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家の中はあまり広くない。玄関と併設された土間に台所がある。一応ガスは来ているが、こんなに寒いときであれば暖房をかねて薪を使っているようだ。
家全体が炭のいい匂いがするようだ。それと混ざって赤ちゃんの乳臭い匂いもする。おそらくしょっちゅう嫁に行ったという妹が来ているのだろう。
「ただいま。父さん。」
周りを見ていた累は、その気配のなさに驚いた。リビングの奥で新聞をずっと読んでいた細身の男がいたことに、隆が声をかけるまで彼女は気が付かなかったのだ。
「あぁ。お帰り。隆。」
「父さん。この人だ。」
「うん……。」
眼鏡を外して、累の方をみる。年の頃は五十代か六十代。だがその眼光は鋭く、取って食われそうだと思う。手に汗が滲んだ。
だが平静を装わないといけないだろう。
「初めまして。累です。」
「司という。累さん。ようこそ。こんな田舎の島に。お茶でも入れようか。」
「あぁ。いいよ。父さんは座ってて。俺が入れるから。お茶受け持ってきたんだ。」
「甘いものは苦手なんだ。」
「知ってるよ。累が知っている漬け物屋の漬け物だ。白菜の浅漬けがうまい。」
「ほう。それは楽しみだ。」
初めてその視線から逃げたいと思った。だから累は隆の手を握り、漬け物を切ろうとするその手を止める。
「隆。私がしますから。」
「そうか?じゃあ、俺はお茶でも入れる。あぁ。荷物そこに置いておけよ。」
リビングのいすの上にバッグを置いた。そして台所に立つ。
「包丁はどこでしょうか。」
「その下だ。」
隆もやかんに水を入れて火のついている薪の上に置いた。
「隆。今日はゆっくり出来るのか。」
「いいや、夕方の便で帰ろうと思って。」
「何だ。来て早々だな。」
そう言えば、この人は元赤の家臣だと言っていた。紫練に促され、生まれたばかりの隆を連れて島に渡ったのだという。
ということは、昔の紫練を知っているのかもしれない。紫練よりも年上だろうし、おそらく帯よりも年上だ。何かしらの情報を知っているのかもしれない。
そう思いかけて、彼女は首を横に振った。
いいや。そんなことを知って何になるんだ。そんなことに首を突っ込まないようにといわれていたばかりじゃないか。
「隆。お皿はどこ……。」
すると玄関ドアが開いた。そこには赤ちゃんを抱いた若い女性が立っている。
「翠。もう帰ってきたのか。」
「もー限界!別れてやる!あんなヤツ!」
そう言ってその女性は部屋の中に入ってきた。女の声で赤ちゃんが泣き出す。
「翠。お前結婚したばっかりじゃないのか。」
「あー。兄さん。帰ってきてたの?あー。それに何?奥さんになる人?」
にやにやしながら隆に近づいてきた。
「累。妹だ。翠という。」
「初めまして。累です。」
「若い奥さんねぇ。いくつ?」
「もうすぐ二十六です。」
「何?あたし二十八だもん。年下とは思わなかったわぁ。」
赤ちゃんは泣きやまない。累は少し首を傾げて、その赤ちゃんの方をみる。
「おしめが濡れてるようですよ。」
「え?マジで?」
そう言って翠は赤ちゃんの様子を見る。
「あぁっ。そうだった。ありがとう。累さん。」
「いいえ。」
リビングの続き間になっている部屋で座布団に寝かせると、翠は手際よくおむつを替え始めた。
「よくわかったな。」
「お店には赤ちゃんも来ますから。」
そう言ってさらに漬け物よそうと、彼女はテーブルの上に漬け物を置いた。
「累さん。」
少し驚いたように累は、父親をみる。
「はい。」
「そんなに緊張しなくてもいい。」
「え?」
「手が震えている。心配しなくても、私は君たちのことに反対する気はないから。」
そう言って父親はテーブルにある煙草に手を伸ばした。
「……。」
緊張しているのではない。この父親という人の気配に押されているのだ。まるで野生の獣の前にいるような感覚に陥る。
「移民だったの。」
母親は感心したように、漬け物に手を伸ばした。程良い塩味がおいしい漬け物だった。
「はい。父親は兵士でしたが引退して食堂を。母親もそれを手伝っていました。」
「一人でするのって大変じゃない?」
翠も赤ちゃんを寝かせて、暖炉の側にやってきた。
「……大変ですけど、楽しいですよ。いろんなお客様が見えられますし。」
「いいなぁ。あたしもやっぱ本土に行けば良かった。」
