不完全な人達

神崎

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入社

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 引っ越しも慣れたものだ。荷物は最小限に。家具付きの部屋を借りれば、家電もあまり必要ではない。
 清子はいつものように引っ越しを済ませて、部屋を見渡す。シンプルでもののない生活だが、パソコンだけは必需品。これが飯の種だから。最近はWi-Fiも家賃のうちにはいっているところも多い。
 明日から仕事へいく。契約は一年。そのあとはまたどこへ行くかわからないし、延長といわれることもある。だが清子はそれをいつも断っていた。情が移りたくないからだ。

 紺色のスーツに身を包み、最寄り駅へ向かう。そこで電車に乗るわけではなくバスだ。同じようなサラリーマンやOL、学生とともにバスに乗り、街中へ向かう。そしてバスを降りて徒歩五分。そこが清子の新しい職場だった。
 「三島出版」
 創業は百年を越える大手の出版社。清子のような派遣を含めると、とんでもない社員数になるだろう。出版のジャンルは文学、参考書、辞典から漫画、はてはエロ雑誌まであるそうで、本屋には「三島出版」のはいっていないジャンルの本はないのではないかと思う。こんな大企業が、是非清子に来て欲しいと依頼があったのは寝耳に水だと思っていた。
 何せこんなところに入れるのは、大学の、それも有名大学なんかを行っていた人しか入れないと思っていたから。
 見上げるほど大きなビルで、そのビル丸ごとが「三島出版」のものらしい。さすが大手企業だと思った。
 中にはいると広いエントランスが広がり、よく手入れされた植物、待合いの為のソファーやいす、カフェなんかも併設されている。そしてその中央に受付があった。そこに清子が向かうと、清子とは真逆のような華やかな若い女性が笑顔で清子に微笑みかけた。
「ようこそ、三島出版へ。お約束はございますか。」
「あ……すいません。こちらに派遣を依頼された徳成と申します。」
 その言葉に受付嬢は、手元にあるパソコンで名簿をチェックする。そしてうなづくと、もう一人の受付嬢に言付けをしてそのカウンターの中から出てきた。高いヒールは足が細く長く見えるように、茶色で巻いている髪や綺麗な化粧は少しでも綺麗に見せるため。受付嬢は見た目で決まる。そしてその見た目は、会社の顔になるからだろう。
 受付嬢でなくてよかった。高校を中退して家を出てから背が伸びなくなったし、太らなくなった清子は私服だと男の子に間違えられることもある。
 かといって自分を着飾る気もない。
 受付嬢は奥にあるゲートを通り、続いて清子も通らせた。そして一階にある奥の総務部へ足を踏み入れる。
「黒澤さん。」
 声をかけたのは、中年太りした男だった。灰色のスーツを急売く津に着こなし、頭からはまだ暑くもないのに汗をかいている。
「派遣の方が見えました。」
「あ、ありがとう。あ、絵里子ちゃん。またあれ言っておいてよ。」
「えー?そう言うのあたしじゃなくて、明神さんに言ってくださいよ。」
「合コンクイーンだもんねぇ。」
 どうやらかなりフランクな会社だ。清子は内心やりにくいと思っていた。
 受付嬢が去っていき、その黒澤と言われた男が清子をみる。
「徳成……清子さんだったね。」
「はい。」
「えっと……こっちに。」
 そう言ってよく整理整頓されたオフィスを行く。そして一番奥の机に案内される。黒澤はその引き出しから、A4サイズの封筒を取り出すと、清子に手渡した。
「中には社員証とパスが入ってる。それから、契約書。それは今書いてもらっても良いし、君の持ち場の編集長に話を聞いてからこちらに送ってもらってもいい。」
「話を聞いてからにします。」
 中の封筒には確かに社員証らしき、ラミネートされた名刺サイズのカードがあり、そこには自分の顔写真と社名、担当部署、そして派遣とスタンプが押してある。
 そしてもう一つは名前と、部署、部署の階数が書いてある。どうやら十階にあるらしい。
「パスをかざすと入り口のゲートが開く。それからエレベーターもパスをかざすと、階数に勝手に連れて行ってくれるから。その二つはなくさないようにね。」
「はい。気をつけます。」
「じゃあ、行こうか。」
 全てデジタルなんだなと清子は思いながら、その黒澤という男の後ろをついて行く。
 清子を見て、黒澤はこの女性があの部署に着いていけるのかと不安がよぎっていた。紺のパンツスーツ、ビジネスバッグ、一つにくくっただけの飾り気のない髪、ヒールはほとんどないパンプス、ほとんど化粧をされていないような地味な顔に追い打ちをかけるような黒縁の眼鏡。
 だが派遣先の清子の評判はとてもいい。真面目で、仕事が的確。何よりもウェブ関係に強くて、清子が関わったウェブのページは、アクセス数が鰻登りだという。
 この会社は歴史がある出版社だが、ウェブ関係にはとても弱い。電子書籍にも参入はしているが、まだ調子は上がっていないのが現状だった。
 外部の会社に依託すればいいのだろうが、それもやはり相当な数あってどの会社が信用できるのかわからない。
 そこでまず派遣でウェブ関係に強い社員を入れて、この会社のお荷物になっている部署に入れてみるというのがねらいだった。
 その決断がどう出るのかはわからない。

