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大きな部屋 の 経営者
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桐の部屋を出ると、その足で駅の方へ向かう。
大して大きな町ではないけれどそこそこ何でも揃うその町は、幼い頃からいた町だった。私が生まれたのも、孤児院に入ったのも、この町だった。離れたのは大学へ行ったときだけ。
平日の昼間はビジネスマンやOLが行き交う駅前をすり抜けて、駅前にある高層マンションの中に入っていった。きれいなエントランスは先ほどの桐の家とは全く違う建物のようだ。床もぴかぴかで、角に添えられている植物もよく手入れがされている。
エレベーターの横にある文字盤の前にたつと、1003と打ち込んだ。すると軽いチャイムの音がする。
ピンポーン。
しばらくすると、女性の声が聞こえた。
「小林デザイン事務所です。」
「○×出版の佐藤です。本のデザインの打ち合わせに参りました。」
「あ…はい。どうぞ。お上がりください。」
エレベーターに乗り込むと、10階のボタンを押す。閉まろうとしたエレベーターに一人の女性が入って来た。あわてて「開く」のボタンを押す。
「すいません。」
ペット可能のマンションだ。女性の胸には小型犬が大人しく抱かれている。散歩帰りかのかもしれない。しかし、すごいハイヒールだな。こんなハイヒールでは散歩も出来ないだろうに。
イヤ、ハイヒールだけじゃない。洋服、髪、すべてにお金がかかっているのだろう。いわゆるセレブなのだ。
「…。」
やがて10階にたどり着き、私はそこを降りた。とてもじゃないけれど、場違いなエレベーターの中だった。それにあの女性の香水の匂いが、とても不快にさせる。気分が悪くなりそうだった。
1003号室のドアの横にあるチャイムを鳴らす。するとすぐにドアが開いた。
「いらっしゃい。」
そこには、背の高い男が出てきた。
「お邪魔しても?」
「もちろん。ここで打ち合わせは出来ないからね。」
靴を脱いで玄関を上がる。玄関にあるシューズクローゼットの上には絵と、植物の鉢が置いてある。
上がってすぐの所にシステムキッチン、反対にはトイレとバスルーム。クローゼット。そして奥の部屋を開けると、そこには数台のパソコンが置いてあり、数人の男女がパソコンに向かって作業をしていた。
「奥の部屋でいいかな。」
「えぇ。もちろんよ。」
リビングルームを会社のスペースにしているのだ。それだけ広いこのマンションの1室。ダイニングは、お客様の応接室に利用していて、奥にあるベッドルームと空き部屋を自分の部屋にしていたのだ。
いったいいくらでこのマンションの部屋を買ったのだろう。会社としてはまだ小規模だけど、一人暮らしのマンションとしては広すぎる。
会社の名前は「小林デザイン事務所」。そして目の前でお茶を飲んでいるこの背の高い男が、この会社の若き社長である「小林成」なのだ。
今はこんなに立派な会社の社長をしているが、彼もまた私や桐と同じ「孤児院」出身だった。
「相変わらず大きな部屋ね。」
ベッドルームの見えるその部屋は、彼の自室だった。個人的な話をしたいときだけ、彼はここに客を呼ぶ。もっとも、私は個人的な話ではなく、仕事でここに来たのだけれど。
「広すぎるんだよね。」
「そうね。結婚でもすればちょうどよくなるでしょ?」
お茶に口をつけて、彼をみる。
「考えたこともなかったよ。まぁ、義理の父からは「いつ結婚するんだ」って帰る度にお見合い写真を進める始末だ。」
「言われるうちが花よ。」
少し笑い、私はタブレットをバックから取り出した。
「桐からどれがいいか聞いたわ。」
「赤の表紙だろう?」
「えぇ。」
タブレットを起動させて、彼にそれを差し出した。そこには何種類科の本のブックカバー案がある。
「これがいいらしいわ。」
指で指すと、彼はニヤリと笑う。
「やっぱりな。女性向けの官能小説だって言うから、ピンクがいいって木原さんは言っていたけど、桐は赤を選ぶと思った。」
「女性目線から見てもそうだわ。ピンクは官能小説と言っているように見えるわ。時代は進んだと言っても、やはり女性が書店で官能小説を手にするのは抵抗がものあるものね。」
タブレットを自分の手に戻すと、その赤い表紙を決定と印を付ける。
「しかし、桐が官能小説ね…。」
「まだ抵抗があるの?もう3年になるのよ。」
「そうだけど…桐だってあんなに本が売れたのに、なんで宗旨変えなんか…。」
「色んなことを言われていたもの。私があの会社に入ったときは、もうすでに桐は「落ちこぼれ」って言われていたし。」
「それでも一定数のファンはいただろう?」
「…それは桐の文章が好きなんじゃないわ。どちらかというとルックスでしょ?」
今でこそ桐はぼさぼさの髪でうだつが上がらない容姿をしているが、10代の時若き小説家としてデビューしたときは、成よりもさらに爽やかだった。はかなく溶けてしまいそうな少年でも大人でもない彼に惚れていたファンは多かった。
でもおそらく彼はそんな外見で小説を見られたくなかったのかもしれない。だから一般書席から身を引き、あえて官能小説を書き出したのだと私は思う。
「依。桐の所に言ってこっちに来たのか?」
「えぇ。表紙の意見も聞きたかったし。」
「桐は元気にしていたか。」
成の携帯にも桐の連絡先くらい知っているだろうに、どうして桐に連絡を取ろうとしないのだろう。
「えぇ。」
「今度3人で飲みに行かないか。」
「…どうしたの?あなたお酒弱いのにそんなこと…。」
「話があるんだ。」
