。
「すいません。まだ大丈夫です。あの……発注があるんだったら、そっちをお願いしてもいいですか。」
「全部終わらないと発注も何もないから。」
 えー。あぁ。そうだよなぁ。
「すいません。」
「謝らないで。ちゃっちゃっとやろう。」
 三時まであと二十五分。それまでにやらないと。
「入れたヤツは全部チェックして。ペンあるんでしょ?」
「はい。」
「絶対ミスするよ。何度もチェックしないといけないから、手間になって時間のロスになる。」
 明さんに手伝って貰って、やっと五分前に配送の荷物詰めが終わった。
「すいません。手伝って貰って。」
「謝らないでいいから。癖?謝るの。」
「あっ……。」
 昨日言われたばかりだ。梅子さんと松秋さんに。やだなぁ。こんなところで出るなんて。
「君もう上がりだろ?ちょっと倉庫の中掃除して貰って、それで上がりでいいから。」
 本来ならもっと早く終わるんだろうその作業に、呆れちゃったかなぁ。明さん。
「はい。」
 隅にあるほうきとちりとりを持って、その周りを掃く。そしてそのゴミをちりとりにとっていた。そのとき、倉庫のドアが開き、明さんが戻ってきたのかと思ったけど違う。
「桜さん。」
 それは蓮さんだった。
「はい。」
「その……今日は……出来なくて当然だと思ってください。」
「え?」
「初めてのことは皆出来ないものですから。それを辛く言い過ぎて……あなたがこなくなったら困ると、聡子さんにいわれました。」
 その態度に少し笑ってしまった。
「別に……辛く言われたとは思いません。たぶん、これが普通だと思うので。」
「そうだろうか。」
「えぇ。きっと私は葵さんの所でしか働いていなかったので、あまり叱られることもありませんでした。」
「兄は、優しい人だ。あなたにもあまり辛くは言わないのでしょう。」
「その通りです。」
「……昔と変わってしまったようですよ。あなたのお陰でしょうか。」
「私ではありませんよ。初めてバイトで来たときからそんな人でした。」
「そうでしたか。」
 きっと蓮さんは葵さんに会いたいのだろう。だけどそれをきっと蓮さんのプライドが許さないし……。葵さんはどう思っているのかわからないけれど、きっと葵さんは家族のことを一言も言わないことからあまりいい関係ではなかったのだろう。
 だろう。だろうと想像でしかモノは言えない。私たちは何もまだ知らないからだ。
「兄に渡して貰いたいモノがあるのですが。」
 彼はそういって倉庫の中を歩き、棚から一つの豆を取り出した。まだ焙煎前の緑がかった豆がビニールに入っている。
「これは?」
「渡してもらえればわかります。」
「わかりました。ではお預かりします。」
 豆を受け取ると、それを自分のバックの中に入れた。
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