33 / 355
一年目
33
しおりを挟む
試験が終わったその日。私は駅前にあるビルの中にいた。そこがヒジカタコーヒーの支所。あまり大きな所ではないのに、所狭しとコーヒー豆やらコーヒーをいれるための道具が置かれている。
まだ配送前らしく、これすべてを今日中にいろんな店に持って行く。その中には「虹」も「窓」も入っていた。
「今日まで試験だったのよね。大変だったわねぇ。」
ここの支社長は女性だった。でもこの人が母親の店のお客らしい。
「いろんな人の接待するのに、あなたのお母さんの店って丁度いいのよ。でもお母さんがあなたが真面目すぎて困るって話してたから、丁度いいと思ってさ。」
「はぁ。」
ずいぶんフランクな人だ。それに気合いはいっている外見だな。きっちりしたメイクはまつげがばっさばっさだし、くりんくりんの茶色い髪は、どこかのホステスのようだと思う。でも言えないけど。
「パソコンは使える?」
「表計算と文章書きは習ってます。あとはバイト先ですることもありますが。」
「そうそうバイトしてるんですってねぇ。そこはどうするの?」
「夜に入ります。」
「平気?」
「えぇ。」
「バイト先も夜だけでいいの?」
「はい。昼はあまり必要ないようですから。」
「そう。だったら夏休みいつから?」
「二十一日からです。」
「土曜日ね。その日から来れる?」
「はい。よろしくお願いします。」
手を差し出されたその女性の手首には、不自然な傷があった。明らかに自傷のあとだった。難しい人なのかもしれない。
そのあと、まだ時間が早いので「虹」へ行くことにした。試験は昼までだったので、ヒジカタコーヒーから戻ってきてもまだ十四時なのだ。
しばらく「窓」には行っていない。前のことがあって、行き辛くなったのだ。「また明日」といった葵さんには悪いけれど、どうしても恐怖はまだとれそうにない。
「虹」のドアを開けると、相変わらず目を引くような人が大勢いる。カウンターを見ると、そこにはモスグリーンのワンピースと黒いロングのヅラをつけた竹彦がいた。
「桜さん。」
ぱっと表情が明るくなる竹彦。まぶしいなぁ。美少女が微笑みかけているような感覚になる。
「いらっしゃい。桜さん。」
梅子さんがカウンターの向こうで話しかけてくる。今日は中世ヨーロッパのお姫様みたいな格好だ。
「どうも。」
「あら。今日は制服なのね。」
「ちょっと用事があって。」
「困ったわねぇ。ここあまり制服で来て欲しくないんだけど。」
「あ、そうだったんですか。すいません。気がつきませんで。」
そういえば夜はバーになるところだ。制服のまま来るのはあまり良くないのだろう。
「だったら制服じゃなければいいんだろう。そこ、いろいろあるから着ればいい。」
松秋さんがそう言ってくれた。すると梅子さんが目を輝かせて、カウンターから出てきた。
「そうよ。あんた、元がいいんだからもっと磨きなさいな。ほら。立って。立って。」
すると周りの客も呆れたようにこちらをみた。
「あーあ。始まったよ。梅子さんのプロデュース。」
「ケバくなるぞ。あの子。」
そう言って笑っていた。
「あ、梅子さん。あまり桜さんは……。」
「わかってるわよー。あんまりあたらないわ。さ、桜さん。こっちへ来て。」
長くてボリュームのあるまつげでウィンクされ、私は引っ張られるようにカーテンの向こうに連れて行かれた。やや強引に。イヤ。かなり強引に。
渡された服は、洋服ではなく浴衣だった。それを見よう見まねで着て、出来上がったところに梅子さんが髪を当たる。一つに結んでいるだけだった長い髪をアップにされて、薄く化粧までされた。
「出来た。すごい。やっぱ女の子は違うわねぇ。」
「この着付け合ってます?」
「合ってるわ。ばっちり。」
「じゃなくて、なんか違う気がするんですけど。」
「そうかしら。気にならないわよ。」
「ん……まぁいいか。梅子さんがいうんだったら。」
カーテンを開けると、店の中がわっと沸いた。
「浴衣かぁ。それは気がつかなかった。」
「似合ってるね。紺色の浴衣って。」
カウンターの向こうにいる松秋さんも口だけで笑っていた。
「似合ってる。」
ぼそっと言う。しかし竹彦だけはこちらを見て何もいわなかった。
「どうしたの?竹彦。見とれた?」
「まぁそうなんだけど……梅子さん。この浴衣の着付けは、梅子さんがしたんですか。」
