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サイン会 の 嫉妬
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桐の本の発売日。それは同時としてサイン会の日でもあった。桐と待ち合わせをして、○×書房に向かう。家まで行かなかったのは、他の作家の世話もあったからだった。他の作家はタクシーや自家用車で本屋に向かうらしい。
駅で携帯電話を見ながら待っていると、一人の男が私に話しかけてきた。
「待った?」
いつも通りの格好。帽子と、古くて黒いコートを着ていた桐。
「そこまで待っていないわ。」
私はそう言って携帯電話をバックの中に入れた。
「10時に待ち合わせだろう。少し時間に余裕があるか。」
「同じくサイン会をする谷屋先生は時間に厳しい方なの。まだ若いあなたなら何かを言われるわ。」
「…そんなものかね。」
ふと彼を見上げる。すると少しの異変に気がついた。
「髪を切った?」
「あぁ。昔のイメージがあるだろうからと思って。」
「いいの?「東雲」=「中村桐」になってしまうわ。」
「別にかまわない。今までは隠したかったけど、今はどうでもいい。」
サイン会を受けたときから気になっていたが、桐はどうも最近投げやりになっている気がする。作家の仕事も、住むところも、何かのこだわりがあっただろう。だけど今はそのこだわりすら捨てている気がした。
「不動産屋さんへは行ったの?」
歩きながら聞こうとしたら、彼はふと足を止めてぼんやりとしていた。
「どうしたの?」
「コーヒーが飲みたい。少し寄っていっていいか?」
「…仕方ないわね。」
そう言ってテイクアウトできるコーヒーショップに立ち寄った。そして「本日のコーヒー」を2つ買う。そして一つの紙コップを私に手渡した。
「ほら。」
「私はいいのに。」
「あんな冷えるところにいたんだ。それで少しは温めろ。」
ぶっきらぼうにそう言うと、彼はコーヒーを一口飲みまた歩き出した。
桐は普段ぶっきらぼうで、優しさすらスマートに言えない桐。だけどその真剣さは伝わってくる。
だけど私は桐の優しさに答えることすら出来ないのだ。
○×書房にやってきた桐を書店の人が、驚きのまなざしで見ていた。
「中村桐さんですよね。「夏の日」の。」
女性の店員さんだ。まだ若いが、眼鏡がどうしても地味そうなイメージを与えてしまう。
「そうですけど。」
「「東雲」先生って、「中村桐」さんだったんですか。えぇーっ。知らなかった。」
「公表してませんでしたから。それに、もう俺は「中村桐」として活動する気もないですし。」
「でも噂では今度純文学でも書くとか。」
「まだ身内での話です。公表はしないで下さい。」
私は続々と集まる他の作家の対応に追われていた。その作家たちにも他の書店員が本を持ってやってくる。
だが他の作家は苦々しい顔をしていたようだった。特にこの世界では重鎮である「谷屋馨」は私に耳打ちをしてくる。
「これはニュースになるのではないのか。」
「…東雲先生もそれを覚悟で今日望んでいます。」
「全く…私たちは彼の客寄せピエロのようだ。」
自分の作品に自信がなければ、本を発刊することはない。おそらくただの嫉妬だと思うが、それにしても話題性は十分だろう。
話題になった本はおそらく爆発するくらい売れる。今日が発売日の本だ。どれくらい売れるかはわからない。ただ言えるのは、予約販売だけで重版が決定している。それくらい売れるのだろう。
紙の書籍が売れない時代に、この数字は異常だった。特に18禁の本であることも、異常さに拍車をかけている。
限定100冊のサイン本はあっという間になくなってしまうかもしれない。
そして11時。書店の片隅で、サイン会がスタートした。平日にも関わらずすでに長蛇の列があり、女性も男性も様々な年齢の人がいるように思えた。
その中で桐のブースだけは異常だった。
中村桐が座り、東雲のサインをしている。笑顔で答えている姿に、サインをもらった人たちは「格好いい」と口々に本を宝物のように抱えて出て行った。
まるでアイドルだ。
それに桐は不満の顔を見せることはない。不満の顔をのぞかせていたのは、他の作家だった。同じように笑顔で対応していたのに、東雲のブースだけが盛り上がっているような気がしていたからだ。
仕方ないのかもしれない。
