不完全な人達

神崎

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映画館と喫茶店

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 カウンター席に座り、コーヒーを注文した。すると葵と呼ばれた女性は手際よくコーヒーを入れて、清子と史の前にコーヒーを置く。
「砂糖とミルクは?」
「ブラックで。」
 葵は細い目をますます細めて、シュガーポットを下げた。奥には数組の客がいるようだが、それはすべて男女、または男二人と女一人、女が二人と男が一人のような感じで、あまりほかの客に感心がないのかこそこそと話をしている。
「お嬢さんはこの辺界隈はあまりこないのかしら。」
「そうですね。この町にきたのも一ヶ月前くらいです。」
「一人で歩くような場所じゃないものね。史さんがつれてきてくれたのは、いい選択だったわね。」
 葵はそう言ってまた笑った。
「どうしてですか?」
「たぶん、アレでしょ?仕事の関係の人。」
「はい。上司です。」
「一ヶ月くらいしかたっていないってことは、あまりまだこういう世界のことはわかっていないのでしょう?」
「……。」
 図星だ。やれといわれたことをしているだけ。自発的にしようとしているのは、パソコンの中のことに限られる。
「今、あの映画館は何の映画をしているの?」
「人妻ものを見たよ。ア○ルに突っ込んでたヤツ。」
「あぁ。アレか。アレあたしの後期のヤツでもソフトなヤツだったなぁ」
 葵はAV女優として人気はあったが、どちらかというとキワモノに部類される。縛られたり、放尿させられたり、浣腸を何本も入れられたりすることもあった。
 三年間でそういうことをこなしてきたのだ。だがその世界からすっと手を引いたのは、彼女が結婚をするためだった。
 相手はAV男優。こっそりと付き合っていて、おりを見て結婚をした。旦那になる人は今は、AVの関係で下働きをしているが、元々はその旦那も人気があるときがあった。
「今日は裕太さんは?」
「仕事。だけど、その後に用事があってね。」
「用事?」
「主人の実家は温泉宿をしているんだけど、この間主人のお父さんが倒れてね。その看病に最近ずっと行ってるの。」
「大変だね。」
 葵はそういってため息をつく。
「うちも潮時だと思っていたから、二人でその実家に帰っても良いかなと思ってるの。」
「え?」
 その話に思わずカップを落としそうになった。
「あたしがAV女優だったことも、主人が男優だったことも、この界隈はみんな知ってる。だけどみんなそれを口にすることはないわね。でも子供となれば違う。」
「……。」
「子供同士の喧嘩で、やっぱり言われるみたいなのよ。嫌らしいことをして、お金を稼いでいたって。主人に至っては、気持ちいいことをして楽に稼げて良かったねって。」
 その言葉に清子は表情を変えなかった。だが心の中ではいい気持ちはしていないだろう。
 葵の表情が少し変わる。悔しかったからだろう。
「徳成さん。」
「はい。」
「やっぱり偏見の目であなたも見てきたのかしら。」
 その言葉に清子は首を傾げた。
「……私はこの体ですから人前で脱ぐことなんか出来ませんし、そんな価値もないと思います。それが出来る方は、誰であれ尊敬できます。」
 その言葉に葵は少しため息をついた。
「体じゃないのよ。」
「体じゃない?」
「すべては演技なの。事情があってあたしはAV女優になったけれど、やはりこういう世界は底辺なのよ。」
「……。」
「絶対消えない世界なのに、表だってAVをしていますとは言えないわ。あたしはまだ運がいい方。主人もいるし、子供もいる。今は喫茶店していますと言えるけど、あたしと同期の子は未だにストリップやソープランドとかヘルスで働いている子もいるの。元AV女優といえば、指名が多くなるからって。」
「……そうだったんですね。すいません。何か無責任なことをいってしまったみたいで。」
「いいのよ。」
 自分なりに納得していったつもりだった。だがどんなところが人の逆鱗に触れるかわからない。葵はまだ怒鳴ったりしないぶん、良かったのかもしれない。だから人間は面倒くさい。
 客が帰っていき、葵はレジを終わらせるとテーブル席へ向かう。そして葵が帰ってきて、清子にいった。
「あのね、お嬢さん。」
「はい。」
「それでもあたしは人間を嫌いになれないのよ。好きな人がいるし、愛している人がいるから。それは子供なり、主人なりだけど。主人がいなければ、あたしはとっくに自殺してたわ。」
 葵の手首には数本の傷がある。それが何を意味しているのか、清子にもわかっていた。そのとき、店に一人の男が入ってきた。
「葵ちゃん。コーヒー頂戴。」
「あら。我孫子さん。お久しぶりねぇ。」
 我孫子の名前に、清子は思わず振り返った。そこには本当に我孫子昌明がいたのだ。
「徳成。こんなところで何をしてんだ。」
「上司につれてこられて。」
「ん?あぁ、「三島出版」の?」
 馴れ馴れしく清子の背中に手を置く。だが清子もそれをいやがっていない。誰なんだこの男は。そう思いながら史はコーヒーカップをソーサーに置き、気持ちとは裏腹に爽やかな笑みを浮かべて挨拶をする。
「「三島出版」の、正木といいます。」
 そういって財布から名刺をとりだして、我孫子に手渡した。すると我孫子も名刺を取り出す。
「「東方大学」の研究所の我孫子。よろしく。」
「え?今大学なんですか?」
「こういう仕事をしてると、籍だけでも大学にあった方がましなのよ。でも月に一回くらいしかいかねぇけど。」
「前は職業訓練校だったのに……。」
「あれはボランティアみたいなもんだろ?金になんねぇのに、お前ぐいぐい聞いてくるからよ。今日の講習だって、お前だけ追加料金欲しいくらいだ。」
「でも教えてくれたじゃないですか。感謝してます。」
 こんな清子を初めて見る。年相応に、薄く笑いを浮かべて、何より自然だ。いいたいことが言える間柄なのだろう。それがいらっとさせる。
「お前も知識だけなら研究所には入れるのにな。」
「中卒ですよ。大学なんて夢の夢です。」
 我孫子はそういって清子の隣に座った。
「そう言えばよ、同じ職業訓練校にいた相沢って覚えてるか?」
「誰でしたっけ。」
「そう言うと思った。お前に連絡が付くようなら、連絡先を教えておいてくれって言ってたな。ほら。名刺。」
 我孫子はそう言って清子に名刺を手渡した。
「何ですか?」
「ヘッドハンティングしたいか、もしくは、アレだろ?」
「……。」
「相沢はずっとお前が気になってたらしいからなぁ。」
 意地悪そうに笑う。清子は名刺を裏返すと、手書きの携帯電話の番号が書いてあった。
「連絡することはありませんね。」
「お前なぁ、もう二十五だろ?俺が二十五の時は最初の結婚してたぞ。おせぇよ。ちゃっちゃっと結婚でもしないと、子供出来なくなるぞ。」
 その言葉に葵も少し笑った。性を売り物にしていた葵が、子供が出来たのは奇跡だったのかもしれないと思っていたのだ。
「結婚しませんから。」
「何で?好きなヤツでもいるのか?」
 ちらっと史をみる。だが清子は首を横に振った。
「人は裏切るんです。だから結婚なんかしないし、恋人も作りたくない。」
 その言葉に、思わず三人は絶句した。何をそんなに意固地になっているのだろうと。
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