彷徨いたどり着いた先

神崎

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 電車に乗っている間、響子は何も話さなかった。壁にもたれてただぼんやりしているだけで、そのそばに圭太が居る。守るように響子のそばにいた。
 電車の中は空いているとは言い難く、だが混雑しているとは言い難い。駅に着く旅にその様相は変わる。
 小さな駅に着いたとき、OL風の女性と若い男が圭太のそばに立っていた。女は棒に捕まり、男もは手を挙げて吊革に捕まっていた。
 電車が動き出すと、女の顔色が変わった。わずかにモーター音が聞こえる。
「……静かにしてろよ。誰か気が付くかわからないから。」
 徐々に女の頬が上気してくる。こんなAVのようなことを、公然としているカップルが居るのだ。呆れたように圭太はそのカップルから目を離す。きっと響子も気が付いているのだろうが、何も言うことはなかった。
 やがてカップルを後目に、響子は駅を降りる。そして圭太もそれに習って電車を降りた。いつもの駅だ。
 駅の外には、有名な家電量販店がある。その横には激安の量販店。どちらも若い人が足繁く行くところだ。
「ケーキ屋行くのか?」
 すると響子は首を横に振る。
「今日はたぶんもう開いていないから、梨だけかって帰る。それから……トイレットペーパーがなかったの。雨だと一人で運ぶのが大変よね。こんな時に真二郎は、今日はロングなんですって。」
 すると圭太が口を出す。
「持ってやるから。」
「ありがとう。」
 しばらく逆らえないな。そう思いながら圭太は響子の後を追って、それでも嬉しかった。頼ってくれていると思えたから。

 トイレットペーパーを持って、家にやってくる。ここに来るのは二度目。そしてここでキスをしたのだ。響子はそれも忘れていない。
 もうエアコンはいらない生活になった。そしてもう少しすれば上着が必要になり、暖房が必要になるだろう。畳ではなくフローリングの家だから。
「何か食べる?」
「飯を作ってくれるのか。」
「あまり大したモノは出来ないわね。ただ真二郎が今日は帰ってくると思ってたからご飯を炊いておいたのだけど、無駄になりそうだからあなたが食べてくれなきゃ、ゴミ箱行きね。」
「ゴミ箱に入れるくらいなら食うよ。」
「そう。」
 エプロンをして、キッチンで何か作っている。包丁のリズム感の良い音も、何かを煮ている音も昔を思い出した。たまらず読んでいた雑誌を置いて、キッチンへ向かう。すると響子は驚いたように圭太を見る。
「何?」
「手伝うよ。」
「料理なんか出来るの?」
「一応な。出来る限りは自炊だし。親子丼か?」
「そう。お汁と、親子丼。」
 フライパンの中でタマネギと鶏肉が煮立っている。もうだいぶ出来ているようだ。
「お汁に三つ葉を入れてくれる?」
「豆腐とわかめか?」
「それからサラダを作ろうかと思って。トマトとキュウリのサラダ。」
「いいね。もうどっちも終わりだな。」
 コーヒーを入れる手際も良いが、料理も上手だと思う。それにバランスが良い。
 ダイニングテーブルに食事が並び、二人で向かい合って食事をする。圭太と食事をするのは、いつぶりくらいだろう。そう思いながら、響子を見る。真二郎ほどではないが、響子もまた食事をするのに綺麗だと思う。背筋が伸びていて、上手に箸を使っていた。案外箸が綺麗に持てない大人も多いものだ。
「その席ね。」
「あぁ。」
「いつも真二郎が座っているの。」
 その言葉に圭太は手を止めた。そして響子を見る。
「あいつ、新婚気分で居たのかな。」
「かもしれない。」
「……なぁ。あいつがお前に気があるのってわかってるのか?」
「えぇ。でも……近すぎるからかしらね。それに、真二郎は同情しているとも思えるの。」
 響子が拉致されて半月間、監禁されていた。その間、中学生の響子はずっと性奴隷にされていたのだ。それを同情心から、側にいたというのだろうか。
「そう思えば……急に冷める。同情されたいわけじゃないの。私は……。」
「落ち着けよ。」
 お茶が入っている急須から、湯飲みにお茶を注ぐ。そしてそれを響子の前に置いた。
「せっかくうまい飯なんだから、良い話でもしようぜ。」
「良い話?」
「今度、M区にあるデパートがな、うちのデザートを一時的にでも置かせてくれないかって言ってきたよ。それから、コーヒー豆も。どちらも限定でな。」
「余分に焙煎をしないといけないわね。それから……真二郎も。この時期なら秋のデザートでいいのかしら。ホール?」
「いいや。カットケーキにする。ホールは一人では買わないだろ?一人分なら、あぁいう所に来る奥様が、旦那に内緒で自分だけで買うはずだ。だから小さいモノの方が売れる。」
「家族の分を買って帰ろうって人はいないかしら。」
「そうだったら、店に来ればいい。あぁいう所ってのは、あまり家族で行くような場所じゃないんだ。奥様が一人か、ママ友とかと来るところだし。」
 そういってまた親子丼に口を付ける。すると響子は少し笑った。
「やっぱり商売人なのね。あなた。」
「え?」
「先見の目を持っている。良いわ。コーヒー豆も百グラムからの販売にしましょう。それでどれくらい作ればいいのかしら。」
 素人が入れてもそれなりの味になるように調整する。そして店の名前が売れたところで店に来てもらい、本当のコーヒーを飲んでもらうのだ。そうすればこの店からは離れられない。麻薬のようなデザートとコーヒーだと思った。