成はいつも笑顔だ。28になっても爽やかな「君」でいるのだ。それだけに彼の感情はくみ取りにくい。
「飲みに行こう」と言った彼の真意は、私にはわからない。
大して大きな町ではないけれどそこそこ何でも揃うその町は、幼い頃からいた町だった。私が生まれたのも、孤児院に入ったのも、この町だった。離れたのは大学へ行ったときだけ。
平日の昼間はビジネスマンやOLが行き交う駅前をすり抜けて、駅前にある高層マンションの中に入っていった。きれいなエントランスは先ほどの桐の家とは全く違う建物のようだ。床もぴかぴかで、角に添えられている植物もよく手入れがされている。
エレベーターの横にある文字盤の前にたつと、1003と打ち込んだ。すると軽いチャイムの音がする。
ピンポーン。
しばらくすると、女性の声が聞こえた。
「小林デザイン事務所です。」
「○×出版の佐藤です。本のデザインの打ち合わせに参りました。」
「あ…はい。どうぞ。お上がりください。」
エレベーターに乗り込むと、10階のボタンを押す。閉まろうとしたエレベーターに一人の女性が入って来た。あわてて「開く」のボタンを押す。
「すいません。」
ペット可能のマンションだ。女性の胸には小型犬が大人しく抱かれている。散歩帰りかのかもしれない。しかし、すごいハイヒールだな。こんなハイヒールでは散歩も出来ないだろうに。
イヤ、ハイヒールだけじゃない。洋服、髪、すべてにお金がかかっているのだろう。いわゆるセレブなのだ。
「…。」
やがて10階にたどり着き、私はそこを降りた。とてもじゃないけれど、場違いなエレベーターの中だった。それにあの女性の香水の匂いが、とても不快にさせる。気分が悪くなりそうだった。
1003号室のドアの横にあるチャイムを鳴らす。するとすぐにドアが開いた。
「いらっしゃい。」
そこには、背の高い男が出てきた。
「お邪魔しても?」
「もちろん。ここで打ち合わせは出来ないからね。」
靴を脱いで玄関を上がる。玄関にあるシューズクローゼットの上には絵と、植物の鉢が置いてある。
上がってすぐの所にシステムキッチン、反対にはトイレとバスルーム。クローゼット。そして奥の部屋を開けると、そこには数台のパソコンが置いてあり、数人の男女がパソコンに向かって作業をしていた。
「奥の部屋でいいかな。」
「えぇ。もちろんよ。」
リビングルームを会社のスペースにしているのだ。それだけ広いこのマンションの1室。ダイニングは、お客様の応接室に利用していて、奥にあるベッドルームと空き部屋を自分の部屋にしていたのだ。
いったいいくらでこのマンションの部屋を買ったのだろう。会社としてはまだ小規模だけど、一人暮らしのマンションとしては広すぎる。
会社の名前は「小林デザイン事務所」。そして目の前でお茶を飲んでいるこの背の高い男が、この会社の若き社長である「小林成」なのだ。
今はこんなに立派な会社の社長をしているが、彼もまた私や桐と同じ「孤児院」出身だった。
「相変わらず大きな部屋ね。」
ベッドルームの見えるその部屋は、彼の自室だった。個人的な話をしたいときだけ、彼はここに客を呼ぶ。もっとも、私は個人的な話ではなく、仕事でここに来たのだけれど。
「広すぎるんだよね。」
「そうね。結婚でもすればちょうどよくなるでしょ?」
お茶に口をつけて、彼をみる。
「考えたこともなかったよ。まぁ、義理の父からは「いつ結婚するんだ」って帰る度にお見合い写真を進める始末だ。」
「言われるうちが花よ。」
少し笑い、私はタブレットをバックから取り出した。
「桐からどれがいいか聞いたわ。」
「赤の表紙だろう?」
「えぇ。」
タブレットを起動させて、彼にそれを差し出した。そこには何種類科の本のブックカバー案がある。
「これがいいらしいわ。」
指で指すと、彼はニヤリと笑う。
「やっぱりな。女性向けの官能小説だって言うから、ピンクがいいって木原さんは言っていたけど、桐は赤を選ぶと思った。」
「女性目線から見てもそうだわ。ピンクは官能小説と言っているように見えるわ。時代は進んだと言っても、やはり女性が書店で官能小説を手にするのは抵抗がものあるものね。」
タブレットを自分の手に戻すと、その赤い表紙を決定と印を付ける。
「しかし、桐が官能小説ね…。」
「まだ抵抗があるの?もう3年になるのよ。」
「そうだけど…桐だってあんなに本が売れたのに、なんで宗旨変えなんか…。」
「色んなことを言われていたもの。私があの会社に入ったときは、もうすでに桐は「落ちこぼれ」って言われていたし。」
「それでも一定数のファンはいただろう?」
「…それは桐の文章が好きなんじゃないわ。どちらかというとルックスでしょ?」
今でこそ桐はぼさぼさの髪でうだつが上がらない容姿をしているが、10代の時若き小説家としてデビューしたときは、成よりもさらに爽やかだった。はかなく溶けてしまいそうな少年でも大人でもない彼に惚れていたファンは多かった。
でもおそらく彼はそんな外見で小説を見られたくなかったのかもしれない。だから一般書席から身を引き、あえて官能小説を書き出したのだと私は思う。
「依。桐の所に言ってこっちに来たのか?」
「えぇ。表紙の意見も聞きたかったし。」
「桐は元気にしていたか。」
成の携帯にも桐の連絡先くらい知っているだろうに、どうして桐に連絡を取ろうとしないのだろう。
「えぇ。」
「今度3人で飲みに行かないか。」
「…どうしたの?あなたお酒弱いのにそんなこと…。」
「話があるんだ。」
成はいつも笑顔だ。28になっても爽やかな「君」でいるのだ。それだけに彼の感情はくみ取りにくい。
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