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ライブ
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事務所を出た一馬は、そのまま駅へ向かうと電車に乗って指定された音楽スタジオへ向かう。このスタジオは有名歌手の自宅兼、スタジオになっていて、ライブの練習はもちろん、録音も出来るらしい。高級住宅街にある広い土地で金が相当かかっているのは一馬でもわかる。
玄関からエントランスに入るとその歌手のポスターや写真、何かの音楽賞をもらったトロフィーや盾が恭しく飾られている。元々この歌手はバンドで活躍していたが、ソロになってもその勢いは止まらずに六十代になってもその熱狂的なファンは多い。当然、スタジオミュージシャンも自分の気心をしれた人を指名すると思っていたのだが、今回はそうは言っていられないらしい。
地下に案内されたスタジオに入ると、まるでどこかの音楽スタジオのようなスペースが広がり、ドラムやギターだけではなく管楽器を扱っている人もいる。一馬にはなじみ深いモノだ。吹奏楽をしていたこともあったので、どんな練習をしているのかもわかるがその頃のレベルとは段違いだと言うことはウォーミングアップだけでもわかった。
一馬も片隅で楽器を取り出していると、歌手がやってくる。細身だが割と小さい男だ。昔はリーゼントにしていたようだが、今は年相応にショートカットにしている。そしてその置くには男の妻がいた。男が六十代だとしても、まるで子供か孫といって良いほど歳の離れた妻だと思う。恐らく一馬と同じくらいの歳だろう。
プロデューサーと話をしたあと、男は一馬を見つけて近づいてくる。
「花岡君?」
「はい。花岡一馬と言います。今回はよろしくお願いします。」
「元々ジャズだと言っていたが、この間のライブの映像を見てね。ロックも弾けると思って呼んだのだが、どうだろうか。俺の曲は聴いたことは?」
正直、知識として聴いたこともあるが、こんなにがっつりと聴いたのは初めてだったかもしれない。ロックの音楽だが、隙の無い音楽で繊細だと思う。
「あります。有名な曲も入っていて、大学の時に演奏をしたこともありますね。」
「大学はジャズ研だったのに?」
そんなことも知っていたのか。だが一馬のことを調べるのはたやすいだろう。その知識なのかもしれない。
「たまに仲間内から、声がかかることもあって学祭なんかで弾くこともありましたね。何年前か……。」
「君が大学生の頃だからそんなに前じゃないだろう?うちの妻とあまり歳は変わらないようだし。」
妻ではなければ風俗嬢のような女だ。男が多いこのスタジオの中でも大きく胸元が開いたシャツを着ていて、その胸がこぼれ落ちそうに見える。口元のほくろが更に色っぽいと思った。
「できる限り、やらせていただきます。」
「頼もしいね。」
一馬をここへ呼んだのは、元々ずっとベースを弾いていた男が病気になり入院を余儀なくされたらしいのだ。その代打だと言うことなのだろうが、一馬にとっては良いチャンスかもしれない。
それにあのライブは良い意味でも一馬の仕事の幅を広げてくれたのだろう。
歌を居れる前に演奏を聴く。プロデューサーと歌手。そして妻がそれに寄り添うようにその演奏を聴いていた。ライブでは二十曲ほど演奏をする。中には管楽器を使わずに、ピアノとドラム、そしてベースだけの演奏もあった。こういう音楽が一番緊張する。あくまで主役は歌手であり、ベースはしゃしゃり出てはいけない。だが出なければ寂しい音楽になるのだ。その存在感のさじ加減は難しいだろう。
数時間ほど練習をしたうち、歌手が歌ったのは数曲だけ。ほとんど様子見の練習だったのだろう。その中で一馬はどのように評価されたのかはわからない。
いないから仕方なく呼ぶのか。それともまた来て欲しいと思ったのかはわからないのだから。
「花岡君。」
歌手から声をかけられる。その後ろには件の妻がいた。
「はい。」
