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第二話
第二話 春川理容店 いつも空いてる指定席 ⑥
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………
……
パパがりゅっしーの着ぐるみを指差して「若葉が困ってるだろ!」と怒鳴った瞬間から数秒の間、私にはいっさい記憶がない。
全ての思考が停止し、周囲がざわつく声すら耳に届かなかった。
――もう私の高校生活は終わり……。夢見てきた『青春』もこれまでなのね……。
と、処刑台の上に立たされたかのような絶望感に打ちひしがれていたのだ。
同級生たちの驚愕に満ちた視線が私に向けられている。
そして何かを言おうと、彼女たちの口が開きかけた。
――もうダメだ……!
こうして私の理性は完全に白旗を上げたのだった――
しかし……。
何においても負けず嫌いのど根性は、諦めるという言葉を知らなかった。
無意識のうちに大きな尻尾をぶん回しながらグルンと振り返ると、「ビシッ!」と、とある方角を指差したのである。
その方角はパパが指差している方角とまったく同じだ。
つまりそれは「りゅっしーよりも、もっと先に神崎若葉がいるぞ!」という意味であった。
その思惑通りに、みなの注目はその方角へと向き始める。
そして……。
「どこに若葉がいるの?」
「たぶん恥ずかしくて、どこか行っちゃったんじゃない?」
という同級生たちのひそひそ話が耳に入ところで、ようやく我に返った私はついに確信した。
――もしかして……ばれてない!!
そうと分かれば、一刻も早く退散するのが得策だ。
私は子どもたちに手を振りお別れの挨拶をすますと、春川宅の方へ力強く地面を蹴った。
その際、もちろん『忘れ物』などするはずもない。
ムズッ!
ムズッ!
と、パパとお兄ちゃんの首根っこを捕まえる。
「な、なにをするんだ!?」
「どこへ連れていこうってんだ!?」
しかし、慌てふためく二人の反応など気にするそぶりも見せずに、控室へと引き返したのだった――
◇◇
春川宅の居間――
着替えを終えた私は、お兄ちゃんをすぐ目の前に座らせると「反省会」を始めた。
「もうっ! ぜぇぇったいに許さないんだから!!」
私の怒号が響き渡ると、目の前で正座をして縮こまっているお兄ちゃんが、「ごめんよ、若葉」と消え入りそうな声でつぶやく。
まるで捨てられた子犬のような哀しい目をしているお兄ちゃん。
そんな彼を見て可哀想に思ったのか、壁際に立っていたパパが軽い口調で横やりをいれてきた。
「まあまあ、そうカッカするな。せっかくの可愛い顔が……」
「パパは黙ってて!」
言葉を途中で遮って鋭い眼光を向けると、パパは降参だと言わんばかりに両手を上げる。
「絶体絶命のピンチだったんだからね!」
ついさっきまでのことを思い起こすだけで、本当にゾッとする。
私の神がかり的な機転によって正体がばれずに済んだから良かったものの、元をただせばお兄ちゃんの『暴走』がきっかけだったのだ。
私の怒りが爆発しても、誰も文句は言えないはずでしょ!
