或る殺人者が愛した人

神崎

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僕ら の モノ

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 病院を出たことは覚えている。だけどどうしてここまできたのかはわからない。さっきから携帯電話がなっている。だけど取る気にもならなくて、ついには携帯電話の電源を切ってしまった。
 何も考えられなかった。ただ頭に響いていたのは伊勢さんのお母さんのヒステリックな声が響いて、私を自己嫌悪に陥らせる。
 きらきらと輝くネオン街。気がつけば、そこに私はいた。もう遅い時間なのだろう。歩く人たちはみんな酔っぱらっているように見えた。みんな何の悩みもないような人たちに見える。ただ楽しく飲んでいる。そう見えた。
「いてぇな。ネェチャン。」
 どうやら肩がぶつかったらしい。それでも何も言わずに私はそのまま行こうとした。それがそのぶつかった男の人たちには気にくわなかったらしい。
「ネェチャン!」
 呼び止められ、振り返った。するとその男の人たちはぎょっとした表情になる。私はどんな表情をしていたのだろう。わからない。だけど今まで「怒り」の感情で私を見ていた男の人たちが、私を見て黙り込んだということは私はそれほどひどい表情をしていたのかもしれない。
 私はまた前を向くと、前に歩いていこうとした。そのときその肩がぶつかった男の人たちが、私のあとを追いかけてきた。
「どこに行くの?姉ちゃん。」
「…。」
「よかったら俺たちと飲みに行かない?」
 強引に連れて行こうとして、肩に手をかけてきた。
「…や…。」
「え?」
「行かない。」
 そう言ってその手をふりほどき、また行こうとした。しかし男たちはついてくる。
「どこ行くの?どこも行く予定はないんでしょ?俺らと飲もうよ。はい、決まりー。」
 強引に連れて行かれたのは、少し行ったところにある雑居ビルだった。どうやらくたびれたショットバーや、おばさんがやっているスナックなんかが入っているところらしい。
「…。」
 こんなところで飲もうというのか。この男たちに何の考えがあるのかなんて手に取るようにわかる。きっと桐が書いてきたような官能小説のようなことをしたいのだ。
 そんな反応が私にできるとは思えないけれど、もう、どうでもいい。
「依?」
 向かいから降りてきた男が、私を見て声をかけた。その声はおなじみすぎて、足を止めてしまった。
「あれ?知り合い?」
 間抜けな答えだと思った。男たちはばつが悪そうに彼を見た。
「どこ行くんだよ。桐待っているんだよ。」
 桐が?私は顔を上げて、彼をみる。そこには変わらない人がいた。成だ。
「成…。」
「何だよ。男連れだったのかよ。」
「つまんねぇ女。」
 そう言って男たちは行ってしまった。そして残されたのは、私と成だけだった。
「…ありがとう。成。」
「どうしたんだよ。お前。」
 一度顔を上げたけれど、私はまたうつむいてしまった。
「何でもないわ。」
「何でもない訳ないだろう。あんな男たちに捕まるなんて…。」
「…何でもないの。成には…関係ないから。」
 助けてくれたのにひどい言いぐさだ。それは自分でもわかる。でも私は成も、そして桐も拒否してしまったのだ。それでも彼らは手をさしのべようとしている。
 その手に私がすがりつくほど、私は彼らに甘えてはいけないのだ。
「ありがとう。」
 そう言って階段を私は下りようとした。しかしそれを成が許さない。
「今は行くな。」
「…。」
「さっきの男たちがまだその辺にいるだろ?上に僕の部屋がある。」
「桐も?」
「あぁ。」
「…。」
 どうしてだろう。さっきまでどうなってもかまわないと思っていたのに、桐には会いたくないと思っている。どうなってもかまわない割に、弱いものだ。
「会いたくないか?」
「…。」
「わかった。じゃあ、僕も行くから。」
 すると成はさっきの男たちと同じように、私の肩に手をおいて階段を下りるのをエスコートしてくれた。これで彼らは私たちが「本当の知り合い」だったと納得するだろう。

「伊勢さんの?」
「えぇ…。」
 話すまで時間がかかった。私の心の中の整理がまだつかなかったから。でも成はゆっくりとその話を聞いてくれた。そんなところは優しい男だ。
「そうだったんだ。伊勢さんの…。」
「私はまだ身内ではないから、あの場にいる権利なんか無いけれど…。」
「でも結婚する気になっていたんだろう?伊勢さんにとっては身内みたいなものだよ。それをかばうこともできないなんて…。案外、伊勢さんも君のことはそんなに本気ではなかったのかもしれない。」
「…違うわ。だって…結婚しようとしていた。」
「そうだろうか。僕だったら…。」
 成だったら…どうなのだろう。あの圧倒的な圧力をかけてくる父親に逆らって私を守るのだろうか。
「守るな。」
「え?」
「僕だったら君を守るよ。あの父親を刺してでもね。」
「…物騒ね。」
「または…逃げるかな。君の手を取ってね。」
 そう言って成は私の手を取ろうとした。しかし私はその手を拒否する。
「やめて。」
 信号で止まる。そこから私は降りようとシートベルトをはずした。
「依。危ない。乗っておけ。」
 そのときだった。ハンドルに手をかけた私の手に成の手が重なった。
「成…。」
「僕らのモノだ。」
 体も重なり、そのまま顔が近づき唇が重なろうとしたときだった。
 ビッーーーー!
 車のクラクションの音がした。どうやら信号が青になっていたらしい。成は少し笑い、また運転席に戻っていく。
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