不完全な人達

神崎

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 仕事が終わり、清子は会社の外にでる。そして駅の方向へ向かった。少し残業をしてしまったが、外はまだ明るい。そして帰っていくビジネスマンやOL、学生と紛れて、バス停でバスを待った。
 この時間であれば、バスの本数は多い。次々に人が乗っていく中で、清子もまたその中に入っていく。
 バスの車内は人ですし詰めだった。清子は入り口にほど近いところに立つと、ポールを握った。やがてバスの入り口が閉まり、音を立ててバスは走っていく。
 臭い。
 思わず顔をしかめた。後ろを少し見ると、太った男がこちらの方向に体勢を向けていた。おそらくそれから身動きがとれないのだろう。その男の吐息がおそらく臭いのだ。
 バスに乗っている時間は二十分ほど。その間耐えないといけないのかと、清子は心の中でため息を付いた。
 するとバスはいったんバス停で止まる。すると男が降りていった。ほっとして、ため息がでる。だが新たな乗客を乗せると、バスの車内はさらに乗車率が高くなる。
「すいません。もう乗れませんので、次のバスを待ってください。」
 運転手がそうアナウンスして、バスの入り口を閉めた。そしてバスはまた走っていく。その時だった。
「……。」
 何かの感触が太股に当たった。鞄か何かだろうと思って、それを無視していた。するとその感触は少しリアルになっていった。どうやら手だ。
「……。」
 指がそろそろと太股を撫でている。大きな手だ。男の手に間違いない。
 もっと肉付きの良い女を選べばいいのに、どうしてこんな痩せぎすのがりがりした針金のような女を選んだのだろう。
 そんなことを思っている間にも、手はお尻のあたりにまで伸びてきた。さすがにわざとだろう。清子はバッグから安全ピンを取り出すと、その手にひっかき傷を付けた。
「痛っ。」
 男の声がした。その男なのだろう。
「あんた、何をするんだ。」
 振り返ると、そこには中年の男が右手を見せてくる。そこには安全ピンで付けられた赤いひっかき傷がある。
「何かしましたか?」
「俺の手をひっかいただろう。痴漢かと思ったのかもしれないが、手が当たっただけだ。自惚れもいい加減にした方が良い。」
 その言葉にも清子は表情を変えない。触ったのは明白なのに、男はあくまで当たっただけだと主張する。
「最近は、痴漢冤罪もあるからなぁ。」
 追い打ちをかけるような言葉に、周りの人たちも痴漢冤罪をでっち上げた清子が悪いような雰囲気になってきた。
 これだから他人は。
 清子はそう思いながら、ため息を付く。その時だった。
「がっつり写ってますよ。尻を撫でてるの。」
 聞き覚えのある声がした。見ると、そこには史の姿がある。
「あ……編集長。」
 史は少し笑って、デジタルカメラを男に見せた。すると男の顔色が悪くなる。そこには清子の尻を撫でている男の手、そして次の画像は、安全ピンで手に傷を付けている清子の手が写っていた。
「言い逃れできないですね。次で降ります?」
 その時バスがバス停で停まり、男は脱兎のように逃げていく。
「あ、逃げた。」
 その様子を清子は冷えた目で見ていた。男を追いかけたりはしない。バスの入り口が閉まると、史は今度は清子を守るようにその前に立った。
「ありがとうございます。」
 史の方をみないで、清子は礼を言った。
「どういたしまして。」
 助けてあげたようなのに、清子の態度はあまり良くない。だが史は上機嫌だった。バスで来ていて、バスで帰っているようだと思ったから様子を見るためにバスに乗っていたのだが、こんなチャンスがくるとは思わなかったのだ。
 少し車内に余裕が出たと思っていたから、少し話でも出来ると思う。今日こそ晶との関係を知りたいと思っていたのだ。
 だが次の停留所で、高校生がまた乗ってくる。
「すいません。これ以上は乗れません。」
 ぎゅっと押されて、まるで史に抱きしめられているように思えた。スーツの感触と、ワイシャツの感触、そしてその下の少し堅い筋肉が体越しに伝わってくる。
「大丈夫?こんなにこの時間は込むんだね。」
「大丈夫です。」
 やはり史の方を見上げたりしない。だが、見下ろすその清子の顔はわずかに赤みがかっているようだ。少しでも意識してもらえればいい。
 思わずその肩に触れそうになった。だが触れたらさっきの痴漢と変わらない。史は自分を押さえて、あと十分ほどその感触を楽しんだ。
 やがてバスは駅に着く。そこで清子はバスを降りると、史もそこで降りた。
「今日は高校生が何かあったのかな。高校生だらけだったね。」
「さぁ……。」
 まだここに来て一ヶ月ほどでは高校生の事情なんかわからない。
 高校生はここで歩いたり、自転車に乗って自宅を目指す。清子も史にもう一度礼を言った。
「お世話になりました。ありがとうございます。」
 こんなにちゃんと挨拶をされると思わなかった。思わず笑いがこみ上げる。
「送別会のあとみたいだ。明日も仕事だろう?」
「そうですけどね。」
「ここは最寄り駅?」
「そうです。でもこんな事があるなら、時間をずらせば良かった。」
 周りは少し暗くなり始めている。いつも行くスーパーは深夜十二時まであいているので、そこで食材を買おう。そう思いながら、清子はその場を去ろうとした。
「徳成さん。」
「え?」
「食事につきあわない?」
 その言葉に清子は首を横に振る。
「確かに助けていただきましたが、それとこれは別ですし。」
「そう?お酒を本当は飲むんだろう?俺も今日は飲みたい気分だし。そこのおでん屋は美味しいし。」
 指さしたその先には、赤提灯の下がるおでん屋があった。しゃれたパスタなんかが出てくるような店ではなく、こういう店を選ぶのはやはり女に慣れているからだろう。
「それに仕事の話もしたいし。」
 それを言われると弱い。この間、前に派遣されたところと連絡を取っていたことも知られてしまった。その弱みがある。
「……一杯だけなら。」
 清子の言葉に史は心の中で小躍りした。これで一対一で話すことが出来る。場合によっては、飲んだあとの続きも考えられるのだ。それはすなわち、大人同士の付き合いが出来る。
 赤提灯が下がる店内に二人は入る。その後ろ姿を見ている人が居た。
「あれ……。あれって……。」
 それは同じ部署の女だった。電車も今着いて、ちょうど降りてきたのだ。そしてちょうど目にしたのは編集長である史と、派遣の清子がどうして居酒屋に入っていったところ。
「まさか……。」
 史の最寄り駅はもっと先だ。どうしてこんなところに居るのだろう。まさか二人で口裏を合わせてこんなはずれの駅に来ているのだろうか。女の想像は膨らむばかりだった。
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