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出張ホスト
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春川が一番今頭を悩ませていたのは、「薔薇」の脚本作りだった。脚本家が作ってくれた台本とやらやプロットやらを見せてもらったが、あまりにもかけ離れた内容に監督ほかほかのスタッフから総すかんを食らったのだという。
そこで彼女にお鉢が回ってきた。
書いたことないと言いながらも、祥吾からは「やってみればいい」といわれてやっているのだ。
だいたいもう作品として世に出したモノは、自分の手から放れているのだ。それからどうされようとどうでもいいのに、納得しないからと言って彼女に書いてもらうのはお門違いだと思う。
ノンカフェインコーヒーを飲みながら、彼女はノートパソコンを開きその修正をしていた。
「はぁ……。」
眼鏡を外して、目を擦る。そして向かいの席を見た。まだ桂は来ていない。あの集団から抜けるのは大変だろう。だからわざと一緒に出ようとは言わなかったのだ。
そういって彼との距離をとる。そうではないと彼はきっと勘違いをするから。
周りを見渡すと、やる気のない店員のほかには水商売の女や、まだ仕事をしているサラリーマン、試験前の学生がいる。水商売の女たちやホストたちは何か話し込んでいる。
「……。」
そういえば出張ホストはいつだったか。見せて欲しいという無理な要求を聞くところだ。割と心が広いところなのかもしれない。
「さてと。」
またパソコンの画面に目を落とそうとしたときだった。店内に男が入ってきた。コーヒーを買い、きょろきょろと見ている。そして彼女に気がつくと、その向かいに座る。
「本当に来たんですね。」
春川はパソコンの内容を保存し、シャットダウンする。そしてそれをバッグの中にしまい込んだ。
「来ますよ。もし俺がこなかったら、二十四時まで仕事をしてたんですか?」
「えぇ。そのつもりでしたよ。昼間は動くことが多いので、仕事はどうしても夜が中心です。」
いつ寝てるんだろう。桂はそう思いながら、コーヒーを口にした。
「メッセージ確かに来てましたね。」
「えぇ。本気ですか?」
「出張ホストの話?えぇ。北川さんには無理を言いましたけど、どうしても見たかったんで。」
「不自然でしょ?達哉だって……。」
「あぁ。お知り合いですか?」
「えぇ。後輩の男優です。今日も一緒に仕事してきたんです。」
「だからかぁ。なんで知ってんだろって思ったんですよね。あぁいう所って守秘義務とか厳しそうなのに。」
コーヒーを口に含むその手を思わずみる。まだ銀色のリングが光っていた。
「達哉は見られてるの知っているけど、誰が見てるかまではわからないみたいでした。」
「えぇ。社長さんに秘密にしておいてくださいって言っておきました。見られてるのは話してもかまわないけれど、誰が見てるかとは。」
「でも一人で動くつもりですか?」
「そのつもりですよ。大丈夫ですって。一人で何かするのなんか慣れてますから。」
笑い飛ばすが、高いお金を払ってホストを雇うのだ。一人でいける牛丼屋やカフェとはわけが違う。明らかに目立つだろう。
「あんたも雇えばいいのに。」
「そんなホスト居ないでしょ?そっちのカップルの観察したいので、何もしなくていいです。何ていう人居ます?」
「まぁ……難しいでしょうね。」
「だからいいんですよ。お一人様お断りのお店には行かないでくださいっていってあるし。」
「だったら……俺が。」
言うと思った。だから彼とは距離を取っていたのに。
「いいんですよ。桂さん。そんなことをさせてはいけません。ね?あなたも十分目立ちますから。」
「春川さん。」
「はい?」
「どうして旦那さんはそういうことにつきあってもらえないんですか?あんたも小説を書いていて、旦那さんも書いているのでしょう?なのにあなたは旦那さんの要求には応えているみたいなのに、旦那さんはあなたの要求を聞かないんですね。」
「それは……それぞれの夫婦の形がありますし、それで私は幸せですから。」
「……俺にはそう見えないんですけど。」
「どうしてそんなことが言えるんですか?」
「あなたはいつも旦那さんの話をするとき、一瞬真顔になるから。」
その言葉に彼女は言葉を失った。そんなところまで見ているのかと。
「……。」
「春川さん。いつかあなたは結婚生活が幸せだと言ってましたけど、本当なんですか?」
「そんなことまで話したくありません。」
不機嫌そうに彼女はコーヒーを飲み干すと、彼女の携帯電話が鳴る。相手は誰だろう。その携帯電話は仕事用ではなくて、プライベート用のモノだった。
「はい……。はい。そうですね。はい。すいません。」
電話を切ると彼女はため息をついた。
「そろそろ帰ります。」
「旦那さんからですか?」
「えぇ。もうこんな時間になってしまったから、何をしているのかと。それからお使いモノを。」
当然かもしれない。二十二時までのバイトをさせているのも非常識だが、それからずっと帰ってこなければどんな旦那でも心配するかもしれない。
「送りますよ。」
「あ、平気です。車、停めてますし。」
「じゃあ、駐車場まで。」
本当に旦那だったのだろうか。
まるでメイドとご主人様の関係のようだ。そういうプレイのAVも撮ったことはあるが、そんなに彼女が従順なのだろうか。旦那という人の顔を今日初めて見た。優しそうで綺麗な顔立ちをしている人だ。ご主人様なんていう単語は似合わないと思う。
多くの疑問が残り、隣で歩く彼女に問いつめたいと思った。だけど出来ない。つなごうとした手が宙を泳ぐ。
やがて近くにあるコインパーキングにたどり着いた。彼女はそれにお金を入れようとする。ダメだ。これ以上何も聞けないのは、生殺しだと思う。
初恋を思い出すようだった。あの雪深いあの町で恋をした女。一言も声をかけられずに卒業してしまった女。あの後悔をしたくない。
チャリン。
彼女の手からコインが落ちた。それを拾い、また入れようとしたその手を彼は強引に引っ張る。
「え?何?何?怖い。」
奥には街灯の光が届かない。薄暗い場所になる。4WDの車がありその影に隠れた。
「俺を連れてってください。」
「え?ホストの話?まだ続いてたんですか?その話。」
「えぇ。」
呆れたように彼女はため息をつく。そしてうなずいた。
「わかりました。明後日の十九時に駅前の公園の噴水の前だそうです。私たちはその側で待ち合わせをしましょう。」
「本当に?」
「でも本当にあなたを無視するくらい、私はじっと観察かもしれません。それでもいいんですか?」
「えぇ。」
「変わった人。何がいいんだか。」
彼女はそういって少し笑った。そしてその繋がれた手を離そうとした。しかしそれを彼は離そうとしなかった。
薄い明かりでもわかる。彼の表情。じっと彼女を見下ろしていた。前と一緒だ。彼女はそれ以上踏み込まれてはいけないと、その手を離そうとした。しかし離さない。
「離してもらえませんか。」
「いやです。」
「強引な人。女性はそういうのを好むんですかね。」
「……女心なんてわかりませんよ。でもあなたのことは知りたい。春川さん。このまま抱き寄せます。」
「ダメです。」
「いやです。」
彼は肩を掴むと、彼女を抱き寄せた。誰よりも抱きしめたい体だった。柔らかくて温かい。女性特有の温かさだった。
このまま彼の背中に手を伸ばすのは簡単だ。そうすれば楽になる。彼女はそう思っていた。きっと愛してくれているのだ。祥吾とは違う。その手で。
「ダメ……。」
言葉ではそういいながらも、彼女はその背中に手を伸ばした。
「ダメです。こんな事許されない。」
「誰も許さないでしょうね。でも俺は離したくない。」
彼は少し彼女を離すと、その頬に手のひらを当てる。ふわっとしている感触が伝わってきて、それが愛しいと思う。
「すいませーん。出したいんですけど。」
その声が聞こえて、慌てて彼女は手を離した。男の声だった。そして後ろを向く。
「あ、すいません。」
どうやらこの4WDの持ち主が帰ってきたらしい。彼は二人をじろっと見て、車に乗り込んだ。派手なエンジン音がして、車は走り去っていく。
やばい。完全に流された。後ろを向いた彼女は、走り去っていく車のエンジン音が消えたのを確認して、正面を向く。
「また、連絡します。」
「はい。」
頬が赤くなっている。きっとそれは彼も一緒だった。逃げるように彼女は精算機へ向かっていった。
そこで彼女にお鉢が回ってきた。
書いたことないと言いながらも、祥吾からは「やってみればいい」といわれてやっているのだ。
だいたいもう作品として世に出したモノは、自分の手から放れているのだ。それからどうされようとどうでもいいのに、納得しないからと言って彼女に書いてもらうのはお門違いだと思う。
ノンカフェインコーヒーを飲みながら、彼女はノートパソコンを開きその修正をしていた。
「はぁ……。」
眼鏡を外して、目を擦る。そして向かいの席を見た。まだ桂は来ていない。あの集団から抜けるのは大変だろう。だからわざと一緒に出ようとは言わなかったのだ。
そういって彼との距離をとる。そうではないと彼はきっと勘違いをするから。
周りを見渡すと、やる気のない店員のほかには水商売の女や、まだ仕事をしているサラリーマン、試験前の学生がいる。水商売の女たちやホストたちは何か話し込んでいる。
「……。」
そういえば出張ホストはいつだったか。見せて欲しいという無理な要求を聞くところだ。割と心が広いところなのかもしれない。
「さてと。」
またパソコンの画面に目を落とそうとしたときだった。店内に男が入ってきた。コーヒーを買い、きょろきょろと見ている。そして彼女に気がつくと、その向かいに座る。
「本当に来たんですね。」
春川はパソコンの内容を保存し、シャットダウンする。そしてそれをバッグの中にしまい込んだ。
「来ますよ。もし俺がこなかったら、二十四時まで仕事をしてたんですか?」
「えぇ。そのつもりでしたよ。昼間は動くことが多いので、仕事はどうしても夜が中心です。」
いつ寝てるんだろう。桂はそう思いながら、コーヒーを口にした。
「メッセージ確かに来てましたね。」
「えぇ。本気ですか?」
「出張ホストの話?えぇ。北川さんには無理を言いましたけど、どうしても見たかったんで。」
「不自然でしょ?達哉だって……。」
「あぁ。お知り合いですか?」
「えぇ。後輩の男優です。今日も一緒に仕事してきたんです。」
「だからかぁ。なんで知ってんだろって思ったんですよね。あぁいう所って守秘義務とか厳しそうなのに。」
コーヒーを口に含むその手を思わずみる。まだ銀色のリングが光っていた。
「達哉は見られてるの知っているけど、誰が見てるかまではわからないみたいでした。」
「えぇ。社長さんに秘密にしておいてくださいって言っておきました。見られてるのは話してもかまわないけれど、誰が見てるかとは。」
「でも一人で動くつもりですか?」
「そのつもりですよ。大丈夫ですって。一人で何かするのなんか慣れてますから。」
笑い飛ばすが、高いお金を払ってホストを雇うのだ。一人でいける牛丼屋やカフェとはわけが違う。明らかに目立つだろう。
「あんたも雇えばいいのに。」
「そんなホスト居ないでしょ?そっちのカップルの観察したいので、何もしなくていいです。何ていう人居ます?」
「まぁ……難しいでしょうね。」
「だからいいんですよ。お一人様お断りのお店には行かないでくださいっていってあるし。」
「だったら……俺が。」
言うと思った。だから彼とは距離を取っていたのに。
「いいんですよ。桂さん。そんなことをさせてはいけません。ね?あなたも十分目立ちますから。」
「春川さん。」
「はい?」
「どうして旦那さんはそういうことにつきあってもらえないんですか?あんたも小説を書いていて、旦那さんも書いているのでしょう?なのにあなたは旦那さんの要求には応えているみたいなのに、旦那さんはあなたの要求を聞かないんですね。」
「それは……それぞれの夫婦の形がありますし、それで私は幸せですから。」
「……俺にはそう見えないんですけど。」
「どうしてそんなことが言えるんですか?」
「あなたはいつも旦那さんの話をするとき、一瞬真顔になるから。」
その言葉に彼女は言葉を失った。そんなところまで見ているのかと。
「……。」
「春川さん。いつかあなたは結婚生活が幸せだと言ってましたけど、本当なんですか?」
「そんなことまで話したくありません。」
不機嫌そうに彼女はコーヒーを飲み干すと、彼女の携帯電話が鳴る。相手は誰だろう。その携帯電話は仕事用ではなくて、プライベート用のモノだった。
「はい……。はい。そうですね。はい。すいません。」
電話を切ると彼女はため息をついた。
「そろそろ帰ります。」
「旦那さんからですか?」
「えぇ。もうこんな時間になってしまったから、何をしているのかと。それからお使いモノを。」
当然かもしれない。二十二時までのバイトをさせているのも非常識だが、それからずっと帰ってこなければどんな旦那でも心配するかもしれない。
「送りますよ。」
「あ、平気です。車、停めてますし。」
「じゃあ、駐車場まで。」
本当に旦那だったのだろうか。
まるでメイドとご主人様の関係のようだ。そういうプレイのAVも撮ったことはあるが、そんなに彼女が従順なのだろうか。旦那という人の顔を今日初めて見た。優しそうで綺麗な顔立ちをしている人だ。ご主人様なんていう単語は似合わないと思う。
多くの疑問が残り、隣で歩く彼女に問いつめたいと思った。だけど出来ない。つなごうとした手が宙を泳ぐ。
やがて近くにあるコインパーキングにたどり着いた。彼女はそれにお金を入れようとする。ダメだ。これ以上何も聞けないのは、生殺しだと思う。
初恋を思い出すようだった。あの雪深いあの町で恋をした女。一言も声をかけられずに卒業してしまった女。あの後悔をしたくない。
チャリン。
彼女の手からコインが落ちた。それを拾い、また入れようとしたその手を彼は強引に引っ張る。
「え?何?何?怖い。」
奥には街灯の光が届かない。薄暗い場所になる。4WDの車がありその影に隠れた。
「俺を連れてってください。」
「え?ホストの話?まだ続いてたんですか?その話。」
「えぇ。」
呆れたように彼女はため息をつく。そしてうなずいた。
「わかりました。明後日の十九時に駅前の公園の噴水の前だそうです。私たちはその側で待ち合わせをしましょう。」
「本当に?」
「でも本当にあなたを無視するくらい、私はじっと観察かもしれません。それでもいいんですか?」
「えぇ。」
「変わった人。何がいいんだか。」
彼女はそういって少し笑った。そしてその繋がれた手を離そうとした。しかしそれを彼は離そうとしなかった。
薄い明かりでもわかる。彼の表情。じっと彼女を見下ろしていた。前と一緒だ。彼女はそれ以上踏み込まれてはいけないと、その手を離そうとした。しかし離さない。
「離してもらえませんか。」
「いやです。」
「強引な人。女性はそういうのを好むんですかね。」
「……女心なんてわかりませんよ。でもあなたのことは知りたい。春川さん。このまま抱き寄せます。」
「ダメです。」
「いやです。」
彼は肩を掴むと、彼女を抱き寄せた。誰よりも抱きしめたい体だった。柔らかくて温かい。女性特有の温かさだった。
このまま彼の背中に手を伸ばすのは簡単だ。そうすれば楽になる。彼女はそう思っていた。きっと愛してくれているのだ。祥吾とは違う。その手で。
「ダメ……。」
言葉ではそういいながらも、彼女はその背中に手を伸ばした。
「ダメです。こんな事許されない。」
「誰も許さないでしょうね。でも俺は離したくない。」
彼は少し彼女を離すと、その頬に手のひらを当てる。ふわっとしている感触が伝わってきて、それが愛しいと思う。
「すいませーん。出したいんですけど。」
その声が聞こえて、慌てて彼女は手を離した。男の声だった。そして後ろを向く。
「あ、すいません。」
どうやらこの4WDの持ち主が帰ってきたらしい。彼は二人をじろっと見て、車に乗り込んだ。派手なエンジン音がして、車は走り去っていく。
やばい。完全に流された。後ろを向いた彼女は、走り去っていく車のエンジン音が消えたのを確認して、正面を向く。
「また、連絡します。」
「はい。」
頬が赤くなっている。きっとそれは彼も一緒だった。逃げるように彼女は精算機へ向かっていった。
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