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別離の条件
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日暮れは日々、遅くなる気がした。晶は車を置いてくるので少し時間がかかり、清子もIT部門ですることがあると少し遅れるらしい。史は香子と駅へ向かっていた。
以前なら香子とは気まずい感じだった。元々恋人同士だったのだから仕方がない。だが今はお互い相手がいる。意識することはあまりなかった。
「編集長さ、今日何の日かわかってる?」
「あぁ。だから今日清子を誘ったんだ。明神はいいのか?」
「いいのよ。仁は今日も仕事だし、今日なんてね、バレンタインにもらった女の子のために、お菓子を用意してたわ。」
「マメだな。仁は。昔からそうだった。その爪の垢をせんじて飲ませたいものだ。」
「誰が?」
「仁と一緒に働いている男。」
「あぁ。蓮って子よね。あの子、まだ二十二だもの。そんなに気が回ったら、おかしいって。」
仁は女装をしているので性別が不明なところがあるが、一緒に働いている蓮という男は背が高くひょろりとしていて、どこかの国のベーシストに似ている。もっとも、その男は薬漬けで死んでしまったが、蓮はそんなことに潔癖で、煙草も酒も飲むが薬には手を出さない。
ニヒルな感じのする蓮は、女性にもてる。普通の女性なら見た目がよければ近づいてくるが、蓮はそれをことごとく断っているのだ。その理由は、蓮が昔結婚していた女が薬で捕まったからだろう。だから薬には嫌悪感を示すし、女とつきあう気もないのだという。
「若いんだろうね。今からどんな女と出会うかわからないし、焦ることはないと思うよ。」
音楽だけに没頭しているような感じがする。きっとプロにでもなりたいのだろう。だが仁の話ではそれに周りがついて行っていないし、技術も追いついていない。蓮のワンマンでしているバンドは、長続きしない。
それは清子にも言えることだ。御影はそれについていこうと努力しているようだが、それでも圧倒的に知識が足りない。
「明神は、向こうの町のタウン誌へいくといっていたな。」
「えぇ。そのつもりだった。」
「だった?」
過去形なのか。何か問題でもあったのだろうか。
「タウン誌自体が上の指示で、休刊になったの。」
「え?じゃあ、どうするんだ。」
「大丈夫。何とかなったから。」
「何とか?」
「あっちの町の新聞社の支社に行くことになったの。」
はずれている町だとは言っても、人口は少なくない。支社があるのだろう。
「新聞社か。大丈夫?新聞社は雑誌社よりも時間が不規則じゃないかな。」
「平気。日曜日は休みだし、時間ははっきり決まっているみたいだから。本社みたいに、時間に追われることもないみたい。」
仁はずいぶん香子の心配をしていた。だからこんなに脳天気な香子が大丈夫なのだろうかと、不安になる。
「編集長こそ大丈夫なの?タウン誌ってあまり売れない感じがするよ。それに今までやってたことと全く違うし。」
「……この間、みんなで集まって企画会議をしたよ。」
新聞社からも、「三島出版」からも選出されてタウン誌の企画を出し合ったのだ。
「タウン誌は、地域に密着していないといけない。だからあくまで町で新しくできた店の紹介とか、そんなものばかりになる。けど、実際町を見渡せば、案外この町は旅行者が多い。それに本当に地元の人って言うのは少ないところだと思わないかな。」
「そうね。あたしも地元は離れてるし、仁も違うところだわ。でも、それに合わせるとただの旅行ガイドブックにならない?」
「そうはさせないよ。」
最近までどうしたらいいだろうと悩んでいたようなのに、ずいぶんすっきりした顔をしている。企画会議が良かったのかもしれない。
「久住も行くんでしょ?」
「あぁ。あいつはやはり使えるな。」
そう言いだしたのは晶だった。せっかくこの土地を離れるのだから、他から見た目で作ればいいと言いだしたのだ。
「仕事面で入れて良かったと思う。」
その言葉に香子は思わず足を止めた。仕事面ではと言う言葉が引っかかったのだ。
「仕事以外で入れたくなかったみたい。」
その言葉に史は苦笑いを浮かべる。
「ずっと清子を狙っている節があるからね。幼なじみだと言っていたけど、あんなにべたべたされると気分は良くないよ。」
「べたべたしてる?徳成さんが嫌がってるみたいに感じるけど。」
「そうだと良いけどね。」
史は感づいているのだろうか。清子が晶と寝ていることも、キスをしていることも。だとしたらどうしてそれを責めないのだろう。
そのころ、晶は車を置いて会社の方へ戻ってきた。清子ももうそろそろ仕事が終わるらしい。駅へ行くなら一緒に行った方がいいだろうと思ってのことだった。
もちろんそれだけではない。駅へ行くまで手を繋いだり、あわよくば期すぐらいは出来るかもしれないという下心からだった。
駅の玄関前にやってくると、見覚えのある人が居た。そしてその隣には清子がいる。その人を見て晶は驚きを隠せなかった。
