或る殺人者が愛した人

神崎

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子供 から 大人に

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 夜明け前に少し眠っていたらしい。ふと目が覚めると、すっかり日は上がっていて、日差しが部屋の中を照らしていた。
 伊勢さんの部屋は何度かお邪魔したこともあるし、泊まったことも何度かある。本来なら時効の切れた被害者への過干渉だと言われかねない行動だが、伊勢さんは「個人的」に私の世話をしたいと周りには言っているらしい。
 体を起こし、ベッドルームからリビングへ向かう。するとソファで眠っている伊勢さんの姿がある。普段きっちりと整えられている髪が下ろされていて、歳よりも若く見えないこともない。
 手にはめていたゴムで髪を結ぶ。そしてキッチンへ行くと、ポットでお湯を沸かし始めた。そして冷蔵庫をチェックする。きちんときれいに整頓された冷蔵庫には、おそらく賞味期限が切れたモノなど無いのだろう。ジャガイモ、人参、タマネギ、キャベツを取り出しシンクに置く。
 ジャガイモと人参を皮付きのまま芽だけを取りよく洗う。一口ほどにカットすると、電子レンジの中に入れた。
「…?」
 ふと見ると、ソファの上で眠っていた伊勢さんが起きあがったらしい。おそらく、私がキッチンでごそごそしていた音で目を覚ましたのだろう。
「おはようございます。」
「あぁ…おはよう。」
 あくびを一つして、こちらを見た。
「何をしているんだ。」
「昨日、お世話になったので食事でも。」
「そうか。ありがとう。」
 ベーコンとタマネギを切って、バターを入れた鍋の中に入れる。塩故障で軽く味を付けて沸かしておいたお湯を入れた。そして電子レンジの中に入れていた柔らかくなったジャガイモ人参を鍋に入れて、コンソメを入れる。そしてカットしておいたキャベツを入れて一煮立ちすれば、コンソメスープが出来上った。
 それにパンとコーヒーを用意すれば、朝食が完成。テーブルの上に装っていると、ベッドルームから着替えてきた伊勢さんがやってきた。
「ワタシが起きるまで結構時間があったのか?」
「いいえ。結構早く起きてきましたよ。」
「そうか。手早いな。料理も。」
 寒い朝だ。温かい料理の方が、体を温める。その上、根菜は体を温める効果があるらしい。
 すべて育ての母が教えてくれたことだ。
「いい人の養子になったものだ。」
「…私は運が良かったんです。あのとき生きながらえたのも、あの家族に引き取られたのも。だから感謝をしなければいけない。なのに…。」
「否定するようなことが?」
 パンにジャムを塗りながら、伊勢さんは私に聞いてきた。
「私は、成を拒絶してしまった…。」
 正直怖かったのだ。成があぁいう行動に出たのも、成との関係がこれで終わってしまうかもしれないという事実も。
「男と女の間に友情は成立しない。ワタシはそう思うがね。」
「…。」
 変な話だと思う。こうして別々の所で寝て、顔をつきあわせて朝食を食べている伊勢さんとは何もないと思っているのか。
「伊勢さんは何も思っていないのでしょう?」
 すると彼の表情はわずかに変わった。
「…何もない…か。そうだな。ワタシが警察官になった頃、君に初めて会ったとき、君はもう小学生だったか。」
「えぇ。」
「20歳くらいの男が小学生に欲情するとは思えない。子供のような感覚だ。」
「子供…。」
 伊勢さんはずっとそう思っていたのだろう。私のことを「子供」だと。だから今、私が28になっても伊勢さんは私を子供扱いするのだ。
 それは朝食を用意しても、部屋に連れ込まれても、私に何もしてこないのがその証明になる。
「君が結婚するときは、私が結婚の保証人になってやろう。」
「まぁ。そんなこと…。」
 苦しかった。そんな話を伊勢さんとしているのが。涙が出そうな感覚を、必死にこらえて私はその話をじっと聞いていた。

「君は今日、成君の所に行きにくいだろう。ワタシが荷物を取ってきてあげるから。君はどこかに出て行っていてもいい。」
「いいえ。どこに行く宛もないので、ここにいます。」
 伊勢さんはそれで納得すると、「留守番を頼む」と言って普段の格好とは違うラフな格好で出て行った。非番なのだろう。ジーパンを履いているところを初めて見た。
 ベッドで寝ていたため、ベッドはくちゃくちゃになっている。そのシーツを引っ剥がし、洗濯機の中に入れた。今日はいい天気だ。きっとシーツもよく乾くだろう。
 テレビの脇にあったハードカバーの本を手に取り、ソファに座る。その本は、外国で連続殺人をした死刑囚の手記だった。内容は「後悔」と「恨み」が書き連ねられていて被害者への「謝罪」の言葉はない。
 私の両親を殺したという犯人も謝罪する気持ちはないのだろうか。イヤ。今まで出てきていない犯人だ。私に謝罪する気持ちなど無いだろう。
「…。」
 気分が悪くなりそうだった。本を閉じて膝の上に置く。そしてぐるぐるしている目の前を押さえるように、目を閉じた。

 ふと柔らかいモノが唇から伝わってくる感覚におそわれて、目を覚ました。目を開けると、目の前に伊勢さんがいた。私が目を覚ましたことに驚いていたのかもしれない。
「依さん。リビングのテーブルの上にコートやバックを置いている。」
 視線を合わせようとしない。何をしたのだろう。
「ありがとう…ございます。あの…成は…?」
「二日酔いで、青い顔をしていたな。君の荷物だけをワタシによこしたらすぐに部屋に戻っていった。」
「…まぁ。」
 自業自得だ。そう思いながら、私はソファから立ち上がろうとした。そのとき、伊勢さんが私の隣に座る。
「…どうしました?」
「成君は…いつからあんな感じになってしまったのか。」
「成が?」
「すまない。ワタシは、君に嘘をついた。」
「え?」
「成君はすぐに戻っていったわけじゃない。実は、ワタシに喧嘩を売ってきた。」
「喧嘩を?」
「君についてのことだ。いい歳の男女が、一緒の部屋にいて何もないなんていうのはあり得ない。あるのだったら、それはどちらかに欠陥があるからだと。」
「…昔私に伊勢さんがいったことですね。」
「それはワタシにも当てはまる。」
「…。」
「でもワタシは君はまだ子供だと思いながら、ずっと過ごしてきた。でも…君は大人になった。その事実を、ワタシは認めたくなくてずっと目をそらしていた。」
「…伊勢さん…。」
「いつの間にか、君に「笙」と呼ばれることを望んでいた。」
「…。」
「先ほどの言葉を撤回させてもらってもいいだろうか。」
 そのとき私は何を考えていたのだろう。伊勢さんの胸に体を寄せていた。その体は、引き締まった大人の体だった。
「「謝罪」して下さい。私は先ほど、失恋したと思いこんでいたのですから。」
「…悪かった。」
 彼はその大きな手で私を抱きしめた。そしてぐっと持ち上げると、その唇にキスをした。トロケそうで、胸が張り裂けそうだった。
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