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墓園と植物園
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良い匂いがして目を覚ました。一馬はベッドから起き上がると、リビングへ向かう。するとキッチンには、響子がエプロンを巻いて何か作っているようだった。それを見て少し笑う。
「おはよう。」
「あら。もう起きたの?帰ってきたのは夜中だったのに。」
「十分だ。それにもう起きないといけなかったし。」
昼からレコーディングがある。そのあとバンドの練習に入り、今日も帰ってくるのはいつになるかわからない。飛び込みの仕事もあるからだ。
「何を作っているんだ。」
魚を揚げているようだ。上がったその魚をボウルに漬け込んでいる。そのボウルの中には細切りにしたにんじんと薄くスライスしたタマネギ。それに甘い酢の匂いがする。
「魚の南蛮。それからポテトサラダ。」
「美味そうだな。しかし結構量があるな。」
「持って行くから。」
「あぁ。そうだった。花見に行くんだと言っていたな。悪い。俺はいけないから……。」
「弥生さんが残念そうだったわ。」
「あぁ。小さいベーシストの女性だったな。俺の話はあまり参考になら無いと思うが。」
「体格の差で?」
「あぁ。それに手の大きさも違う。アドバイスは難しいだろうな。ん……このポテトサラダは、葉子さんから聞いたのか?」
作ってあるポテトサラダをスプーンですくって口に入れる。一馬にとっては懐かしい味がした。それは義理の姉である葉子が作ったものによく似ていたから。
「えぇ。作り方を教わったの。美味しく出来て良かった。今日の夜は食事が出来そう?」
「多分出来る。帰ってコレを食べたい。置いておいてくれないか?」
「そのつもりよ。だからこの量なんだから。」
花見に何人来るとか詳しい人数は聞いていない。だが量は結構ある。その一部を別のタッパーに入れると、冷蔵庫に冷やしておいた。
「あと汁物を作れば良いわね。今日のご飯は。」
「帰る楽しみが増えた。お前も夕方までには帰れるのか?」
「そうするつもりよ。」
「期待するからな。」
期待というのはどういう意味なのかわかる。思わず響子の頬が赤くなった。
車で植物園へ向かう。車を持っている圭太は、俊と弥生、瑞希、香を連れて行く。響子は真二郎と功太郎とともに電車に乗っていた。食事だけは圭太の車に乗せたらしい。
「結構近い所にあるんだよな。ここ。」
功太郎はそう言って地図をアプリで開いて、その道を見ていた。
「駅から徒歩で十五分か。そう言えば……。」
響子を見る。そして真二郎は少しため息をついた。
「ついでに寄っていく?」
「えぇ。そのつもりよ。駅前の花屋さんで花を買うわ。」
功太郎はその会話に響子の方を見る。
「寄る?花見の前にどっかへ行くのか?」
「近くに墓園があるの。」
「あぁ。桜の名所だよな。」
「そこに祖父が眠っているの。ちょっと寄っていくわ。」
「命日?」
「そうじゃないの。でも近くだから花くらい添えたいし……それにそのためにコレを持ってきたのよ。」
そう言って響子はバッグから水筒を取り出した。そこには今朝淹れたコーヒーが入っている。そうやって足繁く響子は墓参りをしていた。実の子供である母親でもそこまで通わないのに。
「付いていこうか?」
真二郎は気を使ってそう聞いた。だが響子は首を横に振る。
「いいえ。一人で行きたい。」
いつもそうだ。墓参りの時は真二郎も誰もついて来るのを響子は嫌がる。それは祖父の前でしか、響子は弱い自分を見せないからだ。
「……そうだったよね。わかった。俺らは先に植物園へ行っているよ。」
「お願いね。オーナーはもう着いているのかしら。」
「もう少しって言ってたな。それにしても植物園に入るのはただなのに、駐車料金は取るんだってさ。車で来ているヤツにはちょっと厳しいみたいだ。」
功太郎はそう言って少し笑う。
