42 / 339
雨
41
しおりを挟む
その日から、聡子はなんだかんだと「clover」に立ち寄ってきた。デザイナーをしているということでここで打ち合わせをしたり、クライアントへ挨拶へ行くときのお使いモノの焼き菓子を包んでもらっているのだ。
そのたびに圭太を「圭君」と呼び、客の中には聡子が恋人ではないのかと言われることもあった。圭太にとっては迷惑な話で、何より響子が誤解しているのが一番嫌だ。
何度も話をしようと声をかけたが、そのたびにはぐらかせる。帰るのもさっさと帰ってしまうし、二人きりになることもない。誤解をさせたままだ。その上、千鶴からも誤解されている。
「彼女じゃないの?」
焼き菓子を包んで、出て行った聡子を見送った千鶴は驚いたように圭太を見る。
「違うよ……。」
「でも名前で呼んでたじゃない。」
「昔、色々あったんだよ。」
「あー……。元カノってこと?」
それは事実だ。頭をかいて、ちらっと響子をみた。響子はノンカフェインコーヒーがわりと評判がいいので、このまま紅茶などにも使えないかと試行錯誤しているようだった。仕事のことしか見たくないように。
そのとき真二郎がキッチンから出てきて、響子に話しかける。
「響子。今日の夜空いてない?」
「どうしたの?」
「「fly away」で今年もアップルパイが出るらしいよ。俺、今日仕事が入ってて行けそうにないんだ。」
「本当?帰りに寄ってみるわ。毎年味が違うから、とても楽しみね。ここだとアップルパイなんかは出ないし。」
「まぁね。それから八百屋でサツマイモを買ってくれないか。」
「OK。」
真二郎は響子と一緒に住んでいることを隠さなくなった。千鶴はそういうこともあるよねと口では言っていたが、本当の所はわからないと内心思っている。
真二郎はゲイなのだろう。だから響子が安心しているというわけではなく、隙があれば手を出そうと思っているに違いない。あらか様に真二郎が響子に気があるのを見せつけているのだから。
「紅茶のノンカフェイン?」
入れている紅茶のカップを見て、真二郎は声をかけた。
「うん。でも何か味が物足りないのよね。」
「飲ませて。」
そう言って紅茶が注がれているカップを手に取ると、真二郎もまたそれに口を付ける。その様子に店内の客が少しざわめいた。そうだった。真二郎は、この店では王子なのだ。
響子が誰を想っているのかわからない。だがどちらに転んでもどちらかが泣くのだ。
仕事の仕込み終えて、響子は真二郎とともに店を出る。最近はずっとどちらかが終わるのを待って店を出ているようだ。それが面白くない。圭太はそう想いながらノートパソコンを閉じた。
売り上げと経費を考えても、ここは黒字が出ているのを考えると優秀な店だと思う。「ヒジカタカフェ」にいた時、圭太が店長になってから前年比をずっと越えていた。十二月には限定スイーツの評判も良かったからか、大幅に前年を越えて圭太はボーナスも色がかなり付いたのだ。
だからその金で指輪を買った。金がかかるのは今からだと思っていたし、今まで贅沢をしなかったおかげで借金をしてまで結婚式を挙げなくても済みそうだと思っていたし、それ以降のことも頭に描いていた。
もう過去の話だ。今は響子のことが頭を占める。どうしたら誤解を解けるだろうと思っていたのだ。
もう帰ろうかと立ち上がり、ノートパソコンをしまおうとしたときだった。床に何か落ちているのに気が付いた。それは電車用のパスだった。今は定期券などを持つ習慣はほとんどない。そのかわり、あらかじめ金をチャージしておいたパスでみんな移動する。
これを持っているのは響子か真二郎だろう。ポケットに入れている携帯電話を手にして、響子に連絡を入れた。するとしばらくして響子とつながる。
「もしもし。うん……。お前、パスを落としてないか?」
するとごそごそという音がする。それと混じって雨の音がした。外にいるのだろう。
「無いと困るだろ?俺今から店を出るからとどけに行くわ。」
無ければ切符を買うという響子の言葉を無視した形になる。そうでもしないと、響子の誤解は解けそうにない。
傘を差して、駅へ向かう。この辺は住宅街になるのだ。特に高級というわけではなく、少し離れたところには団地があったり、大きな公園がある。それに混じって激安のスーパーやドラッグストア、コンビニなどがあり、通りの向こうには居酒屋やバー、スナックなどがある。街ほど豊富ではないが、この区域に住む人たちは終電を気にしなくていいのでよく利用しているように思える。
そして何よりこの辺は治安がいい。おそらくヤクザなどが、しっかりしているのだろう。ヤクザによっては全く常識が通じない人もいるが、古参のヤクザは割と礼儀が正しい。縦社会がしっかりしているのだろう。行き交う子供たちがふざけながら登下校をしていて、自転車に乗った警察官が注意している。それを見て響子はあらか様にほっとしていた。集団で帰らなければいけないが、大人が付いていないということは安全な地域である証拠だ。
駅の前にあるコンビニ。そこに響子がいる。圭太は傘を差しながら、外から中を見る。すると雑誌のコーナーに響子の姿があった。手を振ると、響子はすぐにコンビニを出てきた。
「悪かったわね。こんなところまで。」
「いいんだ。どうせ帰るついでだったし。」
そう言ってパスを手渡す。これを渡せばもう響子は帰って行くのだろうか。
「飯でも食わないか。」
「怒られるわよ。」
「誰に?」
「聡子さんっていったかしら。デザイナーをしているのね。いらつく人だけど、注意すれば聞いてくれる。聞く耳を持った人なら、前のような失敗はしないでしょう?」
やはりそうか。響子は誤解をしている。そう思って圭太は少しうつむいた。
「聡子は違うよ。」
「違う?」
「彼女じゃないから。」
すると響子は少し驚いたように言った。
「彼女じゃないのにすごく親しそうね。あなたはそういうつきあいをみんなとしているの?それが普通なのかしら。」
真二郎とは一緒に住んでいるのだ。それを言われたら響子も何も言えないが、人それぞれつきあいというのはあるだろう。自分が少しずれていることなんか、自分でも自覚はある。
それに彼女ではなくてもキスは出来る。そういう男もいるのだ。自分がそれを一番知っている。
「前につきあってた女だから。」
「元カノってこと?」
「うん。でもまぁ……一ヶ月持たなかったかな。」
覚悟はしていた。だが真っ直ぐに言われると思っていなかった響子は、少し動揺していたのかもしれない。
「彼女は忘れていないんじゃない?」
「違うよ。こっちの方で打ち合わせがあったり……。」
「そんなのいいわけに決まってるじゃない。あなたが良いなら元の鞘に戻ったら?そんなときに店を離れてもただの従業員と一緒にいるなんて、彼女が良い気分をしないわ。」
「響子。」
「気の迷いだったと思うようにするから。」
そういって響子はため息を付いて、駅の方へ向かおうとした。無かったことにすればいい。あんなキスなんて、嘘だったのだ。夢だったのだと思いたかった。
だがその手を捕まれる。雨が降っていて、腕が濡れることなど、気にしなくても良い。ただ誤解をさせたまま行かせたくなかった。
「まだ話は終わってない。」
「したじゃない。」
「誤解をさせてる。俺は……お前のことしか見てないんだ。」
すると響子は足を止めて言った。
「あなたにはわからない。どんな気持ちであなたを見ていたなんて。」
その言葉に圭太は驚いて響子を見下ろす。だが響子はその手を振りきると、駅の方へ向かっていった。その後を圭太も追っていく。
そのたびに圭太を「圭君」と呼び、客の中には聡子が恋人ではないのかと言われることもあった。圭太にとっては迷惑な話で、何より響子が誤解しているのが一番嫌だ。
何度も話をしようと声をかけたが、そのたびにはぐらかせる。帰るのもさっさと帰ってしまうし、二人きりになることもない。誤解をさせたままだ。その上、千鶴からも誤解されている。
「彼女じゃないの?」
焼き菓子を包んで、出て行った聡子を見送った千鶴は驚いたように圭太を見る。
「違うよ……。」
「でも名前で呼んでたじゃない。」
「昔、色々あったんだよ。」
「あー……。元カノってこと?」
それは事実だ。頭をかいて、ちらっと響子をみた。響子はノンカフェインコーヒーがわりと評判がいいので、このまま紅茶などにも使えないかと試行錯誤しているようだった。仕事のことしか見たくないように。
