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実家
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町へ帰ると、そのまま晶は仕事があるからと行って史の家に二人を置いて車を走らせる。一人で車を走らせるときは、無音が苦手なのでラジオをつけているのだ。スイッチを入れると、ニュースが放送されていた。
「中止になったニューイヤーコンサートの払い戻しは……。」
永澤剛が指揮を振るはずだったコンサートは中止になった。別の指揮者をたてることも出来なかったのだろう。インターネットの世界では、永澤剛も英子もあまり評判がいい人物ではない。二人ともわがままで、妥協を知らない。プロになるとそんなものなのだろうか。
自分は「いい」と思った写真を撮っているつもりだった。だがプロになればそんなことは言っていられない。クライアントの望む写真を撮らないといけなかった。それで自分が納得しなくてもそれで望んでいれば、それでいいのだ。「pink倶楽部」の写真は、割と史が寛容なところもあって自分の好きなように撮らせてくれる。だが新聞社は違う。
ため息を付きながら、晶は新聞社の駐車場に車を停めた。正月でも働いている人がいるのだ。
お昼を少し過ぎた時間。史と清子はある温泉街に来ていた。昔ながらの温泉街で、正月だからと観光客が多くいるような所だ。
石畳の道は風情があり、宿屋やお土産屋さんが軒を連ねている。ただ車はそういった道は通れない。業者の車以外は、歩行者天国になっているようだ。
「奥に湖があるんだ。釣りが出来るくらい綺麗な水だよ。」
「幻想的ですね。」
それ以外は、普通の町だ。スーパーやドラッグストアもある。小さな山に囲まれた町といったところだろう。だがそこから少し離れたところは、住宅街になる。公園があり、保育園や小学校も見えた。
碁盤の目のように整然とした住宅街なのは、開拓された住宅街なのだろう。家も新しいものが多く、そのほとんどが建て売りの住宅で似たような家が多い。
その中の一つの家に車を停めると、史は少し舌打ちをした。
「どうしました?」
「駐車場があいていないんだ。たぶん他にお客さんがいるんだろうね。仕方ない。共有の駐車場があるんだ。そこに停めよう。少し歩くけど良いかな。」
「かまいませんよ。」
見覚えのあるシルバーの車。思わずため息を付いた。
車を置いて、後部座席からお土産として買ってきた日本酒や漬け物を出す。それを史は持つと、清子を促した。
「たぶん、叔母がいるんだ。」
「叔母ですか?」
親族は祖母しかいなかった。だから親族がいるといわれても、あまりぴんとこない。
「父の姉になるんだけどね。この近所に住んでる。うちは女手がなかったから、母の代わりをしてくれている。」
「優しい方ですね。」
その清子の言葉に、史は少し笑った。
「そう思ってくれるならいいんだ。」
灰色の壁の二階建ての家だった。庭もあまり広くはない。建て売りにはよくありがちな家だと思う。史はその門をくぐり、チャイムを鳴らした。
「はい。」
出てきたのは若い女性だった。少し茶色の髪をくくっている少しぽっちゃりとした女性に見える。
「あぁ。史さん。遅かったんですね。」
「ちょっとごたごたしててね。」
「うちの人、もう出来上がっているんですよ。」
「参ったな。今日は車で来ているから、飲めないんだけど。」
「ふふっ。あ、そちらの方が?」
清子の目を向ける。清子はその女性に頭を下げる。
「初めまして。徳成清子です。」
「あ、正木有香です。初めまして。」
そうか。史の弟と結婚しているのだから、名字は正木か。そんな当然のことを思いながら、清子は改めてその女性をみる。
「若い人ですね。あたしとあまり変わらないように見える。史さんの彼女っていうから、もっと上かと思った。」
