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墓園と植物園
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いつものスタジオとは違い、会社が用意をしてくれたスタジオへ向かう。それは会社がレコーディングなどをするときに使うもので、他にも撮影スタジオなんかも併設されている。もちろん民間の貸しスタジオとは違い、その設備もぐっと良くなっている。アンプ一つ、スピーカー一つ取っても値段が全く違うのだ。
そこを貸してくれたのは一馬がバンド結成に前向きだからだろう。数あるバンドを紹介してやっと落ち着いてもらえたと思ってたらしい。
スタジオの場所を確認して、階段を上がる。そしてそのスタジオのドアを開いた。防音が効いているスタジオで大きなドアが二重になっている。一つ目のドアを開けると、ギターの音とドラムの音がした。どうやら先に来ているらしい。プロデューサーである三倉菜々子はいるのだろうか。そう思いながらもう一つのドアを開ける。するとやはりレコーディングスタジオのように機械とノートパソコンを置いた手前の部屋には三倉菜々子がいて、仕切られているガラスの向こうにはドラムとギターの男がすでに練習をしていた。
「花岡さん。」
「どうも。もうあと一週間くらいですかね。」
「えぇ。精度を上げていきましょうね。もう少ししたら栗山さんも来るみたいだわ。」
「キーボードの不破さんは?」
「不破さんね。ちょっと事情があって、今回は見送られたのよ。」
「事情?」
「……奥様が倒れたの。そういうことにしておいて。」
そういうことにしておいてと言うのは、何か違う事情があるのだろう。だがそれは表立って言えることでは無いらしい。そういうことは黙って一馬も詳しくは聞かない。ただバンドのことであれば、事情は違う。他のキーボードの手配はすんでいるのだろうか。今からしようとしている音楽は、キーボードが居ないと話にならないのだから。
「他のキーボードは?」
「手配済み。もう少ししたら来るって言ってたけどね。まぁ……ちょっとレッスンとかぶってしまったから、遅れるとは言っていたけど。」
その時、スタジオの扉が開いた。そして現れたのは栗山だった。相変わらずこの男も雑誌から抜け出したような格好をしている。
「すいません。遅れてしまって。」
「良いわ。さっき花岡さんも来たの。」
「キーボードの手配って終わりました?」
「えぇ。牧野さん。」
牧野加奈子のことだろうか。少しその名前に動揺した。しばらく会っていなかったが、またこういう形で再会すると思ってなかったのだ。
「牧野さんね。あの人元々ピアノだからちょっとなぁ。」
やはりピアニストの牧野加奈子だろう。そう思いながらベースをケースから取り出していた。
「あら?そうかしら。花岡さんは会ったことは?」
「何度かレコーディングを一緒にしたことはあります。」
「どういう印象?」
どういう印象と聞かれて、一馬は首をひねる。やたらすり寄ってきて、うっとうしい。そんな印象しか無かった。そして圭太の見合い相手で、それを断ったという。そして家はヤクザの一家。あまり関わらない方が良いと思う。
「一緒にバンドは出来ないと思います。」
「そんなに癖はあるかしら。音は素直だと思うんだけどね。牧野さんが来てくれるなら少しアレンジを変えようかとも思っていたし。」
「今更?」
栗山はそう言って苦笑いをする。もう一週間くらいしかないのだ。今更アレンジを変えるなどと言えば、歌はともかく演奏する方は戸惑うだろう。
「多分、バンドを組めば困ったことになると思います。」
「困ったこと?」
「詳しくは言えません。本人に聞いてください。」
ベースを取り出し、ピックを選定すると一馬は演奏ブースへ行こうとした。その時、栗山が一馬の背中に声をかける。
「花岡さん。」
栗山も背伸びをしながらマイクを持っていこうとして、一馬に声をかけたのだ。
「どうしました?」
「今日、「clover」の人に会って。」
「「clover」?」
三倉は不思議そうにその屋号を聞いている。だが思い出した。何度か一馬と一緒に仕事をしたとき、一馬がたまに持ってきていた美味しいケーキ屋の屋号だったから。
「あぁ。あの美味しいケーキの?あたし、店に行こうとずっと思ってたんだけどなかなか行けてないわ。」
「花岡さん。あそこのコーヒーが好きなんでしょう?俺、昼頃にあの女性バリスタと会ったんです。」
「……響子……さんと?」
外ではさん付けをする。だがそれも忘れそうになっていた。慌ててさんを付けたが、気づかれなかっただろうか。
「Aの墓園に居ましたよ。」
手を合わせて泣いていたように思える。その横顔を見て少しドキッとした。女性でバリスタなのだ。普段は舐められないようにしているのかもしれないが、プライドが高そうでそういう自分に持って行こうとしているのが見えた。
だがあのときの響子は違う。店でのその姿は、自分が作り上げた虚像で本当は酷くもろい人なんだと思える。思わず支えてあげたくなった。
「……あなたも「古時計」に行っていたんだろう?」
「えぇ。」
「その時にいたマスターがそこで眠っている。そのマスターは響子さんのお祖父さんだからな。」
「えぇ。聞きました。だから俺も手を合わせてきたんです。」
図々しい男だ。あの場に自分では無くこの男がいたというのに、響子は黙って手を合わせるのを見ていたのだろうか。それを響子も許したというのか。
「Aの方には栗山さんのお母様が眠っているのよね。」
そこ言葉に栗山は少し頷いた。
「……まぁ……父親も兄夫婦も俺には手を合わせないで欲しいと言われましたけど、なんだかんだ言っても親だし。命日をずらして一人で行ってますよ。」
「それに喜ばない親は居ないわ。どんな酷いことをしても、やっぱり子供なんだしね。あたしには一生出来そうに無いけど。」
その時、スタジオのドアが開いた。そしてそこに現れたのはやはり牧野加奈子だった。
「ここで合ってますかね……。あぁ。花岡さん。」
「どうも……。」
素っ気なく一馬は演奏ブースへ向かう。だが頭の中では混乱していた。
誰にもつれていきたくないと言っていたその場所に栗山が同席した。真二郎も夏子も連れて行きたくない。響子が弱い自分を見せる唯一の場所だから。夏子はそう言っていたのに、栗山は連れてきたのだ。確かに不可抗力かもしれない。だが手まで合わせたのだという。気持ちが良いわけが無い。
響子は恋人なのだ。そう言いたいのにまだ言えない。堂々と表に出て手を繋ぐことも出来ないのだ。コレで恋人と言えるのだろうか。
ベースのチューニングをしながら、モヤモヤとしている。その時、ビン!という音で我に返った。
「あ……。」
弦が切れている。その様子にギターの男が少し笑って言った。
「ベースの弦は高いよな。ギターと違って。」
「……そうですね。でも予備があるから、すぐに付け替えます。」
こういうこともあると思って用意していたのだ。再びケースが置いてある録音ブースへ向かい、ケースのポケットから弦の予備を取り出した。
「花岡さん。」
加奈子が声をかける。それに一馬は見上げると、少し首を下げた。
「今回はお世話になります。」
「えぇ。ハードロックなんて久しぶりで、大丈夫かと思いましたけどね。」
「自信が無ければ結構。他を当たりますから。」
一馬にしては厳しい言葉だ。弦だけを持って一馬はまた録音ブースへ向かう。その様子に三倉と加奈子は肩をすくませた。
そこを貸してくれたのは一馬がバンド結成に前向きだからだろう。数あるバンドを紹介してやっと落ち着いてもらえたと思ってたらしい。
スタジオの場所を確認して、階段を上がる。そしてそのスタジオのドアを開いた。防音が効いているスタジオで大きなドアが二重になっている。一つ目のドアを開けると、ギターの音とドラムの音がした。どうやら先に来ているらしい。プロデューサーである三倉菜々子はいるのだろうか。そう思いながらもう一つのドアを開ける。するとやはりレコーディングスタジオのように機械とノートパソコンを置いた手前の部屋には三倉菜々子がいて、仕切られているガラスの向こうにはドラムとギターの男がすでに練習をしていた。
「花岡さん。」
「どうも。もうあと一週間くらいですかね。」
「えぇ。精度を上げていきましょうね。もう少ししたら栗山さんも来るみたいだわ。」
「キーボードの不破さんは?」
「不破さんね。ちょっと事情があって、今回は見送られたのよ。」
「事情?」
「……奥様が倒れたの。そういうことにしておいて。」
そういうことにしておいてと言うのは、何か違う事情があるのだろう。だがそれは表立って言えることでは無いらしい。そういうことは黙って一馬も詳しくは聞かない。ただバンドのことであれば、事情は違う。他のキーボードの手配はすんでいるのだろうか。今からしようとしている音楽は、キーボードが居ないと話にならないのだから。
「他のキーボードは?」
「手配済み。もう少ししたら来るって言ってたけどね。まぁ……ちょっとレッスンとかぶってしまったから、遅れるとは言っていたけど。」
その時、スタジオの扉が開いた。そして現れたのは栗山だった。相変わらずこの男も雑誌から抜け出したような格好をしている。
「すいません。遅れてしまって。」
「良いわ。さっき花岡さんも来たの。」
「キーボードの手配って終わりました?」
「えぇ。牧野さん。」
牧野加奈子のことだろうか。少しその名前に動揺した。しばらく会っていなかったが、またこういう形で再会すると思ってなかったのだ。