そのとき真二郎がキッチンから出てきて、響子に話しかける。
「響子。今日の夜空いてない?」
「どうしたの?」
「「fly away」で今年もアップルパイが出るらしいよ。俺、今日仕事が入ってて行けそうにないんだ。」
「本当?帰りに寄ってみるわ。毎年味が違うから、とても楽しみね。ここだとアップルパイなんかは出ないし。」
「まぁね。それから八百屋でサツマイモを買ってくれないか。」
「OK。」
真二郎は響子と一緒に住んでいることを隠さなくなった。千鶴はそういうこともあるよねと口では言っていたが、本当の所はわからないと内心思っている。
真二郎はゲイなのだろう。だから響子が安心しているというわけではなく、隙があれば手を出そうと思っているに違いない。あらか様に真二郎が響子に気があるのを見せつけているのだから。
「紅茶のノンカフェイン?」
入れている紅茶のカップを見て、真二郎は声をかけた。
「うん。でも何か味が物足りないのよね。」
「飲ませて。」
そう言って紅茶が注がれているカップを手に取ると、真二郎もまたそれに口を付ける。その様子に店内の客が少しざわめいた。そうだった。真二郎は、この店では王子なのだ。
響子が誰を想っているのかわからない。だがどちらに転んでもどちらかが泣くのだ。
仕事の仕込み終えて、響子は真二郎とともに店を出る。最近はずっとどちらかが終わるのを待って店を出ているようだ。それが面白くない。圭太はそう想いながらノートパソコンを閉じた。
売り上げと経費を考えても、ここは黒字が出ているのを考えると優秀な店だと思う。「ヒジカタカフェ」にいた時、圭太が店長になってから前年比をずっと越えていた。十二月には限定スイーツの評判も良かったからか、大幅に前年を越えて圭太はボーナスも色がかなり付いたのだ。
だからその金で指輪を買った。金がかかるのは今からだと思っていたし、今まで贅沢をしなかったおかげで借金をしてまで結婚式を挙げなくても済みそうだと思っていたし、それ以降のことも頭に描いていた。
もう過去の話だ。今は響子のことが頭を占める。どうしたら誤解を解けるだろうと思っていたのだ。
もう帰ろうかと立ち上がり、ノートパソコンをしまおうとしたときだった。床に何か落ちているのに気が付いた。それは電車用のパスだった。今は定期券などを持つ習慣はほとんどない。そのかわり、あらかじめ金をチャージしておいたパスでみんな移動する。
これを持っているのは響子か真二郎だろう。ポケットに入れている携帯電話を手にして、響子に連絡を入れた。するとしばらくして響子とつながる。
「もしもし。うん……。お前、パスを落としてないか?」
するとごそごそという音がする。それと混じって雨の音がした。外にいるのだろう。
「無いと困るだろ?俺今から店を出るからとどけに行くわ。」
無ければ切符を買うという響子の言葉を無視した形になる。そうでもしないと、響子の誤解は解けそうにない。
傘を差して、駅へ向かう。この辺は住宅街になるのだ。特に高級というわけではなく、少し離れたところには団地があったり、大きな公園がある。それに混じって激安のスーパーやドラッグストア、コンビニなどがあり、通りの向こうには居酒屋やバー、スナックなどがある。街ほど豊富ではないが、この区域に住む人たちは終電を気にしなくていいのでよく利用しているように思える。
そして何よりこの辺は治安がいい。おそらくヤクザなどが、しっかりしているのだろう。ヤクザによっては全く常識が通じない人もいるが、古参のヤクザは割と礼儀が正しい。縦社会がしっかりしているのだろう。行き交う子供たちがふざけながら登下校をしていて、自転車に乗った警察官が注意している。それを見て響子はあらか様にほっとしていた。集団で帰らなければいけないが、大人が付いていないということは安全な地域である証拠だ。
駅の前にあるコンビニ。そこに響子がいる。圭太は傘を差しながら、外から中を見る。すると雑誌のコーナーに響子の姿があった。手を振ると、響子はすぐにコンビニを出てきた。
「悪かったわね。こんなところまで。」
「いいんだ。どうせ帰るついでだったし。」
そう言ってパスを手渡す。これを渡せばもう響子は帰って行くのだろうか。
「飯でも食わないか。」
