夜の声

神崎

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一年目

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 私から引き離されたその衝撃で、葵さんはその引き離した人の体に急にもたれ掛かったようだった。暗くてよくわからなかったけれど、その人は男の人のようだった。
「全く、こんな事だと思ったわ。」
 電気がついて、その人をよく見る。そこには梅子さんの体にもたれている葵さんと、その奥には松秋さんがいた。
「桜。こっちへ来るんだ。服を着ろ。」
 松秋さんはそう言って、私の制服を手渡してくれた。
「夜だけ私の店を開けると思っていたの?バカね。昼開けないなら夜も開けないのよ。全く……店の子に手を出すなんて、経営者として失格ね。」
「あんたにだけは言われたくないですよ。元々あんただって、松秋とはお客と店員の関係だったでしょう。」
「……心が通じてればいいの。でも心なんか通じてない。そんな行為はただのレイプよ。良かったわね。松秋。こんな人の下で働かなくて。」
 松秋さんは黙ったまま、そっちを見ていた。
「柊に抱かれるよりましですよ。」
「そうかもしれないわね。でも心が通じてる分、あなたよりましね。桜さん。こんな事をされても、まだここで働くの?」
「……。」
 制服を着終わり、私は困ったように葵さんをみた。葵さんはふっとため息をつくと、私に笑顔を見せる。こんな時に笑顔を見せられるって、どんな精神力してるんだろう。
「桜さん。あなたは私があなたに恋心がわかるのを知っていても、ここで働いていた。と言うことは、あなたの心の中にも少しは私がいるはずだ。そうでしょう?」
 それは否定しない。でもおそらくここを辞めなかったのは、葵さんが心にあったからではないのだ。この「窓」という店が心にあったから。
「私は……。あなたの気持ちには答えられません。でも……あなたの気持ちがまだ切れないというのであれば、私は……。」
 辞める?ここを?何も知らない私を一から何もかも教えてくれた人を裏切って?そんなこと出来るの?
 すると隣に立っていた松秋さんがいう。
「無理に結論を出すな。後悔する。だからバカなんだ。」
「松秋。そんなことを言わないの。」
「とりあえず、明日は休めばいい。一日、二日かかるかわからないだろうし、柊と話すこともあるだろう。」
「はい。」
「結論はそれからだろう。さ、もう遅いし、俺が送ってやるから。」
「桜さん。」
 帰ろうとした私に葵さんが声をかける。
「また明日。」
 話を聞いていない人だ。その言葉に松秋さんも呆れたようだった。

 生ぬるい空気が吹く中、私たちは何も話さなかった。「大変だったね」とかそんなことを言って何になるだろう。
 あっという間にアパートについて、松秋さんは帰ろうとしたときだった。その向こうからバイクの音がした。それも大型の大きなバイクの音だ。その音に松秋さんは思わず足を止めた。おそらく変な暴走族とかだったら、守ってやろうとか思っていたのかもしれない。
 だが、そのバイクは私の前で止まる。フルフェイスのヘルメットを取ると、そこには柊さんの姿があった。
「柊さん。」
「……。」
 松秋さんは黙ったまま彼を見ていた。
「ずいぶん遅かったんだな。」
「……あんたが柊か。」
 男の容姿なのに、ずいぶん高い声で柊さんも驚いたのだろう。
「誰だ。お前は。」
「誰でもいいだろう。あんたが呑気にしている間に、桜さんがどんな目に遭っているのか知らなかったのか。」
 すると柊さんはバイクのエンジンを止めて、私をみた。
「何かあったのか。」
「……。」
「女の口から言わせるのか。だから男というのは、駄目なんだ。」
「んだと?」
 バイクから降りて、松秋さんの胸ぐらをつかもうとした。
「やめてください。」
「桜。言え。何があったんだ。」
「……葵さんが……。」
 多分私の表情が曇っていたのを、柊さんは感じていた。だから、松秋さんを掴みながらこちらを見る。
「葵が?何かしてきたのか。」
「レイプされそうになったんだよ。俺らが様子を見に行ったら、その寸前だった。」
 その言葉に、柊さんは松秋さんを離した。
「それは……悪かった。」
 素直に謝る柊さんに、一瞬松秋さんの表情が変わる。おそらく「こんな人ではなかったはず」と思ったのかもしれない。
「桜……。部屋に入ってろ。すぐに行くから。」
 そう言って彼は携帯電話を取り出した。多分いつもの「用事」をキャンセルするか、時間をずらすのだろう。
「ありがとうございました。松秋さん。」
「あぁ。今日のことは忘れろ。犬にでも噛まれたと思ってな。」
 そう言って松秋さんは来た道を帰って行った。

 部屋に戻り、制服を脱いだ。そして姿見の鏡を見る。そのとたん、目から涙が出てきた。やっと自分が怖かったことに気がついたのだろう。
 それから裏切られた気持ちになったのだ。
 慕っていた。恋愛感情なんかではなく、多分感情としては兄妹のような感覚だったのかもしれない。でもそれは多分、私だけだった。それが悔しい。だから涙が出てきたのだ。
「桜。」
 うなだれたまま、涙を流している。そんな私に、柊さんは背中から抱きしめた。
「いてやれないというのは、都合が悪いな。」
「……柊さん。私……自分がわからないんです。」
「自分が?」
「こんな事をされても……私は……葵さんに見切りをつけることは出来ないんです。どうして……。」
「桜。強くなれ。」
「……。」
「俺も都合があるし、お前にも都合があるだろう。四六時中いれるわけではないのだから、お前にはお前の強さが必要なんだ。せめて、自分で自分が守れるくらいの強さがな。」
「……。」
「甘えあう関係はいつか崩れるから。」
 耳元で囁かれるその声は、椿さんから言われているように勘違いしてしまう。
「はい。」
「今日は抱きしめるだけだ。悪いな。」
「大丈夫です。」
 伸ばされた腕に手を重ねる。そして少し離すと、彼の方を向いた。そして彼の首に手をかける。すると彼はゆっくりと私の唇にキスをした。
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