セックスの価値

神崎

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 会社を出ると、もうあまり人通りはない。終電がそろそろなので、みんな急ぎ足だと思う。夜の風は思ったよりも冷えていて、北川は身震いを少しする。
「寒い?」
 青木も電車で帰るらしく、駅へ向かおうとしていた。
「明日からマフラーします。」
「マフラーとかで大丈夫?女の子は冷やしちゃだめだよ。」
 駅へ向かおうとしたときだった。
「明日香。」
 後ろから声をかけられた。彼女は思わず振り返る。そこには達哉の姿があった。
「達哉。」
「仕事終わった?」
「うん。」
「俺もさっき終わってさ。近くだなぁと思ってちょっと寄ってみた。すげぇ夜遅くまで仕事するんだね。」
「そうね。今日は遅くなり過ぎた。」
 ぼろぼろのジーパンに、スカジャン。よく見ればあまり若くもないようなのに、落ち着いた格好もしていない。フリーターにも見えるような達哉に、青木はいぶかしげな顔をした。
「誰?」
「上司。残業手伝ってくれたの。」
「あ、そうなんだ。初めまして。達哉と言います。」
「青木光輝です。」
 そういって彼は名刺を取り出して、達哉に渡す。
「あ。すいません。俺、名刺なんか持ってなくて。」
 名刺なんか持っているような仕事ではないことはすぐにわかる。普通のサラリーマンの仕事ではないのだろう。よくて美容師とか、ショップの店員とか、そんなものだろう。
「送るよ。車すぐ停めてる。渡したいものもあるし。」
「マジで?ありがとう。」
 笑顔を浮かべている北川に、彼はぎりっと奥歯を噛んだ。さっきまでその笑顔は自分に向けられていたのに。
「じゃあ、今日はありがとうございました。このお礼はいずれしますから。お疲れさまでした。」
 そういって北川は行ってしまう。紺色のパンツスーツがスカジャンを追う。その光景がどうしても滑稽だった。
「くそ。」
 彼はそうつぶやくと、駅へ向かっていった。こんな時はぱあっと飲めればいいのだが、終電がある。駅へ大人しく向かうと、電車に乗り込んだ。
 終電は空いている。ぎりぎりで乗り込んでも案外座れるものだ。周りを見れば同じようなサラリーマンやOLがいる。ため息を付いて、彼はイヤフォンを取り出そうとしたときだった。
「うわっ。今月のPOP責めてるねぇ。」
 OLたちの会話が聞こえてきた。うるさいな。そう思いながら、彼女らが目を留めている電車の宙づり広告に彼も目を移す。そこには女性用の二十代から三十代向けの女性誌の広告があった。
「AV男優だってー。すごいね。男前ばっかじゃん。」
「最近よく見るよね。桂って人。」
「超いい体してるもん。顔ちっちゃいしさ、足長いし。」
「やだー。買ってみたの?」
「一応ね。でもさ、桂って人結構お年よ。四十五って言ってたもん。」
「やだ。オジサンじゃん。」
「一緒に載ってた達哉って人は童顔だけど二十九って言ってたよ。」
「まぁ。ギリだよね。」
 達哉の声に、彼はあの達哉ではないだろう。とタカをくくった。しかしイヤフォンをつけて、携帯電話を開く。その手は検索に伸びた。「達哉」と入れるだけで候補はAV男優と上がる。それを見てみると、そこにはさっき北川を迎えに来たあの男が写っていた。
「……マジか。」
 画像を検索すれば、色んな女優と絡んでいる。それは女優だけじゃない。素人っぽい女性とキスをしている写真もあるし、手を繋いでいたり、ベッドで寝ているものもある。
「……。」
 コレが北川の恋人というのだろうか。こんなチャラい男が。
 セックスのテクだけで彼女が転んだのかもしれない。確かにそれは必要かもしれないが、それだけに転ぶわけにいかないのだ。

 達哉の唇が北川の唇を塞ぐ。そしてスーツ越しに、彼は彼女の体を抱きしめた。
「あーすごい久しぶり。」
「忙しかったんでしょう?」
「うん。桂さんのお陰かな。出張ホストの指名も増えたし。桂さんが忙しいから、俺に役が回ってくるんだから。」
「そうなの?大変ね。」
 彼は体を離すと、再び軽いキスをした。そして微笑む。
「手、出して。」
 すると彼は彼女のその細い指に指輪をはめる。それは銀色の指輪で、まるで婚約指輪のように見える。
「どうしたの?コレ。」
「あんま高いもんじゃないよ。外国に仕事行ったんだけど、免税店で買ったものだし。」
 結局あの外国人相手の仕事は、精も根も尽き果てたくらいくたくたになってしまい、帰り間際の免税店で買ったのが精一杯だったのだ。
 桂はしっかりと外で買ったらしく、そこでは何も手にしていなかったようだが。
「ううん。嬉しい。ありがとう。」
 今日は疲れたとか、残業が大幅に残業になったとか、そんなことはどうでもいいように感じれるくらい嬉しかった。
「あんまり会えないからさ。隣の隣に住んでるのに。」
「そんなものよ。お互いに仕事してたら。」
「前の彼氏はそういい聞かせてたんだろ?俺にはわがまま言って良いから。できる限り、一緒にいたいと思うし。」
 そんなことを言う人がいただろうか。彼女は一人しか知らなかった。高校生の時からつき合っていた彼氏。思えばお互い自分勝手に忙しいとしか言わなかったのだ。
「色んな噂が飛び交ってるけど、仕事以外で俺、素人相手しないし。あんただけだよ。」
「わかってる。でもね。少し疑ったのよ。」
「そのときは電話して。何時間でも弁解するから。」
 お互いに微笑み合い、そして彼女は目をつぶる。彼も目をつぶり、どちらともなく唇を合わせた。長い髪に手をはわせて、彼は彼女の唇を割ると舌を絡ませる。
 唇を離す間もなく、彼はスーツの上着を脱がせにかかった。このセックスは仕事じゃない。ただ彼がしたいから、そして彼女も彼が欲しかったから。
 唇を離すと、彼女は頬を赤らませて言う。
「好きよ。」
「俺も。」
 そういって彼らはまたキスを繰り返した。
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