6 / 172
セックスしたい相手
6
しおりを挟む
夕方ほどになり、春川は自宅に戻ってきた。あのあと原稿を収めて、資料集めに走り回り、くたくたになって戻ってきたのだ。
それでも今日はこれから主婦をしないといけない。庭に干された洗濯物はすでにもう乾いている。彼女の旦那である祥吾は家にいても、自分のパンツ一つ取り入れない人なのだ。
「ただいま帰りました。」
「今日は早かったね。」
いつも通りの浴衣姿。彼は連載している新聞の原稿と、シリーズ化している原稿と二つを同時進行しているので、書く量は圧倒的に彼の方が多い。そして彼ほどの大物になると誰も意見が言えないらしく、デジタルの時代に彼は未だに手書きの原稿で清書している。
「えぇ。今日は幸さんが見えない日でしたし。お食事の用意をしようと思ってましたから。」
「無理はしないでいいよ。簡単なもので大丈夫だから。」
「祥吾さん。たまには妻としての役目を果たさせてくださいな。私は何も出来ていませんから。」
「君は妻として最高だよ。」
優しく微笑み、彼は煙草に火をつける。
「頼まれた資料を置いておきます。食事の用意ができたらまたお呼びしますね。」
「頼むよ。」
そういって彼女は部屋を出ていく。
灰皿の中に、口紅の付いた吸い殻があった。それはきっと編集者のものだ。若い編集者が来れば手を着けたくなると評判だったが、それは真実で彼は何度も浮気を繰り返していた。それを責めるつもりはない。自分だって押し掛け女房のようだったのだから。
だがあの優しい微笑みで、キスをする相手は自分じゃない。セックスどころか、キスは何年していないだろう。そう思うととても惨めになる。
あぁ。今日見たあのAV女優がされていたような官能的なキスがうらやましい。そして幸せそうだった。それが全て演技だとしても。
「はい……了解です。えっと……今日中に送ります。」
自分の部屋にきた春川は、パソコンの前で電話をしている。編集者から誤字があったと指摘があったのだ。あとは表現の稚拙さを指摘される。
電話を切ると、彼女は机の上で手を組み頭をもたれた。
「……疲れる。」
主婦をして、作家をして、ライターをして、旦那の助手をして……彼女の休まるときはほぼ無い。だがいつ食いっぱぐれるかわからないのだ。
彼女の人気は確かにある。だがいつそれが終わるかわからない。ブームは一時的なことくらいわかっている。もう少しすれば、古本屋で百円でも買わない本になるのだから。
そうならないためには本を手にとって、良かったと言える作品を一つでも多く作らなければいけないだろう。
「あっ。」
それは彼と一緒だ。
昼間女とセックスをしていたあの男と。たぶん、今日撮ったものでも数年すればレンタルもされない作品になるだろう。男は割と長命だろうが、女は掃いて捨てるほどいる。そして男は脇役。
彼は「薔薇」で準主役をするという。確かにキャストとしてはぴったりだと思うし、こんな汚い役を普通の役者はしないだろう。彼だから受けてくれた。
そして映画になればまた本が売れるかもしれない。質の良い作品を量産しないといけないのだ。映画が良いものになれば、尚更だろう。本を手にとって、読者をがっかりさせないように。
そして生きていくために。彼もそう思っているのだろうか。
雨が降りそうな日のことだった。
編集者に呼び出されて、春川は町の中にいた。相変わらず家出でもしてきたのかというくらいの荷物を持っている。車の中に置いてくればいいのだが、編集者からは何を言われるかわからないので全てを持って行きたいからだ。
エレベーターを待っていると、スーツ姿の人たちが彼女を珍しそうにじろじろと見ていた。
「漫画家?」
「違うでしょ。ライターよ。ほら。すごい荷物。どっかから帰ってきたんじゃないの?」
的外れな見解に、彼女は少し笑いそうになった。そしてエレベーターがやってくる。人が降りてきて、彼女はそこに乗り込んだ。どうやら階を上がる人は一人だったようで「閉」のボタンを押そうとした。その時、一人の男が駆け込んでくる。あわてて彼女は「開」のボタンを押して閉じかけた扉を開ける。
「すいません。ありがとうございます。」
「何階ですか?」
「七階で……あっ。」
男性の声を聞き、閉まるドアを見て、彼女は七階のボタンを押す。そして彼の方を振り返った。
「桂……さん?」
「また会いましたね。春川さん。」
「編集者に何の用事ですか?しかも七階って……女性誌ですよね。」
「最近流行ってるらしいですよ。そういうヤツが。」
「あぁ。欲求不満が多いんですね。だからまぁ、私の本を手にとってもらえるんですけど。」