「怒られるわよ。」
「誰に?」
「聡子さんっていったかしら。デザイナーをしているのね。いらつく人だけど、注意すれば聞いてくれる。聞く耳を持った人なら、前のような失敗はしないでしょう?」
やはりそうか。響子は誤解をしている。そう思って圭太は少しうつむいた。
「聡子は違うよ。」
「違う?」
「彼女じゃないから。」
すると響子は少し驚いたように言った。
「彼女じゃないのにすごく親しそうね。あなたはそういうつきあいをみんなとしているの?それが普通なのかしら。」
真二郎とは一緒に住んでいるのだ。それを言われたら響子も何も言えないが、人それぞれつきあいというのはあるだろう。自分が少しずれていることなんか、自分でも自覚はある。
それに彼女ではなくてもキスは出来る。そういう男もいるのだ。自分がそれを一番知っている。
「前につきあってた女だから。」
「元カノってこと?」
「うん。でもまぁ……一ヶ月持たなかったかな。」
覚悟はしていた。だが真っ直ぐに言われると思っていなかった響子は、少し動揺していたのかもしれない。
「彼女は忘れていないんじゃない?」
「違うよ。こっちの方で打ち合わせがあったり……。」
「そんなのいいわけに決まってるじゃない。あなたが良いなら元の鞘に戻ったら?そんなときに店を離れてもただの従業員と一緒にいるなんて、彼女が良い気分をしないわ。」
「響子。」
「気の迷いだったと思うようにするから。」
そういって響子はため息を付いて、駅の方へ向かおうとした。無かったことにすればいい。あんなキスなんて、嘘だったのだ。夢だったのだと思いたかった。
だがその手を捕まれる。雨が降っていて、腕が濡れることなど、気にしなくても良い。ただ誤解をさせたまま行かせたくなかった。
「まだ話は終わってない。」
「したじゃない。」
「誤解をさせてる。俺は……お前のことしか見てないんだ。」
すると響子は足を止めて言った。
「あなたにはわからない。どんな気持ちであなたを見ていたなんて。」
その言葉に圭太は驚いて響子を見下ろす。だが響子はその手を振りきると、駅の方へ向かっていった。その後を圭太も追っていく。
0
お気に入りに追加
10
あなたにおすすめの小説
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
隣の席の女の子がエッチだったのでおっぱい揉んでみたら発情されました
ねんごろ
恋愛
隣の女の子がエッチすぎて、思わず授業中に胸を揉んでしまったら……
という、とんでもないお話を書きました。
ぜひ読んでください。
ねえ、私の本性を暴いてよ♡ オナニークラブで働く女子大生
花野りら
恋愛
オナニークラブとは、個室で男性客のオナニーを見てあげたり手コキする風俗店のひとつ。
女子大生がエッチなアルバイトをしているという背徳感!
イケナイことをしている羞恥プレイからの過激なセックスシーンは必読♡
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子
ちひろ
恋愛
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子の話。
Fantiaでは他にもえっちなお話を書いてます。よかったら遊びに来てね。
隣の人妻としているいけないこと
ヘロディア
恋愛
主人公は、隣人である人妻と浮気している。単なる隣人に過ぎなかったのが、いつからか惹かれ、見事に関係を築いてしまったのだ。
そして、人妻と付き合うスリル、その妖艶な容姿を自分のものにした優越感を得て、彼が自惚れるには十分だった。
しかし、そんな日々もいつかは終わる。ある日、ホテルで彼女と二人きりで行為を進める中、主人公は彼女の着物にGPSを発見する。
彼女の夫がしかけたものと思われ…
【R-18】クリしつけ
蛙鳴蝉噪
恋愛
男尊女卑な社会で女の子がクリトリスを使って淫らに教育されていく日常の一コマ。クリ責め。クリリード。なんでもありでアブノーマルな内容なので、精神ともに18歳以上でなんでも許せる方のみどうぞ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる