セックスの価値

神崎

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出張ホスト

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 他の男優に気づかれないように、桂は春川にメッセージを送る。出張ホストの話を聞きたいからだった。
 やがていつも住んでいる町にたどり着く。もうすっかり暗くなっているが、いつも行く焼き肉屋は朝五時まで開いているのでよくみんなで来ることがある。しかも個室なので、酔っぱらうと面倒くさくなる竜なんかには丁度いいのだ。
「ウーロン茶ください。」
「相変わらず飲めねぇんだな。桂は。」
「好きになれなくて。」
 そのときバックの中の携帯電話が鳴った。彼はそれを取ると、メッセージを確認する。彼女からではなかった。
「どうしたんだよ。さっきからケータイばっか気にして。」
「いいや。ちょっと連絡待ちって言うか。」
「女っすか?桂さんに女?」
 その言葉に周りがざわめく。スタッフにもその言葉は寝耳に水だったのだ。
「違うって。仕事。例の映画のヤツ。台本ができたら連絡するって言われてるけど、まだ出来ないみたいだから。クランクインがもうすぐだってのに困ってんだよ。」
「まぁな。初めてだっけ?まともな映画。」
「まぁ、正確には初めてじゃないけど。」
「端役ばっかやってたって言ってたな。」
 飲み物が運ばれて、乾杯をすると肉を焼き始める。割と多くの人がきたので、網は二つ用意された。そのうちの一つに肉を乗せると、煙とともにじゅわっという音がする。
「俺、あの本読んだことあるんですよ。」
 隣に座っていた達哉が声をかけてきた。
「あぁ。「薔薇」って本か。」
「何か生々しいっすね。あの本。人を選ぶと思うな。」
「お前本なんか読むんだな。意外だわ。」
「俺、結構読みますよ。大学文学部だったし。ほら、あの冬山祥吾って作家知ってます?」
 その名前にドキッとした。彼女の旦那だ。
「あぁ。読んだことはないけど。」
「あの人の本。すげぇ好きで。作家になろうと思ったこともあるんだけど、結局あの人の模倣みたいになって。あ、すいません。飯こっちです。」
 達哉も酒が飲めないのか、ご飯を頼んでいた。それに肉を乗せて食べている。ご飯がどれくらい持つだろう。
「どんな人か知ってる?」
「んー。何かすげぇ変わり者でしょ?あ、俺一度サイン会行ったことあるわ。」
「そのころはやってたのか。」
「えぇ。もう今はそんなことしなくても勝手に売れてるけど。ほら。この人。」
 後ろポケットから携帯電話を取り出して、写真を見せてきた。そこには痩せた男が写っていた。髪を染めていないのか、グレーの髪は彼よりもあまり歳が変わらないだろうに実年齢より歳に見える。
「こいつが……。」
 彼女の旦那。歳を考えるともうすでにそのころは結婚していただろうか。優しそうな雰囲気が醸し出しているし、顔立ちは整っている。彼とは別の意味で男前だ。
「え?」
「いいや。今、メディアに出ないなら、その写真は貴重だな。」
「そうっすね。でも何か、最近作風が変わったって言うか。」
 ご飯を飲み込んで達哉は言う。
「元々女に人気がある作家なんすよ。でも最近はそれにすり寄ってるって言うか。読んでてちょっと違うなって思ってきて。レビューも結構そう言う意見が多いんですよ。」
「作風なんてずっと一緒ってわけにはいかないだろう。人間成長するんだし。」
「でもまぁ、俺はそれもまたいいって思えるからまた新作出たら買うんでしょうけどね。」
 無邪気に笑う達哉。それを見ながら焼けた肉を自分の皿に載せる。
 気になって彼も本当は冬山祥吾の本を買って読んでみた口ではある。春川の旦那という事だからだ。それはデビュー作である「江河」という本だった。面白くて一気に読んだ。
 ある国の話。戦争でバラバラになった母親と息子が、再会するまでの話だった。彼がこれを書いたのは、若干二十歳の頃だという。
 二十歳。自分は何をしていただろう。
 高校を出て、大学にいくために都会に出た。
 あの雪深い田舎では、自分がこのまま冷凍保存されそうなそんな気がしたから、どんな理由でもいいからこの土地を出たかったというのが本音であり、特に大学で何か学びたいとか何かしたいという気持ちは全くなかったのだ。
「同じ二十歳でもここまで違うとはな。」
「え?」
「何でもねぇよ。ちょっとトイレ行ってくるわ。」
 そういって彼は席を立つ。監督と竜は酒が入り、いい感じに盛り上がっている。それを見て彼は部屋を出る。そしてため息をついた。
 こそこそする気はないが、どうしても自分が演じている役に引け目を感じることがある。自分より遙かに年下の男がレンタルショップで笑顔で女と写っているジャケットのDVDは恋愛映画。
 それに対して、自分の顔が写ることはほとんどないそのDVDは、布で覆われ、十八歳未満は入れないところに陳列されている。プライドを持って仕事をしているつもりだが、その事実を目の当たりにすれば彼はやるせない気持ちになる時もあるのだ。
 そのとき店員が肉を持ってこちらにやってきて、立ち止まる。女性の店員だった。
「大丈夫ですか。気持ち悪くないですか?」
 でかいのに立ち尽くしている彼が気になったのだろう。彼女は声をかけてくる。
「大丈夫です。あ、トイレは……。」
 その顔を見て、彼は驚いて声を上げられなかった。そして彼女も目を見開いて彼を見ていた。
「あんた!何やってんですか!」
 その声に彼女は慌てて手を伸ばして彼の口をふさぐ。個室が並ぶそこから顔をのぞかせる客の目があったからだ。
「何でもないでーす。すいませーん。」
 そういって彼女は、部屋の中に入っていく。
「お待たせしましたー。追加のカルビです。」
「お、来た来た。じゃんじゃん焼けよ。」
 そんな声が聞こえて、彼女は部屋を出てきた。そして彼を見上げた。
「バイトしてるんですか。忙しい作家さんなのにこんな事までするんですね。」
「あまり声高に言わないでくださいよ。」
 そういって春川は腕を組んで彼をみる。
「このバイトは人が足りないときだけ入ってるんです。月に一度あるか、無いかのバイトですよ。店長が知り合いでね。」
「だからって……。」
「だから何?別に関係ないじゃないですか。」
「っていうか。話があるんですよ。俺は。」
「私にはありませんから。」
 冷たい対応だ。きっと彼のこの間の行為を根に持っているのかもしれない。だけど彼は後悔していないのだ。というか、本当にキスをすれば良かったと今でも思う。
「ここ何時に終わる?」
「……二十二時まで。もうすぐ終わりですね。あなたはごゆっくり。」
「いいや。出る。さっきも言ったけど話があるんです。」
「話で終わるんですか?」
「……そりゃ保証はしませんけど……。」
 すると彼女は少し笑う。そのときやっと彼女は笑顔になったのだ。
「正直ですね。嫌いじゃないです。だったら、待ち合わせしましょうか。その角にカフェがあるんです。二十四時まで開いてます。しばらく私、そこで仕事をしますから。いつでもどうぞ。その集まりに抜けられたらね。」
 彼女はそういって離れようとした。
「あ、トイレどこですか?」
「その先の左の突き当たりです。酔ってます?」
「酒飲めないんで。」
「見た目によらないんですね。」
 そういって彼女は去っていった。これも運命なのかもしれない。
 今日こそ、キスが出来るかもしれない。いやそれ以上のことが出来るかもしれない。彼はそう思いながら上機嫌にトイレに向かう。
 今日こそ、彼を突き放せるかもしれない。旦那にこれ以上嘘をつきたくない。彼女は気持ちを重くしながら調理場へ向かっていった。
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