夜の声

神崎

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一年目

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 昼休みになって向日葵たちとご飯を食べたあと、向日葵がトイレに行くといって教室を出ていった。その間、友達たちと他愛もない話をしていると、すぐに向日葵が戻ってきた。
 でもなんか不思議そうな顔をして私たちに声をかけてくる。何かあったのかな。
「その校舎の裏で匠君がせんせーに超怒られてたよ。」
「どうして?」
「煙草じゃない?用務員の人が、「煙草の吸い殻が多い」って愚痴ってたのを聞いたんだって。」
 用務員という単語を聞いて、多分それを言ったのは柊さんだと思った。
「煙草なんてうまくやればいいのに。学校来てまで吸うことはないよねぇ。」
「まぁ。そうね。」
 それでなくても匠君に恨まれてるところがあるのに、柊さんそんなことしていいのかな。
「未成年だもん。大人になればがっつり吸えるのにね。」
「文句言われないのにねぇ。」
「でも匠君、謹慎になるんじゃない?煙草でしょ?」
 向日葵に言われて確かにそうかもしれないと私は納得した。でもこれで竹彦は少しの間、平穏な日々を過ごせるかもしれない。その点だけは良かった。
「美夏。」
 男の子が友達を呼びに来て、彼女はその男の子の所へ行ってしまった。最近つきあいだしたらしく、仲良さげでいいなぁと思う。
 あんな風に堂々といちゃいちゃは出来ないな。恥ずかしい。
「あ、ごめん。私ちょっと図書室行かなきゃ。」
「図書室?何で?」
「公務員試験の過去問。図書室にあるって聞いたから。」
「あーそうだったね。行ってらっしゃい。」
 放課後時間がとれないなら、今行くしかない。私は教室を出ると、隣の校舎にある図書室へ向かった。図書室のある校舎は本校舎よりもぼろくて、小さい。それでも本気で国立のしかもトップレベルの学校へ行きたい人なんかは、この校舎で勉強するらしい。
 隔離されているような空間は、なんだか息苦しい感じもするけれど、ふわっと天窓から入ってくる日差しが教会のようだと思う。
 息苦しいこの学校だけど、この空間だけは何となく好きになれる気がした。やっぱりこういう古い建物とかが好きなんだろうな。
 図書室のドアを開けると、油を差していないきしんだ音がした。そして紙と、カビのような匂いが私を包み込み、足を進めると木製の床がきしんだ。
 中にほどんど人はいない。今はインターネットで調べることも出来るから、あまり紙の媒体のものは需要がないのかもしれない。それでも「パソコン室」を強化するよりも、毎年多くの本が供給されるのは、まだ紙に希望があるからだと思う。
 だだっ広い図書室の中、私はその奥にある「進学、就職関係」の棚を調べようと、うろうろしていた。そしてその一番奥の棚の隅に、目的のものがある。
「あった。」
 それを手にして、開いてみる。昔の問題だってやっぱり今と難しさは変わらない。だけどやるしかないのだ。
「桜。」
 声をかけられて、私は振り向いた。そこには柊さんの姿があった。
「柊さん。」
 思わず笑顔になる。こんなところで声をかけられると思わかなかったから。彼は私に近づくと、小声で聞く。
「今日、来るか?」
 来るというのは、柊さんの家にと言うことだろう。私は頬を少し赤らめて、行きたいと思った。だけど、そうだ。今日は竹彦から呼び出されていたんだ。
「夜になります。」
「用事が?葵の所は今日休みだろう?」
「竹彦から呼び出されていて。」
「竹彦。あぁ。あの小さい男か。」
「ごめんなさい。」
「いいや。急に言ったから。」
 この奥には誰も来ない。私は彼の手を探り、そしてその手を握る。
「油が付いてる。」
「洗えばすむから大丈夫です。」
 彼は少しかがむと、私の耳元で囁いた。
「キスしていいか。」
「ここでは駄目です。」
「誰も見てない。」
 本棚の影に手を引かれ、彼は私の顎に手を当てると唇を軽く触れさせた。
「お前にも都合があるからな。終わったら来てくれるか。」
「はい。では終わり次第。」
 手を離し、彼は行こうとした。そのとき彼の動きが止まる。何かをみたらしい。私もそちらを見ると、そこには竹彦の姿があった。
 まずい。彼がべらべらこんなことをしゃべるとは思えないけど、やはり恥ずかしい。
 柊さんは一瞬戸惑ったが、竹彦の方に足を進める。そして彼に言う。
「しゃべるなよ。」
「しゃべりませんよ。こんなこと。」
「お前は頭のいい奴だ。あの煙草で謹慎になった奴とは違うだろ?」
 やはり匠の煙草の件を、教師にチクったのは柊さんだったのか。

 放課後。私は制服のまま駅へ向かった。そして駅のトイレで、持ってきた服に着替える。夏で良かった。洋服がかさばらないから。
 だぶっとしたシャツと、膝丈のジーンズを履いて、トイレから出てくる。するとそこには竹彦の姿がもうあった。
 彼の格好も制服とは違う。白いシャツとチノバンを履いていた。少し大人びて見える。
「お待たせ。」
「じゃあ、行こうか。」
 彼はそういって駅の階段を下りていく。駅の前にはパン屋さん。おみやげやさん。そしてその奥には雑居ビルがあり、少し入ったところに商店街がある。日曜日や土曜日に、私はここへやってきて食料品を買い込むので、この辺はよく知っている。というか、八百屋さんなんかは顔なじみだ。
 その八百屋さんにしてみたら、「親孝行な娘」というイメージがあるらしくて、トマト一つ、バナナ一房、いつもオマケしてくれるのだ。
 しかしこの辺に用事はないらしくて、鮮やかにスルーしている。
 そしてその奥へ行くと、そこはもう繁華街だった。居酒屋、バー、さらに奥には風俗がある。この辺を夜に高校生が歩いていると、補導されるのだ。だけど今は夕方。まだ閑散としていて、居酒屋もバーもスナックも開いていない。もちろん、ここに母のクラブもあるけれど、行ったことはない。
「ここ。」
 彼が立ち止まったのは、そんな繁華街にあるにはちょっと異質な建物だった。
 四階立ての小さなビルで、一階にはおしゃれな居酒屋があり、二階にはカフェ。三階にはダイニングバー。そして四階にはどうやら何かのスタジオがあるらしい。
「スタジオ?何の?」
「知らない。」
 それだけを言うと、彼はその階段を上がっていく。私もついて行こうとしたときだった。足下に何か白いものが通り過ぎた。
「きゃっ!」
 その声に彼が振り返った。
「あぁ。マリ。」
 その白いものはすぐに立ち止まり、こちらをみた。猫だった。しかもこの猫見覚えがある。
「これって……。」
「校舎裏の猫。オーナーがもらってくれたんだ。」
 あのころよりも大きくなった、マリは竹彦にすり寄っていた。彼はそれを抱き上げて、また階段を上っていく。
 そしてたどり着いたのは、二階のカフェだった。入り口には「虹」と書いてある。彼はそこに手をかける。すると煙草の臭いとコーヒーの匂いがした。新しい建物だけど、その辺はとても「窓」に似ている。
「竹。もう学校終わったの?」
 カウンターにいるのは、私が今までであったことのない人たちばかりだった。その光景に少し唖然とする。
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