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別居
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出版社を出たとき、もう太陽はすでに高く上がっていた。そういえば食事もしていないと、春川は近くのカフェで軽く食べるかと、車に戻る前にカフェを物色した。
きっと「読本」の仕事も春川にやってくるだろう。そのときはどんな話を書くべきか、プロットだけでも立てておいた方がいい。連載しているところを埋める穴だ。ショートショートくらいの長さでいいのだろう。
そのとき奥まったとおりに、一軒の喫茶店を見つけた。そこに入ると、古くさい匂いと煙草、そしてコーヒーの匂いがする。
「いらっしゃいませ。」
カウンターにいたのは若い男。こう言うのを優男というのだろう。彼女はそう思いながら、奥の席に座った。
「食事は出来ますか?」
メニューを持ってきた男に聞くと、彼は少し微笑んでメニューをひっくり返す。
「簡単なものしかございませんが。」
「結構です。サンドイッチとブレンドをください。」
「はい。」
メニューをそうそうに片づけると、彼はカウンターの奥へ言ってしまった。広くはないが、狭くもない。こんなところを一人出店を回すには大変だろう。
「……。」
彼女は思いついたように、眼鏡をかけてノートを取り出す。そしてペンでそれを書き出した。こうなると彼女は止められない。
何度も携帯電話が鳴っているが、全く気がつかない。ランチの時間になり客の出入りが激しくなったが、彼女はコーヒーにもサンドイッチにも手を付けなかった。
「あの奥の客、何してんの?」
店の常連である入れ墨の男が不思議そうに聞いてきたが、それはこの店を一人で回す優男のオーナーでもわからない。
ペンを止めてため息をついた。
「……。」
眼鏡を外してテーブルを見ると、冷えたホットコーヒーが手を付けられずに置いてあった。
「コーヒー入れ直しましょうか?それからサンドイッチですが、手を付けられないようなので、一応冷蔵庫に入れれあります。もうお出ししましょうか?」
その男がやってきて、春川はノートをしまうと恥ずかしそうにうなづいた。
「すいません。お願いします。」
ランチのピークも気がつかないで、夢中で書いていたのだ。だがいい話になりそうだ。
サンドイッチを口に運びながら、携帯電話をチェックする。ずいぶんメッセージと着信が入っているようだ。北川からのメッセージは、やはり「読本」へのショートショートの依頼。
仕事は嫌いじゃない。だがどうしても後ろめたさがある。今来ている仕事は、明奈の仕事であり、そして祥吾の仕事だ。いい言い方をすれば彼らの尻拭いをしているといえるが、悪い言い方をすれば仕事を取っているとも言える。
コーヒーに口を付けると、ふわんといい香りがした。ずいぶん安い値段の割に、いい豆を使っているらしい。いい店を選んだと思う。それだけが気持ちを明るくさせた。
店を出ると、再び出版社の方へ向かった。今度は「読本」に寄せるショートショートのプロットを提出しに行くのだ。先ほどの缶詰部屋を使わせてもらえないだろうか。そう思いながら、春川はエレベーターを待った。
しかし夜とは違い、なかなかエレベーターは降りてこなかった。階段でもう向かおうかと思ったとき、彼女は後ろから声をかけられた。
「秋野さん。」
振り返ると、そこには桂の姿があった。
「桂さん。」
「仕事ですか?」
「えぇ。新しい臨時の仕事を。あなたは?」
「今度は女性向けのファッション雑誌だそうですよ。ベッドの中のアレコレをアドバイスできないかって。」
「ふーん。」
「評判が良かったら連載企画にしませんかと言われてます。」
「まぁ、それは編集者の腕次第ですかねぇ。」
「……それにしてもエレベーター来ないですね。」
「もう無理。階段で行こうっと。」
「え?階段で?」
「七階くらい余裕でしょ?」
せっかちにもほどがあると、桂は呆れたように彼女の後ろを追いかけるように歩いていく。
「あなたも階段で?何階ですか?」
「俺、八階。」
「行けます?」