辛口に言う彼女。明らかに不機嫌になっている。前の約束を覚えているからだろう。そして彼も覚えていたから機嫌が良くなる。
「春川さん。覚えてます?連絡先、教えてくださいって。」
「えぇ。でももうすぐ着きますよ。」
「だったら今教えてくださいよ。仕事用じゃなくて、プライベートの。」
「……。」
見抜かれた。彼女はそう思いながら、携帯電話を取り出す。仕事用ではなく、自分のものだった。ガラケーではなく、スマートフォンのもの。
「番号だけでも登録しておけば、あとはショートメールで送ります。」
「はい。はい。」
「イヤなんですか?」
「えぇ。旦那から何を言われるかと思うと。」
「年の割に束縛激しいんですね。」
すると彼女は少し笑いながら言う。
「男の人ってそうじゃないですか?手にいれたものには餌を与えたくない。だけど取られるのはイヤって。我が儘だわ。」
「そうやって囲われている人を取ってやりたいとも思いますよ。」
「イヤな人。」
そのときエレベーターが開いて、彼は降りていく。
「連絡します。」
「出来れば最小限で。」
「善処します。」
エレベーターが閉まっていく。そして彼女はまた背中を壁に押し当てた。
そして手のひらをみる。べたべたした体だった。だけどつるっとしてて、若い肌のように思える。場合によっては高校生を演じないといけないらしい。四十五歳に高校生を演じろと言うのは無理がある気がするが、その世界はあまり若い人はいないのが現状だった。女優なら若く見える人もいるが、男性はなかなかいないらしい。
どちらにしても数が少なく、その中でも彼のようなイケメンと言われている人は引っ張りだこなのだ。その彼が誘ってくるように勘違いしそうになる。
「あり得ないわ。」
そういって彼女はその考えを払拭し、開いたエレベーターを降りていく。
それでも今日はこれから主婦をしないといけない。庭に干された洗濯物はすでにもう乾いている。彼女の旦那である祥吾は家にいても、自分のパンツ一つ取り入れない人なのだ。
「ただいま帰りました。」
「今日は早かったね。」
いつも通りの浴衣姿。彼は連載している新聞の原稿と、シリーズ化している原稿と二つを同時進行しているので、書く量は圧倒的に彼の方が多い。そして彼ほどの大物になると誰も意見が言えないらしく、デジタルの時代に彼は未だに手書きの原稿で清書している。
「えぇ。今日は幸さんが見えない日でしたし。お食事の用意をしようと思ってましたから。」
「無理はしないでいいよ。簡単なもので大丈夫だから。」
「祥吾さん。たまには妻としての役目を果たさせてくださいな。私は何も出来ていませんから。」
「君は妻として最高だよ。」
優しく微笑み、彼は煙草に火をつける。
「頼まれた資料を置いておきます。食事の用意ができたらまたお呼びしますね。」
「頼むよ。」
そういって彼女は部屋を出ていく。
灰皿の中に、口紅の付いた吸い殻があった。それはきっと編集者のものだ。若い編集者が来れば手を着けたくなると評判だったが、それは真実で彼は何度も浮気を繰り返していた。それを責めるつもりはない。自分だって押し掛け女房のようだったのだから。
だがあの優しい微笑みで、キスをする相手は自分じゃない。セックスどころか、キスは何年していないだろう。そう思うととても惨めになる。
あぁ。今日見たあのAV女優がされていたような官能的なキスがうらやましい。そして幸せそうだった。それが全て演技だとしても。
「はい……了解です。えっと……今日中に送ります。」
自分の部屋にきた春川は、パソコンの前で電話をしている。編集者から誤字があったと指摘があったのだ。あとは表現の稚拙さを指摘される。
電話を切ると、彼女は机の上で手を組み頭をもたれた。
「……疲れる。」
主婦をして、作家をして、ライターをして、旦那の助手をして……彼女の休まるときはほぼ無い。だがいつ食いっぱぐれるかわからないのだ。
彼女の人気は確かにある。だがいつそれが終わるかわからない。ブームは一時的なことくらいわかっている。もう少しすれば、古本屋で百円でも買わない本になるのだから。
そうならないためには本を手にとって、良かったと言える作品を一つでも多く作らなければいけないだろう。
「あっ。」
それは彼と一緒だ。
昼間女とセックスをしていたあの男と。たぶん、今日撮ったものでも数年すればレンタルもされない作品になるだろう。男は割と長命だろうが、女は掃いて捨てるほどいる。そして男は脇役。
