夜の声

神崎

文字の大きさ
上 下
8 / 355
一年目

8

しおりを挟む
 部屋着に着替えて、ベッドでゆっくりと休んでいた。何度も読み直した本を読みながら、いつの間にか眠っていたらしい。
 お気に入りの本は、アメリカ人の本。ホラーやサスペンスで、人がどんどん殺されていくようなサイコスリラー。
 そのせいか夢の中で、私が殺される夢を見た。首に冷えた指が首に当てられて、どんどんと絞められていく。苦しいのに、なぜか幸せだった。そしてその人は、私に近づいて耳元で囁く。
「愛しているよ。」
 その声は椿さんの声によく似ていた。

 目が覚めると、外はもう暗くなっていた。時計を見ると二十一時を刺している。
 喉がからからだ。とりあえず何か飲もう。それからご飯食べなきゃ。そう思いながら部屋をでる。暗い部屋の中にはもう誰もいなかった。母はもう仕事へ行っている。冷蔵庫を開けると、ペットボトルに水が入っていて、それをコップに注いで一気に飲んだ。
 冷蔵庫には今日の夕食がある。牛肉の薄切りにアスパラを巻いて焼いたモノや、ポテトサラダがあった。貧血気味だと知って多分牛肉を入れたのかもしれない。
 それを食べて、明日の朝食の用意をする。そしてお風呂に入ろうと、着替えを持ってバスルームへ向かった。
 脱衣所には、大きな鏡がある。スタイル維持をしている母が毎日チェックするためだ。胸は垂れていないか、腹は出ていないか、なんていつも見ているらしい。そしてどこか気になるところがあれば、ジムだ、エステだと忙しいようだった。そういうところはプロ意識が強いと思う。
 その鏡には私の体も嫌でも写される。貧弱な体だ。色白で、くびれも出っ張りもない薄い体。伸ばしっぱなしの髪は、すでに乳首を越している。
 女性らしさの一つもない体は、コンプレックスの固まりだった。
「とりあえず風呂に入ろ……。」
 変な夢も見たし、払拭しよう。課題を済ませたら、また椿さんの声が聞けるのだから。
 ゆっくり風呂に入って、髪を乾かす。そして自分の部屋に戻ろうとしたときだった。

