不完全な人達

神崎

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 終業時間は本来十五時。仕事の終わらなかったり、掃除が終わらなかったりする課のために二時間の余裕を持たせて十七時には完全退社になる。だから普段、十八時まで空いている会社の一階のカフェも十六時で終了だった。
 だから史と晶は会社を出ると、駅の近くにあるチェーン化されているカフェに入った。そこでコーヒーを頼み、そのコーヒーを手に喫煙所へ入っていこうとしたときだった。
「昌樹さんですよね?」
「はい。」
「あぁ。本物だ。握手してください。」
 大きな白いバッグを持った女性は、嬉しそうに史の手を握る。晶はそれを見て、まだ男優の昌樹は生きているのだなと実感した。
「SNSの声明文見たんですよ。みんなで男らしいなって言っていて。」
「そうですか?変な誤解をされたくなかったから、載せたんですけどね。」
「それでもきっぱり言うって凄いなぁっと思って。あ、次号のコラムも楽しみにしてます。」
「ありがとうございます。」
「本とかでないんですか?」
「今までのコラムは評価は良いかもしれないけど、出版となると特殊なジャンルですからね。なかなかそういうわけにもいかないのでしょう。」
「もったいない。出たら真っ先に購入しますね。」
 女性はそう言って、他の女性が待つテーブルへ行ってしまった。誰?と言われているが、素直に元AV男優とは言えないだろう。うまく誤魔化したようだ。
 喫煙所には行っていった二人は、テーブル席に座る。カウンター席もあるが、向かい合って話さないといけないだろうと晶はあえてテーブル席にコップを置く。
「人気あるよな。」
「そんなことないよ。もう三十五の中年だし。あぁ……そうだった。来月三十六になるんだっけ。」
「ふーん。そんな風には見えないな。今日だって本当はすぐ寝たいんだろうに、わざわざつきあってくれるくらいタフなわけだし。」
「聞きたいことか、言いたいことがあるんだろう?別にそんなことで断らないから。」
 史はそう言ってコーヒーに口を付ける。自動販売機やコンビニよりはおいしいというレベルのコーヒーだ。だが眠気を覚ますにはちょうどいい。
「編集長も聞きたいことがあるんだろ?」
 その言葉に史の手が止まった。そして煙草を取り出す。
「俺から聞いていいのか?」
「いいや。あんたのは感情的になると思うから、俺から言うよ。実は、実家に帰ろうかと思ってて。」
「は?辞めるのか?ここ。」
「んー。結果的にはそうかな。フリーに戻っても良いかと思って。」
「……清子のためか?清子があの家に戻るから、お前も戻るというのか?」
「ってわけじゃないな。実は金が必要でね。」
「借金でもあるのか?」
「別にそうじゃねぇよ。借金なんかしたことねぇし。」
 晶はそう言って煙草に火をつけた。
「だったらどうしてそんなに金が必要なんだ。ヤクザがやっている裏のパッケージも撮っていたみたいだし、うちで他の課の写真を撮っても金にはなっただろう?」
「んー。けどやっぱ足りなくてさ。」
「……いくら必要なんだ。」
 何に使うのかというのはもう言わないだろう。詳しい金額だけでも知りたい。
「四百万くらい。」
 その金額に、史は思わずコーヒーを噴きそうになった。
「どうしたんだよ。」
「別に……何でそんな大金がいるんだろうって思っただけ。」
 その理由は言いたくない。まさか了のために稼いでいるなど、了にも悪いだろう。
「いろいろ事情があるよ。とりあえず、今は金がいるから。」
「休職するか?半年くらいなら融通が利く。」
「やめとく。半年で稼げるような額じゃない。」
「けど……。」
「いいから、辞めさせてくれよ。」
 晶は不機嫌そうに、まだ長い煙草を消した。それだけいらついているのだ。
「立場上、理由もなしに辞めて良いですとは言えないんだ。病気なら診断書、学校へ行くというのであれば学生証とかいろいろ手続きがあるし。辞めたあとも雇用保険とか失業保険の手続きもあるだろう。」
「私用。」
「お前なぁ……。」
「少なくとも清子が原因じゃない。清子はあの町でひっそりと暮らしたいようだけど、俺には無理。」
「……。」
「あの町で人殺しの弟だって後ろ指を指されるのは嫌だ。」
 茂とは和解したように見えた。だがそうではなかったのだろう。根底には、茂をまだ許せない感情がある。
「フリーだったら家がどうのとか、言われることもないと思っているのか?」
「あぁ。」
「それは無理だ。SNSでの騒ぎをお前は見たんだろう?」
「……。」
「情報の時代だ。個人のことなんかダダ漏れしてる。清子ほどじゃなくても、俺のことは調べ上げられる。出身の土地も、高校も、過去の女の子とまで調べ上げられている。それは、男優にしっかりした事務所がなくて、みんながフリーで活躍しているからだ。」
「フリーでいればいるほどそう言うことになりがちってことか?」
「確かにフリーでいれば、お前に対する対価は全部自分のモノだ。だけど、それだけ調べ上げられる。相手だってお前がどんなヤツか調べたあとに依頼をするだろう。そのとき、あいつの家族に人殺しがいるなんてことが知られたら、今よりも仕事は激減すると思う。」
「……。」
「会社に籍があるだけで、会社が守ってくれているんだ。悪いことは言わない。今のままでいた方がいいと思う。それ課かを変わるか……。もっと実入りのいい写真を多く扱っているような課だったら、実入りは良くなるかもしれない。」
 もっともだ。甘くフリーになりたいといっていたのが、ありありとなってしまった。
「そうかもしれないな。」
 コーヒーを飲み、晶は少しうつむいた。やはり十年も生きていると人生経験が違うのかもしれない。海外を見たというだけで、自分はまだ何も経験していないように思えた。
「だったらどうして清子がこの会社に強引に入れたのかがわからねぇな。」
「え?」
 ずっと不思議だった。社長自らが動いて、清子を入社させようとした。その理由がわからない。
「土地も広いし、家もでかい。田舎で古いとはいっても右から左に買えるような値段じゃないだろう。そこまでして清子を入社させる理由がわからない。それに清子が出来るって言っても、俺に言わせたら別に特段出来るわけでもねぇ。それ相当の大学教授とか、研究所とかに問い合わせればそんな人材は居そうだけどな。」
「……社長が気に入っているんだろう。」
「は?」
 史はこれを言うのを躊躇っていた。それは清子が入社する前のことだった。史は社長自らに呼び出されたのだ。
「清子を入社させたいって言っていてね。何とか説得しろと。」
「……で?」
 晶は煙草に手を伸ばすと、震える手でそれに火をつけた。
「今となってはどうでも良いけど、説得できなかったら情で落とせと言われてた。」
「ってことは……あんた、清子に近づいたのって社長の指示か?」
「最初だけだ。今はどうでもいい。」
 きっかけはそれだけだった。だが深みにはまったのは、清子ではなく史の方だったのだ。
「清子と一緒になりたいと思う。」
 煙草に火をつけて、晶はふっとため息をつく。
「俺も結婚したいと思ってる。けど今はあんたの方が部がいいのかもしれないな。」
 しかし忘れたことはない。何度もキスをして、一度セックスをして、そして今朝のあの膝の感触を。
「清子は渡さない。誰が来ても、清子を渡す気はない。」
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