「牧野さんね。あの人元々ピアノだからちょっとなぁ。」
やはりピアニストの牧野加奈子だろう。そう思いながらベースをケースから取り出していた。
「あら?そうかしら。花岡さんは会ったことは?」
「何度かレコーディングを一緒にしたことはあります。」
「どういう印象?」
どういう印象と聞かれて、一馬は首をひねる。やたらすり寄ってきて、うっとうしい。そんな印象しか無かった。そして圭太の見合い相手で、それを断ったという。そして家はヤクザの一家。あまり関わらない方が良いと思う。
「一緒にバンドは出来ないと思います。」
「そんなに癖はあるかしら。音は素直だと思うんだけどね。牧野さんが来てくれるなら少しアレンジを変えようかとも思っていたし。」
「今更?」
栗山はそう言って苦笑いをする。もう一週間くらいしかないのだ。今更アレンジを変えるなどと言えば、歌はともかく演奏する方は戸惑うだろう。
「多分、バンドを組めば困ったことになると思います。」
「困ったこと?」
「詳しくは言えません。本人に聞いてください。」
ベースを取り出し、ピックを選定すると一馬は演奏ブースへ行こうとした。その時、栗山が一馬の背中に声をかける。
「花岡さん。」
栗山も背伸びをしながらマイクを持っていこうとして、一馬に声をかけたのだ。
「どうしました?」
「今日、「clover」の人に会って。」
「「clover」?」
三倉は不思議そうにその屋号を聞いている。だが思い出した。何度か一馬と一緒に仕事をしたとき、一馬がたまに持ってきていた美味しいケーキ屋の屋号だったから。
「あぁ。あの美味しいケーキの?あたし、店に行こうとずっと思ってたんだけどなかなか行けてないわ。」
「花岡さん。あそこのコーヒーが好きなんでしょう?俺、昼頃にあの女性バリスタと会ったんです。」
「……響子……さんと?」
外ではさん付けをする。だがそれも忘れそうになっていた。慌ててさんを付けたが、気づかれなかっただろうか。
「Aの墓園に居ましたよ。」
手を合わせて泣いていたように思える。その横顔を見て少しドキッとした。女性でバリスタなのだ。普段は舐められないようにしているのかもしれないが、プライドが高そうでそういう自分に持って行こうとしているのが見えた。
だがあのときの響子は違う。店でのその姿は、自分が作り上げた虚像で本当は酷くもろい人なんだと思える。思わず支えてあげたくなった。
「……あなたも「古時計」に行っていたんだろう?」
「えぇ。」
「その時にいたマスターがそこで眠っている。そのマスターは響子さんのお祖父さんだからな。」
「えぇ。聞きました。だから俺も手を合わせてきたんです。」
図々しい男だ。あの場に自分では無くこの男がいたというのに、響子は黙って手を合わせるのを見ていたのだろうか。それを響子も許したというのか。
「Aの方には栗山さんのお母様が眠っているのよね。」
そこ言葉に栗山は少し頷いた。
「……まぁ……父親も兄夫婦も俺には手を合わせないで欲しいと言われましたけど、なんだかんだ言っても親だし。命日をずらして一人で行ってますよ。」
「それに喜ばない親は居ないわ。どんな酷いことをしても、やっぱり子供なんだしね。あたしには一生出来そうに無いけど。」
その時、スタジオのドアが開いた。そしてそこに現れたのはやはり牧野加奈子だった。
「ここで合ってますかね……。あぁ。花岡さん。」
「どうも……。」
素っ気なく一馬は演奏ブースへ向かう。だが頭の中では混乱していた。
誰にもつれていきたくないと言っていたその場所に栗山が同席した。真二郎も夏子も連れて行きたくない。響子が弱い自分を見せる唯一の場所だから。夏子はそう言っていたのに、栗山は連れてきたのだ。確かに不可抗力かもしれない。だが手まで合わせたのだという。気持ちが良いわけが無い。
響子は恋人なのだ。そう言いたいのにまだ言えない。堂々と表に出て手を繋ぐことも出来ないのだ。コレで恋人と言えるのだろうか。
ベースのチューニングをしながら、モヤモヤとしている。その時、ビン!という音で我に返った。
「あ……。」
弦が切れている。その様子にギターの男が少し笑って言った。
「ベースの弦は高いよな。ギターと違って。」
「……そうですね。でも予備があるから、すぐに付け替えます。」
こういうこともあると思って用意していたのだ。再びケースが置いてある録音ブースへ向かい、ケースのポケットから弦の予備を取り出した。
「花岡さん。」
加奈子が声をかける。それに一馬は見上げると、少し首を下げた。
「今回はお世話になります。」
「えぇ。ハードロックなんて久しぶりで、大丈夫かと思いましたけどね。」
「自信が無ければ結構。他を当たりますから。」
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