「お兄ちゃんなんて、だいっ嫌い! 今日という今日は絶対に許さないんだから!」
「若葉ぁ……」
腕を組んでぷいっと顔を横に向けると、お兄ちゃんの弱々しい声が耳に入ってくる。
いつもならこの声に根負けして許してしまうのだが、今の私は違った。
潤んだ瞳で見つめてくる視線がちくりと胸に刺さるが、いつまでも私が甘い顔をするからお兄ちゃんは変わらないのだ。
私はただ「普通のお兄ちゃん」でいて欲しいだけなの。
誰も何も口を聞かない沈黙の時間がしばらく続いた。
……と、その時だった。
重い空気の中、口を開いたのはパパだった。
「取り込み中のところすまねえが、そろそろ店で仕込みをしなきゃなんねえ。俺は行かせてもらうぞ」
私は片目だけ開けて、ちらりとパパを見た。
するとパパはそんな私に対して穏やかな口調で言ったのだった。
「いいか、若葉。許せない相手を許してあげられるのは『強さ』だぜ」
「どういう意味よ?」
眉をひそめて問いかけると、ゆっくりと近寄って来たパパは強張った両肩に優しく手をのせてきた。
「若葉は強い子だろ? だったら許せるはずさ。吾朗だって若葉が心配でたまらなくて、つい暴走しちまっただけなんだろうからよ」
パパがちらりと目を向けると、お兄ちゃんは何度も首を縦に振っている。
――誰かを許すのは強さ……。
パパの言葉は胸にズキンと響いたものの、あまりピンとこない。
それでも、あれほど燃え盛っていた怒りの炎は鎮火して、全身の力が抜けていったのだから、理性ではなく心の方が先にお兄ちゃんを許し始めているみたいだ。
肩に置いた手からパパにもそれが伝わったようで、にこりと微笑みながら続けた。
「そうだ、それでいい。あんまり意気地になって相手を許せねえでいると、辛くなるのは自分なんだよ」
「辛いのは自分……」
「そりゃあ『人』だから怒る時だってあるだろうよ。だから怒るな、とは言わねえ。でもよ、許さねえのはナシだ」
「怒ってもいいけど、許さないのはダメってこと?」
「その通りだ。俺は若葉に辛い思いを引きずった人生を歩んで欲しくねえからよ。そこんとこ、よく覚えておけ。分かったな?」
パパの念押しに、私はコクリとうなずいた。
今でもお兄ちゃんの『暴走』は許せないし、嫌だ。
でも、もしお兄ちゃんをずっと許せないまま互いに辛い思いをしてしまうのは、もっと嫌だ。
だって……。
――若葉のことは、お兄ちゃんがいつだって守ってやるからな。
――若葉! 熱あるのか!? お兄ちゃんが看病してあげるから安心しろ!
――若葉、大丈夫! 若葉なら絶対に合格する! 俺が保証するから、思い切って頑張ってこい!
だって本当は、いつも優しいお兄ちゃんが大好きなんだから――
私はそっぽを向いたまま、声を振り絞ったのだった。
「……二度と正体をばらすような真似しないって約束してくれるなら、許してあげる」
その直後……。
「若葉ぁぁぁ!!」
と、部屋を震わせるような大声をあげたお兄ちゃんが抱きついてきたのである。
「若葉! ありがとう!! お兄ちゃんはそんな若葉が大好きなんだ!」
「ちょっと! やめてよ! 私はそんなお兄ちゃんが大嫌いって言ってるの!!」
顔を真っ赤にしてお兄ちゃんを引き離そうとしている私を見て、ケラケラと大笑いしたパパは、満足そうな表情でその場を後にしていった。
なんだか上手にはぐらかされたようで納得はいかない。
でも、どうしてだろう……。
あれほどズキズキと痛かった胸の中が、今はすっと晴れやかになっているのは――
………
……
こうして暴走したお兄ちゃんを、しぶしぶ許した私。
そんな私を神様は偉いと思ってくれたのか、思わぬ幸運が訪れることになる。
それは、まとわりついてくるお兄ちゃんから逃げながら春川理容店へと駆け込んだ時のことだった。
ガチャッ!
と、扉を勢いよく開けた瞬間……。
目に飛び込んできた人物に心を奪われると、まるで時間が止まったかのように、体が硬直してしまった。
「えっ……!?」
思わず漏れ出た小さな声を聞いたその人物は、ゆっくりとこちらに振り向くと、ニコリと微笑みかけたのだった――
「神崎さん。奇遇だね。君も髪を切りに?」
五月のそよ風のような爽やかな声。
ふわふわな綿毛のような優しい瞳。
そして春の陽射しのような眩しい立ち姿。
間違いない!
憧れの垣岡悠輝先輩だ!
雲の上の存在のような先輩が今、目の前で私に笑顔を向けてくれているではないか!