「無理だろ?成君は翠とずっとつきあっていたわけだし、成君はずっと漁師をした言っていってたんだし。」
「そーだけどさぁ。」
結婚する前に子供を授かっていた翠は、まだ若いためか旦那と言い争いをすることが多いらしい。
旦那はこの島でずっと過ごすつもりで、漁師になり、青年団に入り、そのつきあいで忙しいらしいのだ。
「昨日も朝帰りだもん。なのにさ、晴が泣いたら、うるさいから寝られないだろって怒鳴るのよ。あんまりじゃない?」
すると母親と父親は顔を見合わせた。
「お前だって夜泣きはすごかったぞ。」
「そうよ。サイレンみたいだったわ。癇癪持ちで、何度由先生のところに通ったか。」
「由?」
驚いて彼女は二人をみる。
「知り合いかな。」
「え……あ……そうですね。父の知り合いだったと。」
とっさに嘘を付いてごまかした。
「変な研究ばかりしていたようだが、その前にはこの島で医師をしていたんだよ。」
「夫婦そろって医師だし、子供もいたわ。男の子。」
彩のことだ。彼女はぐっと手を握る。その様子を見て、隆は彼らに聞いた。
「変な研究って?」
「わからないけど、ほら、あの社で昔の文献が見つかったって神官長様が由教授に解読をお願いしてからかしらね。」
ヒューマノイドの文献はここで見つかったのだ。そしてそれを解読したのが由教授。そしてそれを手に本土に戻って、姫の作成、そして彼女の作成をした。
「……あの……。」
「どうしたの?」
累は思い切って聞いてみた。
「社に一般の人が入ることは出来るのですか?」
すると父親が首を横に振る。
「観光客用に公開されているのは、正門だけで中には信者でしか入れない。累さん。隆の嫁になるのだったら知っているだろう?」
そう言って父親は左の肩をさすった。そうだ。そこには入れ墨がある。それは余所者が神官になるため、神に仕えるために入れるものだった。
「女の手にもある。ほら。」
そう言って彼女も左の手の甲を見せた。そこには入れ墨があった。
「翠さんも?」
「あたしはここで生まれたから、別に彫る必要ないの。でも兄さんにはあるものね。」
「あぁ。ここでは生まれていないし。」
そのときの累の目を、隆は何度も見ていた。日が落ちるまでに何か探ろうとしているのか、それとも藍に連絡を取る方法でも考えているのだろうか。
やはり止められないのだ。心の中でため息を付く。
家全体が炭のいい匂いがするようだ。それと混ざって赤ちゃんの乳臭い匂いもする。おそらくしょっちゅう嫁に行ったという妹が来ているのだろう。
「ただいま。父さん。」
周りを見ていた累は、その気配のなさに驚いた。リビングの奥で新聞をずっと読んでいた細身の男がいたことに、隆が声をかけるまで彼女は気が付かなかったのだ。
「あぁ。お帰り。隆。」
「父さん。この人だ。」
「うん……。」
眼鏡を外して、累の方をみる。年の頃は五十代か六十代。だがその眼光は鋭く、取って食われそうだと思う。手に汗が滲んだ。
だが平静を装わないといけないだろう。
「初めまして。累です。」
「司という。累さん。ようこそ。こんな田舎の島に。お茶でも入れようか。」
「あぁ。いいよ。父さんは座ってて。俺が入れるから。お茶受け持ってきたんだ。」
「甘いものは苦手なんだ。」
「知ってるよ。累が知っている漬け物屋の漬け物だ。白菜の浅漬けがうまい。」
「ほう。それは楽しみだ。」
初めてその視線から逃げたいと思った。だから累は隆の手を握り、漬け物を切ろうとするその手を止める。
「隆。私がしますから。」
「そうか?じゃあ、俺はお茶でも入れる。あぁ。荷物そこに置いておけよ。」
リビングのいすの上にバッグを置いた。そして台所に立つ。
「包丁はどこでしょうか。」
「その下だ。」
隆もやかんに水を入れて火のついている薪の上に置いた。
「隆。今日はゆっくり出来るのか。」
「いいや、夕方の便で帰ろうと思って。」
「何だ。来て早々だな。」
そう言えば、この人は元赤の家臣だと言っていた。紫練に促され、生まれたばかりの隆を連れて島に渡ったのだという。
ということは、昔の紫練を知っているのかもしれない。紫練よりも年上だろうし、おそらく帯よりも年上だ。何かしらの情報を知っているのかもしれない。
そう思いかけて、彼女は首を横に振った。
いいや。そんなことを知って何になるんだ。そんなことに首を突っ込まないようにといわれていたばかりじゃないか。
「隆。お皿はどこ……。」
すると玄関ドアが開いた。そこには赤ちゃんを抱いた若い女性が立っている。
