隣の芝生は青い

神崎

文字の大きさ
上 下
97 / 104

イカロスの羽

しおりを挟む
 卒業式の予行練習の為に誠二は久しぶりに制服に手を通した。明日の卒業式が終われば、彼は南の地へ向かう。そこで就職するためだ。
 そこへ行けばもう小夜子と会うことは少なくなるだろう。それに小夜子はもう教師を辞めるという。辞めてどうするのかなどは聞いていない。聞くことも彼には許されないのかもしれない。
 啓子と何度も体を重ねて、乱れた姿を小夜子に映していたなんて言えるわけもない。乱れる姿を見るとさらに抱きたくなる。それでもキスをすることはない。抱きしめることもない。ただの性欲を満たすだけの道具だった。
 そんな汚れた彼に、小夜子に会う権利があるだろうか。
 横顔を見ると凛としていて、「辞める」といいだした人には見えない。まるで周りの人たちが彼女を責めている加害者にすら見えるのだ。
 それでも予行練習が終わると、誠二は自然と美術室の方へ足を延ばした。するとそこには誰もいない教室に一人小夜子が、イーゼルを立てて何かを描いていた。画材は手元にないのでおそらくデッサンだろう。
 自然と彼はそこに入っていく。するとその音で彼女は振り返った。
「誠二。」
「何を描いてるんだ?」
 すると彼女は少しほほえんで、彼にその絵を見せた。そこには翼を付けた男が海に落下する絵だった。着ているモノからして中性の男だろう。
「イカロスって言うの。」
「イカロス?」
「えぇ。鳥の羽を鑞で固めて、幽閉されていた塔を脱出したっていう神話の話を元にしているわ。」
「……でも落ちてるよな。こいつ。」
「えぇ。過信したのよ。この男は。」
「過信?」
「そう。羽を手に入れて、自由に空を飛べると思っていたのね。太陽に近づこうとして、蝋が溶けて海に落ちて死ぬ。そんな話よ。」
「……どうしてこんな絵を?」
「自分の絵を過信しないようにするため。」
 真実を露呈された小夜子はおそらく学校を辞めて、絵をまた描いていくのだろう。どこで描くのは知らない。
「この絵……。」
「あげないわよ。」
 彼女はそう言って絵をイーゼルからおろした。
「何で言おうとしてたことがわかるかなぁ。」
「長いつきあいだもの。あなたが何を言おうとしているかわかるわ。」
「……小夜。」
「何?」
 イーゼルを畳んで、彼の方をみた。すると彼はまっすぐ彼女をみる。
「俺、まだ小夜のこと好きだよ。」
「……。」
「でも小夜はあの人しか見てなかったんだな。」
「えぇ。そうね。」
「小夜。一度でいいから……。」
 彼は彼女の耳元でささやく。すると彼女は、少しほほえんだ。
「そんなことは出来ないわ。」
 彼女はそう言ってイーゼルを教室の隅に立てかけて、絵をもって準備室へ向かう。それを追うように誠二も中に入った。
「でも一つだけ忠告することがある。」
「……何?」
「あの人は、うちの家には関係ないかもしれない。だけどうちの家の長男なんだよ。良太よりも継ぐ権利は一番あるんだ。」
「何がいいたいの?」
「もしかしたら繋がりはあるのかもしれないし、小夜に近づいたのも指示だったかもしれないってこと。」
「あり得ないわ。何のメリットがあるの?だいたい、若は彼に母さんに近づけとは言ったけれど、私には近づけって言う指示はないってはっきり言ったわ。」
「メリットならある。」
「何?」
「辞めさせられたよ。教師を。」
「……私を辞めさせて何をするって言うの?組のためには何のメリットもない。」
「それはまだわからない。だけど、何かある。」
 すると彼女は絵を立て掛けていった。
「何かあっても構わないわ。私はついて行くだけよ。」
「斉藤さんに?」
「えぇ。」
「そんなに好きなの?」
「えぇ。好きよ。」
 すんなりと言った彼女。もう戸惑いも迷いもない。完全につきいる隙間はないのだろう。

 家に帰ってくると、お手伝いの女性が食事を作っていた。今日はオムライスを作っているらしい。
「ただいま。」
「お帰りなさい。」
「今日、オムライス?」
「えぇ。」
「啓子さんのぶんも作っているの?」
「でも最近はあまり食べてないようで、心配ですね。」
「ふーん。体調悪いのかな。様子、見に行ってくる。」
 本当はただセックスがしたいだけだった。小夜子と話して、小夜子はもう手が届かないとはっきりしたからだろう。ただ、人の温もりが欲しかった。それだけだった。
 部屋を出て隣の部屋のチャイムを鳴らす。しかし出てこなかった。まだ仕事に行く時間ではないのに、もう出て行ったのだろうか。
「啓子さーん?」
 ドアノブをひねると、あっさりドアは開いた。不用心だ。そう思いながら、中にはいる。
 寒いからと言っていつも描けている暖房が今日は付いていない。ひんやりした部屋だった。リビングにはいない。
「寝てんのかな。まだ。」
 起こしてやろうと、啓子の寝室のドアを開けた。するとそこにはベッドに倒れ込むようにして体を預けている啓子の姿があった。ドアからは背を向けていて、何があったのか一瞬わからなかった。
「啓子さん?」
 声をかけてもぴくりとも動かない。そして妙なことに気が付いた。その啓子のお尻の下に血溜まりが出来ていたのだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

偶然PTAのママと

Rollman
恋愛
偶然PTAのママ友を見てしまった。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

秘事

詩織
恋愛
妻が何か隠し事をしている感じがし、調べるようになった。 そしてその結果は...

職場のパートのおばさん

Rollman
恋愛
職場のパートのおばさんと…

母になる、その途中で

ゆう
恋愛
『母になる、その途中で』 大学卒業を控えた21歳の如月あゆみは、かつての恩師・星宮すばると再会する。すばるがシングルファーザーで、二人の子ども(れん・りお)を育てていることを知ったあゆみは、家族としての役割に戸惑いながらも、次第に彼らとの絆を深めていく。しかし、子どもを愛せるのか、母親としての自分を受け入れられるのか、悩む日々が続く。 完璧な母親像に縛られることなく、ありのままの自分で家族と向き合うあゆみの成長と葛藤を描いた物語。家庭の温かさや絆、自己成長の大切さを通じて、家族の意味を見つけていく彼女の姿に共感すること間違いなしです。 不安と迷いを抱えながらも、自分を信じて前に進むあゆみの姿が描かれた、感動的で温かいストーリー。あなたもきっと、あゆみの成長に胸を打たれることでしょう。 【この物語の魅力】 成長する主人公が描く心温まる家族の物語 母親としての葛藤と自己矛盾を描いたリアルな感情 家族としての絆を深めながら進んでいく愛と挑戦 心温まるストーリーをぜひお楽しみください。

処理中です...