それだけで天にも昇るような幸せに包まれた。
しかし……。
緊張と驚愕は体のコントロールを完全に奪うと、直後の大失態を引き起こしてしまう……。
「垣岡しぇんぱい!!」
こともあろうか、憧れの先輩を前にして、もののみごとに『噛んで』しまったのだった――
……
パパがりゅっしーの着ぐるみを指差して「若葉が困ってるだろ!」と怒鳴った瞬間から数秒の間、私にはいっさい記憶がない。
全ての思考が停止し、周囲がざわつく声すら耳に届かなかった。
――もう私の高校生活は終わり……。夢見てきた『青春』もこれまでなのね……。
と、処刑台の上に立たされたかのような絶望感に打ちひしがれていたのだ。
同級生たちの驚愕に満ちた視線が私に向けられている。
そして何かを言おうと、彼女たちの口が開きかけた。
――もうダメだ……!
こうして私の理性は完全に白旗を上げたのだった――
しかし……。
何においても負けず嫌いのど根性は、諦めるという言葉を知らなかった。
無意識のうちに大きな尻尾をぶん回しながらグルンと振り返ると、「ビシッ!」と、とある方角を指差したのである。
その方角はパパが指差している方角とまったく同じだ。
つまりそれは「りゅっしーよりも、もっと先に神崎若葉がいるぞ!」という意味であった。
その思惑通りに、みなの注目はその方角へと向き始める。
そして……。
「どこに若葉がいるの?」
「たぶん恥ずかしくて、どこか行っちゃったんじゃない?」
という同級生たちのひそひそ話が耳に入ところで、ようやく我に返った私はついに確信した。
――もしかして……ばれてない!!
そうと分かれば、一刻も早く退散するのが得策だ。
私は子どもたちに手を振りお別れの挨拶をすますと、春川宅の方へ力強く地面を蹴った。
その際、もちろん『忘れ物』などするはずもない。
ムズッ!
ムズッ!
と、パパとお兄ちゃんの首根っこを捕まえる。
「な、なにをするんだ!?」
「どこへ連れていこうってんだ!?」
しかし、慌てふためく二人の反応など気にするそぶりも見せずに、控室へと引き返したのだった――
◇◇
春川宅の居間――
着替えを終えた私は、お兄ちゃんをすぐ目の前に座らせると「反省会」を始めた。
「もうっ! ぜぇぇったいに許さないんだから!!」
私の怒号が響き渡ると、目の前で正座をして縮こまっているお兄ちゃんが、「ごめんよ、若葉」と消え入りそうな声でつぶやく。
まるで捨てられた子犬のような哀しい目をしているお兄ちゃん。
そんな彼を見て可哀想に思ったのか、壁際に立っていたパパが軽い口調で横やりをいれてきた。
「まあまあ、そうカッカするな。せっかくの可愛い顔が……」
「パパは黙ってて!」
言葉を途中で遮って鋭い眼光を向けると、パパは降参だと言わんばかりに両手を上げる。
「絶体絶命のピンチだったんだからね!」
ついさっきまでのことを思い起こすだけで、本当にゾッとする。
私の神がかり的な機転によって正体がばれずに済んだから良かったものの、元をただせばお兄ちゃんの『暴走』がきっかけだったのだ。
私の怒りが爆発しても、誰も文句は言えないはずでしょ!
