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第二部 起死回生
三軍暴骨……関東進出戦⑮
しおりを挟む――ダダダダッ!!
――ダダダダッ!!
宇佐美定龍の率いる鉄砲隊から立て続けに三連続で銃撃が浴びせられる。
さしもの北条綱成軍と言えども、この奇襲には面食らい、足が止まってしまった。
だが、それも一瞬のこと。
そもそも宇佐美隊はたかだか一〇〇にも満たぬ小隊なのだ。
刹那の足止めはできても、相手に致命的な打撃など加えることはできない。
「……雑魚にかまうな」
――オオオ!!
大将の北条綱成の口から低い声が発せられる。
いつもと変わらぬ冷静沈着なその声に、軍勢の混乱はすぐに収まり、上杉本軍への突撃が再開されようとしていた。
……だが。
天才軍師、宇佐美定龍はそれさえも、しっかりと想定していたのである。
「……進め!」
――オオッ!
再開された突撃で、再び軍勢が縦長に展開される。
その瞬間を定龍は見逃さなかった。
「今です!! 突撃!!」
――おおっ!!
なんと背の高い茂みの中から上杉の旗が続々と現れたではないか。
「……なにっ!?」
縦長の陣形は横からの攻撃に弱い。
左右からの挟撃に綱成の顔色が変わった。
「われは加地春綱(かじはるつな)なり! いざ! 勝負!」
「鮎川清長(あゆかわきよなが)だ! いくぞ!!」
二人はかつて謙信をあれほど悩ませてきた揚北衆(あげきたしゅう)だ。
それが今は謙信の窮地を救おうと、無双の軍勢に向けて決死の突撃をしている。
彼らを説き伏せた張本人である宇佐美定龍は、北条綱成軍の動きが鈍ったのを確認したところで、全力疾走を始めた。
戦うべきか、撤退を続けるべきか、戸惑う上杉兵たちをかきわけながら、一直線に駆け抜けていく定龍。
そうして彼が足を止め、ひざまずいた先には一頭の白馬にまたがる大将がいた。
上杉謙信であった。
謙信は目を細くして、肩で息をする定龍を見下ろしている。
そして内から湧きでる感情を抑えながら声をかけた
「定龍か……」
この後の言葉を謙信は決めかねていた。
否、本当はたった一つだったはずだ。
しかし、定龍は謙信が何か口にする前に、大声で進言したのだった。
「申し上げます!! すぐに撤退を再開くだされ!! 目指すは松山城! そこで籠城を!!」
「松山城……。分かった。お主の言う通りにいたそう」
あまりにあっさりと受け入れられたことに、驚きを隠せない定龍。
彼としては謙信が首を縦に振るまで、蹴られようが罵倒されようが食い下がる腹づもりだったのだ。
だが、驚くにはまだ早かった。
口をぽかんと開けたままの定龍に向かって、謙信は驚愕の指示を出したのだった。
「撤退の号令はお主から出せ。定龍。われはその号令に従おう」
「な……なんと……」
それは、一回きりかもしれないが、全軍の指揮を定龍に委ねることを意味していた。
上杉謙信と言えば『軍神』と畏れられた戦の天才。
その謙信から采配を直接手渡されるという真意は、ただ一つしかない。
――宇佐美定龍よ。われはお主を心より信頼している。先の非礼、許せ。
定龍の目から大粒の涙がぶわっと溢れだし、全身が震えた。
しかしここで嗚咽を漏らしている場合ではないのは、彼が一番よく分かっているつもりだ。
ぐいっと目もとを拭うと、彼は謙信の横に立ち、刀を手にした右手を大きく上げた。
「懸かり乱れの龍旗(りゅうき)を掲げよ!!」
――バッ!!
一斉に旗が大空に向かって掲げられる。
それを目にした直後、定龍は天を震わせる大号令をかけたのだった。
「全軍!! 松山城に向かって、進めえええええ!!!」
――おおおおおおっ!!
地鳴りのするかけ声とともに、一斉に動き出す上杉軍。
さらにその号令に呼応するように、小畔川と越辺川に、数本の綱が現れた。
川を渡るのを助ける綱だ。
それらをかけたのは、先に対岸に渡っていた河田長親(かわだながちか)の軍勢であった。
次々と川を渡り始める兵たち。
謙信はそれをしばらく見届けた後、横にいる定龍に声をかけた。
「われを先導せよ」
しかし定龍は首を横に振って、その指示を拒んだ。
「いえ、私はここで北条軍を食い止めます」
謙信の目が大きく見開かれる。
「定龍……。死ぬ気か?」
定龍はその問いにも首を横に振った。
「ふふ。そんなことをしたら、天にいる義理の父と祖父に叱られてしまいますゆえ」
「そうか……」
「それから私は松山城には入りません」
「なに? どういうことだ」
「これ以上は言えませぬ。どこに耳があるか分かりませんゆえ。ただ必ずや、御屋形様を勝利に導きます。しばしの間、松山城で耐え忍んでくだされ」
定龍の有無を言わせぬ口調に、謙信は口を真一文字に結んで彼を見つめた。
ほんのわずかな時間。
そこはたった二人だけの空間となる。
ただ互いに言葉はかわさない。
言葉など二人には無用の長物なのだ。
視線を交わし合うだけで、互いの胸の内はよく理解できた。
夏の到来を告げる突き刺すような日差しに謙信のひたいに流れた汗がキラリと光ったところで、彼は無言で定龍に背を向けた。
そして最後に一言だけ命じたのだった――
「死ぬな……」
「御意」
謙信は定龍の言葉が終わる前に、思いっきり白馬の腹を蹴る。
ひひんといなないた白馬は、謙信を再び彗星へと変え、次の瞬間には川を超えて、北方へと消えていったのだった――
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