話題性もあるし、それにあの容姿だ。昔の「中村桐」のイメージのままそこにいる。若くて、儚そうで、それに何より美青年。それが彼のイメージなのだから。
普段とは随分違う。
半纏を着てぼさぼさの髪で、いつも同じスウェットを着ているいつもの彼とは違うのだ。
やがてサイン会は終わり、他の作家とともに控え室へ向かう。
「お疲れさまでした。」
桐はコートと帽子をかぶり、出て行こうとした。そのとき、作家の一人が彼に声をかけた。
「そのコートは懐かしいな。君の叔父のモノだろう。」
声をかけたのは谷屋さんだった。
「えぇ。」
桐はそう言って振り返った。
「あいつはどんな場面でもそのコートを着ていたよ。作家同士が集まるパーティでもね。」
「そうでしたか。」
興味がなさそうに出て行こうとした桐に、さらに谷屋さんは声をかける。
「中村仁はいい作家だった。君もその後を追っていると思っていたのにな。」
すると桐の足が止まり、彼の方を見る。
「どういうことですか。」
「仲が良かったということだよ。仁さんとはね。君のこともよく話していた。母親に愛情を受けることが出来なかったから、可哀想だともね。」
その言葉に周りの人たちもざわめいた。
「…聞き捨てならないですね。叔父が何を言ったんですか。」
「ゴミ溜めの中に君がいた。そして母親は君をおざなりにして麻薬の虜になった。やがて母親は妻子のいる男に切りかかり殺人未遂と薬で捕まった。」
「すべては叔父の小説の中の物語ですよ。」
そうだ。これは中村仁の小説「捨て子」の物語だ。
「事実だろう。「捨て子」のモデルは、君だ。」
周りがざわめいた。それはそうだろう。今までちやほやされていた東雲の身内がそんな人だったとは想像もしなかったのだから。
「桐…。」
私はその事実を知っている。そして中村仁さんがそれを小説にしたのも知っているし、その小説を読んだこともある。それに対して、仁さんを攻めたこともある。しかし仁さんは私にこう言い放ったのだ。
「あいつを引き取ったのは小説のネタのためだ。それで小説が売れればいい。あいつに飯を食べさせるには、それしかないんだ。」
それをきた時なんて小説家というのは無情なのだろうと思った。
だけど桐は…桐には何も罪はない。だけど、こんな公の場でこんなことを公表されては、彼の立場も辛いところに追い込まれるのではないのだろうか。
私はそれを守って上げられるのだろうか。心が痛む。
駅で携帯電話を見ながら待っていると、一人の男が私に話しかけてきた。
「待った?」
いつも通りの格好。帽子と、古くて黒いコートを着ていた桐。
「そこまで待っていないわ。」
私はそう言って携帯電話をバックの中に入れた。
「10時に待ち合わせだろう。少し時間に余裕があるか。」
「同じくサイン会をする谷屋先生は時間に厳しい方なの。まだ若いあなたなら何かを言われるわ。」
「…そんなものかね。」
ふと彼を見上げる。すると少しの異変に気がついた。
「髪を切った?」
「あぁ。昔のイメージがあるだろうからと思って。」
「いいの?「東雲」=「中村桐」になってしまうわ。」
「別にかまわない。今までは隠したかったけど、今はどうでもいい。」
サイン会を受けたときから気になっていたが、桐はどうも最近投げやりになっている気がする。作家の仕事も、住むところも、何かのこだわりがあっただろう。だけど今はそのこだわりすら捨てている気がした。
「不動産屋さんへは行ったの?」
歩きながら聞こうとしたら、彼はふと足を止めてぼんやりとしていた。
「どうしたの?」
「コーヒーが飲みたい。少し寄っていっていいか?」
「…仕方ないわね。」
そう言ってテイクアウトできるコーヒーショップに立ち寄った。そして「本日のコーヒー」を2つ買う。そして一つの紙コップを私に手渡した。
「ほら。」
「私はいいのに。」
「あんな冷えるところにいたんだ。それで少しは温めろ。」
ぶっきらぼうにそう言うと、彼はコーヒーを一口飲みまた歩き出した。
桐は普段ぶっきらぼうで、優しさすらスマートに言えない桐。だけどその真剣さは伝わってくる。
だけど私は桐の優しさに答えることすら出来ないのだ。
○×書房にやってきた桐を書店の人が、驚きのまなざしで見ていた。
「中村桐さんですよね。「夏の日」の。」
女性の店員さんだ。まだ若いが、眼鏡がどうしても地味そうなイメージを与えてしまう。
「そうですけど。」
「「東雲」先生って、「中村桐」さんだったんですか。えぇーっ。知らなかった。」
「公表してませんでしたから。それに、もう俺は「中村桐」として活動する気もないですし。」
「でも噂では今度純文学でも書くとか。」
「まだ身内での話です。公表はしないで下さい。」
私は続々と集まる他の作家の対応に追われていた。その作家たちにも他の書店員が本を持ってやってくる。
だが他の作家は苦々しい顔をしていたようだった。特にこの世界では重鎮である「谷屋馨」は私に耳打ちをしてくる。
「これはニュースになるのではないのか。」
「…東雲先生もそれを覚悟で今日望んでいます。」
「全く…私たちは彼の客寄せピエロのようだ。」
自分の作品に自信がなければ、本を発刊することはない。おそらくただの嫉妬だと思うが、それにしても話題性は十分だろう。
話題になった本はおそらく爆発するくらい売れる。今日が発売日の本だ。どれくらい売れるかはわからない。ただ言えるのは、予約販売だけで重版が決定している。それくらい売れるのだろう。
紙の書籍が売れない時代に、この数字は異常だった。特に18禁の本であることも、異常さに拍車をかけている。
限定100冊のサイン本はあっという間になくなってしまうかもしれない。
そして11時。書店の片隅で、サイン会がスタートした。平日にも関わらずすでに長蛇の列があり、女性も男性も様々な年齢の人がいるように思えた。
その中で桐のブースだけは異常だった。
中村桐が座り、東雲のサインをしている。笑顔で答えている姿に、サインをもらった人たちは「格好いい」と口々に本を宝物のように抱えて出て行った。
まるでアイドルだ。
それに桐は不満の顔を見せることはない。不満の顔をのぞかせていたのは、他の作家だった。同じように笑顔で対応していたのに、東雲のブースだけが盛り上がっているような気がしていたからだ。
仕方ないのかもしれない。
話題性もあるし、それにあの容姿だ。昔の「中村桐」のイメージのままそこにいる。若くて、儚そうで、それに何より美青年。それが彼のイメージなのだから。
普段とは随分違う。
半纏を着てぼさぼさの髪で、いつも同じスウェットを着ているいつもの彼とは違うのだ。
やがてサイン会は終わり、他の作家とともに控え室へ向かう。
「お疲れさまでした。」
桐はコートと帽子をかぶり、出て行こうとした。そのとき、作家の一人が彼に声をかけた。
「そのコートは懐かしいな。君の叔父のモノだろう。」
声をかけたのは谷屋さんだった。
「えぇ。」
桐はそう言って振り返った。
「あいつはどんな場面でもそのコートを着ていたよ。作家同士が集まるパーティでもね。」
「そうでしたか。」
興味がなさそうに出て行こうとした桐に、さらに谷屋さんは声をかける。
「中村仁はいい作家だった。君もその後を追っていると思っていたのにな。」
すると桐の足が止まり、彼の方を見る。
「どういうことですか。」
「仲が良かったということだよ。仁さんとはね。君のこともよく話していた。母親に愛情を受けることが出来なかったから、可哀想だともね。」
その言葉に周りの人たちもざわめいた。
「…聞き捨てならないですね。叔父が何を言ったんですか。」
「ゴミ溜めの中に君がいた。そして母親は君をおざなりにして麻薬の虜になった。やがて母親は妻子のいる男に切りかかり殺人未遂と薬で捕まった。」
「すべては叔父の小説の中の物語ですよ。」
そうだ。これは中村仁の小説「捨て子」の物語だ。
「事実だろう。「捨て子」のモデルは、君だ。」
周りがざわめいた。それはそうだろう。今までちやほやされていた東雲の身内がそんな人だったとは想像もしなかったのだから。
「桐…。」
私はその事実を知っている。そして中村仁さんがそれを小説にしたのも知っているし、その小説を読んだこともある。それに対して、仁さんを攻めたこともある。しかし仁さんは私にこう言い放ったのだ。
「あいつを引き取ったのは小説のネタのためだ。それで小説が売れればいい。あいつに飯を食べさせるには、それしかないんだ。」
それをきた時なんて小説家というのは無情なのだろうと思った。
だけど桐は…桐には何も罪はない。だけど、こんな公の場でこんなことを公表されては、彼の立場も辛いところに追い込まれるのではないのだろうか。
私はそれを守って上げられるのだろうか。心が痛む。
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