「そのベースはいつも使っているモノかな。」
「そうです。」
「例の……「薊」では、弦バスを使えないだろうか。」
ロックだからと思ってダブルベースを持ってこなかったのだ。だが「薊」という曲はピアノ、ドラム、ベースとボーカルだけの静かな曲だ。確かにそちらの方が良いかもしれない。
「わかりました。来週は持ってきます。」
「頼んだよ。」
その言葉で、次も使ってもらえると思った。一馬は心の中でガッツポーズをする。プロデューサーの側へ行った歌手を尻目に、妻が一馬に声をかけた。
「花岡さん?」
「はい。」
「お久しぶりですね。」
久しぶりだと言われて、一馬は改めてその妻を見る。そして思い出した。
「貴理子さん?」
すると妻は少し笑う。それは大学の時にいたジャズ研の先輩だったのだ。懐かしい顔だと思う。
「活躍は知っていたんだけど、まさかうちの人のバックを弾くくらい大きくなるなんてね。」
「運が良かったんです。あのライブのおかげでしょうか。」
「そうみたいね。あの人、何度もあの映像を見ていて。こういうアレンジがしたいとか、こういう音楽がしたいとか、あのボーカルの声も好きみたいで。」
「栗山さんですか?伝えておきます。」
栗山が聴いたら喜ぶだろう。だがあの日以来、栗山はもちろん他のメンバーにも会うことは無かった。まだキーボードの選定が出来ていないのだろう。
「花岡さんは大学の時は自宅から大学へ通っていたでしょう?」
「はい。」
「その頃とお住まいは変わらないのかしら。」
「いいえ。引っ越しました。さすがに時間も不規則だし。」
「女性と住んでいるとか?」
「そんなことは無いんですけど。」
さすがにここで響子の事を話すわけにはいかない。この貴理子という女性には特に警戒しないといけないのだ。
なんせ、ジャズ研に入っている男は一部を除いてみんな穴兄弟になったという噂もある。それくらい男をとっかえひっかえしていた女なのだ。もちろん、一馬がお世話になることはなかったが、おそらく天草裕太だったら世話になっているのかもしれない。表立って言うことではないが。
「今度、また遊びに来て欲しいわ。懐かしい話をしながら、お酒でも飲まない?」
「いいえ。今は忙しくて。酒もずっと飲んでないんです。」
「まぁ……。大学の飲み会で、みんなが潰れているのに平気な顔をして酒瓶を空けていたのに?」
「酒豪みたいに言わないでくださいよ。」
笑うと更に美人だ。だが響子には適わない。どんな女よりも一馬にとっては響子が良いのだから。
「貴理子。」
歌手が貴理子を呼ぶ。その声に貴理子は少し笑って、その歌手の方へ戻っていった。その後ろ姿を見て心の中でため息をつく。
あぁいう女は苦手だ。音楽が好きでジャズ研に入ったのではなく、音楽をしている男が好きでジャズ研に入ったような女。多少ピアノなんかは弾けたようだが、バンドを組んでも練習をしないでセックスをしているような女なのだから。
おそらく歌手だってそういう女が好きなのだろう。一歩間違えればAV女優にでもなるような女が。
「花岡さん。気に入られたね。奥さんに。」
ギターの男がそう言ってからかうように一馬に言う。
「奥さんよりも、加藤さんに気に入られたいですね。」
「一回くらいだったら加藤さんも目をつぶるよ。やってあげたら良いのに。」
すると一馬は首を横に振る。恐らく一馬の噂を知っていて言っているのだ。絶倫で、気絶するまで女を責めあげると。
実際の一馬はそんな男ではない。響子しか見たくない、ただ一途な男なのだ。ぶれない姿勢は音楽にも通じる。
そう思いながら一馬はケースに入れたベースを背負った。そしてバンドのメンバーがスタジオを出て行くのを見て、一馬もそれに習ってスタジオをあとにする。
家を出ると外はもう真っ暗になっていた。「clover」はもう閉まっているだろう。今日こそ、コーヒーを飲みたいと思っていたのだが今日も無理だった。
ポケットから携帯電話を取りだして、メッセージをチェックする。すると響子からのメッセージが入っていて、今日の食事は用意していないのだという。圭太や功太郎と居酒屋へ行くとメッセージが入っている。そして時間が合えば一馬にも来て欲しいとその店へのリンク先が載っていた。
