隣の芝生は青い

神崎

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帰国して一番に行く所

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 外国に行ったとはいえ、観光など全くしなかった。古い音楽スタジオは有名なバンドも録音したらしく、瑠衣は興奮気味だったようだった。
 しかし一巳にとっては高名なことはどうでもよかった。ただその音の響きはとても綺麗で気に入っていた。

 こんなところであいつとピアノを弾けたらどんなにいいだろう。

 自分の恋人によく似ている女。似ているだけだった。
 小夜子とは違ってよく笑い、大人しく、女性らしい。それに彼女から奏でられるピアノの旋律に寄り添うだけで、自分も気持ちいい。そんな気持ちになれたのは初めてだった。
 何とかその彼女とまたピアノを弾けないだろうか。最近はそればかり考えている。
 やがてレコーディングは終わり、空港でメンバーは土産物を調達している。自分の国にはない珍しいモノがあるわけではないのだが、免税店が併設されているのでブランドものが割と格安で手にはいるのだ。
「一巳も何か買っておけよ。お前、財布とかぼろぼろじゃねぇか。」
 大学の時に小夜子からプレゼントされた財布を、未だに使っている。布で出来た財布は、もう小銭が落ちそうになっていた。
「……ここで買わなくてもいい。」
「いいブランドのモノだったらずっと使えるぞ。」
 瑠衣から言われて、彼は渋々財布以外のモノを見て回った。すると目に付いたモノがある。
「……。」
 それは小さく綺麗な小瓶に入った香水だった。シンプルなデザインの瓶だったが、光に当たってきらきらと輝いている。まるで彼女のようだ。
「香りを確かめますか。」
 同じ青い目の女性に彼は小さなスティック状の紙を渡される。それで香りを確かめるのだ。そこからは甘い匂いがした。嫌いじゃない。
「これ、ください。」
「ありがとうございます。」
 いくつかの香水を嗅いで、もう一つ、今度は柑橘系のさわやかな匂いのするモノを購入した。
 そしてみんな元へ戻る。すると悦夫は彼を見て少し不安に思った。
「一巳。あの香水……。」
 女性用の香水だった。それも二つ。どうして二つも買ったのか。恋人にあげるのであれば、一つで十分だろうに。

 自分の国に帰ってきたとき、もう夜も更けた時間だった。時計を見ると夜中の十二時。
「少し寒くなったな。こっちの国も。」
「どうする?みんな。今日は帰るか?時差もあるし。」
「僕スタジオに行くよ。」
 一巳の言葉にみんなが注目をする。
「一巳。確かにレコーディングしかしてねぇけど、スケジュール的にはまだ余裕があるんだ。慌てて編集しなくても良いよ。」
 瑠衣はそう言って彼を止めようとした。
「あぁ、じゃなくて。ちょっとやりたいことがあるから。」
「ふーん。じゃあ、鍵。渡しておこうか。」
「あぁ。良いよ。この間合い鍵作ってもらったじゃないか。」
「そうだっけ。」
 一巳はそういって一人、タクシーに乗っていった。
「あいつ、なんか変わったな。」
 去っていくタクシーを見ながら、純はつぶやいた。
「前からちょっとワーカーホリックみたいなとこがあったけど、最近はひどいな。」
 雅昭はそういって煙草に火をつけようとした。しかし瑠衣からギロリとにらまれ、それをしまう。
「悦夫。」
 瑠衣は彼を見上げた。すると悦夫は興味なさそうにしていたが、ふと彼を見下ろした。
「ん?」
「お前、一巳の彼女知っている?」
「あぁ。よりを戻したって聞いた。」
 すると純が驚いたようにそれに声を上げた。
「マジで?一巳、彼女出来たの?」
 ワゴンにみんなで乗り込み、悦夫はそれを運転した。
「大学の時につき合ってた奴。」
「……え?」
 その瑠衣の言葉に、純も雅昭も黙ってしまった。
「マジで?その女やばいって。」
 すると瑠衣は助手席から見える流れる景色を見ながら、あのとき阿久津の家で見た彼女のことを思いだした。
 あの日の朝、駆け込んできた女。必死の形相でやってきた。そして真実を言っていた。それがまだ事実なのかはまだわからない。
 長井が彼女を真似たのか。
 彼女が長井を真似たのか。
「そんな奴には見えなかったけどな。」
 ぽつりと瑠衣はそれを口にした。

 仕事が終わり、啓子は一人一人のスタッフに声をかける。今月、一人の女の子が辞めるという。妊娠したので続けられないと言うのが理由だった。それに対して啓子は責めたりはしない。
「ばーんと産んで、また戻ってきてね。」
 こういう人柄だから彼女についてくる人は多いのだろう。実際戻ってくる女の子も多い。
 その中で啓子が少し気になっている女の子がいた。緑子。いつもはほわんとしているのに、ピアノの前では目の色が変わる。それが外見が娘の小夜子に似ているだけではなく、絵を目の前にすると目の色が変わるという緑子と小夜子の共通点だった。
 その緑子も最近変わったと思う。
 ピアニストとして雇っているので、お客に突かせることはほとんどないが、一巳のバンドである「psycho」のメンバーが来たとき、彼女をつかせた。
 それ以来、彼女はお客にメッセージを送るように、携帯電話をいつも気にしているようだった。もしかして一巳と何かあったのではないだろうか。そうだとしたら小夜子はどうするのだろうか。
「……緑子。」
「はい。」
 携帯電話の画面から目を離して、彼女は啓子を見る。
「お客様と連絡先の交換したの?」
「あ……いいえ。違うんです。」
「だったらどうして携帯を気にしているの?」
「……。」
「男でも出来た?」
「いいえ。そんなんじゃ……。」
 煮え切らない子だ。いらいらする。小夜子ならこんなことにはならないだろうに。
「啓子さん。」
 斉藤が後ろから啓子に声をかける。すると彼女は緑子を置いて、振り返った。
「何?」
「お客様です。」
「閉店だけど。」
「しかし……。」
 斉藤の後ろを見ると、そこには一巳の姿があった。
「一巳君……。」
 大きなキャリーバックを持っている。海外に行っていたと聞いているので、その足でやってきたのかもしれない。
「すいません。閉店しているのに。」
「いいのよ。別に。どうしたの?」
「ちょっと頼みたいことがあって。」
 そのとき緑子は、一巳を見てすっとその場を去っていった。
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