或る殺人者が愛した人

神崎

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第三 の 男

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 休みの日。からりとした晴れの日だった。
 あの日のことだが成は何があったか覚えていないらしく、とぼけたように「何か変なことを言ったか」と聞いてきたが、真実を告げることはなかった。
 ただ成は桐に「送っていってやる」と車に乗ることを進めたが、それを断って桐は歩いて帰って行った。「寄るところ」があるらしい。
 彼による所などコンビニくらいしかないはずだ。どうして成の誘いを断ったのだろう。
 そんなことを思いながら、私は朝食のあと溜まっていた客間の布団のシーツを引っ剥がしていた。溜まっている洗濯物と一緒に洗うためだ。一晩寝ただけなのに時間がたっているからか、布団はどことなく男独特の匂いがしていた。
「天気いいなぁ。」
 ぽつりとつぶやき、庭を見る。この際、布団も干してしまおうかと思ったときだった。
「ごめんください。」
「はい。」
 布団をそのままに玄関へ向かう。そこには一人の男性がいた。大柄で目つきが悪い。おまけにスーツまで着ていて、堅気の人に見えない。でもこの人は私が小さな頃から知っている人だった。
「伊勢さん。」
 「伊勢笙」さん。警察官だ。彼のお父さんの時から、私の両親の事件でお世話になっている。もっとも犯人は見つからないまま、伊勢さんに引き継がれたのだ。
 一時は随分ヒドいことを言ってしまったものだが、居間はお酒を2人で飲むこともあるくらい気心が知れている。
「近くへ来たものでね。」
「こんな朝早くからですか?」
 表情が変わらない。冗談を言っても彼は笑うことはない。笑顔がないからと気にしていたが、それでも彼の誠実さは行動で伝わってくる。だから私も気を許してしまうのかもしれない。
「コーヒー。飲みませんか。」
「気にしないでくれ。何かしていたのだろう。」
「えぇ。夕べ、成と桐が泊まっていたので布団を干そうかと。」
「年頃の女性の家に男が泊まりに来るとはね。」
「気にしませんよ。兄弟みたいなものですし。」
「手伝おうか?」
「いいんですか。ではよろしくお願いします。」
 成や桐でも台所に入らせることもはばかれるのに、伊勢さんならこの家のどこにいても特に何も思わない。
「家が広いと大変だ。」
「えぇ。でも平屋なので掃除するにしてもたかがしれてますよ。」
 それから2時間ほど、みっちりと掃除と洗濯を終わらせた。コーヒーを入れる暇もなく、二人でこの寒い中汗をかきながら埃を落とし、拭き掃除をした。おかげで昼ごろには溜まっていた埃もなくなった。
「ありがとうございます。こんな事までして頂いて。」
「大丈夫だ。久しぶりにワタシも汗をかいた。」
「今度こそコーヒーを…いいえ、昼食でもいかがですか。」
「外へ行かないか。出来るなら昼食をつきあって欲しいのだが。」
「え?」
「一人では行きづらくてね。君がついてきてくれるなら嬉しいのだが。」
「そんなこと言って。私ばかりにかまうから、38にもなって結婚できないんだと言われていましたよ。」
「そんなことは言わせておけ。」
 大きな体を揺らせて、彼は笑う。そんな姿も彼のお父さんそっくりだった。そして、私の父にも似ていた。

 伊勢さんが連れていってくれたのは、駅の近くにある洋食の店だった。若い女性が多くて、確かに入りづらいかもしれない。特に伊勢さんのような風貌ならなおさらだろう。
「ご案内します。」
 ウェイターに案内されたテーブルを伊勢さんはいぶかしげに見る。
「どうしました?」
 すると彼はウェイターに耳打ちをする。するとウェイターは満面の笑みでほかの席を勧めた。それは先ほどの真ん中の席で横も前も人がいるような席ではなく、壁側の絵の下の席だった。絵は海とヨットの絵で、どこかで見たような絵だった。
「デザートが美味しいと聞いていてね。」
「相変わらず、甘いものに目がないんですね。」
「あぁ。お持ち帰りも出来るらしいが、いつ帰れるかわからないのに、ケーキを持って歩くわけにも行かなくてね。」
「ではデザート分が入るくらいのランチを食べましょう。」
 ウェイターがメニューを持ってくる。洋食なだけにパスタやピザなどのメニューもあるし、コース料理もある。今の時間帯はランチコースなんてものもある。
「コースにしようか。」
「それではデザートの種類が限られてしまいますよ。」
「うむ…そうだな。ではどうしよう。」
「アフタヌーンティーセットもありますよ。スコーンとサラダ、サンドイッチ、お好きな飲み物、お好きなデザートが一式になってますし、2人前からになってます。」
「それだ。それにしよう。デザートのリストを見せてくれないか。」
 強面で、その上がっちりした体つきをしているのだ。警察官の中でも、孤立していると聞いたことがある。確かに進んで飲みに行こうと誘われるタイプではないだろう。
 でも私は知っている。伊勢さんがどれだけいい人なのか、気持ちを伝えるのが不器用な人なのか。ううん。私だけじゃない。成も、桐も、伊勢さんだったら大丈夫と絶対の信頼を寄せているのだ。
 それにきっと伊勢さんは私の心の呪縛を解いてくれる。そう信じている。
「私はこのショコラとコーヒーにしよう。君は何にする?」
 そういってメニューを差し出してくる。確かにデザートは目移りしそうなものばかりだ。
「冬のデザートって何でチョコレートばかりなのかしら。」
「寒いとチョコレートが食べられるからだろう。夏では溶けてしまうからな。」
「そう…ですかね。」
 少し首をひねりながらも、私が選んだのはリンゴのブリュレと紅茶を頼んだ。
「凝ってますね。この店。この絵も、レプリカでしょうけど見たことありますから。」
「そうか。私は絵には詳しくなくてね。」
 そういって彼はお冷やに口をつけた。お冷やも普通の水ではなく、レモン水のようだ。甘さも素っ気もないその水は、口内をさっぱりさせてくれる。
「成君や、桐君は元気なのだろうか。」
「えぇ。二人とも頑張ってます。桐は今度新しい本を。」
「今度は是非純文学をみたいと伝えておいてくれ。」
「…。」
「無理だろうか。」
「えぇ。本人がもう書かないと言っていますし。」
「…では今度はミステリーを書いて欲しいと言っておいてくれ。」
 そんな問題じゃない。人の気持ちに鈍感なことも、周りの人たちが彼を遠ざける一つの理由になっているのかもしれない。
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