彼は「薔薇」で準主役をするという。確かにキャストとしてはぴったりだと思うし、こんな汚い役を普通の役者はしないだろう。彼だから受けてくれた。
そして映画になればまた本が売れるかもしれない。質の良い作品を量産しないといけないのだ。映画が良いものになれば、尚更だろう。本を手にとって、読者をがっかりさせないように。
そして生きていくために。彼もそう思っているのだろうか。
雨が降りそうな日のことだった。
編集者に呼び出されて、春川は町の中にいた。相変わらず家出でもしてきたのかというくらいの荷物を持っている。車の中に置いてくればいいのだが、編集者からは何を言われるかわからないので全てを持って行きたいからだ。
エレベーターを待っていると、スーツ姿の人たちが彼女を珍しそうにじろじろと見ていた。
「漫画家?」
「違うでしょ。ライターよ。ほら。すごい荷物。どっかから帰ってきたんじゃないの?」
的外れな見解に、彼女は少し笑いそうになった。そしてエレベーターがやってくる。人が降りてきて、彼女はそこに乗り込んだ。どうやら階を上がる人は一人だったようで「閉」のボタンを押そうとした。その時、一人の男が駆け込んでくる。あわてて彼女は「開」のボタンを押して閉じかけた扉を開ける。
「すいません。ありがとうございます。」
「何階ですか?」
「七階で……あっ。」
男性の声を聞き、閉まるドアを見て、彼女は七階のボタンを押す。そして彼の方を振り返った。
「桂……さん?」
「また会いましたね。春川さん。」
「編集者に何の用事ですか?しかも七階って……女性誌ですよね。」
「最近流行ってるらしいですよ。そういうヤツが。」
「あぁ。欲求不満が多いんですね。だからまぁ、私の本を手にとってもらえるんですけど。」
辛口に言う彼女。明らかに不機嫌になっている。前の約束を覚えているからだろう。そして彼も覚えていたから機嫌が良くなる。
「春川さん。覚えてます?連絡先、教えてくださいって。」
「えぇ。でももうすぐ着きますよ。」
「だったら今教えてくださいよ。仕事用じゃなくて、プライベートの。」
「……。」
見抜かれた。彼女はそう思いながら、携帯電話を取り出す。仕事用ではなく、自分のものだった。ガラケーではなく、スマートフォンのもの。
「番号だけでも登録しておけば、あとはショートメールで送ります。」
「はい。はい。」
「イヤなんですか?」
「えぇ。旦那から何を言われるかと思うと。」
「年の割に束縛激しいんですね。」
すると彼女は少し笑いながら言う。
「男の人ってそうじゃないですか?手にいれたものには餌を与えたくない。だけど取られるのはイヤって。我が儘だわ。」
「そうやって囲われている人を取ってやりたいとも思いますよ。」
「イヤな人。」
そのときエレベーターが開いて、彼は降りていく。
「連絡します。」
「出来れば最小限で。」
「善処します。」
エレベーターが閉まっていく。そして彼女はまた背中を壁に押し当てた。
そして手のひらをみる。べたべたした体だった。だけどつるっとしてて、若い肌のように思える。場合によっては高校生を演じないといけないらしい。四十五歳に高校生を演じろと言うのは無理がある気がするが、その世界はあまり若い人はいないのが現状だった。女優なら若く見える人もいるが、男性はなかなかいないらしい。
どちらにしても数が少なく、その中でも彼のようなイケメンと言われている人は引っ張りだこなのだ。その彼が誘ってくるように勘違いしそうになる。
「あり得ないわ。」
そういって彼女はその考えを払拭し、開いたエレベーターを降りていく。
1
お気に入りに追加
107
あなたにおすすめの小説


会社の上司の妻との禁断の関係に溺れた男の物語
六角
恋愛
日本の大都市で働くサラリーマンが、偶然出会った上司の妻に一目惚れしてしまう。彼女に強く引き寄せられるように、彼女との禁断の関係に溺れていく。しかし、会社に知られてしまい、別れを余儀なくされる。彼女との別れに苦しみ、彼女を忘れることができずにいる。彼女との関係は、運命的なものであり、彼女との愛は一生忘れることができない。

ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。



体育座りでスカートを汚してしまったあの日々
yoshieeesan
現代文学
学生時代にやたらとさせられた体育座りですが、女性からすると服が汚れた嫌な思い出が多いです。そういった短編小説を書いていきます。

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる