彷徨いたどり着いた先

神崎

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譲歩

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 結局、真二郎はそのまま家に帰る。その前にいつものように響子の家の前で、足を止めた。響子が住んでいるところからは光が見えない。なのにどうしても居るかどうかだけ確認がしたかった。
 未練がましいというかもしれない。だが自分がそうしたかったのだ。
「またねぇ。」
 甘い女の声がして振り返る。すると見覚えのある女性がきわどいナース服を着て、客を見送っていた。それはイメクラの女性だろう。こういうところにいる女性は渋々という人が多いが、この女性は珍しく自ら進んでこの店にいる。夏子と同じように生来の男好きなのだ。
「あぁ、真ちゃん。」
「どうも。」
「見なくなったよね。家を出たんだっけ?」
「そう。男が住んでいるだろ?」
「そうなの?どんな人が居るかもわからないわねぇ。響子と一緒に居るところも見たことが無いし。」
 まだ響子は信也を警戒している。だから一馬と一緒に外で買い物をすることも無いのだろう。だからといって信也がここに乗り込んでくることは無い。次の一手をまた考えているのだ。
「そっか。」
「真ちゃんのところのケーキをこの前お客様から戴いたの。美味しかった。チョコレートのケーキ。」
「チョコレートはちょっとこだわっているんだ。」
「へぇ。何かすごい良いホテルなんかのケーキよりももっと美味しい気がするわ。あんなお店で提供するようなケーキじゃ無いでしょ?」
 飽きるほど言われたことだ。小さい店で細々としているのがそんなに悪いのだろうか。客が美味しいと直に聞くことが出来るところなのだから、ほっといて欲しい。それは響子だって同じ考えなのだ。
「有名なホテルにいたこともあるんだ。でも顔が見えない客に提供していても手応えは無いから、今の方が良いかな。」
「そっか。それはなんとなくわかるな。あたしも、お客様に満足できるポイントがあったりするとすごく嬉しいもの。」
 こういう仕事もケーキを作る仕事も一緒なのだ。客が満足してもらえればそれが嬉しい。そう思って真二郎は少し笑顔を見せる。
「でもその格好は寒くない?」
「寒いよ。真ちゃんも早く帰った方が良いよ。あたしももう少ししたら上がるし。」
「早くない?」
「今日は早番だったんだ。これからホストクラブに行こうって。」
「良いね。楽しんでくれば良い。」
 真二郎はそう言って、家の方へ足を進める。
 その間、真二郎は少し響子のことを思い出していた。響子と真二郎は考えが合致している。それはお客の喜ぶ顔が見たい。それだけだった。だから新規で立ち上げた「clover」に居るのだ。圭太のためでは無い。客のためだ。それを忘れていた。
 一馬に嫉妬することは無い。一馬に出来て、自分に出来ることもあるのだから。それは響子のコーヒーと自分のケーキで客に喜んでもらうことだ。それしか無かった。響子の側に居るのはそれしか無い。
 あとは少し綺麗な男の子がいれば満足だと思う。そう思いながら携帯電話を取り出すと、メッセージを送った。明日は客は一人。食事だけだ。だったら今日出会った男の望み通りにアナ○のバージンを奪っても良いと思いながら、携帯電話のメモリーを呼び出した。

 音楽スタジオで何度か音を合わせた。だがそれにプロデューサーはうんと言わない。ダメ出しばかりをしている。
「駄目。テンポが速くなってるわ。ドラムがもっとテンポを作って。ベースはもっと存在感を出して。そうじゃ無いと、ハードロックにならない。ギターは早弾きの練習もっとして。もたついているのがわかってテンポがずれてる。キーボードは音を変えるタイミングをもっと早く。ボーカルは……。」
 栗山の視線がわかる。だから改めてダメ出しをされたくなかった。だがこちらも言い分はある。アドバイスを聞いて、栗山はため息をつくと女性プロデューサーを見る。
「録音するわけじゃ無いんだから、そんなに厳しくても困りますよ。」
「誰が聴いているのかわからないから厳しくしたいの。聴いて、足を止められるような演奏をしてちょうだい。」
 それぞれに文句はあるようだ。だが一馬はそれを素直に聴いて直そうとしている。ピックを変えてみるかとベースを片手に、ベースのケースの中のピックケースを取り出した。
「堅い音ということで良いですか。」
「えぇ。そっちが良いかも。そっちを使って判断するわ。」
 足を組み直して、プロデューサーが満足そうに一馬を見る。それに習ってドラムの男も、原曲のテンポを聴き直そうと携帯電話を取り出す。こうなれば孤立するのは栗山だけだろう。
 それを見て、プロデューサーはため息をついた。
「休憩しましょう。花岡さん。次の仕事って何時から?」
「十八時です。」
「じゃあ、十五分ほど休憩しましょうか。」
 バンドの他のメンバーは違う仕事を掛け持ったりしている。それは音楽教室であったり、それでも食べられない人は全く違うバイトをしていたりするのだ。だが一馬は音楽一本で食べていけている。それはレコード会社や事務所の関わりもあるので、他のメンバーたちとはちがって優遇されているように感じた。だが他のメンバーには面白くないだろう。
 同じくらいの立場なのに、仕事があると言うことは運が良かっただけだ。それぞれがそう思っていたのだがどうも話は違うと思い始めている。
「花岡さんさ、あぁして、こうしてって言われていつもその通りにしていたのか?」
 ドラムの男が携帯電話の音源を聞きながらそう聞くと、一馬は頷いた。
「そうですね。俺が音を出しているけれど、最終的な判断はプロデューサーになるから。」
「それがプロってものかな。俺だったらこうしたいとか意見を言うけどな。」
「言われているから弾いているだけですし。」
 自分で作っているのだったらそれでもいい。だが一馬にはその知識が無い。こういう音楽を作りたいとおぼろげな形はあるが、それを上手く表現は出来なかったのだ。だから「flower children」の時も主にトランペットやキーボードの人が言ってきたとおりに弾いていた。それで客が満足できればいい。
 そう思いながら、そのまま空のペットボトルを手にした。そしてベースを背負いそのままスタジオをあとにする。その後ろをその女プロデューサーもついていくように出て行った。スタジオにはメンバーだけが残る。
「言われているからねぇ。」
「本当にビジネスで弾いているだけだな。自分の考えなんかは捨てるのがプロってもんかね。」
「「flower children」もそんな感じだったのかな。こうして欲しいって言われてそのまま弾いているみたいだ。」
「だったらどっちにしてもあまり長続きはしなかったかもしれないな。何が楽しくて弾いていたのか。」
 その言葉に栗山は少し自分と重ね合わせていた。
 アイドルだった頃、歌い方はこうだとか、ダンスはこうだとか、それだけでは無くて私生活にも口を出してきていた。女と二人になるなとか、インタビューなんかにも口にしてはいけない言葉もあったし、ずいぶん窮屈だったと思う。
 それに反抗するようにグループを抜け、事務所も辞めた。だが残ったのは大してキャリアの無い自分と、実力のなさだけだった。歌だけが自分の取り柄だと思っていたのに、好きなハードロックを歌うにはまた一からレッスンが必要だった。そうなってくると、自分が今まで学校にもろくに行けずにレッスンをしていたのは何だったのかと思うようになる。
「栗山さんもどうなの?」
 ギターの男が聞いてきた。それに歌詞をまた読んでいた栗山はふと顔を上げる。
「え?悪い。聞いてなかった。何?」
「あいつとバンド組める?」
 すると栗山は首を横に振った。
「無理。絶対衝突する。」
「今でも衝突してるのに。これ以上か?」
 そういって少し笑っていた。だが冗談なんかでは無い。一馬とは初対面から衝突をしていたのだ。それはお互いのプロ意識が強いとかそんな問題では無い。性格自体が合わない感じがした。
 合わせますと言いながらもわがままな男だ。それは人と交ざらないところだろう。出来れば自分だって一人でいたい。無理にバンドなんか組みたくなかった。だが好きな音楽で生きていくには、バンドという形しかないのだと思う。
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