セックスの価値

神崎

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別居

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 温泉特有の硫黄の匂いがする町に、祥吾はいた。普段家から出ない祥吾にとって、これほどの遠出はここ十年以上無い。
 この町は昔の湯治の町だった。昔ならいろんな病気や怪我をした人が沢山いたものだが、今は隠れた温泉街であり不倫のカップルなどが訪れたりするらしい。
「祥吾。」
 部屋に入ってきたのは彼の大学の時の同級生であり、この温泉宿の主人である坂本夕だった。大学の時は祥吾とともに女性から声をかけられることも多かったし、それなりに遊んでいたようだが、今は妻がいて子供が三人。それとともに細身だった体もどんどん太り髪も薄くなりはじめている。だがそれでも人柄の良さはにじみ出るように目の横には笑い皺が深く刻まれている。
「どうした。」
「記者という人が来ている。」
「感のいい人だな。こんなところに私がいるというのを嗅ぎつけてくるとは。」
 だが相手にする気はないのだろう。彼は机に向かったまま、こちらを見ることはない。
「お前の頼みだから、部屋を貸したけどな。あんまり迷惑をかけられても困るんだよ。記者はお前に会えなきゃ、明日でも明後日でも来ると言ってるんだ。迷惑をかけないという約束だろう?」
 その言葉に祥吾はため息をつく。
「わかった。部屋に通してくれないか。」
 夕は安心したように一息つくと、部屋を出ていった。
 ここを知っている人がいるとは思えなかったが、感のいい人もいるだろう。だが人のことを嗅ぎつけ、人の噂を文章にしている最低の物書きだ。そんな相手とまともに話すつもりはない。
「冬山さん。」
 ふすまを開けて、夕が案内してきた人をちらっと横目で見る。やはり相手にしない方がいいような男だ。顔にたくさんのピアスがついている。耳は無数に、その耳につながるように口元に、そして眉毛にピアスがある。
「……初めましてかな。西山充だ。」
 初めて見る冬山祥吾。若いときの写真と、最近女優である牧原絹恵と対談しているのを雑誌でみた。しかし実際みた方がもっと老けて見えた。五十代と言っていたが、髪も気を配らないらしく白髪交じりだ。桂とはあまり歳が離れていないようだが、「初老」という言葉がぴったりだと思う。
「座ったらどうだろうか。それとも立ったまま話を聞きたいのか。」
 威圧的な口調だ。彼が何を聞きたいのかわかっているのだろう。
「こんなところまで来るとはな。ライターというのもご苦労なことだ。同じ物書きとして、私にはそこまでは出来ない。」
 彼の向かいに座る。すると彼は手元にある灰皿に手を伸ばした。
「何を聞きたいのか。想像はつく。噂になっている下々のことが聞きたいのだろう?」
「そんなものには興味ねぇな。」
 煙草を取り出して、ライターで火をつける。そして原稿用紙から目を離し、充を彼は見る。
「では何の話にきたのか。記者が狙っているのはそういうことだけかと思っていたよ。人でなしに私を仕立て上げたいと。」
「そうじゃなくてもあんた人でなしだろ?」
 充もポケットから煙草を取り出す。珍しい銘柄の煙草だった。それに少し祥吾は目をやったが、あとは視線を逸らす。
「何の話だ。」
「あんた、妻がいるんだろ?」
 その言葉に祥吾は少なくとも少し表情を変えた。真実だ。充はやっと何かを掴んだ気がする。
「……私には結婚歴はない。誰の話をしているのか。」
「ってことは、女は遊ぶ専用ってわけだ。いい立場だねぇ。」
 人を不機嫌にさせる天才だろうか。そう思いながら煙を吐き出す。
「けど、ここの主人が言ってたぜ。妻と二人で来る予定だったが、妻は例の噂の偽造をしているとな。」
 いい男だが口が軽いのが欠点だ。祥吾はそう思いながら、彼を見据えた。
「記事にでもするのか?妻がいれば、今度の噂はさらに私にとってマイナスになるだろう。」
「そんなことは俺にとっちゃどうでもいいね。目的はあんたを一人にすること。」
 不機嫌そうに煙草の灰を灰皿に捨てる。何をどこまでこの男が知っているのか、掴めないからだ。
「改めて何を聞きたいんだ。」
「話す気になったのか?」
「真実を語るとは限らないがな。」
 少し笑い、充はバッグからファイルを取り出す。そしてそのファイルには新聞記事があった。それは小説家である遠藤守が自殺をした記事だった。
 発見したのは妻である絹代。そして何故か祥吾だった。祥吾は借りていた資料を返そうと、自宅とは別に仕事場として借りていたマンションを訪れたとき、絹代とばったり一階のエントランスで会ったのだ。絹代は守に家にいるなら着替えを持ってきて欲しいと連絡があったのだという。
 首をつって自殺をしていた守を見た瞬間、絹代は発狂するのではないかというくらい取り乱し、まともに警察の受け答えすらままならなかった。
 そこで発見した祥吾が警察に事情を話していた。彼は最近作品のマンネリに悩んでいたこと。それが原因だろうと警察もあっさり引き下がる。
「昔の記事だ。それがどうしたんだろうか。」
「重なるんだよ。」
「何を?」
 充が次に出したのは、祥吾の本だった。それは「疑似証言」という本だった。この本で彼はさらなる名声を得て、すでに映画化もされている。
「この本の序盤、女と男が、死体を見つける。その死体は男の親友だった。そして女はその男の妻。」
「ネタとして使用しただけだ。」
「だがそれで牧原絹恵さんは、あんたと絶縁してるな。「全てをネタにするなど人道に外れている」と。人の死すらネタかよ。立派な小説家だな。」
「あいつよりはましだ。」
「あいつってのは遠藤守のことか?」
 しまった。ぼろが出てしまった。こんな男の前で言うつもりはなかったのに。
「もう帰ってもらっていいだろうか。仕事があるのでな。」
「もう一つ聞きたいことがあるんだが。」
「もう話すことはない。」
 たばこを灰皿の中で消して、再びペンを握ろうとした。だがそのとき、その言葉で彼はまた充を見る。
「春を側に置いているのもネタのためか。」
「春……その呼び名をどこで……。」
 彼女が本名を名乗ったというのか。春川は本名を知られるのを嫌がっていたのに。
「姉に会った。」
「なるほど……薬漬けになっている姉なら、金で何でも話すかもしれない。隠したい妹のことだってな。」
 ある漁村で父親が母親を殺し、姉妹のうち姉はその場から逃走し行方不明。妹だけがその場に残されていた。だが妹はガンとしてそのときの記憶がないと言い張っている。彼女は誰かに薬を盛られ、目が覚めたときにはもう惨劇のあとだったからだ。
「だが春の証言は虚偽の可能性がある。だが血液検査の結果、春の体内からは睡眠薬の反応が出た。それが決めてで警察は春が何も知らないと、決定づけた。」
「……。」
「だがあんたは春が何か知っていると思っている。だから春を側に置いて、話してくれるのを待っている。」
「何もないのにあの子が私に何かを話すと?そんなに私は信用されているのか。」
「信用してるだろ?恋人か……。」
 恐れていたことだった。彼は何を知っているのだろう。
「または夫婦だとしたら?」
「私と彼女が夫婦だと?私はそんなに若い女が好きなように見えるかな。」
「あんた、それくらいの女に手を出してただろ?それくらいできんじゃねぇの?夫婦か、恋人か、今のところわかんねぇけど、とりあえずあんたは自分を信用させて張るが話してくれることを望んでいる。全ては小説のネタのためだ。」
 そのとき部屋に一人の男が入ってきた。浴衣姿で、首もとにはタオルが巻かれている。
「ここはいい温泉ですね。こんな穴場があったとは知りませんでしたよ。さすが冬山先生だ。」
 何も知らないのんきな担当者だ。その人が入ってきて、充は席を立った。
「邪魔したな。また来る。」
「西山さん。」
 振り返ったとき見た祥吾の表情はいつも通りだった。笑顔で彼を見上げている。
「名刺を置いていってくれないだろうか。」
「あぁ。悪かったな。名刺すらやらねぇでべらべら話して。」
 テーブルに充は名刺を置く。そこにはフリーらしく携帯の番号くらいしか書いていなかった。祥吾はそれを手にすると、ふっと笑った。
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