 連れてこられた十階の部署は週刊誌などがある部署で、記事を求めようとしているライターがうろうろしていた。最近は根拠のないことを記事にすれば、すぐにやり玉に上がる。記事にするには慎重にならないといけないのだろう。
「こっちだよ。」
 週刊誌の方かと思っていた清子は、そことは違うというのに少し違和感を感じながら廊下を歩いていった。そしてたどり着いたのは、一番奥にある部屋だった。
 その部屋を見て清子は目を丸くした。壁に貼られているポスターは、半裸の女性が笑顔で胸を強調しているもの。悩ましげな表情で、乱れた喪服を着て映っている女性。デスクの上にはローションや、ディルド、オナホールなどが並べられている。
 だが目を丸くしたのは一瞬だけ。あとは冷静に黒沢に着いてくる。そしてその一番奥のデスクに近づいた。
「正木編集長。派遣の方ですよ。」
 正木といわれた男はデスクの下をごそごそと探っていたようで、腰を屈めていたが、黒澤の声に反応してすぐに立ち上がろうとした。
 だがその勢いでデスクの引き出しに、頭をぶつけて派手な音がして頭を押さえ込んだ。その様子に黒澤は苦笑いをして、清子をみる。しかし清子の表情は変わらない。ジョークも通じない女だ。
「あぁ。ごめん。黒澤さん。ありがとう。連れてきてもらって。」
 立ち上がった正木といわれた男は、背の低い清子にとっては見上げるほどだった。とても爽やかな人だと思う。そしてはっとするほど男前だと思った。
「ペンが見つからなくてね。やっとあったよ。このメーカーのこのペンがとてもか着心地が良くてね。買うときはダースで買うんだ。」
「はぁ……。」
 どこにでもある赤いボールペンだと思うが、そんなところにもこだわりがあるのだろう。
「で……派遣の方だっていってたね。」
「はい。徳成と申します。」
「「pink倶楽部」編集長の正木史です。よろしく。」
 正木はそう言って手をさしのべた。清子もそれにならい手を握る。大きいが柔らかい手だと思った。手を避けると、正木はデスクに置いてある雑誌を手渡した。
「これ、うちが作ってる雑誌なんだけど……読んだことは?」
「無いです。」
「女の子にはきつい内容かもしれないけどね。」
 ページをめくると、確かに半裸の女性の写真がある。袋とじもあり、破ったあとがあったのでその中を見るとそれよりももっと過激なショットが映っている。
「……そうですね。」
「あ、でもねぇ。最近、部数は微増してるんだ。女の子のおかげかもね。」
 そう言ってちらっと視線を送る。その先には男ばかりの部署の中で二、三人の女性が居た。
「女性向けの記事があるのですね。」
「そう。最近は女の子も手に取れるようにって。」
「はぁ……。」
 女はあまり性を表に出さないものだと思っていた。奥ゆかしい、恥ずかしい、そんなことはもう化石になってしまったのかもしれない。清子はそう思いながら、ページをめくる。
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