「あんた……。」
清子は晶をちらっと見て、手招きする。
「久住さん。」
男は香川仁だった。猫背でぼさぼさの頭は、何となく前の晶をイメージさせた。今の晶は髪を切っていて、仁は数日前の自分を見ているようで妙な感じがする。
「香川さん。久住さんはお会いしましたか。」
「あぁ。」
仁は晶を見上げてふと笑う。
「あんたが撮ったソフトはよく売れたんだけどな。」
「冗談。もう関わりたくないね。」
「だろうな。俺はどっぷり浸かっているけど、気は抜けない世界だ。弱みを見せれば足下をすくわれる。あんたみたいなお人好しには向いてねぇよ。」
そして仁は清子をみる。
「清子は向いてると思うけどな。」
「いやですよ。脱ぎたくありません。」
「お前は脱がなくても腕があるからな。まぁ……脱いだ方が金にはなるけど。」
口元だけ笑う。そしてその首もとには、黒いものが見えた。それを見て、やはり気質の男ではないのだろうと晶はため息を付いた。
「そろそろ、俺、戻らないといけないからさ。」
「わかりました。お疲れさまです。」
「あぁ。こっちが困ったことがあったら連絡するわ。」
仁はそう言って、そばにあった原付に近づいてそれに乗る。エンジンをかけようとしたが、ふと晶の方を見た。
「あぁ。久住晶。」
「何だよ。」
「あんた、しばらく派手なことをするなよ。村上省吾から逆恨み勝ってるし。」
「俺が?」
「本家に行く候補から遠ざかったのは、あんたのせいだと思ってる。自分の実力を棚に上げるのは、ヤクザの得意技だからな。」
エンジンをかけると、仁は原付に乗って行ってしまった。それを見て晶はため息を付いた。
「逆恨みか。」
「……ある程度は、仁が……いいえ、香川さんが手を尽くしてくれます。あまり派手に動き回らなければいいというだけですから。」
「何だ?あいつは呼び捨てか?」
「昔からの知り合いですから。」
年上ばかりの訓練校で、仁は唯一歳が近かった。それに仁もまた我孫子に金以上のことを聞こうとして、我孫子から煙たがられながらそれでも可愛がられていた口だ。
「ふーん。で、この間のはあいつが何かしたのか?」
「えぇ。坂本組の橋渡しをしてくれました。ですが、話を聞けば香川さんに口添えをしてもらわなくても良かったです。」
「え?」
「坂本組の今の組長が、春ちゃんをずっと気に入っているみたいでしたから。」
「春ちゃんって……春川か?」
「えぇ。それから春ちゃんの恋人も。」
「桂も?」
「らしいですね。世の中広いようで狭いです。」
春川は、清子に「正直にならないと人間は信用してもらえないし、気に入ってもらえない。」そう言っていた。
正直に史に言えない自分が、とても卑怯だと思う。
以前なら香子とは気まずい感じだった。元々恋人同士だったのだから仕方がない。だが今はお互い相手がいる。意識することはあまりなかった。
「編集長さ、今日何の日かわかってる?」
「あぁ。だから今日清子を誘ったんだ。明神はいいのか?」
「いいのよ。仁は今日も仕事だし、今日なんてね、バレンタインにもらった女の子のために、お菓子を用意してたわ。」
「マメだな。仁は。昔からそうだった。その爪の垢をせんじて飲ませたいものだ。」
「誰が?」
「仁と一緒に働いている男。」
「あぁ。蓮って子よね。あの子、まだ二十二だもの。そんなに気が回ったら、おかしいって。」
仁は女装をしているので性別が不明なところがあるが、一緒に働いている蓮という男は背が高くひょろりとしていて、どこかの国のベーシストに似ている。もっとも、その男は薬漬けで死んでしまったが、蓮はそんなことに潔癖で、煙草も酒も飲むが薬には手を出さない。
ニヒルな感じのする蓮は、女性にもてる。普通の女性なら見た目がよければ近づいてくるが、蓮はそれをことごとく断っているのだ。その理由は、蓮が昔結婚していた女が薬で捕まったからだろう。だから薬には嫌悪感を示すし、女とつきあう気もないのだという。
「若いんだろうね。今からどんな女と出会うかわからないし、焦ることはないと思うよ。」
音楽だけに没頭しているような感じがする。きっとプロにでもなりたいのだろう。だが仁の話ではそれに周りがついて行っていないし、技術も追いついていない。蓮のワンマンでしているバンドは、長続きしない。
それは清子にも言えることだ。御影はそれについていこうと努力しているようだが、それでも圧倒的に知識が足りない。
「明神は、向こうの町のタウン誌へいくといっていたな。」
「えぇ。そのつもりだった。」
「だった?」
過去形なのか。何か問題でもあったのだろうか。
「タウン誌自体が上の指示で、休刊になったの。」
「え?じゃあ、どうするんだ。」
「大丈夫。何とかなったから。」
「何とか?」
「あっちの町の新聞社の支社に行くことになったの。」
はずれている町だとは言っても、人口は少なくない。支社があるのだろう。
「新聞社か。大丈夫?新聞社は雑誌社よりも時間が不規則じゃないかな。」
「平気。日曜日は休みだし、時間ははっきり決まっているみたいだから。本社みたいに、時間に追われることもないみたい。」