「そんなことはないよ。清子。中に入ろう。」
有香は悪い子ではないのだが、おしゃべりが過ぎることがある。黙っていたら、玄関先で夕方になってしまう。それでは来た意味がない。
部屋は整然と整理され、赤ちゃんがいるらしくほんのり乳の匂いがした。暖かな部屋の中で、清子はコートを脱いでリビングに通された。
テレビが付いていて、駅伝が放送されている。その前には、半纏を着た白髪交じりに男と、史を若くさせたような男。そして中年の女性がいた。眼鏡をかけていて、清子を値踏みするように見ていた。
「ただいま帰りました。」
「お帰り。史。」
「美和子叔母さんもお久しぶりです。」
「そうね。本当に久しぶり。史さんってば、全くこっちに帰ってこないもの。そんなに編集者ってのは忙しいのかしら。」
一言多いな。そう思いながら、清子はその様子を見ていた。
「そちらが清子さん?」
「はい。徳成清子と言います。」
「史の父親です。よろしく。それから……。」
「弟です。成と言います。」
真面目そうな人だ。背が高く、爽やかなのは史によく似ているがそれよりも全く嫌らしさを感じない。
「史さん。今日車なんですよね。お茶にしますか?」
「あぁ。だったらこっちのお茶を入れてくれないかな。有香さん。」
史はそういって持ってきた茶葉を手渡す。
「これは?」
「清子の実家の近所ではお茶も作られているんだ。もらってきたから。」
茂から渡された茶葉を有香に渡すと、明らかに美和子がため息を付く。
「遅れたのって、清子さんのご実家に行っていたからなの?」
その言葉に乳が美和子を止める。
「姉さん。」
「こっちの方が本家でしょう?なのに奥様の実家の方を優先するなんて、尻に敷かれるのが目に見えてますよ。治。あなたがはっきり言わないからこんなことになるんです。」
面倒な人だな。清子は席を立つと、キッチンの方へ向かった。
「お茶、淹れますよ。」
「え?いいのに……。」
「赤ちゃんが、さっきからぐずってたから。」
「あぁ。ごめんなさい。気が付かなかったわ。」
よく見れば、有香の耳には補聴器のようなものがある。おそらく耳に障害があるのだろう。それに気が付かないのも無理はない。
「母親がこんなんでいいの?さっきから啓太がぐずってましたよ。」
だったらお前が様子を見ろよ。清子はそう思ったが、黙ってお茶を淹れた。
そして湯飲みにお茶を注ぎ、父親、美香子、成、史とお茶を置く。その所作に、文句の一つでもつけようかと思っていたのに、あまりにも隙がなくてさらに不機嫌になった。
「あら。でもお茶はおいしいのね。」
「あぁ。昔のお茶だね。手摘みかな。」
「らしいですね。私が摘んだわけではないので。」
「お菓子も買ってきた。食べる?」
「結構よ。甘いものは昔から苦手なのよ。史さんはそんなことも覚えていないのね。」
何だろう。親族はいないが、人の家のことにこんなに口を出すものなのだろうか。史を見ると、史も緊張した面もちで父を見ていた。
「兄さん、結婚するの?」
成がそう聞いてきて、史はお茶を飲みながら首を横に振る。
「どうかな。まだ俺が食べていくだけで一杯でね。」
「徳成さんって仕事すごい出来るって聞いたけど、ウェブ関係だっけ。」
「普通です。運良く、今年「三島出版」に入社するようになりましたけど。」
「二人で稼いだら、そんなに厳しくないと思うけどな。うちも今、育休扱いで、やってるけど。有香がうまくやってくれているから。」
「やだ。成さん。そんなことないわ。」
有香が照れたように子供を抱き抱えたまま座る。どうやら男の子のようで、水色のロンパースを着ていた。
「清子さんはおいくつ?」
美香子がそう聞くと、清子は素直に歳をいう。
「もうすぐ二十六です。」
「あら。二十六ならそんなに若くないわ。早いところ結婚して、子供を二、三人産まないと女として価値がありませんから。仕事ばかりしては、女の価値が下がりますよ。」
