或る殺人者が愛した人

神崎

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桐 の 決断

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 桐の本の外装が出来上がり、私はそれを手に桐の元を訪れた。桐はあのとき以来あまり外に出ていない様子だった。
 外に出るときはお風呂に入りに行くときだけ。そのついでにコンビニに寄って煙草や飲み物、食べ物を買いに行くらしい。それを知っていて、私はその本を持って行くついでに、スーパーに立ち寄り、ある程度の食材を買い込んだ。こんな物は領収書を発行しても、経費で落ちるわけがない。あくまで自分の身銭でやることなのだ。
「コーヒー豆もなかったのね。良かったわ。買ってきておいて。」
 連絡もなしにした行動だったが、それでも勘は当たるものだ。つきあいは長い。彼の行動パターンもわかる。
「官能小説なのに、単行本なのか。これで手に取る奴はいるのかな。」
「いるわ。女性向けの官能小説だもの。かえって文庫部本と一緒に並べると、女性は本屋さんで買いにくいわ。」
 今時はR18の小説でも女性が手にしているのを見る。男性のようにようとがはっきりしているわけではなく、その内容にも恋愛要素がないと女性は手に取ってくれない。
「でも売れれば文庫本でも出す予定なんだろう。」
「そうね。そうなることはほぼ確定だけど。今は単行本出うる予定ね。それと同時に電子書籍でも。」
「電子書籍ね…。あんまり好きじゃないんだよな。」
 煙草を消して、また本を手に取っていた。それを見て、私は台布巾を手に取った。
「さ、出来たわよ。片づけて。」
「仕事に来たんじゃないのか。お前は。」
「仕事で来たわよ。体調管理も出来ない作家のために、食事の用意までする出来のいい担当編集者でしょ?」
 わずかに舌打ちをして、ローテーブルにおいてあった書類を一旦ベッドの上に置いた。
 鯖の味噌煮、キャベツと人参のコールスロー、冷や奴、大根葉と上げの味噌汁、そしてご飯を並べた。
「肉じゃない…。」
「魚も食べなさい。青魚が体にいいのよ。」
 文句を言いながらもそれらに箸をつける。文句は多くても結局全部食べてしまうんだから。
「…しかしすごい資料ね。」
「いらない資料がほとんどだ。」
「捨てなさいよ。」
 そう言ってベッドの上に散乱している一枚の紙を手に取った。その内容に私は凍り付いた。
「え?」
 手に取った紙を見て、桐も箸を置く。
「…ミステリーでも書く予定があるの?」
 そのリストは時効になってしまった未解決事件のリストだった。有名な事件からそうでもない物まで、ありとあらゆる事件が記されている。
「そういう要素を入れようとしたんだよ。」
「うちの出版社で?」
「違うところだ。」
「官能じゃない小説を書くんだったら、何でうち以外の所で書くの?」
「違うって。一応官能小説だ。でも話がまとまらなくて、プロットの時点でやめた。」
 いらいらする。どうして黙ってこんなプロットをたてたのか。私が担当編集者なのに、その相談の一言もなかったのか。
 それにその未解決事件の中には、私の両親の事件も含まれていたのも、一つの理由なのかもしれない。だめだ。最近伊勢さんに会ったからなのか、両親のことばかり思い出してしまう。
「もう、帰るわ。」
 そういって私はコートを手に取った。
「依。」
 あわてて桐が立ち上がった。
「食器ぐらいは洗っておいて。コールスローの残りは冷蔵庫にあるから。」
「依。」
 帰ろうとした私の二の腕を、桐が掴んだ。
「何よ。」
「お前だけじゃないだろう。辛い思いをしていたのは。」
「…。」
「俺も…成も…孤児になった理由は様々だ。成なんか、引き取られても辛い思いをしてたんだろう。」
「わかってる。」
 おそらく3人の中で私が一番幸せな引き取られ方をした。血の繋がりは一切無い夫婦に引き取られたのが、幸いだったのだろう。
「だけど…幸せだった家族が一気にいなくなったのよ。それも幼い頃に。耐えろって言う方が無理があるわ。」
「でもお前は忘れている。犯人の顔を見たはずなのに、覚えていなかった。」
 ずきん。
 頭が痛い。あの血塗れの両親のことを思いだして、そしてその側にいた「人」を思い出して。
「痛い…。」
「依。」
「…。」
 腕をふりほどき、私は両手で頭を抱え込む。
「…痛い。」
 ふわりと、温かいモノが体にかかる。それは桐の腕だった。
「…編集長に言っておけ。今度「東雲」の名前で純文学を書くとな。」
 きっとミステリーを書くつもりだ。「誰」の物語を書くつもりなのだろう。

 頭痛薬を飲んで、再び会社に戻った。青い顔をしていた私に編集長は驚いていたようだが、桐の言葉を伝えると手放しに喜んでいた。
「東雲先生がやっとその気になったのか。」
 本来なら彼の本名である「中村桐」の名前で出版したいのだろうが、それを桐が許さないだろう。
 あくまで「中村桐」は一度だけ大ヒット作を生みだした、一発屋の作家なのだから。
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