仁はずいぶん香子の心配をしていた。だからこんなに脳天気な香子が大丈夫なのだろうかと、不安になる。
「編集長こそ大丈夫なの?タウン誌ってあまり売れない感じがするよ。それに今までやってたことと全く違うし。」
「……この間、みんなで集まって企画会議をしたよ。」
新聞社からも、「三島出版」からも選出されてタウン誌の企画を出し合ったのだ。
「タウン誌は、地域に密着していないといけない。だからあくまで町で新しくできた店の紹介とか、そんなものばかりになる。けど、実際町を見渡せば、案外この町は旅行者が多い。それに本当に地元の人って言うのは少ないところだと思わないかな。」
「そうね。あたしも地元は離れてるし、仁も違うところだわ。でも、それに合わせるとただの旅行ガイドブックにならない?」
「そうはさせないよ。」
最近までどうしたらいいだろうと悩んでいたようなのに、ずいぶんすっきりした顔をしている。企画会議が良かったのかもしれない。
「久住も行くんでしょ?」
「あぁ。あいつはやはり使えるな。」
そう言いだしたのは晶だった。せっかくこの土地を離れるのだから、他から見た目で作ればいいと言いだしたのだ。
「仕事面で入れて良かったと思う。」
その言葉に香子は思わず足を止めた。仕事面ではと言う言葉が引っかかったのだ。
「仕事以外で入れたくなかったみたい。」
その言葉に史は苦笑いを浮かべる。
「ずっと清子を狙っている節があるからね。幼なじみだと言っていたけど、あんなにべたべたされると気分は良くないよ。」
「べたべたしてる?徳成さんが嫌がってるみたいに感じるけど。」
「そうだと良いけどね。」
史は感づいているのだろうか。清子が晶と寝ていることも、キスをしていることも。だとしたらどうしてそれを責めないのだろう。
そのころ、晶は車を置いて会社の方へ戻ってきた。清子ももうそろそろ仕事が終わるらしい。駅へ行くなら一緒に行った方がいいだろうと思ってのことだった。
もちろんそれだけではない。駅へ行くまで手を繋いだり、あわよくば期すぐらいは出来るかもしれないという下心からだった。
駅の玄関前にやってくると、見覚えのある人が居た。そしてその隣には清子がいる。その人を見て晶は驚きを隠せなかった。
「あんた……。」
清子は晶をちらっと見て、手招きする。
「久住さん。」
男は香川仁だった。猫背でぼさぼさの頭は、何となく前の晶をイメージさせた。今の晶は髪を切っていて、仁は数日前の自分を見ているようで妙な感じがする。
「香川さん。久住さんはお会いしましたか。」
「あぁ。」
仁は晶を見上げてふと笑う。
「あんたが撮ったソフトはよく売れたんだけどな。」
「冗談。もう関わりたくないね。」
「だろうな。俺はどっぷり浸かっているけど、気は抜けない世界だ。弱みを見せれば足下をすくわれる。あんたみたいなお人好しには向いてねぇよ。」
そして仁は清子をみる。
「清子は向いてると思うけどな。」
「いやですよ。脱ぎたくありません。」
「お前は脱がなくても腕があるからな。まぁ……脱いだ方が金にはなるけど。」
口元だけ笑う。そしてその首もとには、黒いものが見えた。それを見て、やはり気質の男ではないのだろうと晶はため息を付いた。
「そろそろ、俺、戻らないといけないからさ。」
「わかりました。お疲れさまです。」
「あぁ。こっちが困ったことがあったら連絡するわ。」
仁はそう言って、そばにあった原付に近づいてそれに乗る。エンジンをかけようとしたが、ふと晶の方を見た。
「あぁ。久住晶。」
「何だよ。」
「あんた、しばらく派手なことをするなよ。村上省吾から逆恨み勝ってるし。」
「俺が?」
「本家に行く候補から遠ざかったのは、あんたのせいだと思ってる。自分の実力を棚に上げるのは、ヤクザの得意技だからな。」
エンジンをかけると、仁は原付に乗って行ってしまった。それを見て晶はため息を付いた。
「逆恨みか。」
「……ある程度は、仁が……いいえ、香川さんが手を尽くしてくれます。あまり派手に動き回らなければいいというだけですから。」
「何だ?あいつは呼び捨てか?」
「昔からの知り合いですから。」
年上ばかりの訓練校で、仁は唯一歳が近かった。それに仁もまた我孫子に金以上のことを聞こうとして、我孫子から煙たがられながらそれでも可愛がられていた口だ。
「ふーん。で、この間のはあいつが何かしたのか?」
「えぇ。坂本組の橋渡しをしてくれました。ですが、話を聞けば香川さんに口添えをしてもらわなくても良かったです。」
「え?」
「坂本組の今の組長が、春ちゃんをずっと気に入っているみたいでしたから。」
「春ちゃんって……春川か?」
「えぇ。それから春ちゃんの恋人も。」
「桂も?」
「らしいですね。世の中広いようで狭いです。」
春川は、清子に「正直にならないと人間は信用してもらえないし、気に入ってもらえない。」そう言っていた。
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