駅で二人といったん別れ、響子はいつもの花屋で祖父が好きだった花を買う。ピンクや赤いその花は、祖父も好きだったが祖母も好きで「古時計」の店先にあったちょっとした花壇に植えていた。シーズンになれば花が咲き乱れ、それが見事だと奥にひっそりとある店だったのにそれに目を留める人が多かった。
「clover」にも花壇があった。圭太がいつも手をかけていて、シーズンごとの花を植えている。しかしそれに手をかけているのは圭太だけではなく、響子も真二郎もなんだかんだと手をかけていた。そして最近は功太郎も水をあげたり雑草を抜いたりしている。植物を買ってくることは無いが、それでも「花なんて」と当初言っていたときとは全く違ってきたようだ。
墓園には桜の木が多く植えられている。墓園の脇には公園があり、そこが桜のシーズンになるとサラリーマンやOLが花見をするスポットになるのだ。その公園を横切ると、墓園の中に入っていく。整然と並べられた墓石の中、響子は慣れた足取りでその墓へ向かう。
すると祖父の墓の前に誰かが立っているのを見た。いぶかしげに響子はその人を見る。見覚えがある人だったからだ。
「本宮さん……。」
それは栗山遙人だった。この墓園の中で相当浮いている、違和感の塊のような派手な容姿だった。
「祖父の墓に?」
すると栗山は首を横に振った。そしてその二,三個向こうにある墓の前に立つ。
「ここが母の墓なんです。」
「あぁ……。」
月参りをしていた。どんなに忙しくてもこれだけは欠かさない。花を一本添えるだけでも母が喜んでいる顔が見れるようだった。
「浅草さんの墓だと思ったんですけど、まさか本当にそうだったとは思っても見ませんでした。」
「良くある名字ですしね。」
そう言って響子は花を添えると、バッグから線香とライターを取り出す。そしてその線香に火を灯すと、すぐに消した。あとは柔らかな煙が立ち上っている。
手を合わせると祖父の顔が浮かぶ。あまり表情を表に出す人では無かった。ただいつも穏やかにニコニコと微笑んでいた。
「お祖父さん……。」
手を合わせるのを辞めると、響子の目の端から少し涙がにじんでいた。その様子に栗山は少し目をそらした。淡々とコーヒーを淹れている女性だと思っていたのに、こんなに情が深い人でもある。噂とは全く違うように感じた。
「……本宮さん。」
ふと顔を上げた。しまった。まだこの男が隣にいたのかと思っていたのだ。さっさと帰っていたと思っていたのにと、響子はバッグからハンカチを取り出してさっと涙を拭った。
「まだいらしたんですか。」
「あ……俺も手を合わせても?」
「どうぞ。」
場所を譲ると、栗山も手を合わせた。そしてため息をつく。
「手を合わせられて良かった。ずっと気にしていたので。しばらく「古時計」へ行けなくて、久しぶりに行ったらもう無くなってたから、どうしたんだろうって。」
「……ご覧のとおりですよ。」
響子はそう言って水筒を取り出すと、そのカップにコーヒーを注ぐ。そして墓前に置いた。
「浅草さんの淹れるコーヒーとあなたの淹れるコーヒーは全く違う。別物だと思っていただきました。」
「そう言ってくだされば結構です。今の店ではサイフォンも入れられませんから。」
「……あなたのコーヒーも美味しい。花岡さんが言ったとおり、コレになれると缶コーヒーは飲めない。最も俺は缶コーヒーなんて飲まなかったですけどね。」
その言葉に響子の表情は変わらない。褒められているのに表情を変えないのだ。
「それはどうも。」
「これからどこかへ?」
「えぇ。店の者達と花見に。栗山さんは?」
「これから練習スタジオです。」
それもそうか。一馬が練習だと言っていたのだから、この男も練習をするのだろう。
「良かったら見に来てください。」
「えぇ。時間が合えば。」
そう言って響子はその場を離れようとした。あまり関わりたくない。一馬と一緒にいる所なども知られては困るし、必要以上に親しくなる必要も無い。そう思っていたのだが、不意に栗山に声をかけられる。
「本宮さん。」
振り返ると、栗山は響子に近づいて言う。