「お兄ちゃんなんて、だいっ嫌い! 今日という今日は絶対に許さないんだから!」
「若葉ぁ……」
腕を組んでぷいっと顔を横に向けると、お兄ちゃんの弱々しい声が耳に入ってくる。
いつもならこの声に根負けして許してしまうのだが、今の私は違った。
潤んだ瞳で見つめてくる視線がちくりと胸に刺さるが、いつまでも私が甘い顔をするからお兄ちゃんは変わらないのだ。
私はただ「普通のお兄ちゃん」でいて欲しいだけなの。
誰も何も口を聞かない沈黙の時間がしばらく続いた。
……と、その時だった。
重い空気の中、口を開いたのはパパだった。
「取り込み中のところすまねえが、そろそろ店で仕込みをしなきゃなんねえ。俺は行かせてもらうぞ」
私は片目だけ開けて、ちらりとパパを見た。
するとパパはそんな私に対して穏やかな口調で言ったのだった。
「いいか、若葉。許せない相手を許してあげられるのは『強さ』だぜ」
「どういう意味よ?」
眉をひそめて問いかけると、ゆっくりと近寄って来たパパは強張った両肩に優しく手をのせてきた。
「若葉は強い子だろ? だったら許せるはずさ。吾朗だって若葉が心配でたまらなくて、つい暴走しちまっただけなんだろうからよ」
パパがちらりと目を向けると、お兄ちゃんは何度も首を縦に振っている。
――誰かを許すのは強さ……。
パパの言葉は胸にズキンと響いたものの、あまりピンとこない。
それでも、あれほど燃え盛っていた怒りの炎は鎮火して、全身の力が抜けていったのだから、理性ではなく心の方が先にお兄ちゃんを許し始めているみたいだ。
肩に置いた手からパパにもそれが伝わったようで、にこりと微笑みながら続けた。
「そうだ、それでいい。あんまり意気地になって相手を許せねえでいると、辛くなるのは自分なんだよ」
「辛いのは自分……」
「そりゃあ『人』だから怒る時だってあるだろうよ。だから怒るな、とは言わねえ。でもよ、許さねえのはナシだ」
「怒ってもいいけど、許さないのはダメってこと?」
「その通りだ。俺は若葉に辛い思いを引きずった人生を歩んで欲しくねえからよ。そこんとこ、よく覚えておけ。分かったな?」
パパの念押しに、私はコクリとうなずいた。
今でもお兄ちゃんの『暴走』は許せないし、嫌だ。
でも、もしお兄ちゃんをずっと許せないまま互いに辛い思いをしてしまうのは、もっと嫌だ。
だって……。
――若葉のことは、お兄ちゃんがいつだって守ってやるからな。
――若葉! 熱あるのか!? お兄ちゃんが看病してあげるから安心しろ!
――若葉、大丈夫! 若葉なら絶対に合格する! 俺が保証するから、思い切って頑張ってこい!
だって本当は、いつも優しいお兄ちゃんが大好きなんだから――
私はそっぽを向いたまま、声を振り絞ったのだった。
「……二度と正体をばらすような真似しないって約束してくれるなら、許してあげる」
その直後……。
「若葉ぁぁぁ!!」
と、部屋を震わせるような大声をあげたお兄ちゃんが抱きついてきたのである。
「若葉! ありがとう!! お兄ちゃんはそんな若葉が大好きなんだ!」
「ちょっと! やめてよ! 私はそんなお兄ちゃんが大嫌いって言ってるの!!」
顔を真っ赤にしてお兄ちゃんを引き離そうとしている私を見て、ケラケラと大笑いしたパパは、満足そうな表情でその場を後にしていった。
なんだか上手にはぐらかされたようで納得はいかない。
でも、どうしてだろう……。
あれほどズキズキと痛かった胸の中が、今はすっと晴れやかになっているのは――
………
……
こうして暴走したお兄ちゃんを、しぶしぶ許した私。
そんな私を神様は偉いと思ってくれたのか、思わぬ幸運が訪れることになる。
それは、まとわりついてくるお兄ちゃんから逃げながら春川理容店へと駆け込んだ時のことだった。
ガチャッ!
と、扉を勢いよく開けた瞬間……。
目に飛び込んできた人物に心を奪われると、まるで時間が止まったかのように、体が硬直してしまった。
「えっ……!?」
思わず漏れ出た小さな声を聞いたその人物は、ゆっくりとこちらに振り向くと、ニコリと微笑みかけたのだった――
「神崎さん。奇遇だね。君も髪を切りに?」
五月のそよ風のような爽やかな声。
ふわふわな綿毛のような優しい瞳。
そして春の陽射しのような眩しい立ち姿。
間違いない!
憧れの垣岡悠輝先輩だ!
雲の上の存在のような先輩が今、目の前で私に笑顔を向けてくれているではないか!
それだけで天にも昇るような幸せに包まれた。
しかし……。
緊張と驚愕は体のコントロールを完全に奪うと、直後の大失態を引き起こしてしまう……。
「垣岡しぇんぱい!!」
こともあろうか、憧れの先輩を前にして、もののみごとに『噛んで』しまったのだった――
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