さすがにその言葉はない。清子はかちんとしたが、ここで波風を立てても仕方がない。特に史のことを思えば事を荒立てたくない。
ふと父親と目があった。だが父親も成もあまり関心はなさそうだ。こういうところから何となく史の母親が出て行った理由がわかるような気がした。
「中止になったニューイヤーコンサートの払い戻しは……。」
永澤剛が指揮を振るはずだったコンサートは中止になった。別の指揮者をたてることも出来なかったのだろう。インターネットの世界では、永澤剛も英子もあまり評判がいい人物ではない。二人ともわがままで、妥協を知らない。プロになるとそんなものなのだろうか。
自分は「いい」と思った写真を撮っているつもりだった。だがプロになればそんなことは言っていられない。クライアントの望む写真を撮らないといけなかった。それで自分が納得しなくてもそれで望んでいれば、それでいいのだ。「pink倶楽部」の写真は、割と史が寛容なところもあって自分の好きなように撮らせてくれる。だが新聞社は違う。
ため息を付きながら、晶は新聞社の駐車場に車を停めた。正月でも働いている人がいるのだ。
お昼を少し過ぎた時間。史と清子はある温泉街に来ていた。昔ながらの温泉街で、正月だからと観光客が多くいるような所だ。
石畳の道は風情があり、宿屋やお土産屋さんが軒を連ねている。ただ車はそういった道は通れない。業者の車以外は、歩行者天国になっているようだ。
「奥に湖があるんだ。釣りが出来るくらい綺麗な水だよ。」
「幻想的ですね。」
それ以外は、普通の町だ。スーパーやドラッグストアもある。小さな山に囲まれた町といったところだろう。だがそこから少し離れたところは、住宅街になる。公園があり、保育園や小学校も見えた。
碁盤の目のように整然とした住宅街なのは、開拓された住宅街なのだろう。家も新しいものが多く、そのほとんどが建て売りの住宅で似たような家が多い。
その中の一つの家に車を停めると、史は少し舌打ちをした。
「どうしました?」
「駐車場があいていないんだ。たぶん他にお客さんがいるんだろうね。仕方ない。共有の駐車場があるんだ。そこに停めよう。少し歩くけど良いかな。」
「かまいませんよ。」
見覚えのあるシルバーの車。思わずため息を付いた。
車を置いて、後部座席からお土産として買ってきた日本酒や漬け物を出す。それを史は持つと、清子を促した。
「たぶん、叔母がいるんだ。」
「叔母ですか?」
親族は祖母しかいなかった。だから親族がいるといわれても、あまりぴんとこない。
「父の姉になるんだけどね。この近所に住んでる。うちは女手がなかったから、母の代わりをしてくれている。」
「優しい方ですね。」
その清子の言葉に、史は少し笑った。
「そう思ってくれるならいいんだ。」
灰色の壁の二階建ての家だった。庭もあまり広くはない。建て売りにはよくありがちな家だと思う。史はその門をくぐり、チャイムを鳴らした。
「はい。」
出てきたのは若い女性だった。少し茶色の髪をくくっている少しぽっちゃりとした女性に見える。
「あぁ。史さん。遅かったんですね。」
「ちょっとごたごたしててね。」
「うちの人、もう出来上がっているんですよ。」
「参ったな。今日は車で来ているから、飲めないんだけど。」
「ふふっ。あ、そちらの方が?」
清子の目を向ける。清子はその女性に頭を下げる。
「初めまして。徳成清子です。」
「あ、正木有香です。初めまして。」
そうか。史の弟と結婚しているのだから、名字は正木か。そんな当然のことを思いながら、清子は改めてその女性をみる。
「若い人ですね。あたしとあまり変わらないように見える。史さんの彼女っていうから、もっと上かと思った。」
「そんなことはないよ。清子。中に入ろう。」
有香は悪い子ではないのだが、おしゃべりが過ぎることがある。黙っていたら、玄関先で夕方になってしまう。それでは来た意味がない。
