隣の芝生は青い

神崎

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選択肢は二つ

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 やっと帰れると、時計をみたときはもうすでに十九時三十分を刺していた。学校は決まりで十九時には閉まるのだが、文化祭時期は二十時まで開いている。
 荷物をまとめて、携帯電話をみる。
 二十時に駅前の喫茶店。
 行かない。母をこれ以上裏切りたくない。一巳とも誠二とも縁は切れた。斉藤と円があるのが一番良くない。母を裏切っているから。せめて、他の店の人だったら。せめて母と恋人でなければ。
 首を横に振る。やめよう。そんな考え。まるで斉藤が好きなようだ。好きじゃない。感情なんか無い。ただ体が繋がっているだけ。
 だから今日も行かない。そう決めた。
「橋口先生。」
 ふと呼ばれて、振り返った。
「はい。」
 そこには彼女を見逃してくれた女性の教頭先生がいた。
「美術部の様子はいかがですか。」
「そうですね。いいと思いますよ。」
 自由になんでも描いていい。自由になんでもつくって良いと、美術部の生徒に言ったのだ。
「自由にって言う課題は、今時の子にしてみたら一番難しい課題だったと思いますけどね。」
「そうですね。確かにみんな戸惑ってましたよ。でも順応は若い人の方が早いみたいです。うらやましい。」
 若い方がいろんな可能性がある。三十手前の小夜子にとってはとてもうらやましいのだ。
「あなたもまだ若いですよ。フフ。私ね、あなたの絵を見に行ったんですよ。」
「あぁ。この間の展示会ですか。ありがとうございます。」
「とてもいい絵でした。あの白い花の絵は特に好きですね。丸でなくなった長井雪隆さんの絵のようでした。」
 ドキリとした。
「先生……それは……。」
「えぇ。詳しくは申しませんが、大変だったのでしょう。」
「ご迷惑をかけてしまうかもしれません。」
「……先生。事は公にならないことを願いましょう。もしもそのことが公になれば、おそらく生徒にも迷惑がかかりますからね。」
「はい。」
「ではまた明日、いえ、明後日でしたか。明日は祝日でしたね。」
 おそらくそれが一番言いたかったのだろう。彼女の作品を盗作したのが長井だった。それはまだ公になっていない。もし公になれば、彼女は学校どころではなくなるだろう。

 学校の正門をくぐれば駅まで近道だ。しかし彼女はいつも裏門からはいる。家に帰るのはそこが一番近い。どちらに向かうのか。駅か、家か。
 母を取るのか。それとも自分の体に正直になるのか。靴箱にシューズを納めて、彼女はため息をつく。すると上の階から、男子と女子が手を繋いで階段を下ってきた。
「さよーなら。せんせー。」
「さようなら。」
 挨拶をする。甘酸っぱい気持ちだ。こんな時期が彼女にもあったはずだったが。今はどろどろとしている。まるで斉藤とセックスをする度に、自分の手が母の首を絞めているような気分にもなるのだ。
 殺してでも奪いたいの。
 そんな愛があっていいのだろうか。彼女は少し戸惑い、それでも「断るなら直接言った方がいい。」と自分に言い聞かせ、そして彼女は駅の方へ歩いていった。

 二十時を告げるベルが店内に響いた。ジャズの音と、薄暗い店内。無口な店長はさっきからずっとグラスを磨いている。
 喫茶店とは言ってもビールも出すような店だった。その一番奥の席に、彼の姿があった。煙草を吹かしながら、誰かの連絡を待っているようで、目の前に携帯電話がある。
「いらっしゃい。」
 そのときドアベルが鳴った。誰かが来たようだ。自然に彼も入ってきた人に目をやる。が、違う人だった。
「……くそ。」
 独り言のように、つぶやくと目の前のコーヒーを一口飲む。
 こんなに心が躍らされるのはいつ以来だろう。彼女がこないとわかっていればこんなに踊らされないのに、来るかもしれないという可能性があるから希望を持つ。
 時計は八時が三十分過ぎたと一度だけベルを鳴らす。
 こないかもしれない。彼女は遅刻などしない人だ。だとしたら本当にこないのだ。彼は立ち上がろうとした、そのときだった。
「いらっしゃい。」
 ドアベルを鳴らして、入ってきたのは女性だった。彼女は奥の彼の方をみると、息を整えて彼に近づいた。
「……斉藤さん。すいません。遅れてしまって。」
「仕事があると聞きました。無理させたのではないですか。」
「いいえ。」
「まずは息を整えましょう。何か、飲みますか。」
「いいえ……。あ、やはり何か頂きます。」
 喉がからからだ。緊張しているのかもしれない。
「すいません。アイスティーを。」
 斉藤は普段と雰囲気が違う。黒服の雰囲気ではない。普段オールバックにしている髪は下ろしていて、ずいぶん若く見える。
「緊張してますか。」
「……あの斉藤さん。私やっぱり、あなたにはついて行くことは出来ません。」
「……啓子さんに悪いから?」
 無口な店長がグラスにアイスティーを入れると彼女の元に、それを運んだ。シロップやミルクも一緒に置かれる。
「ごゆっくり。」
 店長が離れ、また彼女は話し出す。
「啓子さんも今日は店にいませんよ。店は休んでいます。」
「え?」
「あの人には寝ないといけない人がいます。おそらく彼女も朝までずっといるでしょう。それでも私は、彼女に操をたてないといけませんかね。」
「……。」
「女性であるから、仕事であるから、私はずっと彼女を待っていないといけないのですか。」
「でも母さんはあなたのことを一番に思っています。先週、あなたが私を抱きしめた。それだけでも母さんは私を責めたから。だから……。」
「小夜子。啓子さんのことは後ででも考えればいい。あなたの事を聞きたいのですが。」
「私のこと?」
「えぇ。あなたは今日、私についてきたいのか。それとも帰りたいのか。あなたの感情を聞きたい。」
「私の……?」
「えぇ。この喫茶店は、幸い路地の奥にあります。私はそこを出た所にいます。もしも、あなたが私について来るのであれば私について来て下さい。ついてこなければ、私はもうあなたに触れることはないでしょう。」
「……今後一切?」
「えぇ。」
 彼はそういってテーブルの上にあったレシートを手にして席を立った。
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