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別居
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北川が結婚すると聞いたのはそれから二、三日してからだった。達哉は彼女の休みを利用して、北川の実家へ挨拶へ行くらしい。北川の実家は車で一日がかりになる。この町よりもやや南にある温泉街に北川の実家があるらしい。
休み明け、北川はおみやげを持って張る川の元へ訪れた。春川は出張ホストのおぼろげな影がはっきりしたように、リアリティのある話を紡ぎ出している。
最初は金で買った出張ホスト。彼は社長秘書の三十代の女性を金蔓にしようと、体を売ろうとする。しかし彼女が求めているものはそんなものではなかった。
「濡れ場が控えめですね。」
「主人公の男性目線で書いてますからね。ほかの女性との濡れ場は、増やすつもりです。」
ルイボスティーを飲みながら、北川のおみやげであるお菓子に手を付けた。甘いお菓子はあまり進まないかもしれない。だが気持ちだろう。
プロットを読み終えて、北川は少しほほえむ。
「これで行きましょうか。女性の自慰の表現も入れてください。」
自慰と言われて少し顔が赤くなりそうだった。この間の桂との電話で、彼女は初めて自慰をした。自分ですることはないと思うが、離れていればそうやって慰めることもあるかもしれない。
「今度は道具をやるよ。」
そう彼は言っていた。性を表現したい気持ちはあるが、自分自身となれば話が違う。体が別人になったように感じてしまう。
「風俗行きたい。」
「は?」
「女性の話を聞いてみたいんです。」
呆れたように北川は、ため息をつく。
「前にソープへ行って懲りたんじゃないんですか?ヤクザに今度こそ因縁付けられますよ。」
「だったらヤクザに紹介してもらいたい。」
「春川さん。」
「私があくまで表現したいのは、第三者からの目線なんですよ。だからこの主人公も三十歳。男性も二十四歳の設定にしました。今の私にはそれが一番いいと思うんで。」
「現実逃避しているのですか?」
「え?」
「旦那さんにしても桂さんにしてもずいぶん年上ですものね。だからあえて女性の方を年上にしたんですか?」
「別にそういうわけじゃないんですけど。視点を変えたいと思って。」
「あぁ。だったらあれですか?これ、男性の方が年上だったら、自分と重なるとか思ってます?」
「そりゃ……多少はね。」
「そういうの読者が求めてたら?もっとリアルな心の動きとか。そういったものが表現できると思いません?」
「一人称ならそれでいいと思います。」
ため息をついて、彼女は少しうつむく。
「だけどそれは出来ない。私は誰を愛していても、結局人の妻ですから。昔なら罪人みたいなものですよ。それを公表したくない。」
「不貞が罪なんて、いつの時代ですか。」
北川は興奮したように、立ち上がった。
「……ごめんなさい。つい興奮してしまって。」
「お腹に子供にさわりますよ。……北川さん。もうこの話題やめましょう?答えなんか出ないから。それよりも、北川さん、この間達哉さんと実家へ行ったんですよね。」
「うん。そうなんですけど……。やっぱりあまりいい顔をされなかったんですよね。」
再びいすに座ると、北川は落ち着くようにお茶に口を付けた。
「子供がいるから仕方ないって感じでしたけど、本当ならAV男優なんかと結婚させたくないって思ってるみたいでした。」
「達哉さんは?」
「男優はいつか出来なくなるかもしれないけれど、この業界にはずっと関わっていたいって言ってます。」
「好きですものね。仕方ないです。北川さんはそれで大丈夫なんですか?」
「そうですね。正直、彼が出るものは見たくないって思うんですけど。春川さんこそ、桂さんが出るものって見たいですか?」
「ずっと観てましたから。資料として。」
「まぁ。そうでしたね。」
慣れというのは怖い。桂が「薔薇」の撮影で、ベッドシーンを重ねているのを、彼女は最近観ることがあった。正直、実際セックスをしているわけでもないので、ぬるいシーンだとしか思えなかった。
しかし桂の表情や相手役の愛美の表情を観ると、自分と重ねてしまう。髪を愛美は切って、どことなく自分に似ているからかもしれない。
牧原は、この見せそうで見えないところと、表情の艶っぽさ、色っぽさを誉めていた。これを観て股間を膨らませる男や、濡れてしまう女もいるかもしれないと笑っていたのが印象的だった。
「それにしても、AV男優だからって結婚を渋るなんて、心が狭くないですか?」
「それは一部の人だけですよ。大抵の人はそんなこと思っちゃいませんから。」
同じ人間で、同じように仕事をプライドを持ってしている人たちなのだ。それを偏見の目で見ている奴らの方が、よっぽど恥ずかしい。そう思えて仕方ない。
「ところで、今度○○新聞のスポーツ紙コラムを頼まれたんですか?」
「あぁ。そうですね。まだ受けてないんですけど、どうしようかと思ってて。」
「筆は早いんですから、やってみたらいいのに。」
「……旦那があまりいい顔をしていないですね。」
「旦那さんが?珍しい。あまり春川さんの仕事に口を出す人じゃなかったのに。」
「うーん。何なんでしょうね。お酒をこの間飲んで迷惑をかけたからでしょうか。」
「あれは良くないですよ。怒られて当然です。」
「面白かったんですけどね。お酒以外は。」
懲りていない。彼女はため息をついて春川を見ていた。
「例えば……もうAV関係と関わってほしくないとか?」
「関わりは切れません。ネタのためにも、仕事のためにも。」
「桂さんとの関係を疑っているとか?」
「だったら私も疑いましょうか?有川さんとの関係を。」
さらっと言ったが、本音だろう。彼女にも祥吾に対して許せないところがあるのだ。その相手は有川だけではない。他の体の関係を持っている人にも言えるのだろう。
「本当に旦那さんのことが好きだったんですね。」
「今となれば本当に好きだったのかわかりませんよ。」
祥吾を相手に桂のように心が熱くなることはない。桂とはセックスから入った体の関係ともいえるのだが、彼と体を重ねる度に体が熱くなる。もっと好きになる。求め合い抱き合えば、離れたくなくなる。祥吾ではそんな感覚はないのだ。
「AV関係との人の対談ですよね。いい話になると思いますよ。それこそ、官能小説以外のレーベルで本を出すことも出来るでしょうし。」
「そのときは秋野の名前でしょうね。」
「……前から思ってたんですけど、公表しないんですか?どちらにしてもそんなに顔を知られているわけではないし、女性か、男性かわからないってコトくらいでしょう?」
「それも旦那が嫌がるので。」
春川は自由に動かしているようで、全く自由はない。息苦しくないのだろうか。北川はそう思いながら、そのルイボスティーを飲み干した。
休み明け、北川はおみやげを持って張る川の元へ訪れた。春川は出張ホストのおぼろげな影がはっきりしたように、リアリティのある話を紡ぎ出している。
最初は金で買った出張ホスト。彼は社長秘書の三十代の女性を金蔓にしようと、体を売ろうとする。しかし彼女が求めているものはそんなものではなかった。
「濡れ場が控えめですね。」
「主人公の男性目線で書いてますからね。ほかの女性との濡れ場は、増やすつもりです。」
ルイボスティーを飲みながら、北川のおみやげであるお菓子に手を付けた。甘いお菓子はあまり進まないかもしれない。だが気持ちだろう。
プロットを読み終えて、北川は少しほほえむ。
「これで行きましょうか。女性の自慰の表現も入れてください。」
自慰と言われて少し顔が赤くなりそうだった。この間の桂との電話で、彼女は初めて自慰をした。自分ですることはないと思うが、離れていればそうやって慰めることもあるかもしれない。
「今度は道具をやるよ。」
そう彼は言っていた。性を表現したい気持ちはあるが、自分自身となれば話が違う。体が別人になったように感じてしまう。
「風俗行きたい。」
「は?」
「女性の話を聞いてみたいんです。」
呆れたように北川は、ため息をつく。
「前にソープへ行って懲りたんじゃないんですか?ヤクザに今度こそ因縁付けられますよ。」
「だったらヤクザに紹介してもらいたい。」
「春川さん。」
「私があくまで表現したいのは、第三者からの目線なんですよ。だからこの主人公も三十歳。男性も二十四歳の設定にしました。今の私にはそれが一番いいと思うんで。」
「現実逃避しているのですか?」
「え?」
「旦那さんにしても桂さんにしてもずいぶん年上ですものね。だからあえて女性の方を年上にしたんですか?」
「別にそういうわけじゃないんですけど。視点を変えたいと思って。」
「あぁ。だったらあれですか?これ、男性の方が年上だったら、自分と重なるとか思ってます?」
「そりゃ……多少はね。」
「そういうの読者が求めてたら?もっとリアルな心の動きとか。そういったものが表現できると思いません?」
「一人称ならそれでいいと思います。」
ため息をついて、彼女は少しうつむく。
「だけどそれは出来ない。私は誰を愛していても、結局人の妻ですから。昔なら罪人みたいなものですよ。それを公表したくない。」
「不貞が罪なんて、いつの時代ですか。」
北川は興奮したように、立ち上がった。
「……ごめんなさい。つい興奮してしまって。」
「お腹に子供にさわりますよ。……北川さん。もうこの話題やめましょう?答えなんか出ないから。それよりも、北川さん、この間達哉さんと実家へ行ったんですよね。」
「うん。そうなんですけど……。やっぱりあまりいい顔をされなかったんですよね。」
再びいすに座ると、北川は落ち着くようにお茶に口を付けた。
「子供がいるから仕方ないって感じでしたけど、本当ならAV男優なんかと結婚させたくないって思ってるみたいでした。」
「達哉さんは?」
「男優はいつか出来なくなるかもしれないけれど、この業界にはずっと関わっていたいって言ってます。」
「好きですものね。仕方ないです。北川さんはそれで大丈夫なんですか?」
「そうですね。正直、彼が出るものは見たくないって思うんですけど。春川さんこそ、桂さんが出るものって見たいですか?」
「ずっと観てましたから。資料として。」
「まぁ。そうでしたね。」
慣れというのは怖い。桂が「薔薇」の撮影で、ベッドシーンを重ねているのを、彼女は最近観ることがあった。正直、実際セックスをしているわけでもないので、ぬるいシーンだとしか思えなかった。
しかし桂の表情や相手役の愛美の表情を観ると、自分と重ねてしまう。髪を愛美は切って、どことなく自分に似ているからかもしれない。
牧原は、この見せそうで見えないところと、表情の艶っぽさ、色っぽさを誉めていた。これを観て股間を膨らませる男や、濡れてしまう女もいるかもしれないと笑っていたのが印象的だった。
「それにしても、AV男優だからって結婚を渋るなんて、心が狭くないですか?」
「それは一部の人だけですよ。大抵の人はそんなこと思っちゃいませんから。」
同じ人間で、同じように仕事をプライドを持ってしている人たちなのだ。それを偏見の目で見ている奴らの方が、よっぽど恥ずかしい。そう思えて仕方ない。
「ところで、今度○○新聞のスポーツ紙コラムを頼まれたんですか?」
「あぁ。そうですね。まだ受けてないんですけど、どうしようかと思ってて。」
「筆は早いんですから、やってみたらいいのに。」
「……旦那があまりいい顔をしていないですね。」
「旦那さんが?珍しい。あまり春川さんの仕事に口を出す人じゃなかったのに。」
「うーん。何なんでしょうね。お酒をこの間飲んで迷惑をかけたからでしょうか。」
「あれは良くないですよ。怒られて当然です。」
「面白かったんですけどね。お酒以外は。」
懲りていない。彼女はため息をついて春川を見ていた。
「例えば……もうAV関係と関わってほしくないとか?」
「関わりは切れません。ネタのためにも、仕事のためにも。」
「桂さんとの関係を疑っているとか?」
「だったら私も疑いましょうか?有川さんとの関係を。」
さらっと言ったが、本音だろう。彼女にも祥吾に対して許せないところがあるのだ。その相手は有川だけではない。他の体の関係を持っている人にも言えるのだろう。
「本当に旦那さんのことが好きだったんですね。」
「今となれば本当に好きだったのかわかりませんよ。」
祥吾を相手に桂のように心が熱くなることはない。桂とはセックスから入った体の関係ともいえるのだが、彼と体を重ねる度に体が熱くなる。もっと好きになる。求め合い抱き合えば、離れたくなくなる。祥吾ではそんな感覚はないのだ。
「AV関係との人の対談ですよね。いい話になると思いますよ。それこそ、官能小説以外のレーベルで本を出すことも出来るでしょうし。」
「そのときは秋野の名前でしょうね。」
「……前から思ってたんですけど、公表しないんですか?どちらにしてもそんなに顔を知られているわけではないし、女性か、男性かわからないってコトくらいでしょう?」
「それも旦那が嫌がるので。」
春川は自由に動かしているようで、全く自由はない。息苦しくないのだろうか。北川はそう思いながら、そのルイボスティーを飲み干した。
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