「あんたこそ、時々ジムで泳いでるだけでしょ?」
「でも私の方が若いから。ね?四捨五入したら五十代。」
「歳のことは言わない。」
そういって彼女らは非常階段のドアを開いた。そしてそのドアを閉めると、手を握り桂は彼女を引き寄せる。
「会いたかった。」
「私も……。」
彼女も彼の体に手をのばした。そして軽くキスをする。
「ここって見えないよな。」
「何が?」
「スタジオでしたの見られてた。」
「嘘。誰から?」
「別にいいよ。俺はばれてもいい。」
そういって彼はまたキスをする。今度は唇を割り激しくキスをした。
「抱かれたくなるから。」
「今夜、仕事場行ってもいい?」
「あーしばらく行けなくて。」
「どうして?」
「家にいないといけないの。旦那がいないから、いるフリを。」
「そんなことまでしないといけないのか。」
彼は彼女の腰に手を伸ばしたまま、彼女に聞く。
「だったら今日は家に行っていい?」
「家に?」
「だったら問題ないだろ?」
「でも……。」
「問題あるのか?」
彼は何も知らない。記者が張り付いていることも、祥吾がなぜいないのかも。彼女は少しうつむくと、彼を離した。
「事情があるから、後でメッセージ送る。それよりもう行きましょ?」
「途中で休むなんていうなよ。」
「言わないわ。これくらいだったら。」
体を離し、二人は階段を上がっていく。息を切らせる。三階あたりで桂はサングラスを外した。
「……はっ……はっ……。」
もっと若いときは楽勝だったなぁ。春川もそう思っていた。何度この背中に乗っている荷物を投げようかと思う。だが捨てるわけにはいかない。
「はーっ、思ったよりも疲れたー。」
七階についた彼女はドアにもたれる。
「お疲れ。」
「桂さん。あと一階でしょ?頑張って。」
「でも……少し栄養補給していい?」
手に掛けていたジャンパーが足下に落ちる。そしてドアを背にした春川の後ろに手をかけて、唇を重ねた。
「んっ……。」
吐息を漏らして、彼女は彼女もそれに答えた。
「今日はいい夢が見れそう。昨日寝てないし。」
「寝る前に運動しようか?」
「フフ。本当に元気ねぇ。」
彼女はそういって笑った。その笑顔だけでこの長い階段を上がってきて良かった。そう思える。
きっと「読本」の仕事も春川にやってくるだろう。そのときはどんな話を書くべきか、プロットだけでも立てておいた方がいい。連載しているところを埋める穴だ。ショートショートくらいの長さでいいのだろう。
そのとき奥まったとおりに、一軒の喫茶店を見つけた。そこに入ると、古くさい匂いと煙草、そしてコーヒーの匂いがする。
「いらっしゃいませ。」
カウンターにいたのは若い男。こう言うのを優男というのだろう。彼女はそう思いながら、奥の席に座った。
「食事は出来ますか?」
メニューを持ってきた男に聞くと、彼は少し微笑んでメニューをひっくり返す。
「簡単なものしかございませんが。」
「結構です。サンドイッチとブレンドをください。」
「はい。」
メニューをそうそうに片づけると、彼はカウンターの奥へ言ってしまった。広くはないが、狭くもない。こんなところを一人出店を回すには大変だろう。
「……。」
彼女は思いついたように、眼鏡をかけてノートを取り出す。そしてペンでそれを書き出した。こうなると彼女は止められない。
何度も携帯電話が鳴っているが、全く気がつかない。ランチの時間になり客の出入りが激しくなったが、彼女はコーヒーにもサンドイッチにも手を付けなかった。
「あの奥の客、何してんの?」
店の常連である入れ墨の男が不思議そうに聞いてきたが、それはこの店を一人で回す優男のオーナーでもわからない。
ペンを止めてため息をついた。
「……。」
眼鏡を外してテーブルを見ると、冷えたホットコーヒーが手を付けられずに置いてあった。
「コーヒー入れ直しましょうか?それからサンドイッチですが、手を付けられないようなので、一応冷蔵庫に入れれあります。もうお出ししましょうか?」
その男がやってきて、春川はノートをしまうと恥ずかしそうにうなづいた。
「すいません。お願いします。」
ランチのピークも気がつかないで、夢中で書いていたのだ。だがいい話になりそうだ。
サンドイッチを口に運びながら、携帯電話をチェックする。ずいぶんメッセージと着信が入っているようだ。北川からのメッセージは、やはり「読本」へのショートショートの依頼。
仕事は嫌いじゃない。だがどうしても後ろめたさがある。今来ている仕事は、明奈の仕事であり、そして祥吾の仕事だ。いい言い方をすれば彼らの尻拭いをしているといえるが、悪い言い方をすれば仕事を取っているとも言える。
コーヒーに口を付けると、ふわんといい香りがした。ずいぶん安い値段の割に、いい豆を使っているらしい。いい店を選んだと思う。それだけが気持ちを明るくさせた。
店を出ると、再び出版社の方へ向かった。今度は「読本」に寄せるショートショートのプロットを提出しに行くのだ。先ほどの缶詰部屋を使わせてもらえないだろうか。そう思いながら、春川はエレベーターを待った。
しかし夜とは違い、なかなかエレベーターは降りてこなかった。階段でもう向かおうかと思ったとき、彼女は後ろから声をかけられた。
「秋野さん。」
振り返ると、そこには桂の姿があった。
「桂さん。」
「仕事ですか?」
「えぇ。新しい臨時の仕事を。あなたは?」
「今度は女性向けのファッション雑誌だそうですよ。ベッドの中のアレコレをアドバイスできないかって。」
「ふーん。」
「評判が良かったら連載企画にしませんかと言われてます。」
「まぁ、それは編集者の腕次第ですかねぇ。」
「……それにしてもエレベーター来ないですね。」
「もう無理。階段で行こうっと。」
「え?階段で?」
「七階くらい余裕でしょ?」
せっかちにもほどがあると、桂は呆れたように彼女の後ろを追いかけるように歩いていく。
「あなたも階段で?何階ですか?」
「俺、八階。」
「行けます?」
「あんたこそ、時々ジムで泳いでるだけでしょ?」
「でも私の方が若いから。ね?四捨五入したら五十代。」
「歳のことは言わない。」
そういって彼女らは非常階段のドアを開いた。そしてそのドアを閉めると、手を握り桂は彼女を引き寄せる。
「会いたかった。」
「私も……。」
彼女も彼の体に手をのばした。そして軽くキスをする。
「ここって見えないよな。」
「何が?」
「スタジオでしたの見られてた。」
「嘘。誰から?」
「別にいいよ。俺はばれてもいい。」
そういって彼はまたキスをする。今度は唇を割り激しくキスをした。
「抱かれたくなるから。」
「今夜、仕事場行ってもいい?」
「あーしばらく行けなくて。」
「どうして?」
「家にいないといけないの。旦那がいないから、いるフリを。」
「そんなことまでしないといけないのか。」
彼は彼女の腰に手を伸ばしたまま、彼女に聞く。
「だったら今日は家に行っていい?」
「家に?」
「だったら問題ないだろ?」
「でも……。」
「問題あるのか?」
彼は何も知らない。記者が張り付いていることも、祥吾がなぜいないのかも。彼女は少しうつむくと、彼を離した。
「事情があるから、後でメッセージ送る。それよりもう行きましょ?」
「途中で休むなんていうなよ。」
「言わないわ。これくらいだったら。」
体を離し、二人は階段を上がっていく。息を切らせる。三階あたりで桂はサングラスを外した。
「……はっ……はっ……。」
もっと若いときは楽勝だったなぁ。春川もそう思っていた。何度この背中に乗っている荷物を投げようかと思う。だが捨てるわけにはいかない。
「はーっ、思ったよりも疲れたー。」
七階についた彼女はドアにもたれる。
「お疲れ。」
「桂さん。あと一階でしょ?頑張って。」
「でも……少し栄養補給していい?」
手に掛けていたジャンパーが足下に落ちる。そしてドアを背にした春川の後ろに手をかけて、唇を重ねた。
「んっ……。」
吐息を漏らして、彼女は彼女もそれに答えた。
「今日はいい夢が見れそう。昨日寝てないし。」
「寝る前に運動しようか?」
「フフ。本当に元気ねぇ。」
彼女はそういって笑った。その笑顔だけでこの長い階段を上がってきて良かった。そう思える。
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