「違うわよ。説明だけして帯はあたしが巻いたけど。」
「これ、「左前」っていって死人に着せる着方。本当は逆ですよ。」
「あら。やだ。そうなの?ごめんなさいね。桜さん。着替えましょ。」
「帯が……。」
するとカウンターの向こうで、松秋さんが困ったように言う。
「これ以上、カウンター空けないでくれよ。」
カウンターの向こうには伝票が何枚もピラピラと下がっている。おそらくオーダーが詰まってるのだろう。
「だったら、僕が帯を巻くよ。」
するとカウンター席に座っていた。竹彦が立ち上がった。
「え?」
「帯だけでしょ?別に肌に触る訳じゃないし。」
「そう……ね。じゃあ、ちょっと着たら、また呼ぶわ。」
「うん。」
また私はカーテンの向こうに入り、帯をほどいた。大丈夫。竹彦だったら。何もない。絶対に。きっと梅子さんと一緒にいるくらい何もないはず。
やだなぁ。なんかすごい疑心暗鬼になってる。
帯をほどいて、今度は左襟が前に来るように浴衣を着る。そして帯を手にした。
「竹彦君。悪いけどお願い。」
すると竹彦はこのカーテンの中に入ってきた。そして帯を手に、私の腰回りに手を伸ばした。
「慣れてるのね。」
「姉さんとかの浴衣をいつも手伝わされてるから。それに……死んだ人のもね。」
「……そっか。」
葬儀場の息子だからこう言うことに気がついたんだ。皮肉だな。
ぎゅっと帯を締める。力がウエストに加わったけれど、さっきよりは楽に巻いてくれているようだった。
「さっきより緩いと思うけど、大丈夫?」
「これくらいでも大丈夫だよ。暴れたりしなければ、着崩れたりはしない。」
「そう。」
「だから暴れないで。」
そう言って彼は締め終わったその帯に手を伸ばしてきた。
「ちょ……っと。」
「騒がないで。少しこのままに。」
私の身長よりも少しだけ背の高いだけの竹彦。その竹彦は、私の後ろ側から手を伸ばし抱きしめていた。かすかに首の後ろに温かい感触が伝わってきた。
「じゃあ、これで。」
ぱっと手を離されカーテンを引いた。
「これが正解なんだな。」
「それでも綺麗ね。」
私はどんな表情をしていたのだろう。先にカウンター席に座っている竹彦の隣に座るのを少しためらってしまった。
まだ配送前らしく、これすべてを今日中にいろんな店に持って行く。その中には「虹」も「窓」も入っていた。
「今日まで試験だったのよね。大変だったわねぇ。」
ここの支社長は女性だった。でもこの人が母親の店のお客らしい。
「いろんな人の接待するのに、あなたのお母さんの店って丁度いいのよ。でもお母さんがあなたが真面目すぎて困るって話してたから、丁度いいと思ってさ。」
「はぁ。」
ずいぶんフランクな人だ。それに気合いはいっている外見だな。きっちりしたメイクはまつげがばっさばっさだし、くりんくりんの茶色い髪は、どこかのホステスのようだと思う。でも言えないけど。
「パソコンは使える?」
「表計算と文章書きは習ってます。あとはバイト先ですることもありますが。」
「そうそうバイトしてるんですってねぇ。そこはどうするの?」
「夜に入ります。」
「平気?」
「えぇ。」
「バイト先も夜だけでいいの?」
「はい。昼はあまり必要ないようですから。」
「そう。だったら夏休みいつから?」
「二十一日からです。」
「土曜日ね。その日から来れる?」
「はい。よろしくお願いします。」
手を差し出されたその女性の手首には、不自然な傷があった。明らかに自傷のあとだった。難しい人なのかもしれない。
そのあと、まだ時間が早いので「虹」へ行くことにした。試験は昼までだったので、ヒジカタコーヒーから戻ってきてもまだ十四時なのだ。
しばらく「窓」には行っていない。前のことがあって、行き辛くなったのだ。「また明日」といった葵さんには悪いけれど、どうしても恐怖はまだとれそうにない。
「虹」のドアを開けると、相変わらず目を引くような人が大勢いる。カウンターを見ると、そこにはモスグリーンのワンピースと黒いロングのヅラをつけた竹彦がいた。
「桜さん。」
ぱっと表情が明るくなる竹彦。まぶしいなぁ。美少女が微笑みかけているような感覚になる。
「いらっしゃい。桜さん。」
梅子さんがカウンターの向こうで話しかけてくる。今日は中世ヨーロッパのお姫様みたいな格好だ。
「どうも。」
「あら。今日は制服なのね。」
「ちょっと用事があって。」
「困ったわねぇ。ここあまり制服で来て欲しくないんだけど。」
「あ、そうだったんですか。すいません。気がつきませんで。」
そういえば夜はバーになるところだ。制服のまま来るのはあまり良くないのだろう。
「だったら制服じゃなければいいんだろう。そこ、いろいろあるから着ればいい。」
松秋さんがそう言ってくれた。すると梅子さんが目を輝かせて、カウンターから出てきた。
「そうよ。あんた、元がいいんだからもっと磨きなさいな。ほら。立って。立って。」
すると周りの客も呆れたようにこちらをみた。
「あーあ。始まったよ。梅子さんのプロデュース。」
「ケバくなるぞ。あの子。」
そう言って笑っていた。
「あ、梅子さん。あまり桜さんは……。」
「わかってるわよー。あんまりあたらないわ。さ、桜さん。こっちへ来て。」
長くてボリュームのあるまつげでウィンクされ、私は引っ張られるようにカーテンの向こうに連れて行かれた。やや強引に。イヤ。かなり強引に。
渡された服は、洋服ではなく浴衣だった。それを見よう見まねで着て、出来上がったところに梅子さんが髪を当たる。一つに結んでいるだけだった長い髪をアップにされて、薄く化粧までされた。
「出来た。すごい。やっぱ女の子は違うわねぇ。」
「この着付け合ってます?」
「合ってるわ。ばっちり。」
「じゃなくて、なんか違う気がするんですけど。」
「そうかしら。気にならないわよ。」
「ん……まぁいいか。梅子さんがいうんだったら。」
カーテンを開けると、店の中がわっと沸いた。
「浴衣かぁ。それは気がつかなかった。」
「似合ってるね。紺色の浴衣って。」
カウンターの向こうにいる松秋さんも口だけで笑っていた。
「似合ってる。」
ぼそっと言う。しかし竹彦だけはこちらを見て何もいわなかった。
「どうしたの?竹彦。見とれた?」
「まぁそうなんだけど……梅子さん。この浴衣の着付けは、梅子さんがしたんですか。」
「違うわよ。説明だけして帯はあたしが巻いたけど。」
「これ、「左前」っていって死人に着せる着方。本当は逆ですよ。」
「あら。やだ。そうなの?ごめんなさいね。桜さん。着替えましょ。」
「帯が……。」
するとカウンターの向こうで、松秋さんが困ったように言う。
「これ以上、カウンター空けないでくれよ。」
カウンターの向こうには伝票が何枚もピラピラと下がっている。おそらくオーダーが詰まってるのだろう。
「だったら、僕が帯を巻くよ。」
するとカウンター席に座っていた。竹彦が立ち上がった。
「え?」
「帯だけでしょ?別に肌に触る訳じゃないし。」
「そう……ね。じゃあ、ちょっと着たら、また呼ぶわ。」
「うん。」
また私はカーテンの向こうに入り、帯をほどいた。大丈夫。竹彦だったら。何もない。絶対に。きっと梅子さんと一緒にいるくらい何もないはず。
やだなぁ。なんかすごい疑心暗鬼になってる。
帯をほどいて、今度は左襟が前に来るように浴衣を着る。そして帯を手にした。
「竹彦君。悪いけどお願い。」
すると竹彦はこのカーテンの中に入ってきた。そして帯を手に、私の腰回りに手を伸ばした。
「慣れてるのね。」
「姉さんとかの浴衣をいつも手伝わされてるから。それに……死んだ人のもね。」
「……そっか。」
葬儀場の息子だからこう言うことに気がついたんだ。皮肉だな。
ぎゅっと帯を締める。力がウエストに加わったけれど、さっきよりは楽に巻いてくれているようだった。
「さっきより緩いと思うけど、大丈夫?」
「これくらいでも大丈夫だよ。暴れたりしなければ、着崩れたりはしない。」
「そう。」
「だから暴れないで。」
そう言って彼は締め終わったその帯に手を伸ばしてきた。
「ちょ……っと。」
「騒がないで。少しこのままに。」
私の身長よりも少しだけ背の高いだけの竹彦。その竹彦は、私の後ろ側から手を伸ばし抱きしめていた。かすかに首の後ろに温かい感触が伝わってきた。
「じゃあ、これで。」
ぱっと手を離されカーテンを引いた。
「これが正解なんだな。」
「それでも綺麗ね。」
私はどんな表情をしていたのだろう。先にカウンター席に座っている竹彦の隣に座るのを少しためらってしまった。
0
お気に入りに追加
30
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる