或る殺人者が愛した人

神崎

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権力者 と その息子

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 内藤さんが言ったとおり、官能小説界では重鎮である神谷先生の連載を終わらせようという話が、飛び出してきたのはそれから数週間後のことだった。
 春には雑誌「ポルノ」は大きく変わるらしい。今まではこっそりと買わないといけない雑誌であったのだが、誰にでも手に入れやすい表紙に変えていくらしい。
 そのためには表紙のセクシーなグラビアアイドルをやめて、男性と女性の激しい絡みのない写真にする。神谷先生のようなハードなSMをやめ、恋愛を主体にしたマンガや小説を載せるらしい。
「…つまんない雑誌になりそう。」
 ぽつりとつぶやいた言葉が久保さんに聞こえたのだろう。久保さんは少し笑いながら、リストを私に差し出してきた。
「何ですか。」
 そのリストには見たことのある会社が沢山載っていたが、そのほとんどの横には×印がついている。
「春からスポンサーを降りると言いだしてきた会社ばかりだ。」
「え?」
「仕方ないね。風俗やおもちゃなんかが載るような雑誌じゃなくなるんだろうし。」
「それだけ部数が上がればいいのですが。」
「この不景気じゃ、改めてスポンサーになるという会社も少ないしね。困ったものだ。」
 上司の判断だ。しかしその判断は吉と出るのか、凶と出るのかはわからない。しかし私たちはその中の一つの駒なのだ。「やれ」と言われたことはやらないといけないのだから。
 それよりも神谷先生に打ち切りと契約解除の知らせをするのは、とても気が滅入る。プライドの高い先生だ。果たして受け入れるのだろうか。
 そのとき、部署の奥がざわめいた。何だろう。ふと向こうをみる。そこにはまるで首振り人形のように頭を下げている上司がいた。なんて品のない…。
 でもそれくらいの人が来ているのだろう。さらにじっと見ていると、そこには一人の男が現れた。白髪の男で、着物を着ていた。堅太りしているのか、その仕立てのいい着物はよく彼にあっていた。
「誰ですか。」
「小林グループの総帥。この会社、昨年末に買収されているだろう?」
「あぁ。そうでしたね。」
「様子を見に来たんだろう。」
 まるで地響きのように笑う人。何が可笑しいのだろうか。
 そう思っていたときだった。総帥はこちらに向かってくる。そして私を見下ろした。なんて威圧感のある人だろう。
「確かここは成人向け雑誌の編集部だろう。」
「おっしゃるとおりでございます。」
「どうして女性がいるんだ。女性目線で男の気持ちが分かるのか。」
「はい。おっしゃるとおりでございます。しかし…。」
「貴様は私に口答えするのか。」
「いいえ。滅相もない。すぐに部署替えを…。」
 この男の一言で私は部署替えされそうになった。なんて横暴な人なんだろう。
「…女。貴様はこの部署で何をしている。」
「佐藤君。答えなさい。」
 こういうことも働いていればある。心の中でため息をつき、私は立ち上がると正直に言う。
「この雑誌の読み物コーナーを担当しています。」
「と言うことは、小説家に依頼したりしているのは貴様か。」
「限られた作家のみですが。本の出版も承っています。」
「…。」
 私のパソコンの画面を見て、彼も驚いたように見ていた。重鎮の名前から、新進気鋭の作家までいろんな人のメールが届いていたからだろう。
「神谷も貴様がしているのか。」
「はい。しかし春には神谷先生との契約は打ち切られるそうです。」
「あいつとは昔からの知り合いだ。打ち切るとは何事だ。編集長はいるか。」
 すぐに私の前から離れ、総帥は編集長の元へ行ってしまった。彼がいえば、神谷さんを打ち切ることはしないのだろうか。
「佐藤さん。よく言えたね。あの人に。」
「別に特別なことじゃないです。私はありのままを言ったまでですから。」
 しばらくして総帥が帰ろうとしたときだった。私のほうに視線を向け、こちらに近づいてきた。
「何でしょう。」
「貴様、名前は佐藤か。旧姓は何だ。」
「旧姓?」
「結婚しているのだろう。その指輪は。」
「…いえ。結婚はしていませんが、確かに名字は一度変わりました。高橋と言います。」
「高橋…。」
 その名前に、僅かに彼の表情がひきつったように思えた。そして何もいわずに去っていく。
 何だったんだろう。

 結局雑誌の方針はややソフトになるという変更のみで、行くことになった。神谷先生との契約もそのままになった。ただし、ハードなSMよりもソフトなものにしてもらうことになった。
 縛り上げたり、血が見えるようなモノはなしということだ。そのかわり言葉責めを中心にすることになる。
「こんなのいわれたら泣くわ。」
 もらってきた原稿を見ながら、私は呆れていた。神谷先生のその原稿を見ながらパソコン上に打ち込んでいく。まだ文章はたくさんあるが、退社時間が迫っている。
「…残業しなきゃ。」
 コーヒーをもう一杯飲もうと、給湯室にカップを持って行ったときだった。
「依。」
 声をかけられて、振り返るとそこには成の姿があった。
「成。」
 相変わらずさわやかで、彼の周りだけ一足先に春が来たようだった。
「父親がきたって聞いてさ。何か言われなかった?」
「私に?言われるわけ無いわ。こんな会社の一社員に何を言うことがあるの?」
 本当は仕事のことに口をだしてきたけれど、それを言っても仕方がない。
「そっか。だったらいいけど。」
「成。お世話になっているんでしょ?」
「あぁ。桐?うん。この間からね。まぁ、僕も部屋が余っていたし、家賃がきついなぁと思ってたからちょうどよかったよ。」
「そう…。だったらいいけれど。」
「僕も依のように一軒家だったらいいんだけど。」
「あれはあれで大変よ。震度1の地震でもミシミシいうしね。」
「それは大変だ。」
 笑っている成をみたのは、久しぶりだった。こうしているだけで昔に戻ったような気がしたのは、私だけだったと知らないで。
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