開くとそこはK町にある最近出来たダイニング風の居酒屋だった。まだ飲んでいるのだろうか。そう思いながら、一馬はメッセージを送る。
玄関からエントランスに入るとその歌手のポスターや写真、何かの音楽賞をもらったトロフィーや盾が恭しく飾られている。元々この歌手はバンドで活躍していたが、ソロになってもその勢いは止まらずに六十代になってもその熱狂的なファンは多い。当然、スタジオミュージシャンも自分の気心をしれた人を指名すると思っていたのだが、今回はそうは言っていられないらしい。
地下に案内されたスタジオに入ると、まるでどこかの音楽スタジオのようなスペースが広がり、ドラムやギターだけではなく管楽器を扱っている人もいる。一馬にはなじみ深いモノだ。吹奏楽をしていたこともあったので、どんな練習をしているのかもわかるがその頃のレベルとは段違いだと言うことはウォーミングアップだけでもわかった。
一馬も片隅で楽器を取り出していると、歌手がやってくる。細身だが割と小さい男だ。昔はリーゼントにしていたようだが、今は年相応にショートカットにしている。そしてその置くには男の妻がいた。男が六十代だとしても、まるで子供か孫といって良いほど歳の離れた妻だと思う。恐らく一馬と同じくらいの歳だろう。
プロデューサーと話をしたあと、男は一馬を見つけて近づいてくる。
「花岡君?」
「はい。花岡一馬と言います。今回はよろしくお願いします。」
「元々ジャズだと言っていたが、この間のライブの映像を見てね。ロックも弾けると思って呼んだのだが、どうだろうか。俺の曲は聴いたことは?」
正直、知識として聴いたこともあるが、こんなにがっつりと聴いたのは初めてだったかもしれない。ロックの音楽だが、隙の無い音楽で繊細だと思う。
「あります。有名な曲も入っていて、大学の時に演奏をしたこともありますね。」
「大学はジャズ研だったのに?」
そんなことも知っていたのか。だが一馬のことを調べるのはたやすいだろう。その知識なのかもしれない。
「たまに仲間内から、声がかかることもあって学祭なんかで弾くこともありましたね。何年前か……。」
「君が大学生の頃だからそんなに前じゃないだろう?うちの妻とあまり歳は変わらないようだし。」
妻ではなければ風俗嬢のような女だ。男が多いこのスタジオの中でも大きく胸元が開いたシャツを着ていて、その胸がこぼれ落ちそうに見える。口元のほくろが更に色っぽいと思った。
「できる限り、やらせていただきます。」
「頼もしいね。」
一馬をここへ呼んだのは、元々ずっとベースを弾いていた男が病気になり入院を余儀なくされたらしいのだ。その代打だと言うことなのだろうが、一馬にとっては良いチャンスかもしれない。
それにあのライブは良い意味でも一馬の仕事の幅を広げてくれたのだろう。
歌を居れる前に演奏を聴く。プロデューサーと歌手。そして妻がそれに寄り添うようにその演奏を聴いていた。ライブでは二十曲ほど演奏をする。中には管楽器を使わずに、ピアノとドラム、そしてベースだけの演奏もあった。こういう音楽が一番緊張する。あくまで主役は歌手であり、ベースはしゃしゃり出てはいけない。だが出なければ寂しい音楽になるのだ。その存在感のさじ加減は難しいだろう。
数時間ほど練習をしたうち、歌手が歌ったのは数曲だけ。ほとんど様子見の練習だったのだろう。その中で一馬はどのように評価されたのかはわからない。
いないから仕方なく呼ぶのか。それともまた来て欲しいと思ったのかはわからないのだから。
「花岡君。」
歌手から声をかけられる。その後ろには件の妻がいた。
「はい。」
「そのベースはいつも使っているモノかな。」
「そうです。」
「例の……「薊」では、弦バスを使えないだろうか。」
ロックだからと思ってダブルベースを持ってこなかったのだ。だが「薊」という曲はピアノ、ドラム、ベースとボーカルだけの静かな曲だ。確かにそちらの方が良いかもしれない。
「わかりました。来週は持ってきます。」
「頼んだよ。」
その言葉で、次も使ってもらえると思った。一馬は心の中でガッツポーズをする。プロデューサーの側へ行った歌手を尻目に、妻が一馬に声をかけた。
「花岡さん?」
「はい。」
「お久しぶりですね。」
久しぶりだと言われて、一馬は改めてその妻を見る。そして思い出した。
「貴理子さん?」
すると妻は少し笑う。それは大学の時にいたジャズ研の先輩だったのだ。懐かしい顔だと思う。
「活躍は知っていたんだけど、まさかうちの人のバックを弾くくらい大きくなるなんてね。」
「運が良かったんです。あのライブのおかげでしょうか。」
「そうみたいね。あの人、何度もあの映像を見ていて。こういうアレンジがしたいとか、こういう音楽がしたいとか、あのボーカルの声も好きみたいで。」
「栗山さんですか?伝えておきます。」
栗山が聴いたら喜ぶだろう。だがあの日以来、栗山はもちろん他のメンバーにも会うことは無かった。まだキーボードの選定が出来ていないのだろう。
「花岡さんは大学の時は自宅から大学へ通っていたでしょう?」
「はい。」
「その頃とお住まいは変わらないのかしら。」
「いいえ。引っ越しました。さすがに時間も不規則だし。」
「女性と住んでいるとか?」
「そんなことは無いんですけど。」
さすがにここで響子の事を話すわけにはいかない。この貴理子という女性には特に警戒しないといけないのだ。
なんせ、ジャズ研に入っている男は一部を除いてみんな穴兄弟になったという噂もある。それくらい男をとっかえひっかえしていた女なのだ。もちろん、一馬がお世話になることはなかったが、おそらく天草裕太だったら世話になっているのかもしれない。表立って言うことではないが。
「今度、また遊びに来て欲しいわ。懐かしい話をしながら、お酒でも飲まない?」
「いいえ。今は忙しくて。酒もずっと飲んでないんです。」
「まぁ……。大学の飲み会で、みんなが潰れているのに平気な顔をして酒瓶を空けていたのに?」
「酒豪みたいに言わないでくださいよ。」
笑うと更に美人だ。だが響子には適わない。どんな女よりも一馬にとっては響子が良いのだから。
「貴理子。」
歌手が貴理子を呼ぶ。その声に貴理子は少し笑って、その歌手の方へ戻っていった。その後ろ姿を見て心の中でため息をつく。
あぁいう女は苦手だ。音楽が好きでジャズ研に入ったのではなく、音楽をしている男が好きでジャズ研に入ったような女。多少ピアノなんかは弾けたようだが、バンドを組んでも練習をしないでセックスをしているような女なのだから。
おそらく歌手だってそういう女が好きなのだろう。一歩間違えればAV女優にでもなるような女が。
「花岡さん。気に入られたね。奥さんに。」
ギターの男がそう言ってからかうように一馬に言う。
「奥さんよりも、加藤さんに気に入られたいですね。」
「一回くらいだったら加藤さんも目をつぶるよ。やってあげたら良いのに。」
すると一馬は首を横に振る。恐らく一馬の噂を知っていて言っているのだ。絶倫で、気絶するまで女を責めあげると。
実際の一馬はそんな男ではない。響子しか見たくない、ただ一途な男なのだ。ぶれない姿勢は音楽にも通じる。
そう思いながら一馬はケースに入れたベースを背負った。そしてバンドのメンバーがスタジオを出て行くのを見て、一馬もそれに習ってスタジオをあとにする。
家を出ると外はもう真っ暗になっていた。「clover」はもう閉まっているだろう。今日こそ、コーヒーを飲みたいと思っていたのだが今日も無理だった。
ポケットから携帯電話を取りだして、メッセージをチェックする。すると響子からのメッセージが入っていて、今日の食事は用意していないのだという。圭太や功太郎と居酒屋へ行くとメッセージが入っている。そして時間が合えば一馬にも来て欲しいとその店へのリンク先が載っていた。
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