夜の声

神崎

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一年目

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 私たちが住んでいるところは、工場が建ち並んでいて夜でも明るく星一つ見えない。だけどそんな空に響く声がある。

”今晩は。今夜もあなたが眠りにつくまでおつき合いいただきます。「深夜の集い」。お相手は椿です。”

 深夜十一時から始まる地元のローカルラジオ番組。深く響く男性の声は、お腹の底に響くようなバリトンの声。それがとても心地よくて、眠る前についつい聴いてしまうのだ。
 ラジオなんか聴かないよ。といっていた友達にはいえない。だけど私の唯一の心の安らぎ。
 どんな人が話しているのだろう。気にはなるけれど、今はこの声と椿さんがチョイスしたこの音楽に酔いしれよう。

 眠りから覚めて、顔を洗う。そして髪を結び、制服を着る。チェックのスカート、白いシャツ。紺色のブレザー。紺色のベスト。胸元にはスカートと同じ柄のリボン。それが女子高生の制服らしい。
 身支度を整えると、キッチンへ向かう。夕べ用意しておいただしを元に味噌汁や卵焼きを作った。そして弁当も用意する。
「おはよー。」
 私が出てきた部屋の向かいには、母の部屋がある。まるで裸のような格好で、彼女は出てくるのだ。飛び出てきそうな大きな胸に納まっているブラはDカップだと自慢していたのを聞いたことがある。
「夕べ遅かったの?すごい酒の匂いがする。」
「んー。アフターつきあってさぁ。三十代前半には見えませんねぇーなんて言われたから、ついつい飲み過ぎちゃった。」
 確かに若いかもしれない。十五の時に私を産んだ母は、まだ三十二。若い頃は苦労したみたいだけど、今は奔放に生きていて、それで生活は何とかなっている。
「ご飯は?」
「あー用意しておいて。あとで食べるから。」
 ソファでまたごろんと横になる。ベッドから起きてきたのが全く意味がなさそうだ。

 公立の高校。一応進学校で、でも科によっては就職コースを選ぶ人も多い。
 二年生の私は二年生になった時点で「就職」か「進学」かを選ばなければいけなかった。何となくそれが自分の一生を決めるのだと言われるような感じがして嫌だった。
 でもそんなときもラジオの向こうの椿さんが言っていた。

”やり直しの出来ない人生はありません。後悔することがあっても修正は聞くものです。まずは一歩。前に進みましょう。”

 そのあとドスの利いたフォークシンガーの曲が流れた。
 そうだ。どっちを選んでもあとで何とかなるのかもしれない。私は、「就職」のコースに丸をつけた。
 教室にはいると、騒がしい声がする。誰かが騒いで、誰かがふざけて、騒いでいる声だった。
「おはよー。桜。」
 友人の一人、向日葵が声をかけてきた。
「おはよう。」
「ねー。桜ぁ。今日の一現英文じゃん。訳のノート見せてくんない?」
「また忘れたの?」
「てへ。」
 そういって向日葵は少し舌を出した。可愛い向日葵はそうやっていつも特をする。そんな気がした。
「はい。」
「サンキュー。」
 そのとき教室の入り口から、一人の男子が入ってきた。ほっぺたに大きな絆創膏、腕には包帯がしてある長髪の男子。
「またやられたんだね。竹彦君。」
「……飽きないよねぇ。」
 あきれたように私はそちらを見た。竹彦君は背が低くて、私くらいしかない。まるで十七にもなるのに第二次成長がまだ来ていない男の子のようだと思った。
 声も高くて、髭も少ない。長髪にして眼鏡をかけているのが、とても根暗に見える。それがほかの男子にはいらっとさせるのかもしれない。ふざけているように見えて、おふざけに見えないいじめをしているのを何度も見た。
 たぶん今日の顔の絆創膏も、左手の包帯も、きっと男子がしたモノなのだろう。
 何で言い返さないんだろう。腕があるのに。足があるのに。口があるのに。殴り返すことも、蹴り飛ばすことも、言い返すことも出来るのだろうに。
「桜。終わった。」
「あ、うん。」
「ねぇ。今日さ、響子たちと帰りに駅前のカフェに行こうって言ってんだけど。」
「あぁ。なんか話題になってたね。イケメン店員がいるとか。」
「桜も行こうよ。」
「ごめん。今日バイトだわ。」
「マジで?いっつも行けないよねぇ。」
「んー。悪いねぇ。」
 へらへらと笑い、担任が来たのを見て私たちは席に着いた。担任は、伝達事項を伝えて去っていく。
「……。」
 外を見ると天気のいい日だ。一現目が体育の生徒が外に出て行くのが見える。春の日差しは、風がなければ体をぽかぽかさせる。
 生徒の向こうに用務員さんが二人。背の高い男と、おじいさん。まるでおじいさんと孫のようだ。
 そのとき耳をつんざくような男子の声が聞こえた。
「竹彦!お前マジで毛ぇ生えてねぇじゃん。足の毛つるつる!」
「マジで?下も?」
 またか。面倒だな。本人たちがなんか楽しいのかもしれないけど、聞いてる私たちは迷惑なんだけどな。
「桜。どこ行くの?」
 前に座っていた向日葵が、私に声をかける。
「うるさいんだよね。」
「関わんない方がいいんじゃない?ねぇ。桜ぁ。」
 向日葵が止めるのを聞かないで、私はそちらに向かう。入り口のところで騒いでいた男たちの前に立った。
「何だよ。桜。クラス委員だから、止めに来たの?真面目ー。」
「ははっ!」
 見下ろす私は、じっと竹彦を見ていた。あれ?この人。こんな人だっけ?
「桜ぁ。行こうよぉ。」
 後ろから向日葵が声をかけてきた。
「いいね。体毛が少ないの。うらやましいわぁ。ねぇ。脱毛する手間が省けるしぃ。」
 そして私はその男たちをみる。
「体毛濃いのって、シャンプー使うの?それとも石鹸?どっちにしても泡立ち良さそうね。獣みたい。」
 そして私は廊下にでる。その後ろを向日葵がついてきた。すると後ろ手で閉めた教室がどっと笑いが起きた声が聞こえる。
「かっこいいねぇ。桜。匠君にそんなこといえるなんて。」
「何を?」
「体毛の話。」
「あぁ。普通の事じゃない。というか、疑問に思わない?」
「え?」
「体毛が濃い人って、何使うのかしら。絡まったりしないのかしらね。」
「猫じゃないんだから……。」
 そのとき向こうから用務員の男がこちらに向かって歩いてきていた。背の高い男だった。
「柊。悪いね。背が足りなくて。」
 彼の前を歩くおじいさん用務員さんは、柊と呼んだ男をどこかに連れて行っているみたいだった。
「いいえ。大丈夫です。」
 その声。
 思わず私は振り返ってしまった。ずっと聞いていたあの声の人のようだったから。
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