彷徨いたどり着いた先

神崎

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ベーシスト

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 こうして飲んでいても、ふと一馬に目を留めて声をかけられることもある。数年前、「flower children」というジャズバンドで、ベースを弾いていた花岡一馬というのは、まだ音楽業界で生きているのだ。
「有名人だよな。」
 功太郎はそう言いながら、鰺フライに手を伸ばす。
「そこまで有名になった覚えはないが。」
「何を言っているの。あっちの国でも話題にはなっていたのよ。」
「あっちの国にいるこっちの国のヤツだけですよね。」
 その言葉に有佐は言葉を詰まらせた。確かにその通りだからだ。
 「flower children」は売り方が上手だったと思う。ジャズにしては聴きやすいキャッチーなメロディ、それを演奏する姿も和服をアレンジした藍染の服。中心になるトランペットの男はその和服が一番に合っていた。
「一時的なものでした。すいません。この焼酎をロックで。」
 店員にそう言って一馬は話題をそらせた。
「しかしよく飲むなぁ。」
 功太郎はそれに関心がないのか、うまく話題を変えてくれた。有佐は少しほっとして、日本酒に口を付ける。
「酔ったことがない。」
「俺、酔ったらすぐ寝ちゃうからな。」
 すると響子が少し笑った。
「そうね。功太郎は寝て起きないこともあったわねぇ。」
「酒の臭いをぷんぷんさせてさ。ったく、お前何しに来てんだよ。」
「あれは、順から騙されてさ。」
「合コンに行ったときだろ?」
 不服そうに功太郎はウーロン茶に口を付ける。そして焼おにぎりを頼んだ。
「良いわねぇ。若いって。もうあたしも合コンなんかする元気が無くてさ。」
「有佐さんは合コンなんかしなくても男性が寄って来るじゃないですか。」
「ふぬけばっかりよ。誘ってきておいて、バカみたい。あっちの国の男だってそうだった。やっぱ、真二郎くらい絶倫なのいないわねぇ。」
 その言葉に焼酎をこぼしそうになった一馬は、ちらっと有佐を見る。
「真二郎ってあのパティシエか?そういえば女も相手に出来るとは聞いていたが……。」
 徐々に酔ってもないのに顔が赤くなる。こういう話題は本当に苦手なのだ。
「有佐さんさ。花岡さんは相手にならないのか?絶倫なんだろ?」
 功太郎が悪びれもなく聴くと、有佐は肩をすくませた。
「仕事の相手とはしないの。あとからぎくしゃくしても嫌だし。まぁ、これから付き合いがないってわかればする事もあるけど。」
 ほんのり酔っている有佐は隣で顔を赤くしている一馬を見上げる。普通の男相手だと、どうしても有佐の背が高くて出来ないが、この男は見下ろすくらいある。そこで大きく胸が開いているその胸元をちらっと一馬に見せた。
 しかし一馬はさっと視線を逸らす。
「辞めてください。」
「本人だってこの調子だもの。こっちが萎えるわ。」
 呆れたように有佐は胸元を元に戻すと、また日本酒に口を付けた。ここまで堅い男は、落とすのも面倒だしそこまでの男かと思うのだ。
「花岡さんは彼女が居ないんですか?」
 圭太はそう聴くと、一馬は首を横に振る。
「いない。」
「彼女が居なかったわけじゃないんでしょう?」
「……あぁ。それなりに。」
 どうもこういう話題になるとさらに口が重くなる。恥ずかしさもあるのだろうが、あまり口にしたくないと思っていたのだろうか。
「「flower children」のサックスの男が、この間結婚したってニュースで流れてたな。」
「あぁ。祝いだけを送っておいた。」
 おそらく「flower children」の中では、サックスの男が一番世渡りがうまいだろう。トランペットの男が中心になっているようだが、話術はその男の方がうまい。今は、タレントのような活動もしている。
「トランペットの子は、ちょっと考え過ぎなのよね。」
 有佐の言葉に、一馬が首を縦に振った。
「ジャズは理屈じゃない。あまりそこがわかっていないようだ。確かに理論なんかは学ばないといけないところだろう。だがそれ以降は自分の感覚だと思う。」
「そうね。だから酔っぱらいの音楽なのよ。」
 すると圭太がムキになったように言う。
「だから、ジャズが酔っぱらいの音楽だって?」
「あ?リズムとコードだけで音楽になるような音楽じゃない。」
「るせぇ。ハードロックなんて、ドラッグとセックスだけじゃねぇか。」
 また始まったかと、響子は呆れたように一夜干しに箸を延ばした。するとその箸が一馬とかぶる。
「あ、どうぞ。」
「いいや。あんた、さっきからあまり食ってないだろう。何か頼もうか?」
「いいえ。元々あまり食べないってだけなので。」
「そうか。女というのは省エネだな。だが酒ばかりだと胃が荒れる。このすり身をもらおうか。」
「良いですね。コレを焼いても美味しいでしょうし。」
 圭太が隣にいる。なのに向かい合っている一馬の方が響子に気を使っているように思えた。功太郎は不思議に思いながら、焼おにぎり用のおにぎりを受け取る。

 店を出ると、有佐を駅まで送ると功太郎が言い出した。だが功太郎が有佐と歩いていれば、警察からまた補導をされるかもしれない。そこで圭太がそれについていくことにした。
 響子は一馬が送ることにした。一馬の家はここから近いが、響子のことを気遣ったのだ。
「あとで行くから。」
 他に聞こえないように圭太はそういうと、響子の頬がわずかに赤くなる。やはりこういうのは慣れない。
 真二郎は今日は上客の所へ行くと言っていた。帰るのは明け方かそれくらいだろう。夕べは何もしなかった。だから今日はするかもしれない。そう思うと恥ずかしさと、そして少し期待をしてしまう。
「この辺は、あまり飲めるところがないと思ってました。」
 一馬が教えてくれた一馬の実家の場所は、八百屋や魚屋のある商店の並びだった。そしてその向こうには里村が経営する夜間保育があるはずだ。
「身内だけが来るような酒屋だ。まぁ、角打ちはそのついでといったところだろうか。」
「角打ちということはつまみは缶詰とか?」
「あぁ。こだわってない。干したいかとかもあるが、客が持ち込むときもある。」
 頭の中で近所の人が集まって毎夜飲み会みたいなことになるのだと、想像してしまった。そういう場も楽しいだろう。
「楽しそう。」
「俺がいるときの方が良いかと思う。どうしても身内だけだと、あいつは誰だっていう感じになるし。」
「そのときはお願いします。」
 背中に背負っているベースを持ち直すと、一馬はふと響子の方を見る。
「あのオーナーの所にいるのは少し窮屈じゃないか。」
「オーナーですか?」
「あぁ。店をどうするのかという明確な目標も見えないし、何よりあんたの腕の持ち腐れだと思う。」
「……そう思いますか?」
「あぁ。」
「だとしたら、私も真二郎も力を持ちすぎたのかもしれませんね。」
「……力?」
「「古時計」にいたとき、コーヒーが主でケーキや軽食はおまけでした。真二郎はナポリタンなんかを作っていたこともあるんです。」
「意外。」
「喫茶店はあくまでコーヒーが中心。今の洋菓子店だったらケーキが中心。」
「あんたはそれで満足しているのか。」
「……そうですね。私はどんなに頑張っても祖父にはまだ適わないという自覚があります。半分諦めているのかもしれません。」
 死んだものの業績は神格化する。響子はそれを求めているのかもしれない。だがそれが幻想だとしたら。響子は想像の祖父の味に追いつこうとしているのだ。
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