セックスの価値

神崎

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撮影開始

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 トランクルームに預けてあった本を運び込むと、部屋は本で埋め尽くされた。パソコンを置いて、そこを仕事場にすればいい。
 隣の部屋にはベッドをおいた。おそらくここで寝ることはほとんどないかもしれないが、形として置いておいた方がいいと思う。
 テレビを置くことはない。リビングだけを見るとシンプルな部屋だ。春川には旦那がいる。そう思って食器だけは二人分おいた。まぁ、ここで食事をすることはないだろうが。
 所詮ここは仮宿だ。実際住むことはない。だが編集者の目を欺くにはちょうどいい。それに桂が来ることもあるだろう。だが彼と連絡は最近付けていない。映画や撮影やレッスンや……色んなことをしているのだろう。
 春川は仕事場へ向かう。そこには一冊の本があった。冬山祥吾が書いた「江河」という本。それは彼女が無気力な高校時代を送っていたとき、学校図書館で見つけたのがきっかけだった。
 一気に引き込まれたのを覚えている。そして次の作品、次の作品と読みあさり、彼女は一気にファンになった。そこまで一つのものに固着することはなかった彼女にとって、新鮮な感情だった。
 会ってみたい。そう思い、彼女は手紙を送る。
 ただのファンレターに彼がそこまで見るとは思えなかった。連絡が付かないならそれでかまわない。しょせんは小説家と高校生だ。そう思っていた。
 手紙を送ったのは寒い冬の時期だった。そして彼女は高校二年になったその日。
「春ちゃん。手紙が来てるわよ。」
 施設の職員から手渡された一通の手紙。そこには冬山祥吾の文字があった。住所も書いてある。電車で二時間ほどの街だ。思ったよりも近くにいる。
 そのときの彼女のときめきを、今でも忘れていない。
 春川はその本を棚に戻した。そしてキッチンへ向かう。お湯を沸かして、コーヒーを淹れるためだった。

 そのころ桂は、南の島にいた。映画の撮影の合間を縫って、AVの撮影に来たのだ。外国人相手の撮影は、正直気が乗らない。彼女らは反応が正直だ。下手なら蹴られることもあるし、下手に上手だとプライベートでもつき合わないかという話になることもある。
 それに彼女らは「されて当然」と言う考えを持っていることもあって、中途半端に優しくできない。
 それでも仕事だ。やらないといけないのだろう。これでご飯を食べているわけなのだから。
 免許証を手に写真を撮ったあと、彼は控え室に戻る。当然のように他のスタッフなんかもいて、あれやこれやと打ち合わせをしていた。
 そのとき同じように免許証を手に戻ってきた達哉が、彼に近づいてくる。
「桂さん。」
「どうした。」
「撮影のあと、ちょっとつき合って貰えません?」
「どうした。珍しいな。」
「んー。さすがにちょっと連絡を取ってないなと思って、機嫌とるためのものを選びたいんですよ。」
「……お前、あの女とヤったのか?」
 すると達哉は恥ずかしそうに頭をかく。
「さすがに一発だけですよ。」
「そんなことは聞いてないけどな。でもめんどくさそうな女だと思うけど。」
「あの人ほどじゃないでしょ?こっちは独身だし。」
 その言葉に桂はため息を付く。既婚者との恋がそんなに悪いのかと思っていた。
「あー日焼け止め塗らないとな。」
「え?」
「こっちに来るからって、撮影のあとと前で顔色が違うと悪いんだとよ。」
「なるほど。だから他の女優とか日傘してんだ。」
 本来なら肌が露出しているところだけ塗ればいい。だが彼らは全裸になる。だから肌にまんべんなく塗らなければいけないだろう。
 そういえば部屋を借りたといっていたが、もう引っ越しは終わったのだろうか。仮宿だといっていたが、それでも住めるようにしてあるという。
 これで何の気兼ねもなく春川に会えると思っていた。だが実際は忙しすぎて、会うどころか連絡もおぼつかない。
「俺も買っとくか。」
「え?」
「けど、お前、外国人初めてだっけ?」
「何回かしたっけか。」
「そっか。ならいいけど、大変だぞ。気を使えよ。それから何があっても逆らうな。」
「へ?」
「あっちが女王様だからな。」
 これから始まる撮影に、買い物なんか出来るのだろうかと内心、桂は思っていた。

 仕事を終えて、春川は家に戻ってきた。荷物を部屋においた。祥吾の部屋へは行かなくていいだろう。玄関にパンプスが置いてあったからだ。
 正直最近ほっとしている自分がいた。なぜなら祥吾とは顔を合わせたくないとどこかで思っている。
 僅かに聞こえる。女性の声。前に聞いた有川の声だろう。
「助手の方はいらっしゃらないのですか?」
「さぁね。彼女も忙しい人だ。私の助手だけではなく、ライターとしての仕事も忙しくなってきたようだし。」
「先生を置いていくなんて……。」
「助手と言っても私が部屋から出たくないだけだ。ライターの仕事のついでに資料を集めてきて貰っているだけでも助かる。」
「信頼していらっしゃるのですね。」
「……あぁ。そうだね。」
 そういって部屋の前を通り過ぎた。春川は息を潜めるように、その場にいた。そして玄関ドアが開く音がする。ドアが閉まり、彼女はほっと息をつく。
「春。」
 しばらくして祥吾の声が聞こえた。
「はい。」
「隠れなくてもいいのに。」
 ドアを開けて、祥吾は少し笑う。
「お邪魔のような気がしたので。」
「そんなことはない。助手が帰ってきて、文句を言うような担当者はいないよ。」
 後ろ手でドアを閉めると、暗闇になる。彼女は電気をつけようと手を伸ばした。そこへ温かく柔らかいものが重なってくる。それは彼の手だった。
「あ……すいません。」
「いいや。フフ。前にも同じようなことがあったのを思い出したよ。覚えているかな。」
 彼は手を握ったまま彼女に問う。暗闇では彼女の表情がわからない。だがきっと彼女は頬を赤らめている。
「えぇ。」
「春。今日、同じことをしてもいいだろうか。」
 そういって彼は握られた手を引く。そして自分の胸に抱きしめた。
「……。」
 だめだ。耐えれない。彼女は口をとがらせて、彼を引き離す。
「どうしたんだ。」
「香水の匂いがして……。」
「あぁ。さっきの編集者か。あまり側にいたつもりもないだが、匂うかな。」
「えぇ。」
「わかった。ではお風呂に入り直すことにしよう。君も入るかな。」
「あとでいただきます。」
 電気をつけると、彼女はバッグから資料を数部取り出した。
「これを。頼まれていたものです。」
「ありがとう。」
 そういって彼は部屋を出ていった。悪びれもないのだ。彼にとってセックスとはその程度の価値で、でも取られるがいやだから、彼女とセックスをしようと思っている。
 そんなものじゃない。セックスとは……。ただ子供を作るため、産み増やすためだけのものじゃないのだ。
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