部屋は整然と整理され、赤ちゃんがいるらしくほんのり乳の匂いがした。暖かな部屋の中で、清子はコートを脱いでリビングに通された。
テレビが付いていて、駅伝が放送されている。その前には、半纏を着た白髪交じりに男と、史を若くさせたような男。そして中年の女性がいた。眼鏡をかけていて、清子を値踏みするように見ていた。
「ただいま帰りました。」
「お帰り。史。」
「美和子叔母さんもお久しぶりです。」
「そうね。本当に久しぶり。史さんってば、全くこっちに帰ってこないもの。そんなに編集者ってのは忙しいのかしら。」
一言多いな。そう思いながら、清子はその様子を見ていた。
「そちらが清子さん?」
「はい。徳成清子と言います。」
「史の父親です。よろしく。それから……。」
「弟です。成と言います。」
真面目そうな人だ。背が高く、爽やかなのは史によく似ているがそれよりも全く嫌らしさを感じない。
「史さん。今日車なんですよね。お茶にしますか?」
「あぁ。だったらこっちのお茶を入れてくれないかな。有香さん。」
史はそういって持ってきた茶葉を手渡す。
「これは?」
「清子の実家の近所ではお茶も作られているんだ。もらってきたから。」
茂から渡された茶葉を有香に渡すと、明らかに美和子がため息を付く。
「遅れたのって、清子さんのご実家に行っていたからなの?」
その言葉に乳が美和子を止める。
「姉さん。」
「こっちの方が本家でしょう?なのに奥様の実家の方を優先するなんて、尻に敷かれるのが目に見えてますよ。治。あなたがはっきり言わないからこんなことになるんです。」
面倒な人だな。清子は席を立つと、キッチンの方へ向かった。
「お茶、淹れますよ。」
「え?いいのに……。」
「赤ちゃんが、さっきからぐずってたから。」
「あぁ。ごめんなさい。気が付かなかったわ。」
よく見れば、有香の耳には補聴器のようなものがある。おそらく耳に障害があるのだろう。それに気が付かないのも無理はない。
「母親がこんなんでいいの?さっきから啓太がぐずってましたよ。」
だったらお前が様子を見ろよ。清子はそう思ったが、黙ってお茶を淹れた。
そして湯飲みにお茶を注ぎ、父親、美香子、成、史とお茶を置く。その所作に、文句の一つでもつけようかと思っていたのに、あまりにも隙がなくてさらに不機嫌になった。
「あら。でもお茶はおいしいのね。」
「あぁ。昔のお茶だね。手摘みかな。」
「らしいですね。私が摘んだわけではないので。」
「お菓子も買ってきた。食べる?」
「結構よ。甘いものは昔から苦手なのよ。史さんはそんなことも覚えていないのね。」
何だろう。親族はいないが、人の家のことにこんなに口を出すものなのだろうか。史を見ると、史も緊張した面もちで父を見ていた。
「兄さん、結婚するの?」
成がそう聞いてきて、史はお茶を飲みながら首を横に振る。
「どうかな。まだ俺が食べていくだけで一杯でね。」
「徳成さんって仕事すごい出来るって聞いたけど、ウェブ関係だっけ。」
「普通です。運良く、今年「三島出版」に入社するようになりましたけど。」
「二人で稼いだら、そんなに厳しくないと思うけどな。うちも今、育休扱いで、やってるけど。有香がうまくやってくれているから。」
「やだ。成さん。そんなことないわ。」
有香が照れたように子供を抱き抱えたまま座る。どうやら男の子のようで、水色のロンパースを着ていた。
「清子さんはおいくつ?」
美香子がそう聞くと、清子は素直に歳をいう。
「もうすぐ二十六です。」
「あら。二十六ならそんなに若くないわ。早いところ結婚して、子供を二、三人産まないと女として価値がありませんから。仕事ばかりしては、女の価値が下がりますよ。」
さすがにその言葉はない。清子はかちんとしたが、ここで波風を立てても仕方がない。特に史のことを思えば事を荒立てたくない。
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