不完全な人達

神崎

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 午後一時。おおかたの仕事が終わり、オフィスの人達はパソコンをシャットダウンした。清子もホームページ上に、十二月三十日から一月三日までの間は、問い合わせが出来ないことを載せた。SNSにも同じ文言を入れる。
 するとすぐにシェアやコメントが書き込まれる。するとそのコメント欄に見覚えのないアカウントからのメッセージがあった。そのページを開くと、清子は少し微笑んだ。
 食事へ行こうとした史がそれに気がついて、清子の方へ歩いていく。
「どうしたの?笑って。」
「慎吾さんのところがアカウントを作ったみたいですね。それから、花柳さんもシェアしてくれました。」
 年末にあったごたごたは、解決したのかもしれない。マネージャーも他の女性に変わったらしく、今度のマネージャーには女性の恋人が居るからと言う慎吾のメッセージを思い出した。
「社長は人を入れると言っていたけど。」
「花柳さんの奥様のお友達が入ったみたいですね。男性のようです。」
「へぇ……慎吾さんについていけるのかな。」
「どうでしょうね。」
 慎吾は何でも思ったことを言ってしまう人だ。それについて行くのは大変だろう。
「編集長。社員食堂、今日は半額みたいですよ。」
 香子がそういって史に近づくと、史は少し笑っていった。
「そうだね。早く行かないと無くなってしまうかもしれない。徳成さんは?」
「私は結構です。みなさんで行ってきてください。」
 昼食は食べないのを知っていたが、一応声をかけたのだろう。優しい人だ。今日はいつも弁当を持ってくるいつもの男も、食堂へ行くらしい。帰社をした人でも夕べは日が変わって帰って行った。朝早めに出てきていたことを考えると、弁当を作ってきてもらうのは気が引けたらしい。
「じゃあ、電話番をお願いしても良いかな。」
「どうぞ。」
 清子はそう言って、バッグの中から本を取りだした。清子が読む本はジャンルがバラバラだ。今読んでいるのは時代小説らしい。幕末の血気盛んな若者の話が、楽しいのだ。
 コーヒーを飲みながらその本を読んでいる。田舎侍が世の中を変えようと仲間を集めて、暗殺を繰り返す。手足となる男は「先生」と男を呼び、何の疑いもせずに人殺しをするのだ。
 だがその文章を読みながら、目が閉じていく。やはり数時間しか寝ていないのだ。疲れがたまっているのだろう。少し机にうっつぶして寝てしまおうか。そう思ったときだった。
「失礼。ここで良かったかな。」
 不意に声をかけられて、清子は本から目を離す。入り口にいたのは、意外な人物だった。
「冬山さん。」
 清子はデスクから離れて、入り口へ向かう。冬山祥吾がこんなところにくるのは初めてだろう。
「どうしました。こんなところに。」
 清子の顔を見て祥吾は微笑んだ。そして周りを見渡す。良かった。昼ほどに来れば誰もいないと思っていたのは当たりだったのだ。あまり他言されたくないことを、清子に頼むのだ。もし他の人がいれば、清子を会社から連れ出そうと思っていたのだが、その心配はない。
「君に頼みごとがあってね。」
「私にですか?出来ることがありますかね。あ、お茶でも入れましょうか。」
「いいや。結構だ。ここは落ち着かないな。」
 周りを見渡せば、AVやイメージビデオのポスターが貼っている。水着の女性や、痴漢物のポスターは目の毒だろう。
「これを渡しておこうと思ってね。」
 そう言って祥吾は持っていた巾着袋の中から、鍵を取り出した。
「鍵?どこの鍵ですか?」
「そこに書いていると思うが、C区にあるトランクルームだ。」
「トランクルーム?」
 家に置ききれなかった荷物などを置いているのだろうか。トランクルームはだいたいそういう用途なのだから、それはおかしくないだろう。
「私にもしものことがあったら、これを春川という女性に渡してほしい。」
「春川?あの……小説家の?」
 女性だと言うこともあまり知られていないことだった。だがすんなりと祥吾がそれを言うのが、不思議だと思う。
「読んだことがあるのかな。」
「えぇ。話題作だけですが。」
「官能小説だろう。まぁ……女性に人気があるようだがね。」
 いぶかしげな表情だ。あまり良い気持ちの人ではないに違いない。だとしたらこのトランクルームの中も、あまり気持ちいいものだとは思えなかった。
「秋野と言う名前でもライターとして活躍しているようだ。同一人物だから、どちらの名前でもわかると思う。」
「もしものことって……。」
 よく見れば、前に見たときよりも痩せている気がした。元々痩せ形だが、この痩せ方は少し病的な気がする。やはり病気が進行しているのだろう。
「もうあまり長くはない。だから頼んでいるんだ。」
「……私も会うことがあるのか……。」
「会ったらで結構だ。もし会わなければ処分してもらっても良い。」
「春川さんというのは、冬山さんの助手の方ですよね。」
「そう。助手をしながら小説を書いていた。この出版社にもくることがあるだろうし、この雑誌にもコラムや小説を書いているのだろうから、会うことがあるだろう。」
 春川の担当は、今は居ない男性の担当だ。最初の方は修正個所が多かったが、今はそれほど間で修正することはないと喜んでいたような気がする。
「頼んだよ。」
 そういって祥吾は、その場を去ろうとした。するとその背中に清子が声をかける。
「冬山さん。」
「何だろうか。」
「私……来年の秋から、あの家に住みます。あなたが育ち、私が育った家に帰ります。ずっと……私はそれを目標にしてきたんです。形が違っても、家は祖母が居たときと同じになる。いつ帰ってきてもいいんです。あなたの家でもあるんだから。」
 すると祥吾は少し笑って清子に言う。
「君は甘い女性だ。」
「は?」
「話は聞いている。ここの社長が、君を入れたいと画策した結果だそうだね。」
「……それは……その通りですが……。」
「黙って家を渡すわけがない。母が言っていたのだろう。あまり人を信用するものではない。人はいつか裏切ると。」
「……。」
「会社からも裏切られることは想定内としておいた方がいい。ここの社長はそんなに甘い男ではないのだから。」
 祥吾もまた祖母に育てられたのだ。根底は人を信用していない。
 去っていく祥吾を見ながら、清子は手の中に握られていた鍵を見る。C区にあるトランクルームだという。鍵につけられた印刷した文字盤を見ると、屋号と号室が載っていた。
「あぁ。」
 エレベーターの方へ行こうとしていた祥吾が、急に立ち止まり清子の方へまた戻ってくる。
「あと、君にはこれをあげよう。」
 そういって巾着袋の中から、小さな小瓶を取り出した。古い瓶だが、凝った装飾がしてあり瓶の蓋はきっちり密封されている。
「これは?」
「私が母からもらったものだ。手付け金代わりと思えばいい。」
 その瓶を清子は知っている。祖母がつけていた香水だった。祖母は香水をつけるような人ではなかったが、まれに祖母の部屋からこの匂いがした。柔らかい女性らしい香りだと思う。
「私はその匂いが嫌いでね。」
「あぁ……。」
 祥吾がこの匂いをいやがるのはただ一つ。この匂いがしたあとは、男を連れ込んだあとだったからだ。匂いを誤魔化すために匂いで消すような行為をされたくなかった。
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