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第二話
第二話 春川理容店 いつも空いてる指定席 ⑨
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◇◇
垣岡先輩が立ち去った後、なんと続いてお兄ちゃんも春川理容店から離れていったのだから不幸中の幸いと言えるかもしれない。
なんでもママに急用で呼び出されたらしいのだけど、さすがのお兄ちゃんでも、ママにはかなわないのだ。
「若葉! お兄ちゃんは遠く離れていても、心だけはずっとそばにいてやるからな! だから寂しがらなくていいんだぞ!」
本気で泣きながら帰っていったお兄ちゃんの背中に冷ややかな視線を浴びせながら、
――寂しがっているのは自分でしょ……。
と、大きなため息をついた私は、いよいよ「りゅっしーの中の人」を再開したのだった。
………
……
二〇分りゅっしーになって、二〇分休憩を何度か繰り返しているうちに、時間はあっという間に過ぎていく。
そして陽も傾きかけた頃、いよいよこの日最後のりゅしーとなったのだった。
――よしっ! 頑張るぞ!
休憩を挟んでいるとはいえ、これまで全力でりゅっしーを演じてきた私。
ちょっとでも気を抜けば、膝が震えてしまうくらいに強い疲労感に襲われていた。
それでもりゅっしーの登場を楽しみにしてくれている子どもたちの声が春川宅にいながらも聞こえてくると、全身に力がみなぎってくる。
控室を出て、理容店の前までやって来ると、子どもたちの歓声が私を包んだ。
「わあああっ! りゅっしー!!」
それまでの重かった体がすっと軽くなると、私は片手を上げて声援に応える。
そして足元で軽快なステップを踏み始めると、いよいよりゅっしーのステージが幕を上げたのだった――
………
……
――そろそろ時間かしら?
一日の最後ともなれば、二〇分経過したことが体で測れるようになるものだ。
今日一日、最後まで付き合ってくれた健一おじさんをちらりと見ると、彼はコクリとうなずいた。
それは「もう時間だよ」という合図であるのはあきらかだ。
そこで私はきりの良いところで切り上げようとしたのだった。
……と、その時だった。
一人の少年に目が釘付けになってしまったのである。
半袖に短パン。そしてスポーツ刈り。
どこにでもいそうな、小学一年生か二年生の男の子。
目の前には大勢の子どもたちがいる中、少し離れたところに立って、じっとこちらを見つめている彼に視線がいってしまったのには訳がある。
――あの子……。まだあそこにいたんだ……。
実は彼を目にしたのはこの時が初めてではなかったのだ。
今から一時間ほど前も、彼は同じ場所で隠れるようにしながらこちらをじっと見つめていたのである。
――もっと近づいてくればいいのに。どうしてあんなところにいるんだろう?
と、疑問に思うのも無理はないだろう。
彼がりゅっしーに興味があるのは、ずっと彼の目がキラキラと輝いていたことから間違いない。
でも、自分から近寄れないのは、もしかしたらみんなの輪に入るのが苦手なのかもしれない。
そこで私は少しだけ彼の方へ近寄って、手招きをした。
りゅっしーが自分のことを気付いてくれたのにびっくりしたのだろうか。
少年は目を丸くして私を凝視したが、次の瞬間に意外な行動をとった。
なんとブンブンと首を横に振って、少し遠ざかったのだ。
まるで「僕は近寄れないんだ」と言わんばかりに……。
――どういうこと?
訳が分からず、戸惑う私。
すると周囲に集まっていた子どもたちが、私の腕や足にまとわりついて引っ張ってきた。
「ねえ、りゅっしー!」
「りゅっしー、聞いて!」
りゅっしーである以上は、一人の少年ばかりに気をとられ続ける訳にもいかないのは分かっている。
その証に、私は残されたわずかな時間で、少しでも子どもたちの期待に応えようと手足を動かしておどけてみせていた。
しかしそれでも、離れたところでなおこちらに目を向けている少年が視界から離れれることはなかったのだった。
……と、その時である。
聞き覚えのある太い声がすぐ近くからしたのは――
「まさか……。翔太……? そんな馬鹿な……」
その声のした方を、ぱっと振り向くとそこに立っていたのは春川理容店の店主、吉介おじいちゃんだった。
法事からの帰りであることを示すように、黒い礼服に身を包んだおじいちゃんは、見たこともないような青い顔をして一点を見つめていた。
彼の視線を追う。
するとそこには、遠くでこちらを見ているあの少年の姿があった。
――翔太くんって言うのかな? でも、なんでおじいちゃんは青い顔をしているんだろう……。まるで、怖がっているみたい。
ますます混乱しているうちに、健一おじさんの声が響き渡った。
「はいっ! じゃあ、みんな! 今日はここまで! りゅっしーはりゅっしー星に帰る時間だからねー!」
「ええーっ! いやだよー!」
「りゅっしー! もう終わりなのー!」
健一おじさんが告げると子どもたちの間から別れを惜しむ声が一斉に上がる。
そんな中、私は子どもたちに手を振りながら、一歩ずつゆっくりとその場をあとにし始めた。
そうして今日の仕事が終わりを告げようとしたその時だった……。
「こらっ! 翔一!! ここには近づいたらいけないって、あれほど言ってあったじゃないか!!」
と、鋭い怒声が背中から聞こえてきたのである。
ふと振り返るとそこには先ほどの少年。
彼の横には、父親とおぼしき中年男性の姿があった。
「だってぇ……。僕もりゅっしーに会いたかったんだもん!」
「だからって父さんとの約束を破っていい理由にはならない! さあ、もう行くぞ!!」
と、父親が少年の手を強引に掴んで、その場を離れようとする。
少年は父親に抵抗することもなく、それでも私の方を名残り惜しげに見つめ続けていた。
すると次の瞬間だった。
背中にゾッとした悪寒が走ったのは……。
――えっ……? なに? どういうこと……?
