不完全な人達

神崎

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 病院の中は、朝の診療は終わったのだろう。待合室は閑散としていた。医師の数が足りないのか、総合病院の割には看れる日が限られている。
「火曜日と木曜日だけ……。」
 清子はその表を見ながら、少しため息を付いた。清子が見ていたのは耳鼻科。火曜日と木曜日にしか医師は来ないらしく、しかも新規の患者は午前中にしか診れない。これでは診れる患者の数も限られてくるだろう。
「おう。待たせたな。」
 晶は受付から戻ってくると、笑顔で清子に近づいた。
「三階らしいな。その奥の部屋だ。」
「入院施設はあるんですね。」
「一応な。でも重篤な奴は街の病院に移転させる。そっちの方が治るかもしれないからな。」
 おかしいと思った。晶の父は末期のガンではなかったのだろうか。だったら街の医師に見せるべきではないのだろうか。そっちの方が、完治する可能性があるのに。
「どうして街に行かないのですか?」
 すると晶は首を横に振る。
「全身ガンが転移してる。街でどうにかなるようなレベルじゃない。かといってホスピスにいかせる金もねぇから。」
 つまり治る見込みはないが、治すつもりも、痛みを和らげることもしたくないらしい。
 そんなものなのかと、清子は晶の後ろをついて行く。この病院は五階建て。その三階まではエレベーターがある。車いすでも乗れるように、広いエレベーターだと思った。
 そして三階に付くと、ナースステーションに声をかける。すると若い看護師が丁寧に病室の場所を教えてくれた。
「こっちだ。」
 清子もそれに習って足を進める。すると晶は少し笑っていった。
「さっきの看護師可愛かったな。」
「えぇ。あぁいうのが好みなんでしょう?」
 小さくて、従順そうな、そして素直に見える女性だった。清子とは真逆を行っている気がする。
「俺の好みは昔っから変わらないから。」
 そう言って晶は笑った。その視線に清子は誤解したくないと、視線をそらせる。そして指にはめられている指輪に触れた。史のことを思い出せば、冷静になれる。
「……ここだな。」
 個室らしい。本当に先が短いのだろう。晶はドアをノックすると、低い声が聞こえた。
「どうぞ。」
「邪魔するぜ。」
 ドアを開けると、奇妙な匂いがした。それは肉の腐る臭いだ。十年前よく嗅いだ臭いで、祖母からも同じような臭いがした。
「晶か?」
「あぁ。思ったより顔色良いじゃん。」
 あまり見たことがない父親だったが、こんなに痩せていたかと清子は思った。だが考えてみればほとんど食事をとれていないのだ。痩せて当然かもしれない。
「そちらは?お前の嫁か?」
「になる予定。」
 すると清子は手を横に振って否定する。
「違います。あの……徳成です。」
「あぁ……徳成花さんの……。」
「覚えてましたか。」
「学校をすぐに辞めて、夜遅くに帰っていたのをよく見かけた。花さんの葬儀にも行ったのだけどね。」
 葬儀は開いたが、あまりお客は来なかった。そんなものなのだろうと清子は思っていたが、その中の一人にこの人がいるのはすっかり忘れていたように思える。
「すいません。あまり覚えていなくて。」
「もう十年になるのだから、仕方がないよ。すまないね。こんな格好で。」
 おそらくもうベッドから起きあがれないのだろう。布団から延びるカテーテルの先には、ビニール製の袋があった。おそらくここに尿が溜められているのだろう。
「お体を大事に。」
「ありがとう。」
 穏やかな人だ。だからこそ、逃げる妻を追いかけきれなかったのだろう。
「親父。兄貴が来週出所する。」
「あぁ……そんな時期だったかな。」
「身元引受人は、親とか子供とかが良いらしんだけど、あんたその状態だったらそれも出来ないだろ?代理人で俺がなっとくから、サインだけしてよ。」
 テーブルに載せられているカルテのような板を下敷きにして、一枚の紙を手渡し、ペンを握らせる。
「印鑑どこだ?」
「その一番下だ。」
「あぁ。これな。うん。いいんじゃね?これで出しとくわ。」
 そう言って晶はその紙を封筒に入れると、ぽつりと口こぼした。
「了はしたくねぇってさ。」
「だろうな。うちを恨んでいるように思える。」
「あいつ……結婚したい相手が居たんだってさ。」
「聞いてないな。」
「破談になったからだろ?」
 その言葉に清子は少し驚いて晶を見る。
「……犯罪者が居るような家に嫁にやりたくねぇんだってさ。あっちの親から断りに来た。」
「そうか……。」
 深くため息を付くと、布団にもたれた。どれくらい生きられるのだろう。それはわからないが、どちらにしても長くはないだろう。
「清子さんと言ったか。」
「はい。」
「花さんには世話になった。」
 意外な言葉だった。さっきまで股が緩い惚れやすい女だという話しか聞いていなかったのに。
「妻のことを省みた方が良いと、何度も忠告された。だがあのときは父も船も無くなった時期でね。」
 嵐の中でも漁に行くほど、無鉄砲な人だったのだ。あの日、もうそんな歳ではないと父も母も説得していた。だが祖父は買ったばかりの船で漁に出て戻ってこなかった。遺体すら上がらなかったし、船も見あたらなかった。
 晶たちに残ったのは、借金だけだったのだ。
「船の借金を返すのと、息子たちの学費と、生活費と、色んなものがのしかかった。だから家庭を顧みることなど出来なかったよ。いいわけだけどね。」
 だから祖母はその母の代わりをしようとしていたのだ。気を張っているので、もっと肩の力を抜いた方が良いと忠告したのも、清子の祖母だった。
「金銭面でもだいぶ世話になったよ。うちの母が入院したときはさすがに借金を重ねないといけないと思っていたが、得な離散が融通してくれた。利子もなしにね。」
「そんなことが……。」
 さっき聞いた印象とまるで違う。どっちが祖母なのかわからない。
「だから君が晶の嫁になるというのだったら、私は反対しないし、むしろ次男だろう?養子にやっても良いな。」
「勘弁しろよ。親父。養子なんか行く気はねぇよ。もし清子をもらうんだったら、うちの家に来てもらう。」
「清子さんにその気はないのに、勝手なものだ。」
「その通りです。」
 清子はそう言って少し笑った。すると父親は目を細める。
「そうして笑っていると、よく似ている。」
「祖母にですか?」
「あぁ。私は側で見ているしかなかったが、花さんはずっとある男と添い遂げたいと言っていたな。」
「ある男?」
「私はよく知らない。ただ、よく煙草を吸っていたようでいつもジッポーを開ける音がしていた。こう……しゃかしゃかとね。」
 確かに祖母が亡くなったあと、遺品を整理していたら風呂を沸かすのに使っていたジッポーが数個出てきた。生きていた頃、祖母はそのジッポーを大切にしていたように思える。
 だからそれが祖父なのだろうと思っていた。
 男に惚れやすくて男をよくくわえ込んでいた祖母と、男に一途で優しい祖母と、どちらが本当の祖母なのだろう。
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