 響子が食器を洗っている間、圭太はソファにおいてあった本を手にした。ミステリーのようで、有名な女性作家が書いている昔のモノだ。今から百年くらい前の漁村の話は、圭太もゾクゾクしながら読んだことがある。
「なぁ、この作家の本ってもう無いのか?」
 響子は皿を洗い終えると、エプロンをとってソファに近づいた。
「あぁ。それは真二郎が好きな作家の本なのよ。あと何冊かあるけれど、寝室かしら。」
 まさか一緒の寝室で寝ているのだろうか。そう思いながら、響子が寝室へ向かうとそのあとを圭太もついて行った。
「ちょっと。何来てんのよ。」
 そういって追い返そうとした。だがそのドアを開く。電気のついていないその部屋に薄く明かりが差し込んだ。そこにあるのは大きなベッド。おそらくダブルのサイズだ。それに一人で寝るわけがない。そして寝ているのは真二郎だろう。そう思うと手が震えてくる。
「真二郎と寝てんのか。」
「広いベッドで寝たいだけ。真二郎と寝ているとは限らない。」
「じゃあなんでこんな大きなベッド……。」
「小さいのはいやなのよ。特にパイプベッドは。」
 響子が監禁されていたとき、逃げられないようにと狭いパイプベッドに縛られていたのだ。だから一人暮らしをするとき、大きなベッドを買った。だが結局、響子はこの大きなベッドで寝ていても、縮こまって寝ているらしい。
「……。」
「起きたら真二郎が居ることがほとんどね。だけど、真二郎は手を出したりしないわ。」
「……悪かったな。疑うような……。」
「いつものことじゃない。」
 そういって響子はそのまま電気をつけると、壁にある本棚に近づく。そして同じ作家のモノを探した。
「これね。新しいものだけど……こっちは結構私も好きなの。」
「お前のこと、何も知らないな。」
「……。」
「俺のことも何も知らないだろ?なのに好きなんて、ちゃんちゃら可笑しいかな。」
「好きだから全部知りたいの?知らなくても良いことは知らない方が良いじゃないかしら。」
「響子……。」
「知られたくなかったわ。あなたには特に知ってほしくなかった。」
「……。」
「隠し通せることじゃないのに。」
 裸になれば何があったのかわかるだろう。それ以上に、響子の心の傷はもっと深かった。いくら好きでもきっと圭太を拒否してしまうだろう。
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