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合鍵 と 幸せの時間
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喫茶店を出て、買い物をしようとしたときだった。不意に伊勢さんが携帯電話を取り出した。どうやらマナーモードにしていたらしく、音は鳴らなかったが電話が鳴っていたらしい。
「もしもし。」
少し離れて、伊勢は何かを話していた。そして電話を切ると、私の方へ近づいた。
「依さん。すまないが、少し仕事が入ってしまった。鍵を預けておくので、部屋で待っていてくれないだろうか。」
伊勢さんの言葉に私は少しがっかりしたような気分になったが、聞き分けのない女だと思われたくもなかった。
「いいですよ。」
伊勢さんの手から鍵を受け取る。
「ある程度の材料は買ってある。好きなように使ってくれ。ケーキは私が見て買っておこう。」
ケーキをあれこれ選ぶ楽しみはあったのだが、仕方がないだろう。
「楽しみにしていて下さい。」
そう言って私は、少しほほえんだ。
「ではまたあとで。」
そう言って伊勢さんはその場をあとにした。そんなに急いでいくような事件があったのだろうか。パトカーの音もしないその夜に何の事件があったのだろうか。
でも信じるしかないのだ。
伊勢さんには伊勢さんの事情があるのだし、私は私の事情もある。
ゆっくりと足を進め、伊勢さんの住むマンションへ向かった。
マンションの部屋にやってきた私は、まずその部屋の暖房を入れた。身を切るように冷たいその部屋に、エアコンの暖房しかない。温かくなるまで時間もかかるだろう。
その間、冷蔵庫の中を見る。鶏肉、ジャガイモ、人参、タマネギ、牛乳。それに白菜、キノコ類などもあった。
「…。」
メニューを自分なりに組み立てると、台所に向かい料理を始めた。ジャガイモを水にさらして灰汁を取って水から上げたり、鶏肉を切ってタマネギと炒めている。
野菜と肉を煮込んでいる間に、白菜とキノコを出汁で煮る。それだけで温かいサラダになるのだ。
そうこうしている間に、玄関のドアが開く音がした。ふと見ると入り口の方から伊勢さんの姿が見えた。
「伊勢さん。」
一瞬伊勢さんは難しい顔をしていたようだったが、私の方を見て口元だけで笑う。
「美味しそうな匂いがする。」
「えぇ。シチューを。」
「悪かったね。買い物をしてからこちらに来れば、君の得意料理が作れたのだろうが。」
「別に…得意料理なんかないですから。」
伊勢さんの方をふと見ると、違和感があった。彼の頬がわずかに赤く腫れているような気がしたから。
「伊勢さん?」
私は手を止めて、彼の方に近づいた。そして手を伸ばし、彼の頬に手を当てる。
「どうしたんだ。」
「…腫れているから…。」
「あぁ。何でもない。」
「…こけたわけじゃないですよね。」
「…君には…隠せないな。情けないことだよ。」
彼は私の手を握って、私を見下ろした。
「夕べ処理した書類に不備があってね、上司に呼び出されたのだよ。「この仕事を何年しているのだ。」と怒鳴られ、殴られた。」
「まぁ…ヒドい。」
「ワタシが悪いんだ。少々浮かれていたのもある。」
「浮かれて?」
「最後まで聞きたいのか。」
その言葉のあとが想像できて、ふと私も顔が赤くなるような感覚になった。
今は、伊勢さんのその言葉を信じるしかないのだ。
食事がテーブルに並ぶ。買ってきてくれたケーキは、冷蔵庫に入っていたようだった。
夢のようだった。
ずっとあこがれていた人とこうして自分の手料理を食べてもらうなんて。私にはないと思っていたのだ。
やがて食事が終わると、買ってきてくれたケーキを伊勢さんが取り出してきた。食器を片づけ終わり、私は紅茶を入れた。時計を見ると、すでに20時をすぎている。
「ケーキはどちらがいいだろうか。」
紅茶を持って行くと、箱の中に入っているカットされたケーキをのぞいた。チョコレートのつるりとしたケーキと、イチゴやベリーの乗ったタルトがある。
「タルトもおいしそうだけど…。」
「では半分ずつにしようか。」
「いいんですか。」
「ワタシが気になったモノを買ってきたんだ。と言うことはどちらもワタシが食べたいモノだったから。」
「なるほど。」
ローテーブルに紅茶を置くと、私はふとこの家の鍵を伊勢さんに返すことを忘れていた。
「…あ、伊勢さん。」
「何だ。」
「鍵を返しておくのを忘れてました。」
「あぁ。それは、君が持っていていいんだよ。」
「え?」
「いつ来てもかまわない。ワタシは時間が不規則だから、なかなか会えるわけではないだろう。しかし帰ってきたら君がいるというのは、とても幸せだと思わないか。」
「それって…。」
一緒に住むということなのだろうか。いや…そんな急な…。
「別に今ではなくてもいい。でもその鍵は、君が持っていればいいんだから…。」
そのとき私は初めて私から彼の手を握った。すると彼は空いている手で、私の頬に触れる。
「伊勢さん…。」
「まだ、私を名字で?」
「…笙…さん。」
僅かに微笑み、彼は私に近づいてきた。軽く、ほんの軽くキスをする。それだけなのに胸がいっぱいになったようだった。
「もしもし。」
少し離れて、伊勢は何かを話していた。そして電話を切ると、私の方へ近づいた。
「依さん。すまないが、少し仕事が入ってしまった。鍵を預けておくので、部屋で待っていてくれないだろうか。」
伊勢さんの言葉に私は少しがっかりしたような気分になったが、聞き分けのない女だと思われたくもなかった。
「いいですよ。」
伊勢さんの手から鍵を受け取る。
「ある程度の材料は買ってある。好きなように使ってくれ。ケーキは私が見て買っておこう。」
ケーキをあれこれ選ぶ楽しみはあったのだが、仕方がないだろう。
「楽しみにしていて下さい。」
そう言って私は、少しほほえんだ。
「ではまたあとで。」
そう言って伊勢さんはその場をあとにした。そんなに急いでいくような事件があったのだろうか。パトカーの音もしないその夜に何の事件があったのだろうか。
でも信じるしかないのだ。
伊勢さんには伊勢さんの事情があるのだし、私は私の事情もある。
ゆっくりと足を進め、伊勢さんの住むマンションへ向かった。
マンションの部屋にやってきた私は、まずその部屋の暖房を入れた。身を切るように冷たいその部屋に、エアコンの暖房しかない。温かくなるまで時間もかかるだろう。
その間、冷蔵庫の中を見る。鶏肉、ジャガイモ、人参、タマネギ、牛乳。それに白菜、キノコ類などもあった。
「…。」
メニューを自分なりに組み立てると、台所に向かい料理を始めた。ジャガイモを水にさらして灰汁を取って水から上げたり、鶏肉を切ってタマネギと炒めている。
野菜と肉を煮込んでいる間に、白菜とキノコを出汁で煮る。それだけで温かいサラダになるのだ。
そうこうしている間に、玄関のドアが開く音がした。ふと見ると入り口の方から伊勢さんの姿が見えた。
「伊勢さん。」
一瞬伊勢さんは難しい顔をしていたようだったが、私の方を見て口元だけで笑う。
「美味しそうな匂いがする。」
「えぇ。シチューを。」
「悪かったね。買い物をしてからこちらに来れば、君の得意料理が作れたのだろうが。」
「別に…得意料理なんかないですから。」
伊勢さんの方をふと見ると、違和感があった。彼の頬がわずかに赤く腫れているような気がしたから。
「伊勢さん?」
私は手を止めて、彼の方に近づいた。そして手を伸ばし、彼の頬に手を当てる。
「どうしたんだ。」
「…腫れているから…。」
「あぁ。何でもない。」
「…こけたわけじゃないですよね。」
「…君には…隠せないな。情けないことだよ。」
彼は私の手を握って、私を見下ろした。
「夕べ処理した書類に不備があってね、上司に呼び出されたのだよ。「この仕事を何年しているのだ。」と怒鳴られ、殴られた。」
「まぁ…ヒドい。」
「ワタシが悪いんだ。少々浮かれていたのもある。」
「浮かれて?」
「最後まで聞きたいのか。」
その言葉のあとが想像できて、ふと私も顔が赤くなるような感覚になった。
今は、伊勢さんのその言葉を信じるしかないのだ。
食事がテーブルに並ぶ。買ってきてくれたケーキは、冷蔵庫に入っていたようだった。
夢のようだった。
ずっとあこがれていた人とこうして自分の手料理を食べてもらうなんて。私にはないと思っていたのだ。
やがて食事が終わると、買ってきてくれたケーキを伊勢さんが取り出してきた。食器を片づけ終わり、私は紅茶を入れた。時計を見ると、すでに20時をすぎている。
「ケーキはどちらがいいだろうか。」
紅茶を持って行くと、箱の中に入っているカットされたケーキをのぞいた。チョコレートのつるりとしたケーキと、イチゴやベリーの乗ったタルトがある。
「タルトもおいしそうだけど…。」
「では半分ずつにしようか。」
「いいんですか。」
「ワタシが気になったモノを買ってきたんだ。と言うことはどちらもワタシが食べたいモノだったから。」
「なるほど。」
ローテーブルに紅茶を置くと、私はふとこの家の鍵を伊勢さんに返すことを忘れていた。
「…あ、伊勢さん。」
「何だ。」
「鍵を返しておくのを忘れてました。」
「あぁ。それは、君が持っていていいんだよ。」
「え?」
「いつ来てもかまわない。ワタシは時間が不規則だから、なかなか会えるわけではないだろう。しかし帰ってきたら君がいるというのは、とても幸せだと思わないか。」
「それって…。」
一緒に住むということなのだろうか。いや…そんな急な…。
「別に今ではなくてもいい。でもその鍵は、君が持っていればいいんだから…。」
そのとき私は初めて私から彼の手を握った。すると彼は空いている手で、私の頬に触れる。
「伊勢さん…。」
「まだ、私を名字で?」
「…笙…さん。」
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