「翠。もう帰ってきたのか。」
「もー限界!別れてやる!あんなヤツ!」
そう言ってその女性は部屋の中に入ってきた。女の声で赤ちゃんが泣き出す。
「翠。お前結婚したばっかりじゃないのか。」
「あー。兄さん。帰ってきてたの?あー。それに何?奥さんになる人?」
にやにやしながら隆に近づいてきた。
「累。妹だ。翠という。」
「初めまして。累です。」
「若い奥さんねぇ。いくつ?」
「もうすぐ二十六です。」
「何?あたし二十八だもん。年下とは思わなかったわぁ。」
赤ちゃんは泣きやまない。累は少し首を傾げて、その赤ちゃんの方をみる。
「おしめが濡れてるようですよ。」
「え?マジで?」
そう言って翠は赤ちゃんの様子を見る。
「あぁっ。そうだった。ありがとう。累さん。」
「いいえ。」
リビングの続き間になっている部屋で座布団に寝かせると、翠は手際よくおむつを替え始めた。
「よくわかったな。」
「お店には赤ちゃんも来ますから。」
そう言ってさらに漬け物よそうと、彼女はテーブルの上に漬け物を置いた。
「累さん。」
少し驚いたように累は、父親をみる。
「はい。」
「そんなに緊張しなくてもいい。」
「え?」
「手が震えている。心配しなくても、私は君たちのことに反対する気はないから。」
そう言って父親はテーブルにある煙草に手を伸ばした。
「……。」
緊張しているのではない。この父親という人の気配に押されているのだ。まるで野生の獣の前にいるような感覚に陥る。
「移民だったの。」
母親は感心したように、漬け物に手を伸ばした。程良い塩味がおいしい漬け物だった。
「はい。父親は兵士でしたが引退して食堂を。母親もそれを手伝っていました。」
「一人でするのって大変じゃない?」
翠も赤ちゃんを寝かせて、暖炉の側にやってきた。
「……大変ですけど、楽しいですよ。いろんなお客様が見えられますし。」
「いいなぁ。あたしもやっぱ本土に行けば良かった。」
「無理だろ?成君は翠とずっとつきあっていたわけだし、成君はずっと漁師をした言っていってたんだし。」
「そーだけどさぁ。」
結婚する前に子供を授かっていた翠は、まだ若いためか旦那と言い争いをすることが多いらしい。
旦那はこの島でずっと過ごすつもりで、漁師になり、青年団に入り、そのつきあいで忙しいらしいのだ。
「昨日も朝帰りだもん。なのにさ、晴が泣いたら、うるさいから寝られないだろって怒鳴るのよ。あんまりじゃない?」
すると母親と父親は顔を見合わせた。
「お前だって夜泣きはすごかったぞ。」
「そうよ。サイレンみたいだったわ。癇癪持ちで、何度由先生のところに通ったか。」
「由?」
驚いて彼女は二人をみる。
「知り合いかな。」
「え……あ……そうですね。父の知り合いだったと。」
とっさに嘘を付いてごまかした。
「変な研究ばかりしていたようだが、その前にはこの島で医師をしていたんだよ。」
「夫婦そろって医師だし、子供もいたわ。男の子。」
彩のことだ。彼女はぐっと手を握る。その様子を見て、隆は彼らに聞いた。
「変な研究って?」
「わからないけど、ほら、あの社で昔の文献が見つかったって神官長様が由教授に解読をお願いしてからかしらね。」
ヒューマノイドの文献はここで見つかったのだ。そしてそれを解読したのが由教授。そしてそれを手に本土に戻って、姫の作成、そして彼女の作成をした。
「……あの……。」
「どうしたの?」
累は思い切って聞いてみた。
「社に一般の人が入ることは出来るのですか?」
すると父親が首を横に振る。
「観光客用に公開されているのは、正門だけで中には信者でしか入れない。累さん。隆の嫁になるのだったら知っているだろう?」
そう言って父親は左の肩をさすった。そうだ。そこには入れ墨がある。それは余所者が神官になるため、神に仕えるために入れるものだった。
「女の手にもある。ほら。」
そう言って彼女も左の手の甲を見せた。そこには入れ墨があった。
「翠さんも?」
「あたしはここで生まれたから、別に彫る必要ないの。でも兄さんにはあるものね。」
「あぁ。ここでは生まれていないし。」
そのときの累の目を、隆は何度も見ていた。日が落ちるまでに何か探ろうとしているのか、それとも藍に連絡を取る方法でも考えているのだろうか。
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