なんと少年の父親が、恨めしい目でこちらを睨み付けてきたのである。
殺気すらただよう彼の様子にあ然としてしまい、しばらく動けないでいた。
するとすぐ背後から、小さな声が聞こえてきたのだった。
「……ごめんよ。取り返しのつかないことをしてしまって……」
それは吉介おじいちゃんの声だ。
その声色が意外すぎて、思わず「どういうこと?」と小さなつぶやきが出てしまったのも無理はないだろう。
なぜなら私はおじいちゃんの優しい声しか聞いたことがなかったのだから。
私が髪を切りにいくといつもニコニコして、
――若葉ちゃんの髪はいつも綺麗だね。心が綺麗な証だよ。
なんて毎回同じお世辞を言ってくれていたっけ。
そんなおじいちゃんの口から聞いたこともない「ごめん」の言葉。
しかも消え入りそうなほどに小さな声だ。
そしてよくよく見れば少年の父親の視線は私ではなく、すぐそばに立ちつくしている吉介おじいちゃんに向けられていることが分かった。
――この二人……。なにかあったのかしら……?
そんな風に疑問に思っている間に、吉介おじいちゃんの方から先に立ち去っていってしまった。
その姿は、まるで何かに怯えているようで、自分の家に帰っていくというよりは、少年の父親から逃げていくと言い表した方がピタリと当てはまる。
一方の少年の父親は、おじいちゃんが家の中へと消えていくまで、じっとその背中を睨み付けていたのだった。
「若葉ちゃん、もう行かないと」
と、健一おじさんが、こっそり耳打ちしてきた。
ようやくはっと我に返った私は、最後に子どもたちに向かって大きく手を振ると、そのまま控室の方へ歩いていった。
こうして私にとって二回目の着ぐるみのお仕事は終わりを迎えたのだが、心の中にはモヤモヤが残ったままだった――
垣岡先輩が立ち去った後、なんと続いてお兄ちゃんも春川理容店から離れていったのだから不幸中の幸いと言えるかもしれない。
なんでもママに急用で呼び出されたらしいのだけど、さすがのお兄ちゃんでも、ママにはかなわないのだ。
「若葉! お兄ちゃんは遠く離れていても、心だけはずっとそばにいてやるからな! だから寂しがらなくていいんだぞ!」
本気で泣きながら帰っていったお兄ちゃんの背中に冷ややかな視線を浴びせながら、
――寂しがっているのは自分でしょ……。
と、大きなため息をついた私は、いよいよ「りゅっしーの中の人」を再開したのだった。
………
……
二〇分りゅっしーになって、二〇分休憩を何度か繰り返しているうちに、時間はあっという間に過ぎていく。
そして陽も傾きかけた頃、いよいよこの日最後のりゅしーとなったのだった。
――よしっ! 頑張るぞ!
休憩を挟んでいるとはいえ、これまで全力でりゅっしーを演じてきた私。
ちょっとでも気を抜けば、膝が震えてしまうくらいに強い疲労感に襲われていた。
それでもりゅっしーの登場を楽しみにしてくれている子どもたちの声が春川宅にいながらも聞こえてくると、全身に力がみなぎってくる。
控室を出て、理容店の前までやって来ると、子どもたちの歓声が私を包んだ。
「わあああっ! りゅっしー!!」
それまでの重かった体がすっと軽くなると、私は片手を上げて声援に応える。
そして足元で軽快なステップを踏み始めると、いよいよりゅっしーのステージが幕を上げたのだった――
………
……
――そろそろ時間かしら?
一日の最後ともなれば、二〇分経過したことが体で測れるようになるものだ。
今日一日、最後まで付き合ってくれた健一おじさんをちらりと見ると、彼はコクリとうなずいた。
それは「もう時間だよ」という合図であるのはあきらかだ。
そこで私はきりの良いところで切り上げようとしたのだった。
……と、その時だった。
一人の少年に目が釘付けになってしまったのである。
半袖に短パン。そしてスポーツ刈り。
どこにでもいそうな、小学一年生か二年生の男の子。
目の前には大勢の子どもたちがいる中、少し離れたところに立って、じっとこちらを見つめている彼に視線がいってしまったのには訳がある。
――あの子……。まだあそこにいたんだ……。
実は彼を目にしたのはこの時が初めてではなかったのだ。
今から一時間ほど前も、彼は同じ場所で隠れるようにしながらこちらをじっと見つめていたのである。
――もっと近づいてくればいいのに。どうしてあんなところにいるんだろう?
と、疑問に思うのも無理はないだろう。
彼がりゅっしーに興味があるのは、ずっと彼の目がキラキラと輝いていたことから間違いない。
でも、自分から近寄れないのは、もしかしたらみんなの輪に入るのが苦手なのかもしれない。
そこで私は少しだけ彼の方へ近寄って、手招きをした。
りゅっしーが自分のことを気付いてくれたのにびっくりしたのだろうか。
少年は目を丸くして私を凝視したが、次の瞬間に意外な行動をとった。
なんとブンブンと首を横に振って、少し遠ざかったのだ。
まるで「僕は近寄れないんだ」と言わんばかりに……。
――どういうこと?
訳が分からず、戸惑う私。
すると周囲に集まっていた子どもたちが、私の腕や足にまとわりついて引っ張ってきた。
「ねえ、りゅっしー!」
「りゅっしー、聞いて!」
りゅっしーである以上は、一人の少年ばかりに気をとられ続ける訳にもいかないのは分かっている。
その証に、私は残されたわずかな時間で、少しでも子どもたちの期待に応えようと手足を動かしておどけてみせていた。
しかしそれでも、離れたところでなおこちらに目を向けている少年が視界から離れれることはなかったのだった。
……と、その時である。
聞き覚えのある太い声がすぐ近くからしたのは――
「まさか……。翔太……? そんな馬鹿な……」
その声のした方を、ぱっと振り向くとそこに立っていたのは春川理容店の店主、吉介おじいちゃんだった。
法事からの帰りであることを示すように、黒い礼服に身を包んだおじいちゃんは、見たこともないような青い顔をして一点を見つめていた。
彼の視線を追う。
するとそこには、遠くでこちらを見ているあの少年の姿があった。
――翔太くんって言うのかな? でも、なんでおじいちゃんは青い顔をしているんだろう……。まるで、怖がっているみたい。
ますます混乱しているうちに、健一おじさんの声が響き渡った。
「はいっ! じゃあ、みんな! 今日はここまで! りゅっしーはりゅっしー星に帰る時間だからねー!」
「ええーっ! いやだよー!」
「りゅっしー! もう終わりなのー!」
健一おじさんが告げると子どもたちの間から別れを惜しむ声が一斉に上がる。
そんな中、私は子どもたちに手を振りながら、一歩ずつゆっくりとその場をあとにし始めた。
そうして今日の仕事が終わりを告げようとしたその時だった……。
「こらっ! 翔一!! ここには近づいたらいけないって、あれほど言ってあったじゃないか!!」
と、鋭い怒声が背中から聞こえてきたのである。
ふと振り返るとそこには先ほどの少年。
彼の横には、父親とおぼしき中年男性の姿があった。
「だってぇ……。僕もりゅっしーに会いたかったんだもん!」
「だからって父さんとの約束を破っていい理由にはならない! さあ、もう行くぞ!!」
と、父親が少年の手を強引に掴んで、その場を離れようとする。
少年は父親に抵抗することもなく、それでも私の方を名残り惜しげに見つめ続けていた。
すると次の瞬間だった。
背中にゾッとした悪寒が走ったのは……。
――えっ……? なに? どういうこと……?
なんと少年の父親が、恨めしい目でこちらを睨み付けてきたのである。
殺気すらただよう彼の様子にあ然としてしまい、しばらく動けないでいた。
するとすぐ背後から、小さな声が聞こえてきたのだった。
「……ごめんよ。取り返しのつかないことをしてしまって……」
それは吉介おじいちゃんの声だ。
その声色が意外すぎて、思わず「どういうこと?」と小さなつぶやきが出てしまったのも無理はないだろう。
なぜなら私はおじいちゃんの優しい声しか聞いたことがなかったのだから。
私が髪を切りにいくといつもニコニコして、
――若葉ちゃんの髪はいつも綺麗だね。心が綺麗な証だよ。
なんて毎回同じお世辞を言ってくれていたっけ。
そんなおじいちゃんの口から聞いたこともない「ごめん」の言葉。
しかも消え入りそうなほどに小さな声だ。
そしてよくよく見れば少年の父親の視線は私ではなく、すぐそばに立ちつくしている吉介おじいちゃんに向けられていることが分かった。
――この二人……。なにかあったのかしら……?
そんな風に疑問に思っている間に、吉介おじいちゃんの方から先に立ち去っていってしまった。
その姿は、まるで何かに怯えているようで、自分の家に帰っていくというよりは、少年の父親から逃げていくと言い表した方がピタリと当てはまる。
一方の少年の父親は、おじいちゃんが家の中へと消えていくまで、じっとその背中を睨み付けていたのだった。
「若葉ちゃん、もう行かないと」
と、健一おじさんが、こっそり耳打ちしてきた。
ようやくはっと我に返った私は、最後に子どもたちに向かって大きく手を振ると、そのまま控室の方へ歩いていった。
こうして私にとって二回目の着ぐるみのお仕事は終わりを迎えたのだが、心の中にはモヤモヤが残ったままだった――
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