「……来週なんです。ライブ。二日間あるイベントの一日目で……。」
「詳しくは花岡さんに聞きますから。」
そう言って響子は足早に墓園をあとにする。その後ろ姿を見て、栗山は少しため息をついた。
「おはよう。」
「あら。もう起きたの?帰ってきたのは夜中だったのに。」
「十分だ。それにもう起きないといけなかったし。」
昼からレコーディングがある。そのあとバンドの練習に入り、今日も帰ってくるのはいつになるかわからない。飛び込みの仕事もあるからだ。
「何を作っているんだ。」
魚を揚げているようだ。上がったその魚をボウルに漬け込んでいる。そのボウルの中には細切りにしたにんじんと薄くスライスしたタマネギ。それに甘い酢の匂いがする。
「魚の南蛮。それからポテトサラダ。」
「美味そうだな。しかし結構量があるな。」
「持って行くから。」
「あぁ。そうだった。花見に行くんだと言っていたな。悪い。俺はいけないから……。」
「弥生さんが残念そうだったわ。」
「あぁ。小さいベーシストの女性だったな。俺の話はあまり参考になら無いと思うが。」
「体格の差で?」
「あぁ。それに手の大きさも違う。アドバイスは難しいだろうな。ん……このポテトサラダは、葉子さんから聞いたのか?」
作ってあるポテトサラダをスプーンですくって口に入れる。一馬にとっては懐かしい味がした。それは義理の姉である葉子が作ったものによく似ていたから。
「えぇ。作り方を教わったの。美味しく出来て良かった。今日の夜は食事が出来そう?」
「多分出来る。帰ってコレを食べたい。置いておいてくれないか?」
「そのつもりよ。だからこの量なんだから。」
花見に何人来るとか詳しい人数は聞いていない。だが量は結構ある。その一部を別のタッパーに入れると、冷蔵庫に冷やしておいた。
「あと汁物を作れば良いわね。今日のご飯は。」
「帰る楽しみが増えた。お前も夕方までには帰れるのか?」
「そうするつもりよ。」
「期待するからな。」
期待というのはどういう意味なのかわかる。思わず響子の頬が赤くなった。
車で植物園へ向かう。車を持っている圭太は、俊と弥生、瑞希、香を連れて行く。響子は真二郎と功太郎とともに電車に乗っていた。食事だけは圭太の車に乗せたらしい。
「結構近い所にあるんだよな。ここ。」
功太郎はそう言って地図をアプリで開いて、その道を見ていた。
「駅から徒歩で十五分か。そう言えば……。」
響子を見る。そして真二郎は少しため息をついた。
「ついでに寄っていく?」
「えぇ。そのつもりよ。駅前の花屋さんで花を買うわ。」
功太郎はその会話に響子の方を見る。
「寄る?花見の前にどっかへ行くのか?」
「近くに墓園があるの。」
「あぁ。桜の名所だよな。」
「そこに祖父が眠っているの。ちょっと寄っていくわ。」
「命日?」
「そうじゃないの。でも近くだから花くらい添えたいし……それにそのためにコレを持ってきたのよ。」
そう言って響子はバッグから水筒を取り出した。そこには今朝淹れたコーヒーが入っている。そうやって足繁く響子は墓参りをしていた。実の子供である母親でもそこまで通わないのに。
「付いていこうか?」
真二郎は気を使ってそう聞いた。だが響子は首を横に振る。
「いいえ。一人で行きたい。」
いつもそうだ。墓参りの時は真二郎も誰もついて来るのを響子は嫌がる。それは祖父の前でしか、響子は弱い自分を見せないからだ。
「……そうだったよね。わかった。俺らは先に植物園へ行っているよ。」
「お願いね。オーナーはもう着いているのかしら。」
「もう少しって言ってたな。それにしても植物園に入るのはただなのに、駐車料金は取るんだってさ。車で来ているヤツにはちょっと厳しいみたいだ。」
功太郎はそう言って少し笑う。
駅で二人といったん別れ、響子はいつもの花屋で祖父が好きだった花を買う。ピンクや赤いその花は、祖父も好きだったが祖母も好きで「古時計」の店先にあったちょっとした花壇に植えていた。シーズンになれば花が咲き乱れ、それが見事だと奥にひっそりとある店だったのにそれに目を留める人が多かった。
「clover」にも花壇があった。圭太がいつも手をかけていて、シーズンごとの花を植えている。しかしそれに手をかけているのは圭太だけではなく、響子も真二郎もなんだかんだと手をかけていた。そして最近は功太郎も水をあげたり雑草を抜いたりしている。植物を買ってくることは無いが、それでも「花なんて」と当初言っていたときとは全く違ってきたようだ。
墓園には桜の木が多く植えられている。墓園の脇には公園があり、そこが桜のシーズンになるとサラリーマンやOLが花見をするスポットになるのだ。その公園を横切ると、墓園の中に入っていく。整然と並べられた墓石の中、響子は慣れた足取りでその墓へ向かう。
すると祖父の墓の前に誰かが立っているのを見た。いぶかしげに響子はその人を見る。見覚えがある人だったからだ。
「本宮さん……。」
それは栗山遙人だった。この墓園の中で相当浮いている、違和感の塊のような派手な容姿だった。
「祖父の墓に?」
すると栗山は首を横に振った。そしてその二,三個向こうにある墓の前に立つ。
「ここが母の墓なんです。」
「あぁ……。」
月参りをしていた。どんなに忙しくてもこれだけは欠かさない。花を一本添えるだけでも母が喜んでいる顔が見れるようだった。
「浅草さんの墓だと思ったんですけど、まさか本当にそうだったとは思っても見ませんでした。」
「良くある名字ですしね。」
そう言って響子は花を添えると、バッグから線香とライターを取り出す。そしてその線香に火を灯すと、すぐに消した。あとは柔らかな煙が立ち上っている。
手を合わせると祖父の顔が浮かぶ。あまり表情を表に出す人では無かった。ただいつも穏やかにニコニコと微笑んでいた。
「お祖父さん……。」
手を合わせるのを辞めると、響子の目の端から少し涙がにじんでいた。その様子に栗山は少し目をそらした。淡々とコーヒーを淹れている女性だと思っていたのに、こんなに情が深い人でもある。噂とは全く違うように感じた。
「……本宮さん。」
ふと顔を上げた。しまった。まだこの男が隣にいたのかと思っていたのだ。さっさと帰っていたと思っていたのにと、響子はバッグからハンカチを取り出してさっと涙を拭った。
「まだいらしたんですか。」
「あ……俺も手を合わせても?」
「どうぞ。」
場所を譲ると、栗山も手を合わせた。そしてため息をつく。
「手を合わせられて良かった。ずっと気にしていたので。しばらく「古時計」へ行けなくて、久しぶりに行ったらもう無くなってたから、どうしたんだろうって。」
「……ご覧のとおりですよ。」
響子はそう言って水筒を取り出すと、そのカップにコーヒーを注ぐ。そして墓前に置いた。
「浅草さんの淹れるコーヒーとあなたの淹れるコーヒーは全く違う。別物だと思っていただきました。」
「そう言ってくだされば結構です。今の店ではサイフォンも入れられませんから。」
「……あなたのコーヒーも美味しい。花岡さんが言ったとおり、コレになれると缶コーヒーは飲めない。最も俺は缶コーヒーなんて飲まなかったですけどね。」
その言葉に響子の表情は変わらない。褒められているのに表情を変えないのだ。
「それはどうも。」
「これからどこかへ?」
「えぇ。店の者達と花見に。栗山さんは?」
「これから練習スタジオです。」
それもそうか。一馬が練習だと言っていたのだから、この男も練習をするのだろう。
「良かったら見に来てください。」
「えぇ。時間が合えば。」
そう言って響子はその場を離れようとした。あまり関わりたくない。一馬と一緒にいる所なども知られては困るし、必要以上に親しくなる必要も無い。そう思っていたのだが、不意に栗山に声をかけられる。
「本宮さん。」
振り返ると、栗山は響子に近づいて言う。
「……来週なんです。ライブ。二日間あるイベントの一日目で……。」
「詳しくは花岡さんに聞きますから。」
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