 ピンポーン。

 玄関のチャイムが鳴った。小学生くらいまでは「チャイムが鳴ってもあけちゃダメ」と母に言われていたが、今は小学生ではないからいいだろう。体は小学生みたいだけど。
 玄関の扉から外を見る。そこには二人の影が見えた。
「……どうしたんですか。」
 扉を開けると、そこには葵さんと柊さんの姿があった。
「寝てなかったんですね。」
「さっきまで寝てましたけど。」
「栄養付くもの差し入れようって話になった。ほら。」
 柊さんの手から、コンビニの袋が手渡された。
「どうも。」
 二人の口からは酒の臭いがする。どうやら結構飲んでいるみたいだ。
「じゃあ。早く寝ろ。」
 柊さんはそう言ってアパートの階段を下りていった。しかし葵さんはその場に残ったままだった。
「葵さんは行かないんですか?」
「柊はこのあと用事があるんですよ。私はあなたのお母さんから頼まれてましたから。」
「え?」
「ちゃんと寝ているか、ラジオなんか聞いていないで早く寝ろとね。」
「……そんなことまで言ったんですか。母は。恥ずかしい。」
「子守歌は?」
「必要ないので、大丈夫です。ラジオが子守歌になりますよ。」
 すると葵さんはいつも以上に笑顔になり、私を押し退けて、部屋に上がり込んだ。
「葵さん?」
「君の部屋は?」
「あ……そっちですけど……ちょ……何しているんですか。」
 葵さんは私の部屋のドアを開けると、そこを見渡した。そして一抱えできるくらいのいつも聞いているCDラジオのコンセントを抜いた。
「葵さん。」
「無ければ聞きませんよ。そう思いませんか。」
「そうですけど……でも持って行くんですか?」
 すると彼はそれを棚にまた置き、私をみる。
「だったら、一つ選択肢を与えます。」
 選択肢と言ったときの、葵さんをよく知っている。自分の条件を言い聞かせるために、一番不利な条件を出すから。
「何ですか。」
「これをここに置いておく代わりに、あなたはベッドに今すぐ入る。」
 あっけない選択肢だ。らしくない。そんなことでいいのかなぁ。
「入らなければ?」
「没収します。体調が良くなるまで、うちで保管してますからね。」
 うーん。今日は仕方ないかなぁ。椿さんの放送は聞けないな。私はそう思いながら、ベッドに横になった。すると葵さんは満足そうに、微笑んでベッドに近づき腰掛け、本を手にした。
「本も片づけましょうね。」
「……本も?」
「あなたはあなたの限度がまだわからないようですね。だから倒れたりするんですよ。心配してるんです。あなたの母親も、私も……。それから、柊も。」
「……今日柊さんにはお世話になってしまったんです。」
「聞きました。珍しいと思いましたよ。あいつは女嫌いなので。」
 女嫌い?じゃあ何で抱きしめたりしたの?わからない。
「葵さん。あの……。」
「ダメですよ。柊に心を奪われてはいけません。」
「何も言ってませんけど。」
「そうなる前に釘を差したんです。ろくな事にはならないと思うので。」
「……。」
 でも私はまだ思いだしている。彼が抱きしめたその感触と温もりを。がっちりした男の体。煙草と汗の臭い。初めてだった。
「入れ墨を入れるような男です。一歩間違えれば極道になってもおかしくなかった。」
「でも……今日の話じゃ……葵さんも。」
「私が?何か言ったんですか。」
「……いいえ。何も。」
「誤魔化さないでください。あいつが何か言いましたか。」
「何も……。」
「桜さん。」
 彼はそう言って私の頬に手を触れてきた。温かい手だった。そして彼は私が寝ているベッドに体を寄せて来る。
 手はやがて首元に下がり、顎の下に指を置かれた。そうすれば、顔を動かせない。
「……何?」
 そのとき私は初めて恐怖を感じた。葵さんの笑顔が近づいてくるのが怖いと思ったのだ。
「言ってください。じゃないとこのまま進みます。」
「やめてください。」
「言って。桜。」
 私はその唇が近づいてくる直前に、言ってしまった。
「葵さんの体のどこかに、入れ墨が……。」
「私の?」
「えぇ。それだけです。だから、やめてください。」
 すると顎を押さえていたその指が外れた。そして枕の横に今度は手を置かれた。
「確かめますか。私の体のどこに入れ墨があるか。」
「確かめなくてもいいです。」
 すると彼は一瞬真顔になった。そしてまた笑顔になる。
「桜さん。こっちを向いて。」
 手を外されて、彼はベッドから起きあがった。私もこれ以上は自由を奪われると思って、上半身だけとりあえず起こした。はー。どきどきする。
 こんな事って大人なら普通なんだろうな。特に酒が入ってるし。
「あなたにはこんな姿を見られたくはなかったのですがね。」
 そう言って彼は上着のシャツのボタンを外した。右の肩。肩胛骨の上のあたりに、入れ墨があった。それは椿の枝と赤い花。柊さんと同じものだった。
「同じですね。柊さんと。」
「あいつのも見ましたか。」
「えぇ。見せてくれたんです。」
「……こう言うときだけ……。」
 うつむいて何かつぶやいた。
「何を?」
「桜さん。やっぱり、あなたを……。」
 何が起きたのかわからなかった。葵さんは私の後ろ頭に手を置くと、そのまま顔を近づけてきた。
「やっ!」
 ベッドの端まで逃げて、それを拒否しようとした。だけど無理だった。部屋にあがった時点で、それは無理だったのかもしれない。
 最初は唇が触れるだけだった。なのにそれはどんどんと深くなる。唇を割り、舌を絡ませてきた。初めての経験。
 その口内からは、酒の臭いがしてクラクラする。
「甘い。甘い匂いがしますね。」
 唇を離すと、葵さんは私を少し抱きしめてそのまま体を離した。
 柊さんとは違う男の体の感触だった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

憧れの先輩とイケナイ状況に!?

暗黒神ゼブラ
恋愛
今日私は憧れの先輩とご飯を食べに行くことになっちゃった!?

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

ドSでキュートな後輩においしくいただかれちゃいました!?

春音優月
恋愛
いつも失敗ばかりの美優は、少し前まで同じ部署だった四つ年下のドSな後輩のことが苦手だった。いつも辛辣なことばかり言われるし、なんだか完璧過ぎて隙がないし、後輩なのに美優よりも早く出世しそうだったから。 しかし、そんなドSな後輩が美優の仕事を手伝うために自宅にくることになり、さらにはずっと好きだったと告白されて———。 美優は彼のことを恋愛対象として見たことは一度もなかったはずなのに、意外とキュートな一面のある後輩になんだか絆されてしまって……? 2021.08.13

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

教え子に手を出した塾講師の話

神谷 愛
恋愛
バイトしている塾に通い始めた女生徒の担任になった私は授業をし、その中で一線を越えてしまう話

処理中です...